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実際の学校教育現場:実録高校生事件ファイル

今回は,■いじめ問題は解決できるものではない 以来の書籍紹介の記事を書きたいと思います.
そして,この「いじめ問題」とも関係ある書籍です.

和田慎市 著『実録高校生事件ファイル』


実は著者である和田慎市先生からメールをいただきました.

私のブログをご覧いただき,「我が意を得たり」と感じて頂いたとのことで,光栄の至りでございます.
対する私の方も,和田先生の著書を拝読させて頂き,「我が意を得たり」の心境です.
世間に広まっている学校教育像と,実際の学校教育現場の乖離を周知したいという願いが私とも一致しておりましたので,ここにご紹介させていただきます.

和田先生は現役の高校教員(教頭)でして,忙しい仕事の合間を縫ってご講演もなさっているとのこと.
ちなみに,「和田慎市」というのはペンネームだそうで,というのも,まだ現役教員ですので関係各者にご迷惑がかからないようにという配慮とのことです.
同様の理由でハンドルネームでブログを書いている私も,何かしらのお手伝いができたら幸いです.

前回(上記記事)ご紹介した諏訪哲二 著『いじめ論の大罪』にも共通しますが,学校関係者がこのような現場からの意見を出していただけるのは貴重です.
私も教員の一人ではありますが現場は大学でして,学校教育に立っている者ではありません.
たまに大学の後輩から,東京の某高校の状況を聞くことがあるくらいですかね.
400記事 伝説の教師 再び
学校教育がどのようなものなのか,生々しい事例を知っておくことは非常に重要です.ご一読をオススメします.

「いじめ問題」に関する記事に限ったことではありませんが,書くにあたっては,なるべく関係資料にあたるようにしております.
ところが,今回ご紹介する和田先生の『実録高校生事件ファイル』は,大変失礼ながら未読でございました.

以下は過去記事の繰り返しですが,あらためてお話しておきましょう.
和田先生や諏訪先生の著書のように,学校関係者,特に教師が「そんな理想論を語られても,私達にも限界がある」と受け取られかねないコメントを出すと,深く読みもせず「それでも教師か!」と文句が出ることが予想されますから,黙ってしまう教員が多いのです.
多くの教師は生徒としっかりと向き合っています.それだけに黙ってしまうわけです.

しかし,学校や教師は目の前の生徒から逃げたり,ビジネスライクに選別したりできません.それが可能な学校もあるでしょうが,全部ではありません.さまざまな事情をもった学校があります.
業績が上がらなかったから(指導が上手くいかなかったから)といって,簡単に生徒や業務や予算を “切る” わけにはいかないのです.
つまり,費用対効果で仕事をしているわけではないのです.
なんかここらへんを勘違いしている人(というかコメンテーターとか評論家)が多過ぎます.

いじめの加害者だろうが,集団に馴染めない生徒だろうが,喫煙してる生徒だろうが,学校ではそんな彼らを簡単に切れない.
彼らをなんとかして国民の一人として,自立して幸せに生きていけるようになるために,教員はギリギリまで頑張っているのです.
そうは言っても,「教師」は何でも可能にできる超人ではありません.万策尽きて退学させたり自主退学していくことはありますが,そこに行き着くまでには様々な過程があります.

簡単に「ダメなら退学させればいい」とか「こんなことになる前に早めの判断を」などと言われても,次代を背負って立つ人間を扱っている手前,そんなドライなことはできません.
考えてもみてください.そうして退学させた生徒が,これから先,あなたと仕事をする人物になるのかもしれません.あなたを夜道で襲う人物になるのかもしれない.あなたの娘さんの結婚相手になるかもしれないのですよ.

「世間は狭い」という言葉があるように,人間社会はネットワークでできています.
その一方で,昨今の教育議論にはこのネットワークや共同体感覚を失ったものが散見されます.
なんでも基本が「個人」なんです.「個人の能力を開花」させることばかりが表に出ます.

別に個人の能力を開花させることが悪いと言っているわけではありません.それはもちろん重要なことの一つです.
その一方で,これはこれで議論があるところでしょうが,少なくとも私は社会を健全に営んでいく上では,共同体意識を高めておかなければならないと考えています.

私がよくある教育論議に対して不満なのは,どうも場当たり的というか,対処療法的.
つまり,眼前の問題だけを解決しようとする発言や行動が取り上げられますが,そうした行動をとった先で何が起きるのか?という発想がまるでないことです.

「個人の能力の開花」を優先していくと,それを妨げる要素は排除していく風潮になります.
「学校の評判や勉学の邪魔になる奴は切る」が,王道・正論じみたものになっていきます.でもそれって,凡そ日本人を育てる教育哲学ではないでしょう.

和田先生のご著書にもありますが,こうした「次代の国民を育てる」ことは,学校や教師だけが頑張ることではありません.
教育というものは,我々国民全体が考えていかなければならないことなのです.
そうした時に,あらためて「学校」というものを,どのように捉えるのか.そこを議論していく必要があります.

今はあまりにも空論や理想論が過ぎます.
あってはダメだと言っているのではありません.理想論も必要です.が,多過ぎるのです.

和田先生の著書の序文でも触れられていることなのですが,学校教育について “強い影響力をもって” 評論する方々の多くが「問題の少ない学校」の出身者であること.それが,非現実的な評論に終始してしまう教育論議の元なのかもしれません.

もっと学校教育全体を俯瞰した議論,学校教育が持っている本来の機能を考慮した議論がなされることを願ってやみません.

参考記事
いじめ問題は解決できるものではない
いじめアンケート調査の問題についてのあれこれ
大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています

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