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体育学的映画論「メッセージ」

これ,つまるところガンダムですよね.
ハリウッド版「ニュータイプ論」.

現在公開中の『ブレードランナー2049』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が,昨年に製作したSF映画が『メッセージ』(2016年)です.

ブレードランナー2049も良かったですが,SF映画としてはこちらの方が遥かに出来が良いと思います.
まあ,ブレードランナー2049はファンサービスとして作られたものかもしれませんので,それなりの楽しみ方をするものなのでしょう.

【以下,ネタバレを含みつつ話していきます】
映画を楽しむ上では以下の話を読まない方がいいかと思います.
観てから読むことを推奨します.

ネタバレを含む映画のあらすじは,ウィキペディアで読むことができます.
メッセージ(映画)(wikipedia)

非常に質の高いSF映画です.
近い将来,「死ぬまでに観ておきたい映画◯選」などと形容されるようになることと思われます.

次元の異なる知的生命体とどのようにコミュニケーションをとればいいのか? というのがこの映画の基本的なストーリーになっています.
突如,世界中の地域に現れたUFOに対し,各国は独自に対応を始めるというもの.
学者たちによるエイリアンとの交流が描かれるのですが,「どうやって交流できることになったのか?」といった細かい経緯はぶった切られていて,「エイリアンとのコミュニケーションをどのようにとるのか?」という点に絞った展開が無駄がなくて良い.

言語学や数学などを駆使した,エイリアンが使う言語を解読してゆく過程が非常に興味深いんです.
「ほうほう,なるほど.へえ〜,そういうふうに解釈するわけねぇ〜」と,引き込まれること間違いありません.
めちゃくちゃ難しい話なのに,むちゃくちゃ分かりやすく映画にしてくれています.
これは圧巻です.

でも,この映画の一番大きなテーマは「もしも “刻” が見えるようになったら」というものです.
だから冒頭述べたように,ニュータイプ論なんですよ.

実は,この映画の構成自体が,主人公である言語学者・ルイーズの「認識」そのものを示しているんです.
原作はテッド・チャン著『あなたの人生の物語』というタイトルなのですが,まさにこの映画は「ルイーズの人生の物語」と言えます.

どういう事かというと,この映画の基盤となる考え方として,映画前半のヘリコプター内でのシーンに「思考は言語により形作られる」と語られるところがあります.
言い換えれば,物事の捉え方は,用いられる言語によって異なるということです.

これは,日本語を使っていれば日本語の考え方になり,英語を使っていれば英語の考え方になる,などと言われることの延長と言えます.
ただ,ここでいう「言語の違い」とは,日本語と英語の違いといった小さなものではなく,もっと大きな違いである「言語の次元」の差を指します.
で,その言語の次元の差は何によって生まれているかというと,「体育学的映画論」らしく「身体」によって現れているんです.

劇中でも示されているように,このエイリアンは空中に漂う生命体です.
つまり,1Gの重力下である地球で,「地面」に根付いて生きている我々「人間」が作り出した言語とは異なる思考をしている知的生命体,それがエイリアンということになっています.

富野由悠季氏が製作した『機動戦士ガンダム』においても,人類は宇宙へ移住することによってニュータイプへと覚醒する.という設定があります.
ニュータイプとは,宇宙に飛び出して地球の重力から解き放たれることによって認識能力が進化し,「“刻” が見える」ようになった人類とされているんです.
この映画と設定が全く同じではありませんか!
凄いぞガンダム,凄いぞ富野由悠季.

環境が違えば言語が異なり,言語が異なるので思考と認識が異なります.
で,このエイリアンはニュータイプと同様,「“刻” が見える」んですね.
だから,物語の途中からルイーズは,自分がエイリアンの言語を理解できたことを思い出します.

いえ,正確には思い出したのではなく,理解できることを認識したんです.
「理解できることを認識した」っていう表現が意味不明かと思いますが,どうしてそんな表現なのかというと,エイリアンの言語を理解できたルイーズにとっては,「時間」とは流れるものではなく,見るものになったからです.
その瞬間,ルイーズにとっては,彼女の人生そのものが一塊の物体を見るようなものになっています.

というのも,言語学者の彼女は,近い将来にエイリアンの言語を研究・理解して,それを本にして出版することになります.
なので,ルイーズはエイリアンの言語によって思考し,物事を認識できるようになるわけですが,そんな「エイリアンの言語を理解できた彼女」にとっては,過去も未来も同じもの.

だから,映画の冒頭からずっと自分の娘との思い出のシーンが,ストーリーの合間合間に流れ続けているんですね.
実はこの「娘との思い出のシーン」とは回想シーンではなく,ルイーズにとっての未来なんです.

しかし,こうした映画の作りも,時間のことを「流れる」ものとしてしか捉えられない私達にはこのように認識するしかなく,エイリアンやルイーズには「あのように」は見えていません.

これはちょうど,知っている小説や映画を繰り返し読んだり見たりするようなものです.
だから原作タイトルが「あなたの人生の物語」なんだと思います.
こうなってくると,例えば人生のことを「一度きりの人生だから・・」などと捉えたりはしません.
よく,この映画の感想などで,「ルイーズは,新しい言語を手に入れることで,決められた未来に向かって生きるしかない状態になった」とか,「自由意志がなくなった」などといったものが見られますが,これは間違いだと思います.
なぜなら,この言語を手に入れ,それによる思考と認識ができるようになったことで,いわゆる「一度きりの人生」という捉え方そのものが無くなり,その捉え方から惹起されていたはずの「決められた未来」という価値観それ自体が意味を成さなくなっているからです.

ルイーズにとって自分の人生とは,小説や映画を何度でも読み返すようなものになっています.
いえ,もっと正確に言えば,読んだり見たりするようなものですらない.
「そういうもの」として認識しているんです.
それが分からない私達は,そんなふうに「時間」を捻じ曲げた認識として想像するしかありません.

これは例えば,目の見える人と目の見えない人が何かの物体を認識しようとした時の違いと似ています.
目の見えない人は,その物体を手で触りながら,「ここが出っ張ってる.凹んでいる.ここは輪になっている」などと,ちょっとずつ時間をかけて知ることになります.
しかし,目の見える人にとってはその物体を見るだけで認識できるので,そこに時間は必要ありません.
目の見えない人が時間をかけて物体を認識しようとしているのが「人類の人生」であれば,エイリアンにとっての人生とは,目の見える人が物体を見ているようなもの.
しかし,「物体」は時間をかけようとかけまいと,同じ物体であることに違いはありません.
人生とか生涯といったものへの認識も,用いられる言語と認識能力が違えば異なるということです.

そしておそらく,ルイーズの娘もエイリアンの言語を理解した人間だった可能性は高いんです.
そんな描写が映画の冒頭からいくつか出てきます.

例えば,娘が幼い頃にやっている粘土遊びでは,彼女が知らないはずのエイリアンを造形していたり,同じく幼い頃に書いたクレヨン画の両親(ルイーズとイアン)には,エイリアンとコミュニケーションをとる任務についていた2人のそばにあった「籠の中のカナリア」が一緒に描かれています.

つまり,ルイーズの娘は全てを知っていたんです.全ての刻を知っていてなお,(一般的な人間の認識からすれば)短い生涯を生きていたことになります.
と同時に,それは彼女にとって哀しいことかというと,実はそうではない.
「短い生涯を生きた」という認識そのものが,時間のことを「流れる」ものだと認識する我々の捉え方でしかありません.
むしろ,ルイーズは自分の娘を「救うため」にエイリアンの言語を教えたのではないか? つまり,いわば「ニュータイプ」へと覚醒させたのではないかとも考えられます.

ここらへんの「次元」に関する哲学的なことを分かりやすく解説されているのが,飲茶 著『史上最強の哲学入門』です.


『メッセージ』を理解する助けになるはずですので,一読をオススメします.


ガンダムで考える関連記事は以下のとおりです.
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人間は身体を通して理解する「Zガンダム編」
人間は『身体』を通して理解する「ガンダムW編」

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