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体育学的映画論「ブレードランナー2049」

この週末はあっちこっち飛び回って結構忙しいのですが,ちょっと無理してドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ブレードランナー2049』を見てきました.

これは10月27日(金)に公開された映画.
仕事が一段落してからとも思ったのですけど,リドリー・スコット監督『ブレードランナー』(1982年)のファンの一人としては居ても立ってもいられず,スケジュールにねじ込んだところです.

以降,ネタバレは最小限にしますが,関係が深い話が出てきます.ご注意ください.
でも,ブレードランナーのことをあまり知らない人にとっては,むしろ以下を知った上で見たほうが良いかもしれません.ご参考まで.

さて,前評判では賛否両論でしたけど,私としてはかなり楽しめました.
さまざまなところで論じられていることですが,この『ブレードランナー2049』は前作を含めて万人受けする映画ではありません.
今でこそ1982年の『ブレードランナー』はSF映画の最高峰として有名になっているようですけど,公開当時はアメリカでも難解なクソ映画として酷評されていたとのこと.
生命科学や哲学の論考を好む人達に好かれるタイプの映画であり,家族で楽しむエンターテイメントでもなければ,デートで気軽に鑑賞して話題にすることもできません.

かくいう私も,子供の頃にテレビで放送されていた『ブレードランナー』を見た時はイマイチ話がわからず楽しめなかったんです.でも,何度か見ているうちに,どうして人造人間たちが反乱を起こしているのか?とか,なんで人造人間は最後にデッカードを助けたのか? なぜデッカードは寿命が尽きるはずのレイチェルと共に逃亡したのか? その際に玄関に落ちていた折り紙がなぜユニコーンなのか? とか,大人になるにつれていろいろ解釈できるようになってきます.
つまり,見る度に魅力が増してくるのがブレードランナーという映画の特徴なんですね.
大学生以降では1年に何回か見る映画になっていたので,その都度借りたりネット上で探すのが面倒になって,7年くらい前についにDVDを購入しました.
私がDVDを購入するのは極めて珍しいことです.

今回の『ブレードランナー2049』は,前作の世界観をそのまま引き継いでいます.
ブレードランナーって「陰鬱なゴミゴミした街に汚い雨が降っている」という世界が象徴的ですよね.この世界観がその後のSF作品に及ぼした影響は大きいとされています.
この風景のモデルは日本・新宿歌舞伎町とのこと.
今回のブレードランナー2049は東京の映画館で見たのですが,見終わって映画館を出てみますと,台風の影響を受けて薄暗いなか雨が降っているんですね.それが完全にブレードランナーの世界と一緒.思わず鳥肌が立ちました.

テーマについても前作と同様,人間とは何か? を問い続けています.
シンプルなアクション映画だと思って見ると面食らうので注意が必要です.
今作の捜査官(ブレードランナー)である主人公のKは,新型の人造人間(レプリカント)であり,周囲からは「人間もどき」と侮蔑され,同じレプリカントからは憎まれています.さらに,そのKの恋人は人工知能という設定.

実は前作の「ブレードランナー」においても,主人公のデッカードは新型レプリカントであるという解釈があります.デッカードの目が赤く光るシーンがあること.ユニコーンの夢を見て,そのユニコーンの折り紙を見つけて頷くシーンが入っていること.原作がフィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という点からです.
※詳細はウィキペディアを御覧ください.■ブレードランナー(wikipedia)

この点を「ブレードランナー2049」におけるヴィルヌーヴ監督は “きっとファンのために” きちんと回収しており,前作の主人公デッカードが,
「自分のことを人間だと思っていたけど,実はレプリカントだったのか!?」
というものに対し,今作の主人公Kでは,
「自分のことをレプリカントだと思っていたけど,実は人間だったのか!?」
というストーリーに仕立てられています.
その結論は映画を見てのお楽しみ・・・,ですし,さらにファンとしては嬉しいことに,この点も実は「結局のところ謎なのではないか?」として曖昧になっているのが,さすが「ブレードランナー」です.
「Kは何者なのか?」は,見る人の妄想を掻き立てられるようになっている.

あと,「ブレードランナー2049」の重要なストーリー設定が,「妊娠できるレプリカントがいる」というものです.
レプリカントが妊娠できるとなると,では「人間」とは一体どういう存在になるのか? 何を持ってレプリカントと人間を分かつのか?
これが今作における重要なテーマになっています.

もちろんお察しの通り,「妊娠できるレプリカント」とは前作のレイチェルであり,その父親がハリソン・フォード演じるデッカードなんですが,ではその子供は人間なのか?人造人間なのか?
こうしたテーマが,今作の主人公であるKの存在や,その恋人が人工知能のホログラムである「女性」であることと鮮やかに対比されています.

今回の「ブレードランナー2049」には前日談が用意されていて,この世界ではデッカードとレイチェルが逃亡した2019年のあと,2022年にアメリカ中を「大停電」が襲っているとのこと.
それによりあらゆる電子媒体での情報が消えてしまい,その復旧に膨大な時間がかかっており,未だに完全な情報としては残っていないという設定があるんです.
その事件の経緯がユーチューブでアニメ作品として公開されています.
ブレードランナー ブラックアウト 2022(youtube)

前作の2019年に反乱事件を起こしたレプリカントは「ネクサス6型」なのですが,この型には寿命が4年という設定がありました.
次に生産されたのが寿命に制限のない「ネクサス8型」であり,このネクサス8型が大停電のテロ事件を引き起こします.
ちなみに,2049年において活躍しているのは「ネクサス9型」で,主人公のKもこの形式です.

ところで,「じゃあ,ネクサス7型はどこいった?」と思われるでしょうけど,そのネクサス7型というのが繁殖能力を付与されたレプリカント「レイチェル」(そして,もしかするとデッカードも)だったという設定なのが「ブレードランナー2049」なんです.

で,ここで先ほどの「大停電」という事件の重大性が頭を擡げてきます.
結論から言えば,「ネクサス7型はレイチェル(とデッカード)だけだったのか?」ということです.
「大停電による全米の電子データの消失」により,天然の「人間」と,人造の「人間」の区別が,役所や製造元に記録されていた「登録データ」からは判別できなくなっているんですね.
もしかするとネクサス7型は既に何体も製造されていて,しかもレイチェル(とデッカード)と同じように,自分がレプリカントだと知らずに生きている可能性は高く,彼らネクサス7型の子供やハーフが何人も生まれているのではないか? そして,大停電からの復旧に際し,「妊娠して誕生しているのだから」ということで,登録データを「レプリカント」ではなく「人間」として記録されている人がたくさんいるのではないかということです.
こうして,いろいろ妄想できるのもブレードランナーの魅力ですし,その余地を残して「2049」を作っているヴィルヌーヴ監督も憎い配慮をする人です.
DVDやネット配信されるようになったら,何度か見直してやろうと思います.

そう言えば,繁殖能力をもった人造人間の誕生について取り扱ったものに,先日発行された森博嗣 著『ペガサスの解は虚栄か?』があります.
今回のブレードランナー2049は,人造人間と人工知能が,遠い将来に「人間」としてどのように関わっていくかが描かれているとも言えます.
これと同じことが森博嗣氏の小説Wシリーズと百年シリーズで扱われており,ブレードランナーのパラレルワールドとして楽しむことも出来ますので,それだけにタイムリーなストーリーだったなと思います.

その「ペガサスの解は虚栄か?」の最後の方に,こんなセリフが出てくるんです.
「このままでは,人類は滅亡する.それさえも望んでいるのかもしれない.我々の子孫は,人工知能とウォーカロン(人造人間)だ.あとは,彼らに任せよう,といったところかな」

人造人間との間に生まれた子供は何者なのだろうか?
人工知能との間に「愛」は生まれるのか?
ということをウダウダ考えるよりも,そうしたことを当然の前提とした上で,彼らこそが人類の子孫だと捉えて解釈していく物語が刺激的.こちらの小説もオススメです.


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