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今日は選挙ですね.お疲れ様です

今日は選挙ですね.
昨年の参議院選挙の時もそんな記事を書きました.
今日は参議院選挙

その時にも話したことですが,私は選挙には関心がありません.
選挙結果を動かすことになる部分での情報や話題の提供をすることにしています.その方が私一人投票に行くよりも有効だからです.私が1票投ずるよりも,私の考え方に動かされた誰か2名が投票してくれる方が,世のため私のためになるのですから.
方法としてはこのブログはもちろん,大学での授業とか井戸端会議などがあげられます.
それが私なりの政治参加と言えるでしょう.

ちょうどいい機会なのでここで告白しておくと,私自身が選挙に行くことは滅多にありません.
投票日に暇で時間を持て余している時には行ったことがあります.
たまに興味本位で行けば気分転換にもなりますし.
でも,今日みたいに雨が降っている日は絶対に行かない.
細かい話は上記記事で書いているので繰り返しませんけど.

でも,こういうこと言うと怒り出す人がいます.
「投票しなかった奴は政治に口出しする資格はない」とか,果ては「選挙で決まった結果が気に入らないなら日本から出て行け」などと言い出す人です.
こういった人が人間社会には一定数いるのは仕方がないことです.
もしかすると,いつもあまり時間がとれずに,選挙とか政治のことを深く考えられない人もいるかと思いますので,そのためかもしれません.

でも,心の底から本気で「投票しなかった奴は政治に口出しできない」と考えている人っているものです.けどこれは,「選挙と政治」について丁寧に考えてくれれば間違っていることはすぐに分かります.

よく,「きちんと筋道立てて考えれば誰でも分かることだ」と言う人がいます.
私も授業とか論文指導でも同じことを学生に言いますし,このブログでも使うことがありますけど,実はこれは嘘です.
どんなに丁寧に時間をかけて考えても,分からない奴はずっと分かりません.
私が授業やブログでこれを言うのは,ちょっと煽って聞き手の思考への動機を促すためです.本心からではありません.手遅れな奴には無意味です.
世の中の人全てに叡智を授けられるような教育方法はないのが現状なのです.

例えば,「投票しなかった奴は・・・」などと熱り立っている人に,選挙で投票することが政治参加することになっていないこと丁寧に語っても,そもそもこの人物に話を聞く準備(レディネス)ができていないから理解しません.

極稀に大学生にもそんな人がいますね.
「俺が考えていることが絶対に正しいのだから,この考えを受け入れてもらうために頑張ることがレベルの高い大学生の在り方なんだ」みたいな感じ.
最近では,むしろそんな骨のある学生が減ってきて面白くなくなった,と仰る先生方もいますけど.

そんな学生と向き合い学術的な思考法を教えることによって,かえってこういう学生の方がアカデミックな領域に興味を見出すことがあります.それまでの反動でしょうか.
自分が信じて疑わなかったものが壊される快感,唯一絶対の解など無いことを知り,だからこそ唯一絶対のものを探したくなる好奇心.

結局のところ,大学教育というのは「何が正しいのか」ではなくて,「何が間違っているのか」を研究するところのように思います.そのほうがしっくりくる.
何が正しいのかを研究するのは,大学教育を受けた先のことです.

そんなこと言っていると,「四の五の言う前に,『投票しなかった奴でも政治に口出しできる』その根拠を言えよ」と言い出す人もいるかもしれません.
もしあなたが本当にそのように考えているのであれば,こう考えてみてははどうでしょう.
「投票しなかった奴は政治に口出しできない状態」をつくるとどうなるか,ということ.
これでは政治が成り立たないことが容易に分かるかと思います.投票しなかったことが理由で政治に口出しできないとか,どんな酔っぱらい国家だよ,と.

さらには,政治に口出しするとはどういうことか? なにをもって口出しなのか?
そもそも,政治とは何を指しているのか?
逆に言えば,投票した奴が政治に口出しできるという根拠はどこにあるのか? 投票という行為によって「口出し」できるようになる理屈はなんなのか?
投票しなかった奴が政治に口出しできない理由はなにか?

考える時間がなくて感情的に「投票しなかった奴は・・」と言っていた人であれば,すぐにこの主張のバカバカしさを察知できると思います.
でも,分からない人もいますよね.はい,いるんです,どうしても一定数は.

別に思考能力に障害を抱えているわけじゃない.自分の今の状態や考え方が絶対的に正しいと居直っているのです.
その理由はきっと,人生のどこかで「選挙で投票することが国民の政治参加」だとでも教えられたのでしょう.
本人は至って「正しいこと」をしているつもり.だからその「正しいこと」とは反対のことをしているのは「間違っている」と.典型的なバカですね.

選挙と食事はよく似ています.先日,選挙期間ということもあって私の外食事情を記事にしましたが,これは私なりの選挙論です.気になる人はこちらも合わせて読んで下さい.
最近の自宅周辺の外食事情
私は馴染みの寿司屋と中華料理屋では,注文しなくても料理や酒が出てきます.
それを見て「あの人,注文せずに料理を食べているのはおかしい」とは言いませんよね.
「注文」という手続きを踏むことは正しいことです.でも.そうでない道があることも知るべきです.
注文したからって美味い料理が食べられるわけでもないし,その逆もまた然り.
だから,気に入らなければ「今日のこれ,あんまり美味しくないですね」って言えばいいことです.注文してないからって批評してはいけない理由はない.むしろ,注文していなからこそ店の側には響くとも言える.
もちろん,それで店に行くのを辞めるわけじゃない.これからも足繁く通うんです.でも,批評はする.それでいいじゃないですか.
ココらへんのことが分かってくれれば,選挙も同じことだと察してくれるでしょう.

結局,「投票しなかった奴は・・」などと言っている人は,選挙や政治に対する捉え方が幼稚なんです.誤解を恐れずに言えば,選挙での投票を義務付けている国・社会もやっぱり政治として幼稚なんですよ.国家としての連帯の危うさを漂わせていることの裏返しと言えます.要するに学校の「部活」みたいなもの.
幼稚っていうのは言いすぎでしょうけど,こんなことを義務みたいに考える社会は恥ずべきものです.実際,投票を義務にしている国なんてほとんどありませんし,あってもそれなりの事情が垣間見えます.
義務投票制(wikipedia)

いえ,別に私はこういう人達を否定したいわけではありません.こういうような人達であっても,我々日本国民であることに変わりはありません.
国が安定してくれればそれでいい.そのために選挙が機能してくれればいいんですよ.
選挙とは,「我々国民の意見を聞け〜!」っていう人を黙らせるシステムと言えます.
投票させてあげることで「私は今,政治参加しているぞ!」という気分になってくれるのであれば,それでOKなんです.

でも最近は,衆議院と参議院を一緒にして「一院制」にしようとか,国民が首相を選挙で直接選ぶ「首相公選制」にしようといった話が持ち上がっています.
これこそが最も危ない.
注文することに正義感と義務感を見出した者は,その欲望に取り憑かれます.
つまり,「投票した者こそが政治に口出しできる」というところを通り過ぎ,「投票によって政治に口出しできる」ところまで来てしまった.

こういう話は選挙結果や,投票に行った/行かなかったでどうにかなるものではありません.
選挙とか投票率とは関係がないことです.世論に訴えなければならない話ですから.

料理屋に来たからには,どうしても自分の気に入ったものを食べたいと考え「注文」する人は多いでしょう.
でも,注文しようとしまいと,旨い料理を食べることとは関係がないことを知るべきです.むしろ,メニューを選りに選って,結局まずいものを注文することだってある.
それに,注文の数にこだわり「人気メニュー」など分析していたら,料理人もそれに翻弄され,本当に旨い料理が食べられなくなるかもしれません.