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体育学的映画論「ブレードランナー2049」

この週末はあっちこっち飛び回って結構忙しいのですが,ちょっと無理して ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ブレードランナー2049』 を見てきました. これは10月27日(金)に公開された映画. 仕事が一段落してからとも思ったのですけど, リドリー・スコット監督『ブレードランナー』 (1982年)のファンの一人としては居ても立ってもいられず,スケジュールにねじ込んだところです. 以降,ネタバレは最小限にしますが,関係が深い話が出てきます.ご注意ください. でも,ブレードランナーのことをあまり知らない人にとっては,むしろ以下を知った上で見たほうが良いかもしれません.ご参考まで. さて,前評判では賛否両論でしたけど,私としてはかなり楽しめました. さまざまなところで論じられていることですが,この『ブレードランナー2049』は前作を含めて万人受けする映画ではありません. 今でこそ1982年の『ブレードランナー』はSF映画の最高峰として有名になっているようですけど,公開当時はアメリカでも難解なクソ映画として酷評されていたとのこと. 生命科学や哲学の論考を好む人達に好かれるタイプの映画であり,家族で楽しむエンターテイメントでもなければ,デートで気軽に鑑賞して話題にすることもできません. かくいう私も,子供の頃にテレビで放送されていた『ブレードランナー』を見た時はイマイチ話がわからず楽しめなかったんです.でも,何度か見ているうちに,どうして人造人間たちが反乱を起こしているのか?とか,なんで人造人間は最後にデッカードを助けたのか? なぜデッカードは寿命が尽きるはずのレイチェルと共に逃亡したのか? その際に玄関に落ちていた折り紙がなぜユニコーンなのか? とか,大人になるにつれていろいろ解釈できるようになってきます. つまり,見る度に魅力が増してくるのがブレードランナーという映画の特徴なんですね. 大学生以降では1年に何回か見る映画になっていたので,その都度借りたりネット上で探すのが面倒になって,7年くらい前についにDVDを購入しました. 私がDVDを購入するのは極めて珍しいことです. 今回の『ブレードランナー2049』は,前作の世界観をそのまま引き継いでいます. ブレードランナーって「陰鬱なゴミゴミした街に汚い雨が降っている」という世界が象徴的ですよね.

体育学的映画論「関ヶ原」

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どうしても映画館で見ておきたかったので,先週末の台風が近づく雨の中見てきました. 別に動画配信になってからでも良かったような気もするのですが,やっぱり日本を代表する合戦「関ヶ原の戦い」はスクリーンで見ておくべきだと思ったのです. 結果,残念な思いをしたところです. そうは言いましても,昨年一番の残念な思いをした映画, ■ 体育学的映画論「デスノート Light up the new world」 でも述べたように,監督や役者さん,スタッフの皆さんがせっかく作ってくれた映画ですから,こき下ろすような批評はしたくありません. どうしてこんな出来になってしまったのか? どうして(少なくとも私の)心に響かない作品なのか? といった点をしっかり考察することによって,(少なくとも私の)今後の映画鑑賞の足しになればと思います. 以下,この記事を読んだ皆様の参考になれば幸いです. 以降より映画のネタバレを含みますが,史実に基づく関ヶ原の戦いがテーマなので,ネタはももともとバレてるだろうとも言えます. 今回の「関ヶ原」は,ここ最近の(って言い出して久しいのだろうけど)日本映画にありがちな,「どうしてこうなった?」が満載の映画です. むしろ,その点を考察することで日本映画の質の向上,そして、今後の展望が見えてくるとも言えます. まず,とにかく中途半端ですよね. この一言に尽きると言っても過言ではない. 徹底して中途半端な作品です. 中途半端であることにかけては他の追随を許さない.そんなところを目指した作品だと言われてもおかしくありません. 本作はテーマがてんこ盛りです. ・原作・司馬遼太郎による解説と語りを基にした展開 ・関ヶ原に至るまでの経緯を猛スピードで追うスタイル ・石田三成と女忍者との恋愛模様 ・各武将の生き様の紹介 ・エキストラを大量動員した壮大な合戦 ・よく分からない素性の登場人物(朝鮮人兵士とか医療班とか) 史実と違うとか,余計な色恋沙汰を入れるなとか,そんな批判もありますが,私としてはどれもそれらはそれらで魅力的だと思いました. でも,いかんせん全てが中途半端だった. 私的には,どうせなら石田三成と女忍者の恋愛模様にフォーカスを当てた方が良かった

選挙結果の話

選挙結果が出ましたね. 自民圧勝というのか,現状維持というのか,評価はいろいろでしょうけど. 先日お話ししたように,私は選挙・投票には滅多に行きません.今回も行きませんでした. 選挙結果にも関心がないとも言いましたが,全く目を通していないわけではありません. それなりに国情は分析しています. 「投票しなかった奴は政治に口出しするな」と言い出す人もいますが,投票した奴だからと言って口出しできる道理もありません. 選挙なんて所詮は人選びです.裁判員制度とかみたいに抽選で決めたっていいくらいだと思います. そもそも,「我こそは選挙で投票した者であるぞ!」ってドヤ顔したところで,その選挙結果にあれこれ言っても無駄ですよね.もう結果は出ているんだから. これはちょうど,我々の業界で言うところの「オープンキャンパスの来場者数」とか「入試志願者数」に対する講釈と似たところがあります. そんな話を以前したこともある. ■ オープンキャンパスの来場者数を想う 実のところ,選挙と大学のオープンキャンパスや志願者数争奪戦はよく似ています. 「政治家と国民」「大学と学生」,いずれも始まってからの取り組みの方が大事なのに,その入口に立ったところがゴールと思ってしまっている. これは日本人の特性なのかもしれませんね.もしかすると,学校や大学教育の取り組み方を改善することで,半世紀くらいすれば選挙や政治への視座も変わってくるのかもしれません. いずれにせよ,選挙で投票することが国民の政治的主張の表明であるという勘違いは早急に是正されるべきです.取り返しのつかないところまで行く前に. ところで,私の地元の選挙区・高知2区では,「保守王国・高知」を示す結果が出ておりました. 無所属の広田一氏が,元農水大臣であった自民党・山本有二氏を破って当選したのです. ■ 山本前農相が比例復活 高知2区は無所属候補勝利 (西日本新聞2017.10.22) もちろん,山本有二氏は農水大臣であった昨年にTPPを強行採決する旨の発言が物議を醸しており,これが響いたことは間違いありません. ですが,高知県は農林水産業で成り立っている地域です.そんな地域出身である山本氏が農水大臣をやっているのに,政府のTPPの方針にホイホイついて行くような姿は地元民にどのように映ったか.

今日は選挙ですね.お疲れ様です

今日は選挙ですね. 昨年の参議院選挙の時もそんな記事を書きました. ■ 今日は参議院選挙 その時にも話したことですが,私は選挙には関心がありません. 選挙結果を動かすことになる部分での情報や話題の提供をすることにしています.その方が私一人投票に行くよりも有効だからです.私が1票投ずるよりも,私の考え方に動かされた誰か2名が投票してくれる方が,世のため私のためになるのですから. 方法としてはこのブログはもちろん,大学での授業とか井戸端会議などがあげられます. それが私なりの政治参加と言えるでしょう. ちょうどいい機会なのでここで告白しておくと,私自身が選挙に行くことは滅多にありません. 投票日に暇で時間を持て余している時には行ったことがあります. たまに興味本位で行けば気分転換にもなりますし. でも,今日みたいに雨が降っている日は絶対に行かない. 細かい話は上記記事で書いているので繰り返しませんけど. でも,こういうこと言うと怒り出す人がいます. 「投票しなかった奴は政治に口出しする資格はない」とか,果ては「選挙で決まった結果が気に入らないなら日本から出て行け」などと言い出す人です. こういった人が人間社会には一定数いるのは仕方がないことです. もしかすると,いつもあまり時間がとれずに,選挙とか政治のことを深く考えられない人もいるかと思いますので,そのためかもしれません. でも,心の底から本気で「投票しなかった奴は政治に口出しできない」と考えている人っているものです.けどこれは,「選挙と政治」について丁寧に考えてくれれば間違っていることはすぐに分かります. よく,「きちんと筋道立てて考えれば誰でも分かることだ」と言う人がいます. 私も授業とか論文指導でも同じことを学生に言いますし,このブログでも使うことがありますけど,実はこれは嘘です. どんなに丁寧に時間をかけて考えても,分からない奴はずっと分かりません. 私が授業やブログでこれを言うのは,ちょっと煽って聞き手の思考への動機を促すためです.本心からではありません.手遅れな奴には無意味です. 世の中の人全てに叡智を授けられるような教育方法はないのが現状なのです. 例えば,「投票しなかった奴は・・・」などと熱り立っている人に,選挙で投票することが政治参加することにな

体育学的映画論「ダンケルク」

先月から公開されているクリストファー・ノーラン監督作品 『ダンケルク』 (2017年)を,先日ようやく見ることができました. 公開前からかなり期待していたのですが,その期待を裏切らない迫力ある映画でした. ネット配信されるようになったらもう一度見てみようとは思いますが,これは映画館で見ることをオススメします. 「追い詰められた軍隊」について,戦地での緊迫感や絶望感を追体験できる映画です. 特に,映画冒頭にある「最初の弾丸」からの銃撃戦で「生き残るために逃げている」側にいることを意識付けられ,没入感は最高. そう言えば,三谷幸喜監督の映画に『ラヂオの時間』(1997年)というのがあるのですが,そこで「頭にマシンガンの音が必要なんだ.そこで惹きつけておかないと客が食いつかない」とマシンガンの効果音に拘る場面があります.なんだかそれを思い出させられました. あとは終始,ハンス・ジマーによる不安を煽る重低音の音楽が(いい意味で)ダラダラと流れつづけており,気分が滅入ります. 予告映像にもありますが,浜辺にて帰国用の船を待つ兵隊の行列. 爆撃や機銃掃射を受けても,彼らは行列を崩さない.東京人もびっくりの 「行列のできる浜辺」 です. 私が過去記事で言いたかったことを「戦争」を通して間接的に表現しているとも言えます.その意味でもとても興味深い. ■ 整列乗車はマナーではない 陸・海・空それぞれのシーンで異なる時間軸により話が進んで行き,最後に3つが統合されるという手法をとっているのですが,これも小説を読んでいるようで面白かった. とりあえず,英国ジジイがカッコよすぎる映画です. 映画評なんかを見てみますと,ストーリーがないので退屈だとか,「ダンケルクの戦い」を事前に知っていないと意味がわからないなどというコメントが散見されます. たしかに,ただひたすらダンケルク港からの撤退作業を見させられているのは事実です. でも,私としては「こういう戦争映画が見たかった」と感じさせられたのも事実でして. 戦争映画の描き方の転機となる作品になるのではないかと思うんですよ. それはもしかすると,近代以降における「戦争」を考えるテーマにもなるかもしれません. つまり,「近代戦争とは,そもそも『ストーリーがない』のではないか?」という問題提起. 現

最近の自宅周辺の外食事情

関東に移住してしばらくは味付けの違いに辟易しており,仕方なく自炊することも多かったのですが,ここ数年は自分好みの料理を出してくれるお店を見つけて安定しております. 自宅周辺と勤務先の間にある,うどん,寿司,ラーメン,中華をローテしているところです. 安定するまで2年かかりました. もともと,外食に限らず同じ店に繰り返し足を運ぶタチではあります. 理髪店もずっと馴染みのお店ですし,衣服もずっと自宅近くのAOKI.毎朝・毎晩通うコンビニも,自宅前のセブンイレブンです. 同じ店を使い続けると,当たり前ですけど「常連客」になります. 常連客って楽なんですよ.きっと店側もそうです. そういう関係がなにかと楽だし,楽だから「楽しい」. 理髪店なら「いつもの感じで」で済ませられるし,ちょっとした追加注文するにしても話が通りやすい.床屋談義は月に一度の楽しみになります. 服を買うにしても,いつもの店なら馴染みの店員が対応してくれるので,最近のファッション事情なんかをいろいろ教えてくれます.私は服選びで悩みたくないので,その店員に任せることにしています.そこらへんの詳細は,過去記事にしたことがあります. ■ 若手研究者用:スーツの上手な買い方・着方 さて,外食の話ですけど,私は30歳を越えてから寿司屋に足を運ぶようになりました. もちろん回転していない店です.独身貴族ならではの楽しみだと思っています. 私が通っている店はそんなに高級なところではなく,安くあげれば3000円くらいで満腹になります. けど,腕は確かなようでして,いつも繁盛していて予約無しで入ることは難しいですね. 私はいつも予約して行っています.一人なので席を取るのは簡単です. 何回か通っているうちに私を覚えてくれて,注文もスムーズになりました. そのうちこっちが何も言わなくても「次,玉子握りますね」とか「お味噌汁を出していいですか?」,最後は「お茶を出してもいいですか?」ってなります. いつも混んでいる店ですが,たまにポッカリと空いている時があるものです. 私は普段口をきかないのですけど,こういう時だけですね,大将と話しをするのは. 私も高知の港町出身ですから,それなりに魚の話題では盛り上がれます.魚料理や寿司屋について,いろいろ話が聞けるのは楽しいものです. 混ん

パイナップルの食べ方

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どうでもいい話ですけど,高知つながりでもう一つ. 毎年,実家からパイナップルが送られてきます.しかも,年に何回か. 母の園芸の趣味が発展してゆき,15年くらい前から実家ではパイナップルが栽培されているんです. 過去記事の■ “日本一”の故郷を撮る でも紹介しましたが,こんな感じです↓ 先日も「今年最後だから」などと言いながらパイナップルが3個送られてきました. 実際,これを処理するのが大変です. 大学院生だった頃は,院生室の皆で分け合って食べていたのですけど,今となっては「パイナップルを分け合う」ような環境にもなく. 私が家族持ちなら楽しく食べるイベントになるのでしょうけど,そうではないので「処理」という言葉がぴったりなのが哀しいですね. パイナップルは新聞紙にくるまれて送られてきます. 高知からなので高知新聞にくるまれています. 冒頭の写真や見慣れたパイナップルと比べると果実が強いオレンジ色ですが,これが完熟したパイナップルの証拠です. ここではキッチンの電球の色の影響もありますが,普通に売られているものと比較すると真っ赤です. これを切っていきます. まずは実の上下を切り落とします. 次に,側面の皮を削ぎ落とします. 遠慮なく大胆に切り落として構いません.「処理」なので. 「もったいない」からと細かく削っていたら面倒くさいことこの上ないですし. あと,新聞紙の上で切れば,あとの片付けが楽です. 皮を削ぎ落としたら,次は「芯」の周りにある果肉を削っていきます. これも大胆に切り落としていく感じです. ここまでくると部屋中にパイナップル臭が充満し,トロピカルな雰囲気を漂わせます. 一旦部屋を出た後,また帰ってきた時の匂いが凄いです. 芯だけになりました. 普通はこの「芯」は捨ててしまうのですが, 実はこの芯の周りにある果肉こそがパイナップルで最も美味しいところ です. さしずめ「マグロのなかおち」「ヒラメのエンガワ」みたいなもの. なので,以下のように削っていきます. 一般に売られているパイナップルでは「芯」の周りは美味しくないかもしれません. 繊維質ばかりで食べられたものではないかと思います. ここが美味しく食べられるのは,ちゃんと完熟したパイナッ

高知と映画(全体とは部分の総和以上のなにかである)

どうして高知の映画の話題なのかと言うと,私が高知出身だからです. 知らない人がいたらと思い,念のため. 先日,こんなニュースがありました. ■ 「0.5ミリ」の安藤桃子監督が高知に映画館オープン (映画.com 2017.10.7) 安藤サクラ主演の「0.5ミリ」などで知られる映画監督の安藤桃子氏が企画・運営する映画館「ウィークエンドキネマM」が10月7日、高知市内でオープン。父で映画監督、俳優の奥田瑛二、エッセイストの安藤和津ら奥田ファミリーも応援に駆けつけた。(中略)安藤監督は外観、内装から、作品選び、配給まで全面プロデュース。映画館前の通りには出店で賑わう中、呼び込み、チケットのもぎり、上映前には作品紹介の“前説”も。「ザ・トライブ」の上映の際には、通りかかった10代の若者グループに丁寧に説明し、勧誘に成功。「目標は高知の映画人口を増やすこと。映画をきっかけに町が賑わいを取り戻せたら」と言葉に力を込めた。今後は、トークショーやイベントなども企画しているという。 映画そのものの凋落もありますが,過疎化が進む高知では映画館が軒並み潰れているのが現状でした. なぜ安藤監督が高知で映画館を始めたのか? というと,以下のような理由なのだそうです. 安藤監督は13年、「0.5ミリ」を高知で撮影したことがきっかけで移住。その際、04年に廃館になった高知東映の存在を知り、復館できないものかとの思いを強くした。 なんと,高知に移住されていたんですね. 父、奥田は07年11月から約4年間、山口県下関市で自身のミニシアター「シアターゼロ」を運営しており、奥田ファミリーで映画館を経営するのは2館目となる。「シアターゼロ」の立ち上げも手伝った安藤監督は「父が下関の映画館で苦労する姿、喜ぶ姿を見てきた。独立プロで映画を作ってきた人間としては、映画の入り口から出口までやってみたいとの思いが最初からありました」と話した。 奥田は「僕は映画人として、監督をやって、興行もやり、全てを経験したけども、奇しくも親子で、新たに映画のシステム全体を経験する人が生まれることはうれしい。僕が下関でやってきたことを受け継いでくれたかなと思うと、感無量です」と喜んでいた。 お父様である奥田瑛二氏も,山口県で同じことをやっていたのだそうです. 私は体育・スポーツ科学の研究者・教育者

体育学的映画論「鬼龍院花子の生涯」

ちょっと前の話ですが,本学の野球部の数名が不祥事を起こしました. 当事者間での示談で済んだので表沙汰にはならなかったのですが,週刊誌あたりが嗅ぎ付けるとそれなりに危ない事件ではあったんです. 最近の大学では,初年次教育で担当しているクラス(主に「基礎演習」などと呼称される)を,学校で言うところの「ホームルーム担任」のように扱っているところが少なくありません. 学生生活の相談事や,今回のような学生の不祥事があったら,その担任の教員が対応するという次第です. うちの大学もそうでして,私もその担任をやっています. 不祥事を起こした野球部の一人が私が担任をしていたクラスの学生でしたので,担任である私も呼ばれて「面談指導」をやることになりました. 知らない人は驚かれるのですが,今の大学はこういうことをやるんです.「学生課」とか「教務課」あたりが処理するわけじゃありません. 学科長と,当該学生たちの担任である私ともう一人の先生が面談を担当しました. 事の次第を聞き取り,彼らの反省の弁を聞くということだったのですが,私にはそのうちの一人がどうも反省しているように見えなかったんですね. 「はいはい,反省してるって言えばいいんでしょ」みたいな態度でふんぞり返って,薄ら笑いを浮かべる場面もあったりで. さすがの私も,それにキレてしまったようなんです. 私と面識のある人は知っているかと思いますが,私はとても優しく心穏やかな人物です.私が怒るところはもちろんのこと,機嫌が悪いところも見たこと無いはずです.パワフルプロ野球なら「安定感」と「ピンチ◯」が必ずついているでしょう. だから「キレた」と言っても,結構穏やかにキレたはずなんです.怒鳴り散らすようなことはしていません. 「君たちがやったことは,とても大変なことなんだよ.そんな態度でいると,今に取り返しのつかないことになってしまうよ.なめてかかってはいけませんよ」という趣旨のことを言ったと思います. あんなに優しく朗らかな私がブチ切れたのですから,これが学生(だけでなく他の先生も)には衝撃的だったらしく,泣き出しそうな奴もいました. 以後,彼らは反省したようで,授業でも大人しくなったようですし,野球部内での素行の悪さもおさまったと聞いています. 中高生とは違い,さすがに大学生になったら聞き分けが

大学現場の凄惨さがネット記事になっている

こんなネット記事がありました. ■ 日本のアカデミズムは危機にあるのか――ノーベル賞受賞者も警鐘 (ヤフー・ニュース2017.10.5) 「危機にあるのか?」とか言ってる場合じゃなくて,もう既に危機を通り過ぎて「手遅れ」になっているんだ,ということを,このブログでは5〜6年前から指摘してきたところです. ようやく,こういう人目につくニュース・サイトでも大学教育の危機感を煽るようになってきましたね. でも,そういう段階になっている時点で,先ほど申したように既に「手遅れ」なんです. 一般大衆ですら「気になる」ようなレベルになった時点で,もう打つ手はなくなっています. 私がこのブログを始めるよりもずっと以前から,大学教育のことを本気で心配していた諸先生方は「このままじゃヤバい」とさんざん指摘していました. しかし,こういう指摘は当時,「象牙の塔にはびこる保守的な態度」と言われたり,「大学教員なんて所詮は社会不適合者の集まりだから,もっと外部の風を取り込まなければならない」などと嘲笑されていたのです. 上記のネット記事のアウトラインを並べてみました. ・地方から失われていく、科学研究の基礎体力 ・世界における「科学エリート」の地位を失いつつある ・「就職できないから」東京大学でも大学院生が減少 ・問題を抱える「任期付きポスト」 ・科学技術への投資なくして日本に未来はない どれも過去記事で取り上げてきたことですけど,私のブログよりも丁寧に取材されていますので,気になる人はぜひご確認ください. その記事の中から,話題を一つを挙げておきます. こうした傾向に、深い懸念を抱いている研究者は多い。 その一人が2015年に「ニュートリノ振動の発見」でノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長だ。 (中略) 梶田氏は、この20年ほどで普及してきた「選択と集中」という言葉に、基礎研究の立場から違和感を覚えるという。 「『選択と集中』は盛んに言われてきた言葉ですが、その結果、大学がどうなったか。東大はいいかもしれないですけど、地方の国立大学では衰退が激しくなった。学問の多様性を急激に失わせている気がして、将来の芽が出る前に根こそぎなくしているような感じがするのです。むしろ、重要なのは多様性です。科学

t検定:対応のある/なしの違いは何か

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統計学を専門にされている人にとっては常識であっても, その他の人たちにとっては意外とスルーして, 且つ,手軽にエクセルや統計解析ソフトが使えるようになった現在, 今更そんな基礎的なことを確認するのも面倒だと思いつつも, 統計処理をする上ではやっぱり知っておいた方がいいことは確かだという認識はある. 実験や調査データを扱う人たちにとって,こういう話は多いものです. これまで本ブログではニッチなネタを取り上げてきましたが,せっかく閲覧者数も多いので,もっと基本的なところを扱ってみたいと思います. 今回は研究論文でも非常にお世話になる統計手法の一つ,「t検定」について,「対応のある」「対応のない」の違いはどこにあるのかお話します. なまじエクセルやSPSSなどを使っていると,たんに「対応のある」「対応のない」を使い分けるだけで,その計算方法の違いが分からないままです. 計算方法を知らなくても有意差の有無を判別することができるようになった時代だからこそ,その計算方法の違いを知っておく必要があります. もっと基本的なことから知りたい人は, ■ 知識ゼロから始めるt検定の使い方・選び方|間違いやすいポイントを確認しておこう を御覧ください. 例題となるデータを以下に示します. 左側は対応のあるデータ,右側は対応のないデータ.両者とも比較対象となる測定値は同じです. そして,それぞれ対応のあるt検定と対応のないt検定でp値を算出済みです. 対応のあるデータでは5%水準で有意差あり,対応のないデータは有意差なしになっています. 上記のように,同じ値の2群であっても,対応のある/なしでp値は変わってきます. それは計算方法が異なるからなのですが,冒頭お話したように,具体的にどのように異なっているのかは案外知られていません. 両者の違いはエクセルの関数や統計パッケージを使っているとスルー出来てしまえるのですが,今回,あえて計算式をエクセル上に展開してみます. そこから両者の違いを明確に知ることができます. まず,対応のあるt検定は,2群間における個々の差を算出します. 一方の対応のないt検定では,両者の分散(もしくは標準偏差)さえ分かっていれば算出できるのです. 以下を御覧ください. 対応のあ

ラスベガスで起きた銃乱射事件について

被害者の方々にはお悔やみを申し上げるとしても,アメリカでこういう事件が起きてもあまり驚きが無いのが正直なところですね. つくづくヤバい国だと思わされます. ただこれ,人類の長い歴史の中で,どこかで誰かがやりかねない事件ですよね. かつて,やろうと思った人はたくさんいたはずですし. 今回の犯人は,たまたま銃や弾をたくさん買える経済力と,射撃の腕前が優秀だったからこれだけの被害が出たと考えられなくもない. YouTubeで現場の映像を見ましたが,マシンガンをフルオートで撃ってますよね.しかも夜に. 普通なら当たりにくいはずなのですが,これには高いところから人の密集地に向かって撃つという,とても合理的な方法で対処しています.冷酷なほど頭がいいですね. 案の定,犯人は自殺していたそうです.ある種の自爆テロ. 「アメリカは銃社会だから」というコメントも散見されますが,こうした事件とはあまり関係ないと思います. 日本でも昨年,神奈川県相模原市で銃も使わず20人近く殺害された事件がありました.その前は,オタクの聖地で暴れた人もいます. 日本では刃物を持って無差別殺人するのが主流なんですね.もしかすると海外では,やっぱり「日本はサムライ社会だから」と言われているのかもしれません. 本人が死ぬ気でいるなら,東京の満員電車にガソリンタンク背負って火を付ければ,50人くらいは余裕で殺せます. 別に死ぬ気がなくても,ジワジワと拡散する毒ガスを車内にバラ撒けば何十人も被害が・・・って,それは既に経験済みですね. 電車内でのガソリン着火にしても,2年前に東海道新幹線で死傷者を出しています.この時は,車内が混み合ってなくてよかったですね. こういう事件が起こったのですから,これに喚起されて類似した「自暴自棄による大量殺人事件」が発生しないことを祈るばかりです. 著名人の自殺とか,未成年の自殺などが取り上げられると,それに呼応するように自殺者数が増加するという現象がありますよね.ウェルテル効果というやつです. ■ ウェルテル効果 (wikipedia) 有名なものだと,「盗んだバイクで走り出す」の尾崎豊の自殺への追従自殺とか,最近は子供のいじめ自殺なんかがウェルテル効果ではないかと考えられています. つまり,自暴自棄による大量殺人というのは,ある意味

新型トラックボールの使い心地

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私はいわゆる「マウス」をほとんど使っていません. 「トラックボール」というタイプのポインティングデバイスを使っています. トラックボールというのは以下のようなものです. このLogicoolのトラックボール・シリーズを,有線タイプだった頃から,からかれこれ10年以上使っています. 親指でボールを動かしてポインタを操作する方式です. 人差し指と中指はマウスと同じように使います. 腕を動かさないので,私としては疲れにくい気がします. でも,この「疲れにくさ」は人によると思います.人によっては親指ばかり動かすことが疲れるという人もいますので. ちなみに,マウスを全く使わないわけではないんです. トラックボールをはじめとし,タッチパッド(トラックパッド)やマウスは作業によって使い分けています. それぞれ得手不得手な作業がありますので. トラックボールはエクセル作業や,我々が使う学術的な専門性の高い分析ソフトの作業に強いんです.ボールを動かさない限りポインタがブレないので,確実性の高いポインティングができます.手を離してもポインタがズレたりしません. 一方,ワードやパワポにはマウスが強い.指ではなく,腕や肩を使って操作しているので,ポインタを自在に動かす感覚が高い方が文書作成や図表作成のためには作業がしやすいんです. タッチパッドは,トラックボールやマウスの補助として使っています. 左側に置いといて,右手でキーボードを入力している時などに左手でポインタを動かしたい時に使うのです. 以前は,マウスやトラックボールにならって「タッチパッドはキーボードの右に置くもの」という既成概念が私にはあったのですが,たまたまキーボードの左側に置いて仕事をした時に,思いの外便利だったので,以来,高速作業が求められる場合にはこのスタイルにしています.よくよく考えてみれば,ノートパソコンではキーボードの手前に配置されていますよね. Appleのトラックパッドは指の繊細な動きに追随してくれるので,エクセル作業やパワポでのスライド作成などでも,ワンポイントの細かな作業をしたい時に重宝します. ところで,トラックボールの最大の強みは,作業場所が狭くても大丈夫な点です. 実際,腕は全く動かさないまま作業できますので,手元に資料や他のデバイスを並べて作業する