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「本能寺の変」に関する明智光秀の書状が見つかったらしい

今日,こんなニュースがありました.
明智光秀:密書原本 本能寺の変直後,反信長派へ 室町幕府再興目指す(毎日新聞2017.9.12)
本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはししげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。
(中略)
藤田教授は「光秀が、まず信長を倒し、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」と話す。
過去記事の「鳥無き島の蝙蝠たち」シリーズで取り上げていた,「本能寺の変・長宗我部元親暗躍説」と関連するかもしれないということです.

今回発見された雑賀衆・土橋に宛てた文書と,以前から注目されていた斎藤利三に宛てた「石谷家文書」から,本能寺の変が案外簡単な理由で動いていたことが推察されます.
摩訶不思議な謎も,分かってみればシンプルな解というのはよくあることです.

つまり,織田信長と対立した四国の長宗我部元親が,信長による「四国征伐」を止めるため,明智光秀を利用して信長を暗殺したのではないか? ということ.
そして,光秀としては主君である信長を暗殺するほどの大義名分を「室町幕府再興」に求めたのではないか? ということです.

おそらく,元親は光秀に対し,室町幕府を再興する手伝いをする代わりに信長を討ってもらう約束をしていた可能性が高い.もちろん,光秀としては幕府再興のためとは言え,主君を不意打ちするのですから事後に何を言われるか不安だったでしょう.その時に加勢してくれる味方は多い方がいいし,自分の行いを「あっぱれ,光秀,日本一のサムライ」と認めてくれる仲間(サクラ)を用意したいところです.
その一人が元親だったのではないか.

室町幕府再興という大義名分であれば,将軍・足利義昭を保護している毛利輝元は支援してくれるだろうし,元親(四国)と輝元(中国)の伊予・瀬戸内海における対立もそれによって和解にもっていける可能性もあった.
ついでに雑賀衆も味方につければ,一気に近畿と京都を制圧できるはずだったのです.
さらに,明智光秀が出した文書の宛先である雑賀衆の土橋重治は,長宗我部勢力と親密だったとされています.

以下に位置関係を示してみました.

圧倒的に光秀優位な状態だったんです,理論上は.
ところが,光秀の思惑とは裏腹に,元親も輝元も雑賀衆も,世の「風」を読んで動かなかった.
むしろ彼らとしては,自分たちにとって邪魔な信長を光秀に討たせさえすれば十分だった可能性もある.
いずれにせよ,事は水面下で動いていたのだから,真相は誰も知らないまま.
哀れ光秀は,孤立無援になったところを「山崎の戦い」で羽柴秀吉に討たれてしまった.

もう一つ.
秀吉が例の「中国大返し」をして山崎の戦いに挑んだという話ですが,もし秀吉が光秀の企みを事前に想定していたとしたらどうでしょう.
上記の地図をご覧になったら分かるように,秀吉にとっては万事休すの状態なんですよ.
頭のいい秀吉のことです.光秀が「室町幕府再興」を旗印に,毛利と手を組んで挟み撃ちにすることくらい想像したと思います.

中国大返しとは,「光秀を討つため急いで帰ってきた」のではなく,「明智・足利&毛利・長宗我部勢力の包囲網から急いで逃げ帰ってきた」という要素の方が大きいのです.
もちろん,理由はその両方だったと言えます.秀吉としては一刻も早く大阪へ戻り,「光秀を討つ」以外に逃げ道が無かった.
もし秀吉が中国大返しをせず備中高松城に居座っていたらなら,光秀は元親,輝元,雑賀衆と共に秀吉を挟み撃ちにして葬っていたことでしょう.
中国大返しが “異様なほど速かった” のは,「本能寺の変の黒幕が秀吉だった」といった説よりも,「死に物狂いで逃げ帰らなければ,軍団全体が壊滅するほどの危機的状況だった」という説が最も真相に近いのではないかと思われます.

なんにせよ今回の発見は,明智光秀が無計画に織田信長を討ったわけではないことを示唆するものになっているようです.
あと,一連の文書の発見で有力視されるようになった「長宗我部元親暗躍」と「室町幕府再興計画」は,もともと歴史好きなら散らばっている事実を基にして考えそうなストーリーではあるんです.
どうやらその一つが当たっていたようだ,ということ.
普通に考えてみて,なんの後ろ盾も計画もなく,たくさんの人が運用に関わることになる軍団を動かすなんてあり得ないですからね.何かしらの戦略があったであろうことは当然だと思います.

でも光秀さん,本気で「室町幕府再興」を考えていたのであれば,“あの方” のような情熱と執念がなければいけませんよ↓