2017年7月27日木曜日

「悪魔の証明」を振りかざす奴

森友学園・加計学園の問題が喧しい昨今,私もそれを記事にしてきました.
ところで,こういった話題に限らず,最近耳にすることが多くなってきたキーワードに,
「悪魔の証明」
があります.
悪魔の証明(wikipedia)

悪魔の証明とは,
「無いことを証明することはできない」
というものです.
言い換えるならば,「有ることを証明することしかできない」
つまり,「被告(訴えられた側)には,自身の潔白を証明する義務はない」
そこから転じて,「有った(有罪だ)と主張する側に,それを立証する責任がある」
という使われ方をします.

上記の解釈だけでもいろいろ注釈が必要だったり誤解があったりするのですが,それはこの際脇に置いといて,昨今この「悪魔の証明」がやたらと乱用されているのではないかと危惧しています.

たまにフェイスタイムを使って酒を交えた談笑をしている大学教員の先輩がいるのですが,先日この話題になりまして,
「最近さぁ,取ってつけたように『悪魔の証明』を持ち出してくる奴がいるけど,あれムカつくよね」
ってことで盛り上がりました.

別に悪魔の証明という考え方が間違っているって話じゃないんです.使い方の問題なんです.

以下,あくまで「例えば」の話ですよ.
例えば,某国の政権与党にスキャンダルが出たとして,極めて怪しいということで追及があったとします.
それに対し与党支持者たちは「無いことを証明することなどできない.それは悪魔の証明だ.有ったと言う方が証拠を出してこい」と反論する時なんかで用いられます.

そこまではいいんです.問題はここからです.
続けて与党信者たちはこう言い出します.
「証拠が出せないのであれば,悪魔の証明に照らして与党は無罪だ」
でも,それは違います.

こういうのを「無知に訴える論証」と言います.
無知に訴える論証(wikipedia)

「悪魔の証明」の方は有名になったんですが,こっちはまだマイナーですね.
無知に訴える論証とは,
「『Xであることが証明できないのであれば,Xではない』というのは間違い」
というものです.
悪魔の証明と類似するものとして,「『Xではないことが証明できないのであれば,それはXである』というのは間違い」
とも言えます.

なんだか頭が痛くなってきた人もいるかもしれません.
でも,難しい話ではありません.つまりは,
「根拠を示さなければ,その主張に説得力はない」
という,極めて普通のことなのです.

ちなみに,「Xであることが証明できないのであれば,Xではない」が間違いというのであれば,では正しくは何なのかというと,「Xであることが証明できないから,Xであるかないかは分からない」になります.

一般に「悪魔の証明」のほうが理由頻度が高い理由としては,
1)無いことを証明しなければならない存在(一般的には私人としての個人)が,それを求められる「場」において非権力者(裁判における被告人など)である
2)無いことを証明できなかったことによる損失(罰則など)が極めて大きい
3)無いことを証明するために割くエネルギーが膨大であり,それに留意しつつ活動・生活することが困難である
ということによります.

でも,無いことを証明するための努力が求められることに変わりはありません.
例えば,殺人事件なんかでは「アリバイ」が求められますし,痴漢事件なんかでは「自分がどこにいたのか? どんな体勢だったのか?」を訴えなければいけません.
無いことを証明することはできないからって,ふんぞり返って「有ることを証明しろ」ということにはならないのです.

翻って,上記の政権与党の例はどうでしょうか.上記の例であれば,行政を司っている政権与党のスキャンダルですよね.国家運営の信用に関わる重大なことです.
その信頼性が問われているのですから,オープンにしたら国家存亡の危機に陥る可能性があるという機密情報でない限り,これらを開示するなどして「スキャンダルが無いことを(「証明」できなくとも)「了解」させる責任」は存在します.

なぜなら,行政府は国民や国家間から存在と行動が「信用」されることで成り立っているからです.
信用されなくなったら終わりです.国民からは退陣要求やクーデターという攻撃を受け,国家間であれば戦争や経済制裁といった攻撃を受けます.

つまり,「信用」によってその存在や行動が成り立っている国家の行政を司る政権与党は,(詳細な議論は必要であろうが)「信用」がなくてもその生存が許されている個人や私的集団とは異なるものであり,常にこの「信用」を得る努力と仕組みが義務付けられていると言っても過言ではありません.

ばっさり言ってしまえば,より大きな信用が求められる存在,すなわち「政治家」や「政権」ほど,その信用を失墜させる事態が発生した場合に,それが「無いことを証明」する必要があるということです.

言い換えるならば,政権与党はその存在の性格からしてスキャンダルが出る事自体が「信用」を失っていることの現れと診ることもでき,その信用回復のためにも様々な手段を講じて「疑われていることが無かったことを証明する」必要があるのです.
「無いことを証明するのは『悪魔の証明』だ」などと悠長なことを言ってる場合ではありませんし,そもそも疑いをかけられるようなことをする方がおかしい.

もちろん,国家運営のためには清濁併せ呑む必要が有ることは百も承知.
だからこそ,信用を失うようなことはバレないようにやるべきだし,それがバレたのなら無能であったと評するしかありません.
私も過去記事で繰り返しているように,
「しょうもないスキャンダルを速やかに終息できない政権は,さっさと退陣した方がいい.しょうもないスキャンダルを揉み消したり対処できないのに,どうして国家存亡の危機に対処することができようか」
という話なのです.

なにも難しい話ではありません.
「政治家」「政権」という信用が大事な存在は,常に信用されるよう留意する必要がある.信用を失うような訴えがあった場合に備えて,それがデマであることを証明するための準備をしておけ.
ただそれだけのことです.

これは政治や行政に限ったことではありません.信用が大事な存在は他にもたくさんあります.
上の方では「信用がなくてもその生存が許されている」と述べた一般企業や個人間のやりとりだって,信用が無いより有った方がいいということにおいては同じことでしょう.
なにかの疑いをかけられた時,「無いことを証明することはできない.それは『悪魔の証明』だ」などと言い逃れしますか? そんなこと言ってたら,論理的には勝てても信用を失って,人間としての社会生活上極めて不利になります.

一般企業にしたって,信用と責任が求められる事柄については,自分たちの身の潔白を示すための予防線を張っておいたり,「無いことを証明する説明資料」を常に準備できる状態にするのが普通です.
個人についても,彼女や奥さんに対し「浮気であることが証明できないのであれば,それは浮気ではない」などと言っていたら,ぶん殴られるか別れ話をもちかけられるのがオチです.だから,どうせ浮気するにしても,バレないようにすべきです.

それは政治においても同じであり,それができないのであれば政権担当能力が無いと評価するしかないのです.

悪魔の証明を乱用してはいけません.
「それは悪魔の証明だ」とふんぞり返って論じる精神性が,この社会から「信用」を消してゆくのです.


PS
ところで,上記のような話にはこんな反論もあるでしょう.
「悪魔の証明」を求められて滅亡してしまったとされる国があります.大量破壊兵器が「無いことを証明しろ」と迫られたイラク・フセイン政権です.
では,フセイン政権は悪魔の証明をしなければならなかったのか? ということですね.

悪魔の証明をつきつけられることと,それにどう対応するかは別の話です.
フセイン政権としては「無いことを証明することはできない」という趣旨のことを訴えたでしょうけど,それよりもアメリカ側の攻撃したいという思惑のほうが強かった.フセイン政権には,それを退けるだけの材料がなかった.
それだけの話だと思います.

2017年7月26日水曜日

加計学園問題の言い訳がやっぱり酷い件

まだ炎上状態にある加計学園問題ですが,考えようによっては「大学運営」とか「お役所的な採択手続きの仕組み」,そして,そこで必然的に発生する「悪巧み」をどのように誤魔化し,言い訳しているのか? といったことを,一般の方々に勉強してもらう上で有益なのかもしれません.

その点,今回の安倍政権側の誤魔化し方や言い訳は落第点と言わざるを得ません.
おそらくこれは,先の「森友学園問題」でも思い通りにいかず,予想外にダメージを喰らってヒステリックになったことによるものと推察されます.

つまり,この手の話は「内部でゴチョゴチョっと調整するという,よくある話」なのですから,全体像を把握した上で,最も良い逃げ道を選べばよかったのです.
ところが,その逃げ道を自分から閉じてしまった上に,一番悪いルートを選んでおきつつスキップしながら通っていて「やばい! 見つかった!」って騒いでいる.

今回の記事では,加計学園問題そのものに飽きてきた人も多いと思いますので,これと似た話が大学でもありますよ,ってことをお話したいと思います.

あと,本件に興味がある人の中には,お役所的な職場を知らない人もいるでしょうし,まだ学生やアルバイトなどをやっている身で,仕事に就いたことがない人もいることでしょう.
ですから,「加計学園ありきで進んだ」という話を聞いても,それが具体的にどういう状況なのか,いまいちピンとこない人もいるかと思います.
そこで,本件をもっと身近でイメージしやすい「大学運営」で例示しましょう.この問題を理解しやすくなりますし,そこから適切な誤魔化し方も分かるというものです.

これと類似した状況.それは例えば,大学運営などでは「学内競争的研究費」の採択が挙げられます.
「学内競争的研究費」とはどういうものかというと,当該大学内において,「学部」「学科」「研究チーム」を対象グループとして,そのグループから教育・研究活動に資する企画を提出させ,それを選考委員会などが審査し,優秀な企画を提出したグループに対し高額な研究費を充てる制度のことです.これに準ずる制度は,ほとんど全ての大学で実施されています.
大学の方針によって規模に幅がありますが,1件あたり約100万円〜1000万円でしょうか.なんだかんだで大きな金額ですね.
そしてこれは,基本的には加計学園問題としてクローズアップされた「国家戦略特区」と同じ性質を持っているものです.

さて,この学内競争的研究費ですが,「競争的」といっても,“どこまで競争的なのか?” については,実は大学によって大きく異なります.
競争的と言いつつ,予め「次は君のところの学科に配当するつもりだから,締切までに形だけでいいから申請書を出しといてよ」という場合や,公然と学部学科やグループ間での持ち回りになっていたりします.

最近いくつかの大学の先生から耳にするのは,例の「文系学部廃止論争」のショックを受け,学内の文系学部の研究グループに対して優先的に学内競争的研究費が充てられるケースが多いのだとか.
これは,「本学は文系研究を軽んじておりませんよ」という内部教員に向けた意思表示のために,敢えて「競争的」であるべきはずのものを恣意的に利用してみせることで,上記の意図を滲ませるという高等テクニックです.当然,その逆のパターンもあります.こういうのが真のブラック大学ですね.
これは主に,学長や研究科長もしくは理事長の意向を受けています.
表向き競争的ではあるものの,「◯◯ありき」で進めている審査というのは,こういうことを指します.

私も学内競争的研究費に採択されたことがありますが,その時は懇意にしていた選考担当の先生から,事前に「今年は若手に配当したいから,申請しておいて」と言われたことがあります.もちろん採択されました.
建前としては「競争的」で「公平に審査」して割り当てているものですから,そういう部分があるのは前提ですが,恣意的・意図的に割り当てている部分が多分にあることもたしかなんです.

毎年恒例化している競争的研究費であれば上記のような事態になりますが,それが単発的で特別限定的に実施する場合には,もっと政治的な意図が動きます.
研究費を出す側(大学運営側),つまり選考委員側に,研究費を採択させたい研究グループが想定されていて,まさに「そのグループありき」で進めたい案件なのだが,いかんせん表向きは「本当に競争的」もしくは「厳正な選考過程」でなければならず,「公平公正に募集・審査して採択しましたよ」という結果にしたい場合です.
もっと言えば,ここでいう採択させたい研究グループとは,実は当該選考委員(なかでも,委員長)が所属するグループ,またはその本人だったりします.

さらに詳細にこの状況説明をすれば,ここで選考委員会の「審査員」として招集されている人たちは,一応は公平公正な審査をするためランダムに集められた人だったりするので,故に口裏合わせや根回しが徹底できない状況が考えられます.だから堂々と「◯◯ありき」で進めることはできない.
今回の加計学園問題として疑惑をもたれている状況が,まさにこれです.

そんな時,選考委員会サイドとしてやれることは何があるか?
その企てはどこでも決まっていて,以下のようなものです.
(1)募集期間を極めて短くする
(2)申請資料を膨大なものにする
(3)審査基準を偏らせる
(4)事前に当該グループと打ち合わせる

簡単な話です.
募集期間を短めにし,申請資料を膨大にすることによって,その予算に応募しようと考える人を削ることができます.
これにより,「応募者が1件だったので,これを審議し,採択しました」ということにできます.最も安全な手口です.

実際,加計学園問題における対抗馬として引き合いに出される京都産業大学が,今回の獣医学部申請から手を引いた理由の一つにあげているのが,この「タイトなスケジュール」なんです.
っていうか,学部設置は後戻りのできないスケジュールとの戦いになりますから,その見通しの是非で全てが決まると言っても過言ではありません.あとの理由はおまけみたいなものです.

しかし,文科省相手なら文句も言えませんが,学内の研究費では「あんな短い募集期間じゃ応募できない!」という文句が入ってくる可能性があるし,短期間でも頑張って書類を作ってくる人がいないとも言えない.
それに,露骨にやり過ぎると「恣意的に採択させたいんだろ」と疑われかねません.

そこで,組み合わせて用いられるのが「審査基準をいじる」という方法です.
つまり,審査基準を採択させたいグループが採択されやすい基準にする,という手法が用いられます.

また,他に誰も応募する予定がなくて怪しまれると考えられる場合は,ダミーの応募グループを用意します.これも非常によく用いられる手口です.
ダミーの方はやや杜撰な申請書類にしておくことで,審査になってもダミーのグループが落とされ,目的のグループが採択されるという寸法.

なお,私は以前そんなことを画策していた委員会をやらされたことがあるのですけど,そこでは事情が二転三転してしまい,結局,ダミーの方が採択されちゃったことがあります(笑)
ダミーのつもりで出さされていた先生としては,「聞いてないよぉ〜! 俺はダミーじゃないのかよ!」って猛烈に焦る事態です.
やる気のない研究計画に莫大な予算がついてしまって困っちゃうわけですね.大金をもらう手前,いい加減にはできないし.ご愁傷様です,としか言いようがない.

というわけで,上記の手法すべてを組み合わせたのが,例の「加計学園問題」だったのではないか?と疑われているんです.
っていうか,加計学園問題は,限りなくクロに近いと言わざるを得ません.

さて,手口が分かったところで次に考えてほしいのは,では,上記のことがバレそうになった場合にどうすればいいのか? ということです.
これもパターン化された回避作業がありますのでご紹介しておきましょう.

まず,バレるといっても限界があります.余程のことがない限り,画策の全てが明らかになることはありません.
とは言え,誰もがわかる「怪しい」ところは隠せません.
そう考えると,誰もが見てわかるのは「スケジュール」です.
逆に言えば,スケジュールが弱点なのであれば,ここを最大限カバーする必要があります.

加計学園問題もそうだったようですが,何らかの恣意的な選考をしたい場合,必ずと言っていいほどタイトで無理のあるスケジュールを組みます.
審査員を買収できない場合には,物理的にライバルとなる選考対象を減らすしかないからです.
ですから,不自然でタイトなスケジュールを組んだ理由を用意する必要があります.
甘く見てはいけません.ここが最も重要です.

不自然でタイトなスケジュールを組んだ言い訳としては,時間が切迫していたと答えるしかありません.
では,どうして時間が切迫していたのか? を答える必要があります.
学内研究費の場合であれば,よく用いられるのが「夏季休業前の教授会までに決定する必要があった」とか,「経理処理の都合」とか,「重複して応募可能な研究費との時期的調整」などで逃げる手口です.
もっとも,その言い訳を決めてから始めるものですが.

その点,今治獣医学部の国家戦略特区はお粗末だったと思います.
あと1年くらい公募開始を伸ばせなかったのか?そうすればバレたりしなかったのに.
急がないといけない諸々の悪巧みがあったのだろう,と思われても仕方ありません.

もし仮にその1年の間に別の有力大学が名乗りをあげたとしても,選考基準をいじればなんとかなったのではないでしょうか.例えば,事前準備にかけたエネルギーとかを,なにかしらの尺度で評価するようにするとか.

別に急いでいるとしても,急ぐ正当な理由があれば追求を切り抜けられます.
今回の加計学園問題であれば,
「手続きや選考方法,採択した大学の適正に問題はあったが,スピードを重視するため仕方なく加計学園で進めた」
というのが正攻法,ならぬ「正逃法」です.

ところが,ここでも安倍政権,および安倍晋三をこよなく愛する安倍信者は絶対に言ってはいけない言い訳を採用してしまった.
「手続きや選考方法に問題はなく,加計学園こそ適切な事業者だった.しかも,四国には獣医学部が必要な理由がちゃんとあるんだ」
という最もダメダメな逃げ方,ならぬ「徹底抗戦」を選んでしまったのです.
そう考えると,安倍晋三を苦しめている最大の要因,それは安倍信者なのではないか.そんな気もしてきます.

これを学内研究費の例で言えば,
「スケジュールが短い中で決まった今回の選考は,その研究グループありきで進んだ選考だったのではないのか」
という疑惑に対し,選考担当者が,
「手続きや選考方法に問題はありません.しかも,採択した研究グループは優れた申請書を出していたし,大規模な研究費がどうしても必要である正当な理由があったんです」
などと答えるようなものです.もし担当者がこんな言い訳をしようものなら,教授会は大紛糾します.血を見るかもしれない.

もうお分かりでしょう.誰も手続きや選考方法,研究費の必要性のことなど聞いてないんです.そんなことはこの際どうでもいい.
ここで聞きたいのは「◯◯ありき」で手続きや選考方法が組み立てられている,この仕組みに問題があるのではないか?ということ.
加計学園問題も同じです.

実際,疑問を投げかけている側からすれば,担当者がそんな言い訳をしてきたらこう言い返すでしょう.
「そんなにクオリティを重視していると言うのであれば,どうしてもっと慎重に進めなかったのか? どうして研究のノウハウがないグループを採択したのか?」

こういう手法で選考を進めた場合,どうしても「手続き」や「選考方法」,「採択者の適正」といったことは.調べれば調べるほどボロが出る最も危険な部分なのです.できれば隠しておきたいこと.
だから,そんな杜撰な手続きや選考方法を選ばなければならなかった理由を答えなければなりません.

その場合,最も基本的なのは「急いで決めなければいけないため,クオリティよりもスピードを重視した」という言い訳です.
そんな場面で,「我々は高いクオリティで提供できています」という話をしても,信用されないに決まっています.っていうか,本来の質問に答えてないし.


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2017年7月22日土曜日

加計学園問題は,どのように言い訳すればよかったのか

先日の記事の続きにします.
先の記事はこちら■今治・加計学園問題について

加計学園問題に揺れている安倍政権ですが,このブログでは事件発覚当時から何度も繰り返しているように,これはスキャンダルではありますが「うまいこと言い逃れできるはずの話」です.
ダメダメな言い訳に終始して,火に油を注いでいるのが現政権.

安倍支持者におかれましては,きっとヤキモキしながら次第を見つめていることでしょう.
では,どうすればいいのか?
安倍支持者としては,どのような情報を拡散すれば反安倍論者を黙らせることができるのか?
そのヒントをお話ししましょう.

まず,この事件は脱法ではありますが違法ではありません.
きちんと手続きを踏んで,今治市に獣医学部を持つ大学またはキャンパスを設置することになり,それに加計学園が正式な手順をもって決定した.全く問題ない話です.

唯一あるとすれば,渦中の人である前川前次官が言うように,「加計学園ありきで今治市に学部設置が進んだプロセス」ということになります.
つまり,「行政が歪められた」ということですが,これについて安倍支持者としてはこのように反論しましょう.

「それがどうした」と.

今治市に獣医学部を設置するという計画は,国家戦略特区です.
国家戦略特区については以下のサイトで確認できます.
国家戦略特区(首相官邸HP)

そこでは,国家戦略特区の会議運営規則や会議資料をPDFで見れます.
国家戦略特別区域諮問会議(首相官邸HP)

議長は内閣総理大臣:安倍晋三です.
そして,運営規則にはこうあります.
(議事)
第4条 会議は、議長が出席し、かつ、議員の過半数が出席しなければ、会議を開き、議決することはできない。
2 議事を決するに当たり、議長は出席議員全員の同意を得るよう努めなければならない。
3 前項の規定にかかわらず、全員の同意を得られない場合には、議長が会議の議論を踏まえた上で、議事を決する。
4 会議は、その決定するところにより、会議に付議される事項について直接の利害関係を有する議員を、審議及び議決に参加させないことができる。

(緊急時の特例)
第5条 議長は、会議を招集した場合において、議員の過半数が出席することが困難であり、かつ、緊急に会議の審議及び議決を経ることが、会議の目的 達成のために必要と認めるときには、前条第1項の規定にかかわらず、会議を招集し、会議は審議及び議決を行うことができる。
要するに,議長である総理大臣が「いい意味でも,そうでない意味でも,やりたい放題できる」ということです.もともと,そういう趣旨のもと作られた制度です.
事実,第1回諮問会議の議事録には,国家戦略特区に対する認識が以下のように述べられています.
岩盤規制の改革及びそれに相当する抜本的な税制改革に、総理主導で突破口を開き、経済成長を実現すること
ですから,総理大臣の好みがダイレクトに反映される制度なのです.
であるからして,そもそも「行政が歪められた」という指摘そのものが当てはまらないわけです.だって,この国家戦略特区というのは,それまでに行われてきた行政を「歪める」ことに意味があるのですから.
だからこそ,「行政が歪められた」としても,それへの反論は,
「それがどうした」
ということになります.

ところが現在,安倍支持者は本件をこのように擁護しています.
「四国・今治市に獣医学部が設置されるのは,1980年代からの長年にわたる陳情を総理が国家戦略特区として汲み取ったからであり,何の問題もない.事実,元愛媛県知事の加戸氏も参考人答弁として感動的な話をしてくれている.マスコミはそれを報道していない!」

ですが,これでは前川前次官が指摘している,
「私は,四国や今治市を特区として選ぶことを問題視しているのではありません.加計ありきで進んだプロセスを『行政が歪められた』と言っているのです」
ということへの反論としては弱いのです.
というか,的外れです.国会参考人招致でも,そんな的外れな質疑をしていた議員もいました.

安倍支持者には猪突猛進型が多いので,これらの何がどう問題なのか分からない方々も多いことかと思います.性懲りも無く「四国には獣医学部が必要だったんだ! 獣医学会は利権まみれだったんだ! だから安倍総理は問題ないんだ!」と叫び続ける人があとを絶ちません.

前回記事で詳細を述べたように,今回の「今治市に獣医学部を設置する」というプロセスが加計学園ありきであったことは,その道の人間であれば十中八九「真っ黒」であると読み取ります.
いえ,それが悪いと言っているわけではありません.よくあることですから.

むしろ問題なのは,安倍総理個人の好みが反映される国家戦略特区という制度の決定事項について,公平で慎重な議論を経た上で決定しているかのような擁護をする安倍支持者の姿勢です.

国家戦略特区の第1回諮問会議の議事録にはこうあります.竹中平蔵有識者議員の発言です.
第一点はやはりスピード感。そもそもなぜ特区をやるかというと、全国展開が難しいからとにかく先にやろうと。したがって、特区が遅ければ特区の意味がないということ にもなります。
考えるよりも行動しようというスタイル.
だからパパッと決めてしまったのでしょう.

でも,ここで気になるのは,そんなに「スピード感」を重視したいのであれば,なぜ学部新設を望む大学を誘致したのだろうか? という点です.

「四国に獣医師を充実させる」という目的のためにスピード感をもたせたいのであれば,既存大学の獣医学部の定員を増やし,四国での獣医開業を優遇すれば済むはずなんです.
学部新設したら,一期生が卒業するまでに最短で6年かかります.さらに,研究所や教育機関としてのノウハウを蓄積させるのに10年くらいは必要ですから,それが(申し訳ないけど,「危ない大学」の一角である加計学園グループの)岡山理科大学に期待できるとは思えません.
既存大学の卒業生を四国で働かせるように誘導する方が,最も早くて安全で確実です.

百歩譲って,一刻も早く四国に獣医学の拠点を作りたかったんだとしましょう.
ですが,そこでもやっぱり「なぜ獣医学のノウハウを持っていない加計学園だったのか?」という点が不可思議です.
1校のみの開学が条件だと言うならなおのこと,国家戦略特区としての権力を使って獣医学の有力大学を「今治キャンパス」として誘致するのが常識的な判断ではないかと思います.

千歩譲って,加計学園のようにノウハウの無い獣医学部でも,それを補うための「補助金を潤沢に注入し,優遇政策を施せばなんとかなる」とも言えます.
ですが,それってどうなの?って気になりませんか.なおさら,本当に加計学園でよかったのか? ということになりはしないか.

まとめると,
1)四国に獣医学部の大学が必要だった?: 仮に必要だったとしても,新規の学部設置を望む大学は好ましくない.やはり加計学園ありきだったのではないか?
2)一刻も早く四国に獣医学の拠点が必要だった?: 新規の大学である理由はなく,四国内での開業を優遇したり,研究所を設置した方が早い.わざわざ加計学園を採択したのは,やはり加計学園ありきだったのではないか?
3)加計学園は長年にわたり獣医学部を申請していた?: 長年にわたり申請していたからと言って採択されるものではない.1校のみ採択される希少な条件下で,ノウハウの無い加計学園が選ばれたのは,やはり加計学園ありきだったのではないか?
4)愛媛県は長年にわたり獣医学部を望んでいた?: 加計学園の採択決定には無関係のはずのこと.関係があったとすれば,それはそれで問題.

安倍支持者は,これらの疑問点を払拭する言い訳を考えなければならないことになります.
そしてその言い訳とは,「それがどうした」と相手を突き放すものであり,「国家戦略特区は,安倍総理の意図が反映されるものですから,結果が伴えばプロセスはどうでもいいのです」と毅然とした態度をとることにあります.

もちろん,「これにより結果が出なければ,私・安倍晋三は,国民の生命・財産を弄び,人生を愚弄した罪をその命に代えても償う所存です」とかなんとか言って大見得切ることも必要です.それなりに演出すればカッコよく映ると思います.

私としては,「スピード感」に焦点を絞って言い訳すればよかったのではないかと考えています.
「四国に獣医学の拠点を作る」とか,「長年にわたり地元からの陳情があった」などと言い出すから泥沼にはまったのです.これは最もダメな言い訳です.

どうしてダメかというと,これらの理由だと「きちんとした獣医学部」を作らなければならなくなります.でも,今回はそうではありません.かなり杜撰な獣医学部なのですから,杜撰な計画であることに目を瞑ってもらうような言い訳である必要があるのです.
見る人が見れば明らかな「脱法行為」なのですから,口元にご飯粒をくっつけて「僕食べてないよ.だって,お腹空いてないもん」などと摘み食いの言い訳をしてもダメなんです.そこはむしろ,どうしても摘み食いしなければならないほど切迫した空腹状態だったと言った方が,ねちっこく追及されることは避けられます.

つまり,国家戦略特区ではスピード感を重視しているから,そのためのスケジュールを組んで,そこに応募してきた大学を選んだだけだ.ということにすればよかった.
なんだったら,「早い者勝ちでした」ということにすればいい.
「んなアホな!」「それこそ杜撰だ!」と言われるのでしょうけど,それが追及を受けにくい言い訳です.

ところが,安倍総理や特区関係者,そして安倍支持者の多くは「公平で思慮深く計画した審議の結果だったのだ」という言い訳を最初にしてしまいました.これが問題だったのです.これで後に引けなくなりました.
公平性と計画性の高さで勝負したら負ける話なのですから,最初から「不公平で無計画なところがあったかもしれないが・・・」という方針で守れば,もっと善戦できたと思います.

「どんな事業者でもいいから,とにかく『大学』である必要があって,一刻も早い拠点づくりのため,開学するスピードを最も重視した」というものであれば,あとはなんとでも言い訳がつきます.

「加計学園ありきだったのではないか?」という指摘についても,
「はい,そうです.そういう側面があったのかもしれません.ですが,口蹄疫問題や鳥インフルエンザ対策などのため,拠点づくりのスピード感を重視し,2018年4月に今治市で開学できることを最重要として進めてきたところ,これに対応可能な事業者は加計学園だけでしたので,当該学園と事前に打ち合わせていた部分があることは確かです.国民に不信感を抱かせてしまい,申し訳ございません」
などと言い逃れできます.

「総理の友人が理事長だ」という指摘についても,
「事前打ち合わせする中で,加計学園には2018年4月開学に向けて急いでもらうことになり,かなり御無理をお願いいただく部分がありました.その点,理事長が総理の御友人でもあることから,そうした部分に目を瞑ってもらったところがあります」
とでも言っておけばいい.
スピード重視のために,行政を歪めたんだと言い訳する寸法です.
「スピード重視」というのは便利な言葉で,たいていのバカはこれで納得してくれます.政治に限らず,大学の新規事業計画においても頻出するキーワードですね.

もちろん,私はこういう形での大学学部設置は断固反対です.
でも,そこまで目くじら立てて長引かせる話でもありません.
まともな獣医学部のキャンパスとして成長するよう,優遇措置を講じてもらうこともやぶさかではないと思っています.
まあ,期待薄ですけど.

何度も言いますが,この問題の本質は「しょうもないスキャンダルを終息させられない政権」であり,そんな政権がまともに国家運営できるとは思えない,ということです.


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2017年7月17日月曜日

今治・加計学園問題について

そのうち無理やり闇に葬られるもんだと思いきや,全く終息する感じがないので,私なりにこの問題を取り上げてみます.

以前の記事でも書きましたが,この手の不祥事やスキャンダルは政治にはよくあることです.
私も教育関係者なので,学校や大学の設置に政治家や官僚の関与や忖度があることは知っています.
一般の方々には胸を張って公開できないことって,たくさんあるものなんです.
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こんな大学は万事休すだ

リンク先の記事のひとつにも書きましたが,この問題の本質とは,
「しょうもないスキャンダルを,いつまでたっても終息させられない政権」
です.
上手く言い逃れればいいものを,ダメダメな言い訳に終始しています.
こんな政権が北朝鮮ミサイルへの対処とか,まともな憲法改正議論ができるわけがありません.
とっとと退陣してもらいたいものです.

総理の身内が運営に関与している!
総理の友人が経営しているところが優遇されている!
総理の意向を忖度した審査だったのではないのか!
なんていう話は,いつもあるものです.
これは「総理」や自民党に限らず,「政治家」であれば誰でも該当します.

もちろん,上述したことはスキャンダルですし,どれも「善い」ことではありません.
ですが,政治をやっている以上,どうしても偏った審査や優遇というものは起きるものです.
っていうか,これは政治に限った話ではありませんね.民間組織の中でもこんなことよくあるんでしょ?

言っておきますが,これは政治家や官僚,大学・学校経営者が望んでやっていることではありません.
過去記事でも繰り返し述べているように,こういう状態に誘導したのは誰あろう,あなた方「国民」です.

教育も民間と同じように「競争」させれば,生き残りをかけて安穏としていた教授陣は奮起し,熾烈な環境に適応できなかった弱者は淘汰されるだろう.そんな妄想を抱いていました.
ところが,弱者にしたってただでは死にません.なるべく生き残るように全力を尽くすものです.

生物の進化論的着想で取り組んだ政策ですから,当然,進化論的帰結を受け入れるべきです.
その結果,環境に適応すべく「弱者」は,政治家や官僚に取り入って,優遇してもらうようになりました.これも生き残りをかけた我々なりの努力です.
違法ではないのだから許されるんですよね.これについて,安倍信者なら許してくれそうです.

元来,教育活動というのは金儲けすることができません.儲けようとすると国民が怒るからです.「教育者が露骨な金儲けをするな!」って.
金儲けをする努力が表立ってできないのですから,どうしても「ブランドがある」とか,「既得権益業種の就職口になっている」ところに学生が集まります.
だから,金儲けに見えないようにお金を調達する必要が出てきます.それが政治家の口利きや,官僚との癒着,有力者の身内の取り込みです.
それによって,瞬間火力としての「ブランド」とか「既得権益(いわゆる補助金)」を得ようとするわけです.

大学や学校を新設する際,元・官僚や政治家の身内を「理事」とか「幹部」として招くのは,経営者側としても,そういうコネクションが欲しいからです.
過去記事でも書きましたが,「危ない大学」や「経営難の大学」ほど,官僚の天下りを歓迎し,元・役所の長を「教育者としては無能」なのにも関わらず招聘します.
これは,補助金獲得のために役立つからなんですよ.

ですから,■こんな大学は万事休すだでも書いたように,「自民党の息がかかっている」ような大学や教育機関は「危ない」のです.そして,そんなところは得てして「ブラック企業に大きな就職口を持っている」わけです.

この加計学園問題ですが,私はぜんぜんフォローしておらず,未だに騒がれているのは目にしていましたが,詳しい経過を知らなかったんです.
事ここに至って確認してみたのですが,そのなかに興味深いものを見つけました.
ネットで話題になっているの国会での参考人質疑の動画です.

なんでも,自民党の青山繁晴氏が,参考人である前川喜平前次官と加戸守行前愛媛県知事を中心に質疑をするというもので,それが「マスコミが報道しない重要な内容!」という評価を得ているんです.

見てみました.
で,私が思うに,この質疑応答をマスコミが報道しないのは,そんな価値が微塵もないからだと思います.
だって,青山繁晴氏の質疑はトンチンカンで的を外しまくっているからです.こんなもの報道する意味がありません.

冒頭,こんなやり取りがあります.
青山「(前川氏は)愛媛県には獣医師は不足していないから,加計学園が今治市に獣医師学部を新たに作ることは行政を歪めることである,という趣旨で発言をされているようだが,このような実態(獣医師が不足している)があることを知っていましたか?」

前川「違います.規制緩和をすべきかどうかという問題と,加計学園に新設を認めるかどうかという問題は次元の違うことです.私が『歪められた』と言ったのは,加計学園だけに獣医学部の新設が認められたプロセスです」

青山「今,前川参考人がおっしゃったことは,ボクの予想した通りです.これについては,もう少し後で詳しくお聞きします」
そう青山氏は言い残し,その後この件について聞くことはありませんでした.

この質疑は40分くらいあるのですが,もうね,見てるこっちが恥ずかしくなるんです.
実際,後ろの方で座っている何人かの議員は,青山氏の質疑に失笑しています.

質疑は続きます.
青山「では,加戸参考人にお聞きします.先程の前川参考人のお答えについて,どのようにお聞きになられましたか?」

加戸「先程の『歪められた』行政という発言ですが,私に言わせますと,獣医学部の問題で厚い岩盤規制が,国家戦略特区というドリルによって穴を開けていただいた.歪められた行政が正されたというのが正しいのではないかと思います」

青山「このように,前川参考人と加戸参考人の発言は,見事に食い違っているわけです」

当たり前です.しゃべっている内容の次元が全然違いますから.
私は別に加戸氏の発言が悪いと言っているわけではありません.むしろ,愛媛県に獣医学部を誘致するために尽力なさったんだなぁと尊敬します.
でも,今回の加計学園問題とは全くと言っていいほど無関係の参考人発言でした.

青山氏は大きな勘違いを持って質疑をしています.もしくは意図的なのか.
青山氏は,この疑惑の本質を「愛媛県に獣医学部を作ることの正当性」だと思っているフシがあります.
しかし,この疑惑の真の本質は,前川氏が言うように「加計学園だけが新設認可が降りたプロセス」です.皆が知りたいのも,その点です.

だからでしょう,青山氏は質疑の冒頭に前川氏から勘違いを指摘された時,「今,前川参考人がおっしゃったことは,ボクの予想した通りです.これについては,もう少し後で詳しくお聞きします」と言い返したくせに,その後,「加計学園ありきで手続きが進んだプロセス」について問うことはありませんでした.

青山氏は,あくまで「愛媛県に獣医学部を新設する必要性があること」と,「手続きそのものに違法性がなかった」ことを強調しています.
けど,そんなことは一部のモノ好きが盛り上がっているだけで,疑惑の中心ではありません.議論した上で愛媛県に獣医学部を作ることになったのであればそれでいいのだし,手続きは表向き問題がないことくらい,玄人であれば知っています.
ですが,今回指摘されている問題点というのは,その手続きの組み立て方に『忖度』があったのではないか?ということです.

どうやらこの自民党の青山繁晴氏にも「信者」がいるようでして,ニコニコ動画などでは,終始,画面に青山氏擁護のコメントが流れています.
でも,この加計学園問題における疑惑の本質を間違えてトンチンカンなことをしゃべっているのは青山氏です.見てて辛くなるくらいトンチンカン.
満員のコンサートホールで,音を外しまくって熱唱し,「サンキュー!!」とか言いながら20曲くらい歌っているオッサンを見ているようで,いたたまれない気持ちになります.

興味ない人は既に本件の何がどう問題だったのか忘れている人もいるかと思いますので,疑惑の元となっている部分を示しましょう.
流れは以下のとおりです.ウィキペディアを参照しました.

2007年〜:今治市は計15回にわたり獣医学部の新設を求めたが,文科省は獣医学部の新設を認めなかった(ここで尽力したのが,上述した加戸前愛媛県知事です)
2013年:国家戦略特区が安倍政権の下で制度化される
2015年6月:内閣府が「全国的見地」で獣医学部新設を募集2016年1月:今治市が国家戦略特区の指定を受け,獣医学部新設が可能となる
2017年1月4日:内閣府が,2018年4月に今治市で獣医学部を開設可能な1校を募集.これに対し,応募してきた事業者は加計学園だけだった
2017年1月20日:内閣府は,獣医学部を開設する事業者を加計学園に決定

ここで疑惑となっているのは2点.
1)2016年に愛媛県今治市のみ国家戦略特区としたのは,加計学園に獣医学部を作らせるためではないのか? 
2)2017年における1月4日募集開始,同月20日決定という異様にタイトなスケジュールは,加計学園ありきで進めていた,and/or,加計学園だけが申請できるように仕立てたからではないのか?

私としては,1月4日募集開始,同月20日決定というスケジュールからして,これは「加計学園ありき」なんだろうな,と察します.
全然不思議じゃありません.こういうの,よくあることですよ.上述しましたが,こういうのって民間組織の中でも似たようなことはあるんじゃないですか? 少なくとも,大学とか学会では頻発する「◯◯ありき」で進められる場合に見られる募集&選考スケジュールです.一応,公募して選考しましたよってことにするためのもの.
しかも学園の理事長が総理の御友人なんでしょ? 間違いないじゃん.
官僚の立場としても,自分の家族や出世を犠牲にしてまで止めるようなバカはしないし,普通に忖度しておくのが得策ってものでしょう.

そうなってくると,もしかしたら「今治市のみ設置を認める」という国家戦略特区の指定も,安倍総理の御友人である「加計学園ありき」だったのかのではないか,と疑われても不思議じゃありません.
つまり,安倍晋三は御友人に「国家戦略特区を今治市だけにするから,今治市で開学できるよう準備しといて」って言えば,その他の地域で開学したい事業者(例えば京都府と京都産業大学など)を排除し,加計学園だけに認可することができます.

「今治市が特区の指定を受けたのは2016年1月で,募集開始は2017年1月だから,1年も準備期間があるじゃないか.加計学園以外にもチャンスはあったのでは?」という意見を目にすることがありますが,それは大学・学部設置準備の大変さを知らない人の妄言です.

通常,大学が新しく学部を設置するには,最短でも2年かかります.
大学教員の募集サイトなんかを見ている人はご存知かと思いますが,新設学部で雇う教職員は,2年後に着任させる募集をかけているんです.
ましてや,今治・加計学園獣医学部に至っては2018年4月開学が決定しており,新しくキャンパスや施設を建設するのですから,2016年に特区を開示し,2018年4月に開学しろという香ばしい要求は,「既に見通しがついていて準備完了の事業者」しか応募できないスケジュールだったことになります.
もし本気で「公平な審査と設置準備」をしようというのであれば,特区決定後,広く周知してから4年くらいの募集期間が必要です.

そして,もし今回の「加計学園問題」という疑惑を本気で晴らしたいというのであれば,
1)加計学園における学部設置計画に関する資料を分析する
2)愛媛県今治市と加計学園の間で取り交わされた資料を分析する
ということが必要となってきます.
もしこれらの資料で,国家戦略特区が決定してないのに,それが “ありき” で動いている計画があればクロになります.

と思って,そんな資料がないかネットを調べてみたら,すぐにこんな記事が出てきました.
今治市、一転非開示 官邸訪問記録や開学スケジュール(東京新聞2017.7.15)
なんだ,やっぱり限りなくクロに近いクロじゃないか.

私は今治市に獣医学部を作ることに反対しているわけでも,安倍晋三が違法なことをしていると言っているわけでもありません.
今回のことは,99.9%,安倍晋三の意向を忖度した加計学園ありきで進められた事でしょう.だからこそ,そう思われないように配慮する必要がありましたね.
逆に,実現するはずのない獣医学部の設置準備をたまたま趣味でやっていたら,奇跡的にもそこが国家戦略特区の指定を受けたんだとしましょう.だとすればあまりにアフターフォローが杜撰です.ちゃんと資料を開示した方がいいです.

誤解してもらっては困るので繰り返しますが,私はこの『加計学園問題』というのはどうでもいいスキャンダルだと思っています.
冒頭に述べたように,私が考えるこの問題の本質とは,
「しょうもないスキャンダルを,いつまでたっても終息させられない政権」
なのです.

2017年7月15日土曜日

体力テストの実施方法を間違えていたそうです

こんなニュースがありました.
「大阪の子供は〝運動音痴〟」の汚名返上へ―全国体力テスト低迷、実は計測ミス? 重いソフトボールや数え方間違い…(産経新聞2017.7.14)

どんなミスかというと,
ある小学校では、ソフトボール投げで使用する1号ボール(周囲26・7センチ前後、141グラム前後)がなかったため、たまたま置いてあった3号ボール(周囲30・48センチ前後、190グラム前後)で代用。反復横とびでは本来、線を1本通過するごとに1回と数えるが、「1往復で1回」と計測している学校もあった。(産経新聞2017.7.14)
といったもののようです.
大阪は体力テストの結果が全国最下位であることから,その様子をみるために指導主事が学校に派遣されていたそうなのですが,そこで発覚したとのこと.
計測ミスについて,画像でも解説がありました.
画像:産経新聞より
これは「体力テスト」でよくあること.この計測ミスは大阪に限った話ではなく,全国的にこんな状態であることは予想に難くありません.
今頃,全国の学校では「おいおい!うちでやってる方法,間違ってるじゃんよ!」ということで,大騒ぎになっているものと思われます.

私達の研究グループでもよく文部科学省が示す「体力テスト(正式名称:新体力テスト)」を行なうのですが,学校の教師や部活の指導者の前で測定していると「え? 測定方法ってこういうふうにするのが正しいんですね」と,自分が勘違いしていたことに驚く人が結構います.
ちなみに,正式な測定方法は文部科学省のHPで見れます.
新体力テスト実施要項(文部科学省HP)

最も勘違いしている人が多いのが「反復横とび」の測定方法です.
画像:文部科学省HPより
3本のラインを越える毎にカウントするのではなく,左右両サイドのラインを越えた回数をカウントしている人がメチャクチャ多いんです.上記記事では「一往復で1回と計測している学校もあったと述べていますが,さすがにそういうのは稀ですね.
私見としては,左右両サイドのラインを越えた回数をカウントする方法の方が良いと思います.そっちの方が数えやすいので.

次に多いのが計測時間の間違い.20秒が正しいのですが,30秒でやっているところもあったりします.
あとは,サイドのラインを「踏むか越えるか」ではなく,「必ず越える」ことを課している場合もあります.「越えていなければやり直し」という指示が出されていて,これだけでもかなり記録は変わります.

最近は少なくなった間違いとしては,反復横とびに用いる3本のラインの間隔を120cmでやっているというもの.これは,1999年以降に行われている現在の「新体力テスト」より以前の体力テストで採用されていた方法です.11歳までは100cm,12歳以上は120cmでやっていました.懐かしいですね.
今は全て100cmで統一されているのですが,その変更を知らないまま120cmのラインを引いている教師や指導者がいます.微笑ましいことです.

実は私はこの間違いに思い入れがありまして,かく言う私もこのミスをしているんです.
今から10年以上前のこと.今となっては超有名な某プロスポーツ選手が当時14歳くらいの頃に,その体力テストを担当したことがあるのですけど,そこでてっきり「12歳以上なんだから・・」ってんで120cmでやっちゃったんですね.もう既にその時は100cmでやる時代だったのに.
「君は敏捷性が平均値より低いよ.もっと頑張らないと!」っていう評価になってしまい,その選手は「ハイ!がんばってフットワークを鍛えます!」と健気に返事をしていました.
その後も順調に強くなってプロになったので,まあ,いっか.

ところでこの反復横とびですが,もっとマニアックな計測ミスというのがあります.
計測ミスと言っても被験者側の問題なのですけど,それは,反復横とびはサイドステップを用いるのであって,「ジャンプをしてはいけない」というもの.これは運動能力に優れる人なら「ほぼ全員」が侵しているミス(反則技,チーティング)です.
スポーツ科学における,専門の中の専門の先生がよく指摘する屁理屈みたいなものなのですが,たしかに正論ではあるんです.
動画とかで示さないと難しいことなのですが,以下のようなものです.
運動能力に優れている人によくあるのですが,両足を同時に浮かせて身体(特に下半身)を横方向にスライドさせてサイドのラインを外足で踏み,その後,そのまま両足を同時踏切により中央のラインをまたぐ形に戻して,その勢いのまま,また両足踏切で反対側のラインを踏みに行く.というテクニックです.つまり,サイドステップじゃなくて,小刻みな超低空両足ジャンプ(スプリットジャンプみたいなもの)を繰り返すことで速く移動しようとするのです.
これは本来のルールではダメなんですけど,よく見逃されます.むしろ,これができる人は運動能力が高いのだからいいじゃないか,という感じで.

他にも体力テストでよくある計測ミスはあります.
「上体起こし(腹筋運動)」もそのひとつです.
画像:文部科学省HPより
上体起こしでは,仰向け状態から起き上がってきて,胸の前で組んでいる自分の肘を膝につくまで身体を起こすというものです.
ここで散見される計測方法の間違いが,「腕を胸の前で組む」のではなく,「手を頭の後ろで組む」というもの.首を痛める危険性が指摘され,現在では頭の後ろでは組みません.
そして,最も多い間違いがこちら.「背中を床面(マット)につける」のが正しい方法ですが,それをしない人が多いことです.これも反復横とびにおける「小刻みジャンプ」と同様,運動能力が優れている人こそ可能な反則技.
腹筋が弱い人は床面に背中をつけなきゃ起き上がってこれませんが,腹筋の強い人は床面ギリギリのところまで下ろしたところから,反動を使って起き上がってこれます.その方が素早い動作ができますので.
大学生(男子)における上体起こしの平均記録は25回くらいですが,速い人だと45回に及びます.でも,この回数を稼ぐためには反則技を使わないと現実的ではありません.

上記の新聞記事にも画像付きで指摘されている「立ち幅とび」の計測方法ですが,むしろこれは「間違っている方法」の方を採用したほうが現実的だと思うくらいです.
跳ぶたびにメジャーを使って計測するよりも,予め床面やマット上にメジャーを張っておいて,その横でジャンプして記録を読み取ったほうが楽に計測できます.それに,この方法にしたからと言って,そこまで大きく測定値がブレるわけでもありません.

私としては,もっと簡便で確実性の高い体力テストを普及させたほうがいいと考えています.
別に今の方法がダメだと言ってるわけではなく,新しい方法を考案しろっていうわけでもなくて,現行の測定方法をもっと簡単にできやしないか検討してはどうか,ということです.
例えば,上述した立ち幅とびもそうですし,持久力を測る20mシャトルランも,ドレミファソラシドの音源がないとできないというのは厄介です.しかもあれ,体育館の床面の性質で成績が結構変わるんですよ.

もっと言えば,体力テストで測られる「体力」などたかが知れています.
一般の人が思う以上に,体力テストの値に大きな意味などありません.
よく,「以前と比べて子供の体力が低下している」という指摘がありますが,それにしたって「じゃあ,どれくらいの体力があればいいのか?」とか,「ボール投げや疾走能力が低いことの何が問題なのか?」ということに容易に答えることはできないのです.

誤解を恐れずに言えば,体力テストを使ってその子供「個人」を評価することなどできません.これはあくまで疫学的調査のための価値しかないのです.
「体力分析」に長い間取り組んできた私としても,いつもそう感じます.体力をいくら分析したところで,何も分かりません.一般的なテスト方法で測定される「体力」は,その個人の身体パフォーマンスとは無関係と言ってもいいくらいです.

測定方法のミスや,やる気の無い被験者などが散在することは織り込み済みで,それでも全体的な傾向として解釈するためのものです.
体力テスト結果を並べて,どこの地域が低い高いといった議論もたしかに「面白い」のですが,それで何かが分かるわけではありません.

つまり,「体力」の高さを云々するよりも,スポーツや運動に取り組むことへの価値を啓蒙すことの方が大事なんです.これを履き違えてはいけない.
体力というのは,あくまで「身体運動」にまつわる生活と文化の反映の一部でしかありません.
必要とされれば高まり,不要であれば低下する.

さらに言えば,体力テストにしたってテクニックが必要とされる「身体動作」です.体力テストの成績を高めようとすれば,その動作を練習することで高められます.
でも,人は体力テストの成績を高めるために運動をしているのではありません.

体力の低下をクローズアップしていると,そのうち「体力を高めるためにも運動・スポーツに取り組むことが大事だ」などと倒錯したことを言い出す恐れがあります.
いや,もうその段階にきているのかもしれません.実際,上記の新聞記事ではそれが読み取れます.
世も末です.


2017年7月9日日曜日

SNSを使って「いじめ対策」をするらしい

昨年,こんな記事を書きました.
いじめ防止対策推進法のこと
まず,その記事の結論部分を以下に示します.
ですから,いじめを「防止」して「なくそう」とする思想哲学を持つこの法律では,絶対にいじめ問題に対処することはできません.
仮に「いじめ」を無くせたとしましょう.でもそこには,「いじめ」という名称ではない「いじめ 2.0」が発生したことを意味します
これはちょうど,「クリスマスで寂しい思いをしないために,クリスマスを禁止しよう」っていうのと同じです.恋人がいないことの寂しさは,クリスマスによって発生するものではありませんし,禁止したところで「クリスマスが寂しい」とは異なる別の「恋人がいない寂しい状況」が発生することと一緒です.
そうこうするうち,切羽詰まった人が「出合い系サイト」なんかに手を出すわけですけど.
ここで私の予言.この「いじめ防止対策推進法」,今その改正が検討されているようですが,
いじめ防止対策推進法も,出会い系サイトと同じ思想哲学のことをやり出すであろう・・(例えば,いじめの解決法が文科省の管理サイトとしてアップされるとか)」
この予言が当たらないことを切に祈っております.
どうやら予想が当たってしまうのかもしれません.
文部科学省では,こんな取り組みが始まったようです.
SNSを活用したいじめ等に関する相談体制の構築に係るワーキンググループ(第1回)の開催について(文部科学省HP,2017.7.6)

ほら見たことか,やっぱりこういうことをやり出すのです.
具体的な予想はできなくとも,この国の考え方と,そこから導き出される方向性はだいたい分かるようになりました.

最初はてっきり「SNSを使って行われている『いじめ』に対する相談体制を考える」ものかと思っていましたが,どうやら『いじめ相談』にSNSを活用しようというものらしい.
まだ話し合いが始まっているわけではないから,現段階であぁーだこぅーだと言えませんけど,十中八九,碌なことになりゃしないと諦観しております.

いじめ防止対策推進法にも同じことが言えるのですけど,「そんなこと現場では既にやってるよ.っていうか,邪魔になるから余計な条件付けや指針を作るのはやめてくれ」ということなんです.

ここで問われなければならないのは,
学校でSNSをどう活用するか?
ではなくて,
生徒との対話をどのように進めるか?
ということでしょう.

そうした「学校における生徒と教師のコミュニケーション」に関するヒントや,その抜本的な枠組みの転換(パラダイムシフト)を文部科学省としては話し合ってもらいたいですし,これに関する研究調査や議論から参考になる知見が現場に降りていくことが望ましい.
ところが,満を持して取り組みだしたのが「SNSの活用方法」なんです.参っちゃうよね.
まさに,「出会い系かよ!」

いえ,SNSを使うことがダメだと言っているわけじゃないんです.
もう既にSNSを使って生徒との対話を試みている先生方は現場にたくさんいるし,SNSをちょっと “違法的” に活用して生徒指導に役立てている人もいる(大学の後輩がそういう教師で,彼からいろいろ聞いています).
けど,それは生徒との関わりの中において有機的に発生しているコミュニケーション手段の模索なのであって,SNSをどうやって使うのか? ということとは理念や思想が異なります.

百歩譲って,これまでにSNSを使って「いじめ相談」をしてきた教師の体験談や成功/失敗事例をまとめ,それを全国に普及させるっていうのであれば分かります.願わくば,このワーキンググループもそういう方向で落ち着いてもらえると幸いです.期待できませんけど.

考えてみれば,今でも電話を使った「いじめ相談窓口」みたいなものはあって,これはちょうど「テレクラ(テレフォンクラブ)」に相当するものと言っていいでしょう.テレクラって今の学生は知りませんね.懐かしい響きです.
これは別に相談窓口を批判しているわけじゃありません.人間というのは,困った時はそういうところに救いを求めるという意味において,いじめも性欲も変わらないということです.
テレクラが出会い系サイトに変わってきたように,すなわち相談窓口も電話からネットに変わるわけですね.

ただ,指摘しておきたいのは,テレクラや出会い系サイトにより得られる「救い」が限られたものであるのと同様,SNSを活用したところで救われる「いじめ」も限られたものになるであろうことです.
そういうところからしても,SNSを相談窓口として活用する方法を検討する前に,現場の教師を活かせる改善策や,子供と向き合うために負担を減らす制度づくりに取り組むことが先ではないかと思うのです.



2017年7月8日土曜日

体育学的映画論「四月物語」

もう7月ですが,「四月物語」を見てみました.Huluでやっていたので.
四月物語(wikipedia)
ちょっとしたロマンス映画ですが,田舎から都会に出てきた大学生の姿をよく捉えていると思います.あと,ホントに4月だけを映した物語です.
主人公は女子学生ですが,境遇が似ていることもあって,私にも共感できるところが結構あります.

あと,松たか子が演じる主人公が「東京の大学」に進学した理由なんですけど,それってのが私の高校時代の社会科の先生と同じなんです.
その進学理由が劇中で明かされた時,妙に親近感(?)をおぼえました.
「あっ,これって◯◯先生と同じだ・・」ってね.

思い出してみると,その時もその先生がナントカっていう映画?小説?と同じだとか言ってたような気がします.時期的にもこの四月物語(1998年)だった可能性が高い.
「いやいや,そんな理由で大学進学なんかしないだろう」と思われる人は多いかもしれませんが,案外そういう女子学生はいるのかもしれませんね.
ちなみに,その先生は “成就” しなかったそうです.

私としては,たぶん数年前までなら嫌いな部類の映画だったんですけど,歳をとったのでしょうね.こういう映画が見れるようになった私自身に驚いています.

いえ,面白い映画ではないんです.強いて言えば興味深い映画です.
なんでもない場面を映し出すだけで,こんなに引き込めるものかと感心します.
と同時に,これってのは見る側が大学生生活を経験している人じゃないと難しいのかなぁとも思ったり.

これが制作された1998年っていうと,私はまだ高校生ですが「大学生といえばこんな感じ」と違和感なく見れます.その後すぐ私も大学生でしたから.
でも,この1998年というのは今年入学した大学1年生の多くが生まれた年なんですよね.
確認するまでもないですが,19年前です.

私達の年代が1980年頃に制作された映画を見て感じる古臭ささと同じものを,今の学生たちは2000年頃に制作された映画から感じ取っているのかもしれませんね.
今の学生にとって「四月物語」みたいな青春ものは,80年代生まれの私達にとっては「時をかける少女(1983年)」とか「Wの悲劇(1985年)」を見せられるようなものでしょう.たしかに時代を感じます.
松たか子がこの20年間で変わったように思えませんが,それは原田知世や薬師丸ひろ子が35年経っても変わらないと思う人と同じかもしれません.

最近,こういう時代感覚を面白く感じるようになりました.
「十年一昔」と言いますが,10年前と言えば第一次安倍政権でしたし,東京マラソンが初めて開催されたのもこの年です.
私もすでに大学院を卒業して研究者になっていて,あれよあれよという間に30歳を越えました.
でも,この10年で何か大きな変化があったようには思えないんです.そういうものです.

今年の1年生に聞いてみたら,この次の年の2008年に開催されたオリンピック北京大会は記憶にあるけど,その前の2004年アテネ大会は認識できていないのだそうです.
北京大会は9歳頃,アテネ大会は5歳頃だったのですから,そりゃそうでしょう.


2017年7月7日金曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(17)マニー・ラミレス

反則みたいですが,彼も「鳥無き島の蝙蝠」のひとりに数えましょう.
メジャーリーグのレジェンド,マニー・ラミレスが高知ファイティングドッグスとの契約を延長したそうです.

マニー・ラミレス「興奮」高知と9月末まで契約延長(日刊スポーツ2017.7.7)
独立リーグの四国IL・高知は7日、当初7月末までとしていたマニー・ラミレス外野手(45=登録名マニー)との契約を9月末まで延長することで合意したと発表した。グランドチャンピオンシップに進出した場合は別途契約交渉となる。
 マニーは球団を通じて「後期シーズンを高知でプレーし、チームの優勝、日本一へ向けて貢献する準備はできている。日本の高知へ戻り、球場でプレーできることにとてつもなく興奮しているし、楽しみたいと思っています」と意欲満々にコメントしている。
 高知は、7月30日が後期シーズンの初戦(徳島戦)。マニーのチーム合流時期は調整中という。前期シーズンは18試合に出場し、打率4割6分、3本塁打、20打点だった。
かつては「鳥だらけの大陸の大鷲」だった彼ですが,今では立派な「鳥無き島の蝙蝠」です.

まだ高知にいたんですね.そっちの方が驚きです.
もっといい契約を出してくるチームがあるだろうし,そのための四国アイランドリーグですから,すぐにそちらに移るのかと思っていたのですが.
もう少し高知に居てくれるようです.しかも,メチャクチャ打って活躍してるし.ちょっと出来杉君ではないかとも思います.
というわけで,ファイティングドッグスの次は,マンダリンパイレーツあたりに行ってあげてほしいものです.

マニーについて取り上げた以前の記事では,こうしたレジェンドを間近に見る機会が得られることの価値について述べました.
マニーに限らず,三浦知良やイチローにも同じことが言えます.

その記事では「いくつになって現役でいること」の尊さに軽く触れただけですが,これを書いた時期が時期だっただけに,勘の良い人は気づいたことでしょう.

そうです.これは私なりの天皇論でした.

どうやら例の「生前退位」は実現する方向で話が進んでいるようです.
天皇陛下 譲位特例法成立(産経新聞)

私はこの手のことはあまり詳しくないのでペラペラしゃべるのは差し控えさせていただきますが,まぁ,なんだかなぁというのが正直なところ.

だからというわけではないのですけど,急ぎ「私的・日本論」を築くために勉強しているところです.
その一端として書いているのが,あの「古代日本」の記事だったりします.


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