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井戸端スポーツ会議 part46「禁煙とオリンピックとウンコの話」

東京オリンピックに向けて「禁煙」の話が喧しくなっています.
本件については,いろいろな人がいろいろな意見を述べているので,私もひとつコメントしておこうと思いました.
オリンピックというスポーツの話題でもあるので.

まずはニュースを確認.
東京五輪は原則、全面禁煙 分煙論外 初の制度案(毎日新聞)
2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて、厚生労働省がたばこの全面禁煙を原則とする初の制度案をまとめた。たばこを吸わない人が喫煙者の煙にさらされる受動喫煙を防ぐため、近年の五輪開催都市はすべて罰則付きの対策を講じており、原則禁煙は世界標準。日本の緩い「分煙」は許されそうにない。(毎日新聞2016.12.9)
でも,最近はこんな感じになってきました.
「たばこのない五輪」に黄信号-全面禁煙なしに2020年迎える可能性も(ブルームバーグ)
自民党のたばこ議員連盟は、分煙を掲げた対案の基本理念として、受動喫煙を避けたい人の権利を侵害してはいけないが、合法な嗜好(しこう)品であるたばこ喫煙者を社会的悪者として排除することはあってはならないと主張。議連の野田毅会長はホームページで「吸わない人の権利とともに、吸う人の権利も考えて、禁煙より分煙、目指せ分煙先進国になれるよう議連で考えていく」と述べている。(ブルームバーグ2017.4.25)
1964年の東京オリンピックでも,日本に世界基準のマナーとエチケットを浸透させようという動きがあったことはご案内の通りです.
そもそもこの「近代オリンピック」には,そういう「グローバリズム」の役割があるとあると言っても過言ではありません.もちろん,良くも悪くもですが.
もっと言えば,元来,スポーツという文化にはグローバリズムの機能が内包されています.
昔にそんな記事を書いたことがあります.
井戸端スポーツ会議 part 5「スポーツはグローバリズム」

結論から申しますと,私としては行き過ぎた「禁煙」圧力には反対ですが,だからといって喫煙を野放しにすることは現代文明としていかがなものか,と考えています.
ここはひとつ喫煙者には人間としての在り方を見つめてもらいたい.そんなところです.

喫煙者がどのような経緯でタバコを吸い始めたのか,それについては脇に置きましょう.
確認しておきたいことは,喫煙者は容易にはタバコをやめられないということです.つまり,喫煙者にとってタバコを吸うことは生理的欲求と言えるわけです.
そんな生理的欲求を抑えることは難しいでしょう.心中お察しします.

自動車の排気ガスやハウスダストなどには寛容なのに,どうしてタバコに対してはヒステリックに反応するのか?
という不満が喫煙者にあることも認めます.たしかにそうですね.

しかしこの「タバコ」.やっぱり不衛生ですし,臭いですし,汚らしい.
「タバコによって健康を害するというのはウソ」という話もありますが,あれも結局は程度の問題で,タバコの煙の吸入が人体にとって「不健康」な方向を向いているものであることに変わりはありません.
タバコとは,「周囲の人の健康を害する」ということ以上に,「吸い方」に歯止めをかけねばならない理由があるのです.

そういう意味では,タバコと同様のことが「ウンコ(排便)」や「オシッコ(排尿)」と言えます.
どちらも「する」のを我慢できません.
喫煙をウンコやオシッコと同じものと考えたら,今後どのようにすればいいのか分かりやすくなります.

タバコを吸うことについて私は問題視しません.
それは,ウンコやオシッコをしたいという人を咎めるつもりがないことと一緒です.
我慢できないというのであれば,すればいい.

でも,今時ウンコはトイレでするもので,人前でするものではありません.
同様に,タバコも喫煙所でするもので,人前では吸わないようにしましょう,という理解をしてくれたらいいのです.

「誰がなんと言おうと,俺は堂々とタバコを吸うぞ」
という主張をする人を叩くつもりはありません.
そんな人が少しくらいいたっていい.

人間も,かつてはウンコを人前でしていました.
考えてみれば,ウンコは別に他人に生命を脅かすような迷惑をかけるわけでもないし,するのは人の勝手とも言える.
でも,文明や文化が高まってくることで,衛生,臭い,エチケットといった観点から「ウンコはトイレでするもの」という文化が定着します.
もちろん,「ウンコは人前ではしない」は国際的に自明のことではありません.トイレが整備されていない国もあるし,人前でウンコをする国だってまだまだある.

タバコはウンコみたいなものです.
本人は気持ちよくなっていますが,周囲の人には不快感を与えます.
危害を与えているとは言えないにしても,「害悪」であることに違いはありません.

「ウンコする権利も認めてほしい」
お気持ちは十分に受け取れますが,だからといって好き放題していいことにはなりません.
なんせ臭いし,汚いし.その上みっともない.
中には「目の前でされると殺意が湧く」と言い出す人がいることも分かっていただきたいものです.

昔は街中でもウンコやオシッコをする人がいました.今でもたまにいます.
けれど,それを迷惑に思う人がたくさん出てきたので,エチケットとして,そして法律として「人前でしない」「公共の場でしない」ということが定着したのです.

そう言えば,ちょっと前のオリンピック・北京大会では,国際的なマナーを周知するために「路上でウンコをしないこと」が国民に啓蒙されたそうです.
以前,私も上海に行ったことがありますが,上海でもそんな立て看板を見たことがあります.過去のフォルダを探したんですけど,残念ながら写真が見つかりませんでした.
禁止したい行為はルールを作って啓蒙しないと抑制できません.
路上ウンコも禁煙も同じと考えるべきです.
東京大会では,人前でのウンコは当然のこととして,人前での喫煙も禁止することを目指す方がいいと思います.

他にも,マンションのベランダでタバコを吸って,これが近隣とのトラブルになることがあります.
ウンコも一緒でしょう.
リビングでウンコしたら家族に怒られるからって,ベランダでウンコしたら隣人に怒られるのは当たり前です.

じゃあ,ってことで,ウンコと同様,トイレで吸えばいいと思ったら,家族から「トイレに臭いが染みつく」と怒られる,ということも聞きますね.
この時点で,タバコがウンコ以上に臭いということを認識するべきです.

歩きタバコは,歩きながらウンコしているようなもの.
喫煙者はもとより,非喫煙者にも自覚が薄いことですが,「歩きタバコ」が非喫煙者から嫌われている本当の理由は,「煙い」「臭い」「危ない」ということ以上に,そのみっともなさに対する怒りを買っているからです.
快楽抑制のネジが外れた,ぶっ壊れ状態.
歩きタバコには,歩きウンコと似た理性の崩壊が観察されます.

野糞も立ちションも,タバコのポイ捨てにしても,どうせ土に返るんだからいいじゃないか.自然のものを自然に返しているんだ.
それはウンコもタバコも一緒ですが,今は同じように扱えないということは理解してもらうしかない.

「他人の臭いや振る舞いを,気にしすぎるのもいかがなものか」という話があるのも分かります.
でも,臭いものは臭い.
タバコやウンコの臭いを漂わせることは,とりあえず避ける方針が望ましいのではないでしょうか.

「実際のところ,不潔でも健康を損なうわけでもない.それに俺は自分のだけでなく,他人のも食べたり飲んだりすることだってできる.焼き鳥屋の匂いだって不快だろ?」
などと言い出したところで,それは完全に個人の嗜好の問題です.
個人の嗜好を周囲に求めるのにも限界があります.