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古代四国人・補足(古事記の中巻を推定する)

前回は『古事記』中巻の冒頭「神武東征」を取り上げてきました.
神武天皇による記念すべき「日本建国」のエピソードですから,古事記編纂者としても気合を入れて書いた部分だったはずです.
今もって神武天皇が橿原宮で即位した「2月11日」は,「建国記念の日」として扱われている我が国の記念すべき出来事です.

今回は,神武東征以降の中巻の解釈に入っていきたいと思います.
過去記事の繰り返しになりますが,今一度『古事記』の構成を確認しておきます.
1)序: 編纂目的の記述
2)上巻: 天地開闢 〜 天孫降臨の後,神武天皇の祖父・火遠理命のこと
3)中巻: 神武東征と神武天皇の即位 〜 応神天皇のこと
4)下巻: 仁徳天皇のこと 〜 推古天皇のこと
私はこの3巻構成それ自体に意味があるという説をとっております.
その構成は,一般的には以下のように解釈されます.
上巻: 神世の時代(日本各地に散らばる神話をまとめた)
中巻: 伝説の時代(古い言い伝えをまとめた)
下巻: 歴史の時代(記録に残っていることをまとめた)
これを古事記の編纂目的から逆算して,私なりに解釈すると,以下のようになります.
上巻: 日本が統合を始めるまでの騒乱の経緯と諸勢力について「神様」を使って暗示
中巻: 近畿地方を首都とするにあたり権力争いをした各地の王族や豪族を,すべて「天皇」として扱った
下巻: 実際に「天皇」という存在だった人達の話
古事記は編纂当時の「朝廷と権力者,および天皇にとって都合のいい歴史的解釈を普及しつつも,日本各地の豪族のご機嫌取りをする」という重要な役割を担っていますから,上記のことは以下のように言い換えてもいいでしょう.
上巻: 地名や人名,出来事をダイレクトに書くと角が立つ話を,ぼかしてファンタジーにした
中巻: かつての様々な権力者を「歴代天皇」にしておくことで,ご機嫌取りにつかった
下巻: 今に続く天皇のこと
そのように考えると,「上巻」でのエピソードは必ずしも「太古の出来事」ではなく,中巻や下巻に相当する時代に起きた話である可能性もあります.
その上で,中巻に書かれていることを解釈すれば,この部分は何百年にも渡った様々な出来事と素直に読むのではなく,同時期に権力争いをした十数年間のことなのかもしれません.

実際,初代・神武天皇から応神天皇まで実在性は疑われています.
いえ,厳密に言えば応神天皇が実在性が非常に高い天皇とされているのですが,それだけに私は「実際に天皇として即位したことがひと口に膾炙されている人物(応神天皇)を中巻の最後に持ってくることで,天皇の歴史・神話的信憑性を高めようと考えたのではないか?」と思うんです.

これはつまり,神武天皇以下,仲哀天皇までは「今に続く天皇」ではないという主張をしていることになるのですが,では彼らは何者なのかというと,繰り返しになりますが「天皇(に相当する存在)の座を狙って権力争いをした人々」もしくは,「『神武東征(大和国への遷都)』に携わった各地の有力者や王族を羅列しただけなのではないか」ということです.

なので,これは別に「実在性が怪しい」という話ではなくて,応神天皇を除き,彼らはいわゆる「今に続く天皇」ではなく,地方豪族や将軍などを含む有力政治家ということです.もちろん彼らの中には「事実上の天皇」だった者もいて,彼らこそが今に続く日本国と「天皇による制度」の礎を築いた人達ではないかと私は考えます.

これまでの記事で紹介してきた「古事記・上巻の解釈」も含め,各出来事の時期とその理由を整理しておきます.
そうしないと以後の話が理解しづらいので.

まず,スサノオが高天原を追い出されて出雲に降り立った時期は,弥生後期:1〜2世紀頃の話と考えられます.
かつての日本は鉄器を輸入に頼っていたそうなので,近畿勢(スサノオ)が鉄器輸入と外交のルート確保のため,出雲経由・日本海ルートを確保した時期と考えられます.
つまり,スサノオがヤマタノオロチの尻尾から取り出したあの「草薙剣」は,中国や朝鮮製であると考えられます.日本国内での製鉄は5世紀以降だそうです.

その後の「大国主の国づくり」と,続く「葦原中津国の平定(国譲り)」は,2〜3世紀頃の話です.魏志倭人伝によれば,ちょうど邪馬台国が勢力を持っていた時期ですね.
私は邪馬台国は九州と考えていますので,その頃の出雲から近畿にかけての出来事だと思われます.
もしかすると,魏志倭人伝にある「邪馬台国に従わない国(狗奴国)」とは,出雲・近畿勢のことかもしれません.私は四国だと思っていますが.

そうなると,天孫降臨は3世紀頃でしょう.これに続く神武東征も,例の「高地性集落」の築かれ方からして,3世紀〜4世紀に起きた事と考えられます.
天孫降臨と神武東征は,私の解釈によれば「九州・邪馬台国 大ピンチ」状態なのですが,それを示唆するように,ちょうどこの時期から邪馬台国は中国との外交を断っています.いわゆる「空白の4世紀」ですね.きっと,この時期から邪馬台国の外交権が失われたのだと思われます.

なので,私の解釈では神武天皇が即位したのは3世紀末〜4世紀頃ということになります.

しかし,神武天皇が即位したといっても,これは「西方より来たりし軍団が大和国を占領し,統治を始めた」という話を象徴的に語ったものでしょうから,当然のことながら,その後は土着豪族や占領軍内部の権力闘争があります.
特に「欠史八代」と呼ばれる2代目・綏靖天皇〜9代目・開化天皇はもとより,私は古事記・中巻に書かれている天皇は,そうした権力闘争を繰り広げた人達だと考えています.

おそらくは,それぞれモデルがいるのではないでしょうか?
名前を見れば,編纂当時の人々にはそのモデルとなった人物が判別できる意味が.

つまり,この古事記・中巻部分に記録されている天皇とは,そんな経緯のある彼らを推していた身内や党派,地方民衆に配慮するため,「皆さんが知ってるあの人は,実はなんと第◯代天皇という扱いなんですよ!」という物語にすることで御機嫌取りをした可能性もある.いや,政治的文書である古事記ですから,ホントにその可能性は高い.日本人ならやりかねない.

その最後の集大成が応神天皇.
さしずめ,応神天皇とは「戦国時代を切り抜けて新幕府を開いた徳川家康」みたいなものではないかと.彼こそが「今に続く天皇」の初代である可能性があると私は睨んでいます.

実際,私が推定している神武天皇が即位した時期は3世紀末〜4世紀頃でしたが,古事記・日本書紀の設定においても応神天皇・仁徳天皇が即位したとされる時代は4世紀頃とされています.
つまり,神武天皇が大和国を占領したと推定される時期のすぐあとに,実在が確実視されている応神天皇・仁徳天皇が即位した時期がくることになります.

応神天皇の母親であり,三韓征伐で有名な神功皇后は,日本書紀には朝鮮から「七支刀」を受け取ったとあります.
七支刀は4世紀に朝鮮で作られ日本に渡ったものとされていますので,古事記・中巻の最後を飾る応神天皇が4世紀の人物である可能性は非常に高いのです.

このことから,古事記・中巻に記録されている天皇とは,同時期に存在・活躍した有力者たちの記録と考えられるのではないでしょうか.
ご参考までに,ウィキペディアに「『古事記』『日本書紀』の記述をもとに西暦へと対応させた表」が整理されてあります.
上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧

ところで,古事記・中巻において,神武東征の次に有名なエピソードが「ヤマトタケル伝説」です.
では彼は,どのような意味付けがされているのか.

彼の業績は,西征(熊襲と出雲の討伐)と東征(東海・関東勢の討伐).
別に深い意味はないものと思われます.そのものズバリです.

まずは関ヶ原より西の,西日本に残っている抵抗勢力の排除.
九州南部には今回の遷都に不満を持っている勢力はいるだろうし,出雲にしても天孫降臨や神武東征により近畿勢や九州北部勢からの締め付けが緩んでいた可能性もあります.

その後は,東海地方から関東の平定.これはそのままです.
しかし,ここにも「国内向けの古事記」と「国外向けの日本書紀」という差が現れています.
ヤマトタケルの姿は,国外向けには「勇ましく東征する者」になっており,東日本を占領すべく侵攻したことが主張されています.東日本をカッコ良く制圧したことがアピールされているわけですね.

ところが,国内向けのヤマトタケルは「しぶしぶ東征する者」になっており,東日本への侵攻は,その時の政治的な事情であることが推察されるものになっています.
実際,そういう人がいたのかもしれません.権力争いをする中において,どうしても功名をたてなければならない勢力が,嫌々ながらに新規開拓をした,そんなところではないでしょうか.
結局,東征はしたものの,生きて帰ってこれなかったわけですから,そんな無念な思いをした勢力に配慮した物語なのかもしれません.

もっと言えば,ヤマトタケルの出身地,または彼により暗喩させている勢力は「河内国(大阪南東部)」ではないかと思います.
古事記においては,ヤマトタケルは死後,白鳥となって河内に留まり,そして天に昇ったとされているのに対し,日本書紀ではまず首都・大和に帰ってきたとされています.
日本書紀では,明らかにヤマトタケルは「国家を代表する伝説の勇者」ですが,古事記においては「河内ゆかりの若者」と読めます.
これも,古事記編纂当時であれば「あぁ,なるほど.ヤマトタケルは彼らの事を指しているのか」と読まれたのかもしれません.

とは言え,これにより西日本の統治は盤石になり,東日本にも強い影響力を及ぼすようになったことが語られているのが,ヤマトタケル伝説だと思われます.


以上で,古代四国人・補足の記事を終えます.
長い間,私の妄想話にお付き合い頂き,お疲れ様でした.

ところで,どうしてこんな記事を書こうと思ったのか?

よく,「歴史は勝者が書くもの」と言われます.
であれば,逆にそこから出発し,常識的感覚と当時のテクノロジーを踏まえつつ,「勝者の意図」を邪推することで見えてくるものがあるのではないか?
という考え方を広げてみたかったのです.

それに,日本神話・歴史は興味深いことに,国外向けの『古事記』と,国外向けの『日本書紀』の2つが編まれています.しかも,国外向けの方が後年に作成されているのも面白い.
この2つの物語が微妙に違うんですが,その違いについても「勝者の意図」から邪推してやれば,逆に古代の事実が見えてくるのではないかと思ったんです.
人間も国も組織も,そとづらは良くしたいものですから,それだけに本性や本音が垣間見えます.

また面白いテーマがあれば,似たような記事を書きたいと思います.


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