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こんな大学がある国家は万事休すだ

この2月の始めに,
こんな大学は万事休すだ
という記事を書きました.
森友学園問題の直前に書いた記事だったので,当該事件にタイムリーな内容を含んでいます.

その中からちょっとピックアップしてみると,
(2)よく理事が逮捕される
(3)自民党の息がかかっている
(25)理事長が真性のアホなのに,誰も諫言しない
(48)オープンキャンパスで講演料の安い芸能人がトークショーをしている
(57)学生を指導することを「学生をコントロールすること」と勘違いしている
あたりは森友学園問題との親和性を覚えます.

この記事以外にも「こんな大学は◯◯だ」というシリーズは過去にたくさん書いています.
で,それらで言いたいことをズバリ言えば,
「教育業界に見られる振る舞いは,この国の姿を写す影絵である」
ということ.

幼稚園,学校・大学,それらが社会から断絶して単体でおかしな事になっているわけがない.こうした教育界で見られるハチャメチャぶりは,世相や政治の影響を多分に受けているわけです.
私がブログ記事で「こんな大学は◯◯だ」と茶化していることの延長線上には,日本社会と政治経済の在り方があるのです.

気づいてくれている人もいるかと思いますが,「こんな大学は◯◯だ」のシリーズで述べていることを, “大学” ではなく “日本” と読み換えみてください.現代日本の問題点と同じであることが分かってくれると思います.
もちろん,教育界で先行している問題点もあります.「こんな大学は◯◯だ」では,日本の将来を見て取ることができるのです.

例えば「移民政策」.
これは既に教育界で問題になっていたことです.留学生による入学者数の水増しです.
コンビニとか居酒屋でバイトしている若い外国人を見ることが多くなったかと思います.
これは経営難の大学が学生数水増しのためにつれてきた場合が多いんです.
留学生をたくさん受け入れると,日本人学生の勉強や授業展開に問題が発生するのですが,そんなことより経営のためには「学生数」が大事という仕組みになっています.経営難は自己責任という状態なので.

言い訳はいくらでもききます.グローバル化,日本の大学による国際貢献,異文化交流.
でも,そこにある本質的理由は「お金がないから」です.

そんなロジックを了解してしまった社会は,「高度人材の受け入れ」という言い訳をまんまと聞き入れ,移民政策を許容するようになります.
バカなのは政治家ではありません.国民です.政治家は国民の要求を聞き入れているだけです.

移民政策と似ているものに,「外注」「アウトソーシング」があります.
今の大学および「学術学会」は,アウトソーシングの誘惑に負け,なんでも外部委託しようとします.
理由は時間がないからです.タイム・イズ・マネーとはよく言ったもので,お金がないからと学生募集に精を出し,さらには留学生まで連れてくるのですが,いかんせんそんなことしてると時間がなくなるし授業も困難になって疲労困憊です.
そんな時,いくつかの業務はお金を払ってでもアウトソーシングしようと言い出します.
貧乏暇無しとはよく言ったものです.

結果,自分たちで把握している事が少なくなってしまいますから,何かトラブルがあっても適切な対処ができません.
あたふたしている時,世間擦れした一人がこんなことを言います.
「いや,そもそもアウトソーシングなんだから,その外注先に責任をとってもらえばいいんですよ」
「あぁ,なるほどね」
そんなことを会議で話しているうちに,学生に対する責任感が教員・職員からどんどんなくなっていきます.

そうかと思えば,重要な作業や専門的技能が必要な仕事を外部委託せず,予算節約のために自分たち内部の者だけで済まそうとします.
その合言葉は「手作り」「家族のような」「オリジナル」です.

以前,学外スポーツ実習で専門的な技能が必要とされるものに参加したのですが.
その大学は予算節約のために極力内部教員でやろうとしているんです.
場合によっては学生の命に関わることですが,それを「我々には専門的技能がある」ってことにして,内部教員で済まそうとするわけです.まさにそこで言われたのが「手作り感覚」とか「家族のようなプログラム」でした.
冗談じゃない.学生に必要なのは家族ごっこではなく,まともな授業です.

同じことが政治経済にも言えます.結果として手作りになった,家族のようになったのであれば話は別ですが,最初から「手作りにしよう」「家族のような国にしよう」「日本のオリジナリティを出そう」などと目指すのは愚の骨頂.
なんのことはない.この源流をたどれば「アウトソーシングによる責任感の低下」に行き着きます.そう言えば,この国は国家として重大なものをアウトソーシングしていますよね.

ところで,これは先日の「高校生雪崩遭難事故」を想起させているわけではありません.
でも,それと似たようなことが今後発生するであろうことは予想に難くないのです.

大学もバカではありません.当然こうしたことは「予想」できるのですから,そもそもこのような危険性のあることに「取り組まない」という方略で乗り切ろうとします.

これは命にかかわる危険性に限った話ではありません.危険性というのを「労力」とか「投資」と言い換えてもいい.
それに取り組むことで,その危険性に見合った対価が得られないことについては,そもそも取り組まないようにしようという行動パターンになっていきます.

かくして大学で起こっている顕著な例が,キャリア教育は重視するが学術教育が手薄になるという現象.もっと言えば,「指導」や「コントロール」を重視し,「教育」や「陶冶」を軽視する傾向にあるわけです.

偉大な武闘家にして俳優であるブルース・リーは「Don't think. feel」と言いましたが,バカはこれを斜め読みして「考えるよりも行動しよう」とします.
「具体的な行動」によって指導しようとするのが現在の大学です.キャリア教育とか学外実習の充実などが典型ですね.

「具体的な行動の中でこそ教えられるものがある」っていう言葉には強い説得力がありますし,実際に良い利益も得られるのですが,これが前面に出てはいけません.
具体的な行動は具体的に行動できる立場の者がやるべきです.それ以外の者が具体的に行動してもじゃれ合いにしかなりません.
きちんと学生の思考力を鍛えて卒業させるのが大学の在るべき姿です.そして,国民の在るべき姿とは,まともな思考力をもった政治家を政界に出すことです.

「具体的な行動」ほど厄介なものはありません.百害あって一利だけ.1歩進んで99歩下がる活動です.どれだけ1歩を喜んでも,相対的に後退してればダメでしょう.一般的には朝三暮四と言います.

サヨクはもとより,最近はウヨクも「具体的な行動」を重視します.
昔はショットガン持って宿泊所に立て籠もるのが一般的でしたが,最近は拡声器持って日の丸をかかげ,怒りの声を挙げてトボトボ練り歩くのが流行りです.
どちらも反社会的行動であることに違いはありませんが,本人たちにとっては具体的に満足感の得られる具体的な行動なのでしょう.


他にも,いろいろと読み替えられる話があります.
なかにはそのまま読めるものもあります.
・「◯◯戦略会議」と銘打っているのに,話し合われているのがテクニカルなこと
・キャッチフレーズにこだわっている
・経営戦略が単年スパン
・「家族のような組織」を謳う
・派閥抗争する余裕がない
・大本営発表が捏造・歪曲される
・コストパフォーマンスを重視する
・運営陣が以前ドラッカーが好きだった.今はガバナンスを重視している


「危ない大学」を読み替えて「危ない日本」になる一例はこちら↓
・教員が学園バスを運転している(プロパーじゃない人がバスを運転して事故ってる)
・大学名を変更する・変更している(組織の名称がころころ変わる)
・(HPに)学生がジャンプしている写真がある(躍動感に突破口を見出そうとする)
・「学生目線」が経営方針(国民目線が政策方針)
・やたらと「在学生の声」をアップする(なにかと「国民の声」を大事にする)
・学部学科の連携を重視したがる(なにかと連立しようとする)
・学生の「理解」よりも「納得」を重視する(納得することが大事で,理解する気はない.最近は「安全よりも安心が大事」というバリエーションもある)
・学生の主体性を重視しているように見せてはいるが,放任だ(国民の主体性を重視しているように見せてはいるが,自己責任だ)
・心の底では「どうせ偏差値の低い学生に将来はない」と思っている(心の底では「働かざる者食うべからずを政治に反映させたい」と思っている)
・いわゆる「施設課」に相当する部署を廃止した(いわゆる「インフラ」に相当する予算を削った)
・高校訪問を重視しているくせに,イマイチ本腰を入れていない(経済の立て直しを重視しているくせに,イマイチ本腰を入れていない)
・授業評価アンケートで人事が決まる(政治家も労働者も人気度で決まる)
・授業評価アンケートで高得点として発表されるのが体育実技(オリンピックと言えば反対が少ない)
・かの国からの留学生が多い(結局,中国・韓国・東南アジアからの移民が多い)
・図書館を縮小することを検討している(報道の自由度が低下)
・文部科学省からの通達と,その抜け道に詳しい(法令の間隙を突かなきゃ経営できない)
・理事長が真性のアホなのに,誰も諫言しない(国のトップが真性のアホなのに,誰も諫言しない)


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