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4月, 2017の投稿を表示しています

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「東北の方だったから良かった」に潜む諸々の問題点

失言を繰り返した今村雅弘復興大臣が辞任したそうです. 近いうちに辞めるんじゃないかと思っていた矢先のこと. いろいろな意味で哀しみを感じる話です. 事の経緯は以下の通り. ■ 今村復興相 辞任の意向固める 今村復興大臣は自民党の派閥のパーティーで、東日本大震災の復興に関連して、「まだ東北のほうだったから、よかった」などと、被災者を傷つける発言をした責任を取りたいとして、復興大臣を辞任する意向を固めました。安倍総理大臣は、国会審議などへの影響を最小限に抑えるため、速やかに後任人事の調整を進めるものと見られます。(NHKニュース 2017.4.25) そんな今村氏を擁護しようという動きもあります. ■ 二階氏「マスコミはすぐ首取れと」 今村氏辞任で批判 自民党の二階俊博幹事長は26日、都内で講演し、政治家の発言をめぐる報道について「マスコミは余すところなくきっちり記録を取って、一行悪いところあったら、すぐに首を取れと(書く)。なんちゅうことだ」と批判した。 一部を抜き出し,切り貼りして報道するのはメディアのお家芸ですが,だからといってメディアの報道全てが悪いということにはなりません. 本件については, 一部を切り出しているからまだ「マシ」 なだけで,発言の前後を含めれば今村復興相の本音がさらに浮き彫りになります. では,その発言全体はどうだったのでしょうか. 毎日新聞に講演会におけるこの発言の趣旨と,前後関係が掲載されています. みなさんのおかげで東日本の復興も着々と進んでいる。図を見ていただきたいが、マグニチュード9.0と日本観測史上最大、津波も9メートル、死者・行方不明計1万8478人。一瞬にして命を失われた。社会資本等の毀損(きそん)も、いろんな勘定の仕方があるが、25兆円という数字もある。 これがまだ東北で、あっちの方だったからよかった。 けど、これが本当、首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な被害があった。復興予算が32兆円。おかげさまで道路や住宅の高台支援は着々と進んでいる。みなさんにあつくお礼を申し上げる。(毎日新聞2017.4.25) 今村氏はこの発言後,記者会見で以下のように釈明をしています.それがもうダメダメなんです. ――講演でこの前の地震が東北で良かったと。 「これは東北でも

Tomorrowはあるのか

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前回記事では「TOMORROW」の話をしました. でも,この日本では,そんなTomorrowがあるのか怪しい事態になってきたことを感じさせる今日このごろです. 見るもの全てに怯え竦んで,アスファルトに咲く花が一つ残らず吹き飛ぶかもしれません. 私の研究室の窓からは都心部が眺められるんです.いつかこの景色が一変するような事態になるんじゃないかと思い,実は,なんだかんだで気にしているのが「もしも弾道ミサイルがここで炸裂したらどうするか」という脳内シミュレーション. これについては4月21日に,内閣官房が「国民保護ポータルサイト」で弾道ミサイルが落下した場合のオススメ行動を紹介していました. こんなホームページが開設されています.このご時世,「核攻撃があったらどうすればいいのか?」という問い合わせがたくさんあるからでしょうね. ■ 内閣官房・国民保護ポータルサイト そこでは,こんな感じのPDFを見ることができます. 行動について:その2(内閣官房HPより) いよいよ空襲警報が鳴り響く状況に突入したのですね. 空襲警報と言っても,今は「Jアラート」という緊急情報発信システムで周知されるそうです.特殊なサイレン音とか緊急放送とかになるようですよ. その「特殊なサイレン音」はこちら→■ 国民保護のための情報伝達の手段 ですが,ここで「核攻撃」とか「毒ガス攻撃」における準備として考えておかねばならないことがあります. Jアラートが鳴ったとして,こちら側でコントロールできることはほぼありません. それはなぜか? そもそもこの「Jアラート」,どうやらかつての空襲警報と同じように,被害予想後に発せられるものなのです. つまり,弾道ミサイルの発射をもって機械的に鳴り出すわけではなく,日本に着弾する可能性が高く,被害が発生しそうだという内閣官房による見積りを経て発信されるものだとのこと. そこには人間の判断と介入があるわけですから,場合によってはミサイルが着弾する間際にサイレンが鳴り出す可能性があるのです. 北朝鮮からの弾道ミサイルが到達するまでに約10分と言われています.実験目的ではなく攻撃目的であれば不意打ちをするだろうし,着弾することが分かってから鳴り始めるJアラートですから,我々が知れるのは現実的には2〜3分を切ってから

鳥無き島の蝙蝠たち(16)岡本真夜

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岡本真夜オフィシャルHPより このシリーズがだいぶ空きました. 人選が悩ましくて.どうしても高知県に偏ります.ですが,今後,もうちょっと気軽に書くことにします. 今回は珍しく,存命者である「岡本真夜」さんです. 四万十市(旧・中村市)出身なので,私の実家とそう遠くないところの人です. デビュー当時,「オラたちのところから歌手が出た!」と騒がれていたのが懐かしいですね. ■ 岡本真夜 (wikipedia) 阪神淡路大震災でてんやわんやして,地下鉄サリン事件とオウム事件に震撼していた1995年にヒットしたのがデビュー曲の「TOMORROW」でした.その年,紅白歌合戦にも出場しています. 涙の数だけ強くなれるよ アスファルトに咲く花のように 見るもの全てに怯えないで 明日は来るよ君のために youtube→ https://www.youtube.com/watch?v=3mRC2yEgDiw 歌やカラオケを一切嗜まない私が,一部だけとはいえ歌詞を覚えている極めて稀有な曲です.もちろんCDやテープを持っているわけではないのですが,かなり流行っていたし, 覚えやすい歌詞でした. あと,これで「Tomorrow」の意味とスペルを覚えました.なんでRが2つついてるんだろう?とか思ってたのも懐かしいです. ものすごく分かり易い歌詞で,ちょっとこそばゆい感じもしますが,臨床精神が素直に表現された綺麗な曲だと思います. その後もたくさんの曲を作り続けて現在に至ります. 高知や四国から出る芸能人ってそうそう多くはないのですが,それだけに「鳥無き島の蝙蝠」を体現している方々が多いとも言えます. 実は,そういうことを裏付けるような現象があるんです. 最近,このブログではスポーツとファッションに関する記事を扱うことが多いのですが,そこで調べているうちに興味深い話をみつけました. なんでも,「ファッションへの意識」について都道府県別にみると,その意識が高いのは高知県なんだそうですよ. ファッションと身体に関する研究をしている鷲田清一氏によると, 東京で流行しそうなファッションが実際に流行するのは地方,なかでも高知県で顕著 なのだとか.例えば,女性のスカート丈の長さ変化は,東京や大阪よりも高知の方が顕著なんだそうです(『おせっかい

井戸端スポーツ会議 part 45「スポーツカーのこと」

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最近,スポーツとファッションに関する記事を書いたんですが,その延長線上に「スポーツカー」の話があると思うんです. 以下,そんな話をしてみます. ところで今日,こんなニュースがありました. ■ 日産スカイラインが「還暦」 販売は最盛期の40分の1 若い世代に支持されたスカイラインも、昨年の販売は約4千台と最盛期の40分の1。2015年度の日本自動車工業会の調査では、車を持たない若い世代の7割が「車に関心がない」と答えた。日産の星野朝子専務執行役員は「日本の若者の熱情を集めた車がスカイライン。いまの若い人たちにも楽しさが伝わるといい」と話した。 スカイラインと言えば,私にとっては「父」の車です. なんでも,私の父は若い頃にスカイラインを3代に渡って乗っていたと自慢しています. 以下,それらのスカイラインです.ウィキペディアから写真を引いてきました. 3代目スカイライン C10 4代目スカイライン C110 5代目スカイライン C210 私にも小さい頃の記憶として,我が家にセダンタイプの車があったことを覚えています. サイドミラーがドアとフロントガラスの根っこではなく,前輪の上・ボンネットのところについていました.懐かしいですね. そしてこれだけは言える.うちの父にC110は似合わない. 父としては高知の片田舎で家庭をもったこともあり,ちょうどバブル崩壊もあったのでスポーツカーはいらないと考えたようで,私が保育園を卒業する頃に手放しています.だからスカイラインがあったことを覚えていますが,乗っていた記憶はほとんどありません. そんなスカイライン.上述記事にあるように,まさに30〜40年前は若者の車だったわけです.父も20代〜40歳にかけて乗っていたものなので. ところがこのスカイライン.私も「いつかは乗ってみたい」と思っていたのですが・・・. 今はこんなフォルムです. 13代目スカイライン V37 なんていうか,これじゃない感があります. はっきり言ってダサい. それで,お値段なんと400万円超. さっき,写真元でもあるウィキペディアで「歴代スカイライン」を眺めてみたんです. ■ スカイライン (wikipedia)

外れ値や異常値を判断する統計処理をエクセルでやる方法

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「スミルノフ・グラブス検定」を紹介します エクセルだけで統計処理するシリーズです. 今回は,これまでネットであまり取り上げられていなかった「外れ値」や「異常値」ではないかと思われるデータの処理について取り上げます. かなり以前から「ネットにあがっていないから」と思って取り上げるつもりだったのですが・・・,のんびりしているうちに,どうやらウィキペディアにも掲載されるようになりました. ■ 外れ値 (wikipedia) でも,具体例を使ってエクセルで算出しているブログ記事があるのも良いかと思います. 以下の記事を読んでも不安がある場合や,元の作業ファイルで確認したい場合は, このリンク先→「 統計記事のエクセルのファイル 」から, 「外れ値の算出」 のエクセルファイルをダウンロードしてご確認ください. データを取ってみたところ, 「これって外れ値や異常値じゃないか?」 というのは,例えば以下のようなものです. Iさんが「48」ということで,他の人たちよりちょっと大きい数値です. これが何かしらのエラーや記入ミスなどで起こったものかどうか判別したいというケースはありますよね. クソ! こいつさえ居なければ・・,こいつさえ居なくなれば有意性がある(ない)と言えるのにぃ! って悔しい思いをしている人は多いことと思います. もしくは,もっと穏やかで健全な理由として 「一般的で平均的なデータだけを扱ったことにしたい」 という人もいるでしょう. つまり,この集団と計測データの平均的な分布パターンから,その当該データが統計学的に大きく離れた値であることを示したい. 「だからこの値を異常値として除外した」 と言いたい(できれば「統計学的に有意性が認められたため」と言い放ちたい)ということです. 考え方としては,「平均値および正規分布からどれだけ離れた値なのか?」を示すことになります. 似たような統計処理に, 「1サンプルのt検定」 があります. 「そっちの方が知りたかった」という場合もあるかもしれません. 遥か昔に記事にしていますので,こちらもどうぞ. ■ あまり知られていないt検定 では,計算に必要なデータを算出しましょう. まず,平均値と分散です.以

井戸端スポーツ会議 part 44「スポーツの精神が大切なわけ」

前回記事である,「小林秀雄が語るスポーツの精神」ですが,ちょっと抽象度が高い話だったかもしれないので,もう少し具体例を挙げて話してみたいと思います. その前に前回記事をまとめると, ヒトはスポーツをしなければ人間たり得ない. 危険な登山を楽しむ者が遭難したとして,それを「無駄」「迷惑」と切って捨てるのは人間のすることではない.むしろ,スポーツする者に対し,「無駄」「迷惑」という観点から論じる社会は,おおよそ健全な人間社会ではないと言える. スポーツする者には対しては,スポーツの精神から論じられる必要があるだろう. といったところです. スポーツごときにどうしてそんな言われ方をされなければならないのか? と不満の方もいらっしゃるでしょう. そして,前回記事だけでは「スポーツの精神」がどのように人間社会に影響しているのか納得できなかった人もいるかもしれません. スポーツの精神が大切なわけを考えてみます. 例えば小林秀雄は,著書 『人生について』 でこう述べています. リアリストというものをひと口で定義するなら,好きなものは文句なく好き,嫌いなものは文句なく嫌いだという信条の上に知恵を築いている人だ.利害打算に追われ,現実的観察なぞに追われている人々が,実はどんなに不安定な夢想家であるかを見抜くのは,難しいことではない. スポーツに取り組む者の姿勢と,それを取り囲む人々の眼差しは,この社会の縮図と言えるのではないか. 小林秀雄が言いたいのはそういうことではないでしょうか. 登山で遭難する者をみて,これを「無駄死」だとか「迷惑をかけているから辞めろ」などと評価し,危険を承知で「人間らしい欲望や情動」に動かされて行動,判断する者を嘲笑う.そのような者たちを「リアリスト」と呼ぶのであれば,それは違うと小林秀雄は言います. 真の「リアリスト」は,人間,いつどこでどのように死ぬのか分かったものではないし,確実に予測可能な判断というものなど存在しないと考えます. であるならば,我々にできるのは 「自らの信条に基づく生き方」 を,慎重に,かつ堅実に貫く知恵を磨くことなのです. 「現実的には,アメリカの圧力があるから,今は売国的になるのは仕方がない」といって政権や政治家を擁護する人がいますよね.主に保守・右翼系に多いです. 逆に左翼系には,

井戸端スポーツ会議 part 43「小林秀雄が語るスポーツの精神」

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先月, ■ 大学生用:一人で運動しよう という記事を書いて,「雪山の武甲山に登ったよ」という話をしました. そこでは, 「単独登山は危険ではないか?」については,また別の機会に取り上げます. ってことにしていましたので,ここでそれを取り上げます. そう言えば 昨日の記事でも,少し前に発生した「雪崩遭難事件」のことにも触れましたので,この手の「 危険が伴うレジャー・スポーツ 」に関する話をしたいと思います. 本件について,マスメディアでも学術界でもいろいろ論じられていますが,今回はちょっと毛色の違う引用をしてみました. 小林秀雄 著『人生について』 に掲載されている「スポーツ」からの引用です. 小林秀雄は「批評家」として知られる著名な作家,文芸評論家です. ■ 小林秀雄 (wikipedia) 保守思想家としての側面も持っているとされますが,私はまだイマイチぴんと来ません. ただ,この人の著書や講演音声記録は以前から目・耳に入れているのですが,スルメのように噛めば噛むほど味わい深いので気に入っています. そんな小林秀雄ですが,実は大のスポーツ好きだったという話はあまり目にしませんね. 本人もいろいろな評論文で言及しており,スキー,野球,ゴルフ,登山などを熱心に楽しんでいたようです. ゴルフを嗜む小林秀雄 wikipediaより 上述した『人生について』で,小林は「危険が伴うレジャー・スポーツ」について論じていますので,それを引いてみます. 新聞を見ていると,近ごろ,山の遭難が非常に多い.まことに遺憾なことである,と世の識者は嘆いている.むろん,遺憾でないことはないのだろうが,貴い青春を,たかが山登りなぞというつまらぬ遊びで失うのは愚の骨頂だ,という意見には組することはできない.考えてみれば人生,なんのために死ぬのが愚であるか,わかったものではない.そんな高踏的な意見を,私は持っていない.ただ私は,スポーツが好きだから,スポーツの好きな人々のスポーツから来る幸不幸には,スポーツの精神をもって対したいというまでだ. 「スポーツの精神をもって対したい」というのが重要な視座です. スポーツの精神をもって対すれば,登山における遭難事故に対する批判,例えば,「レスキュー隊を出すにも予算がかかるんだ」「危険な登山は自己中の

こんな大学がある国家は万事休すだ

この2月の始めに, ■ こんな大学は万事休すだ という記事を書きました. 森友学園問題の直前に書いた記事だったので,当該事件にタイムリーな内容を含んでいます. その中からちょっとピックアップしてみると, (2)よく理事が逮捕される (3)自民党の息がかかっている (25)理事長が真性のアホなのに,誰も諫言しない (48)オープンキャンパスで講演料の安い芸能人がトークショーをしている (57)学生を指導することを「学生をコントロールすること」と勘違いしている あたりは森友学園問題との親和性を覚えます. この記事以外にも「こんな大学は◯◯だ」というシリーズは過去にたくさん書いています. で,それらで言いたいことをズバリ言えば, 「教育業界に見られる振る舞いは,この国の姿を写す影絵である」 ということ. 幼稚園,学校・大学,それらが社会から断絶して単体でおかしな事になっているわけがない.こうした教育界で見られるハチャメチャぶりは,世相や政治の影響を多分に受けているわけです. 私がブログ記事で「こんな大学は◯◯だ」と茶化していることの延長線上には,日本社会と政治経済の在り方があるのです. 気づいてくれている人もいるかと思いますが, 「こんな大学は◯◯だ」のシリーズで述べていることを, “大学” ではなく “日本” と読み換えみてください.現代日本の問題点と同じであることが分かってくれると思います. もちろん,教育界で先行している問題点もあります.「こんな大学は◯◯だ」では,日本の将来を見て取ることができるのです. 例えば「移民政策」. これは既に教育界で問題になっていたことです.留学生による入学者数の水増しです. コンビニとか居酒屋でバイトしている若い外国人を見ることが多くなったかと思います. これは経営難の大学が学生数水増しのためにつれてきた場合が多いんです. 留学生をたくさん受け入れると,日本人学生の勉強や授業展開に問題が発生するのですが,そんなことより経営のためには「学生数」が大事という仕組みになっています.経営難は自己責任という状態なので. 言い訳はいくらでもききます.グローバル化,日本の大学による国際貢献,異文化交流. でも,そこにある本質的理由は「お金がないから」です. そんなロジックを了解してし

代わりが誰かいるために

前回の記事では「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」について,そもそも代わりが誰もいないことこそ絶望的な問題であり,むしろ, 「代わりが誰もいない」ことを無自覚的に望んでいるウヨク的世論 の絶望性を述べました. 彼らは誰か代わりが欲しいのではなく,代わりが誰もいない状況が嬉しいのです.お花畑ですね. ■ まだ言ってる「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」 しかし,何度も繰り返しますが「代わりが誰もいない」ことは一つの国家として極めて恥ずかしいことです.ここにその国の民度が現れます. 「代わりは誰かいるのか?」という態度それ自体が問題 なのですから,そうならないように気をつける必要があります. 「代わりは誰かいるのか?」 これは「英雄待望」のメンタリティです. そんな人に限って「草莽崛起(身分を問わず在野の民が決起すること)」とか言ってたりします.矛盾です. いえ,草莽崛起を批判したいわけではありません. ちゃんと草莽崛起するべきだと思います. そもそも,草莽崛起とは何でしょう?  これもちゃんと意味を調べておいたほうが良いです. 「草莽崛起」の発言者として有名なのが,幕末のグレートティーチャー・吉田松陰です. 有名人なので詳細は割愛します.知らない人はウィキペディアを御一読ください. ■ 吉田松陰 (wikipedia) そのウィキペディアに「草莽崛起」が紹介されています. ■ 吉田松陰・草莽崛起 (wikipedia) 吉田松陰は初出の手紙でこう述べています. 「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし.草莽崛起の人を望む外頼なし」 つまり,「今の政治家たちはバカ過ぎるから期待できない.ここは庶民が立ち上がることに期待したい」という意味です. まさに現代社会にも当てはまりますね. 気をつけなければいけないのは,この着想は「革命思想」につながることです. しかし,吉田松陰は「一君万民論(天皇のもとに万民は平等)」も唱えており,それなりに賢い人が聞けば危険性はありません. ■ 一君万民論 (wikipedia) 一君万民の思想のもと,草莽崛起するということです.これであれば筋が通ります. そう考えると,草莽崛起と言いながら安◯首相を応援するっていうのが意味不明であることが分かると思います

まだ言ってる「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」

もう2年以上前になりますが,こんな記事を書きました. ■ 「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」の愚 2年以上経つのに,一向に状況は変わりません. 2年って,あっという間に過ぎるものですね. 今回もう一度,本件を取り上げてみたいと思いました. その前に,上記の記事ではどんなことを書いていたのか. 長いですが,言いたいことが変わってるわけじゃないので,その趣旨を引用します. 『ニコニコ動画』とかで政治系の動画を見ておりますと,たまに目にするコメントが, 「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」 「じゃあ,誰だったらいいんですか?」 「代わりの人が誰なのか言えないのに,批判だけなら楽ですよ」 なんていうものです. Yahooニュースのコメントでもたまに見ることがあります. こういうのって,今ならほぼ100%現総理大臣・安倍晋三についてのやり取りにおけるものなんですけど. (中略) 代わりは誰かいるのか? えぇ,いるでしょ山のように. 同じ党(現時点では自民党)にいっぱいいるじゃないですか.誰に代わっても大丈夫なように党を組んでいるわけで,そのための「政党」なんですから. 「いや!ア◯ちゃんしかいない!他の奴ではダメだ!」 って叫ぶ人もいるかもしれませんが・・,そういう人に聞きたいのは, では,現総理大臣が事故や病気,トラブルなどで急死したり政治家をやれない状態になったらどうするんですか? この国は終るのでしょうか? そんなことは無いですよ.次を担当する総理大臣が粛々と引き継ぐだけです. 良きにつけ悪しきにつけ,この国の政治を民主主義で執り行っている以上,一般国民の意見が時の政治に反映されることになります. つまり,現政権が行っている政治とは,現在の一般国民の多数派の意見が取り入れられているということです. もっと言うなら,その時の一般国民の意見を集約して具現化する装置が政権ということになります. であるならば,時の政権がやろうとしていることについて,一般国民は積極的にイチャモンをつけなければ民主主義が成り立たないのです. もし時の政権に対して随時国民がイチャモンをつけて修正改善を要求しなければ,それは王様を多数決で決めているようなものになってしまいます. 皆で王様を決めたら,あとはその王様の意見に従おう,と,そういうこ

「笑ゥせぇるすまん」が始まったよ

昨日から動画配信サイトであるHuluでも『笑ゥせぇるすまんNEW』が配信され始めました. 実は以前からずっと楽しみにしていたんです,このアニメ. ■ 笑ゥせぇるすまん (wikipedia) 昔のテレビアニメ版は,私も子供の頃にも見ていました.たしか「ブロードキャスター」という少し深夜系番組の途中で流されていたものです. 密かなファンでした. この『笑ゥせぇるすまん』ですが,見る人を選ぶ作品だと思います. それだけにちょっと気にしておきたいのが, 今の日本社会でこれを放送しても評判は芳しくないのではないか? ということ. さしずめ,「時代が追いついた」のではなく,「時代を追い越した」作品. いや,違うな.「時代を追い越しすぎて,時代を周回遅れにしている作品」だとも言えます. だからきっと,そのうちこんな評論やコメントが出るはず.「笑ゥせぇるすまんで描かれていることに懐かしさを感じる」とかなんとか. いやいや,お前が周回遅れなだけですから,って. 試しに,機会があったら原作や昔のアニメ版を見てみてください. まさに「予言」とも言える内容に,「これってこの『現代』のことじゃねえか!」って驚愕しますよ. 「笑ゥせぇるすまん」は,現代人が特有的に持っている俗物根性や醜悪性を,ほんのちょっとくすぐってみせ,それを盛りに盛って悲劇としている点が面白いところです. 今回の「笑ゥせぇるすまん」のオープニングテーマは「Don't」(作詞作曲:NakamuraEmi)という曲だそうですが,その歌詞が秀逸で,まさに「笑ゥせぇるすまん」の内容そのもの. ほろ酔いくらいがちょうどいいのに,どんどんカクテル美味しいお酒 ナチュラルくらいがちょうどいいのに,どんどん濃くなる厚化粧 手に入れたい 満たされたい 気持ちがいい 一歩折れたらドツボ 昔話で教わった 欲張りはあとで懲らしめられる ちょっと待ってよ天狗になってない? ダサい大人ここでおしまい おいおい,子供がお前を見てるぞ スポットライトもいいけど,木漏れ日は最高だろ ところが私が感じるところでは, 「笑ゥせぇるすまん」で取り上げるこの「現代人の俗物根性や醜悪性」というのは,実はこの現代においては「俗物」とも「醜悪」とも思われていないのではないか? という点です. そうなると

女子大に「体は男性、心は女性」の学生を受け入れられるか?

こんなネット記事がありました. ■ 女子大は「体は男性、心は女性」の学生を受け入れるべき? (Yahoo!意識調査) 私は「大学次第」だと思っています. 別にどっちでもいいです. 大学がやりたい教育方針と,在学生との相互関係のなかで決めればいい. ちなみに,世論の意識調査としては, 受け入れるべき:22% 受け入れる必要はない:61% わからない/どちらとも言えない:17% (2017年4月4日現在) となっています. まあ,この手の話,つまり性的マイノリティにかこつけた「男女平等はどこまで進めるべきか?」とか「男女差別の象徴的事象」に関する話は,あの手この手で現れてきますが,一つの指標としては「トイレを男女共同にするべきか?」「女性専用車両を取りやめるべきか?」といったところに行き着くかと思います. 女子トイレに男性の姿形をした人が入れる社会になった時,女子大にも男性の姿形をした人が気兼ねなく入れるようになるでしょう. 「大学とトイレを一緒にはできない」と言い出す人もいるかもしれませんが,いやいや,両者は基本的には同じことです. 実際,男子トイレに女性(特に清掃員)は入ってくるし,女性専用車両以外には女性も乗れます.女性はメンズ服を簡単に着れますが,男性がレディース服を着るのは容易ではありません. 男子大が早々に廃れ,女子大が根強く残る理由はここにあると思われます. この問題の本質は, 「内面とは外面のことである」 「男性は女性の領域には入れないが,女性は男性の領域に入れる」 という,ちょっと哲学な話になっていくのですが・・・. そんな難しい話は抜きして,ひとまず女性という存在はそういうものだと捉えておきましょう. どうしても気になる人は,   を一読することをオススメします. そもそもこれに明瞭な答えはありませんし,皆で気合を入れて論じあったところで,社会的に良い考えが生まれるわけでもない. 大局的にみれば,こんなことにグチグチ言う方がおかしいんです. 「 この際,女子大の存在意義を見直したほうがいいのでは? 」 などと知ったような口を聞く人もいますが,事はそんなに大げさな話ではありません. 女子だけの環境で学びたいという要望があり,女子だけで学ばせたほうが学習が円滑に進むという経験則と