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じゃあ,どのラーメンが一番旨いのか?

東京のラーメン,実は旨くないよ. ってことを最近の記事では取り上げてきたわけですが,そんなこと言っていると, 「じゃあ,どのラーメンが一番旨いのか言ってみろよ」 なんていう文句を言ってくる人が必ず出て来ます. つまり,私がこういう話題で伝えたいことをぜんぜん汲み取ってくれていないんです. 私はどういうラーメンが旨いのかっていう話をしているわけでありません. ラーメンを食べるために行列を作ったり,激戦地で生き残る店は旨いと評価したり,斬新な味付けにしたラーメンを「これぞ至高の味わい」とばかりに持ち上げる精神を批判しています. 福岡出身で博多ラーメンをこよなく愛する知り合いの先生が言うには,「 ラーメンは,おやつ 」.小腹が空いたときにササッと食べれるファストフードとのこと.作り方の何をこだわっているのか知らないけど,注文してから5分以上待たせる店はダメ.ましてや行列ができているなんて言語道断.しかも最近は,東京人に持ち上げられて調子に乗っている博多ラーメン好きもいたりする.すでに彼らは博多っ子ではない,それこそ『東京人』です. 激しく同意します. ※そう言えば,「東京人が博多ラーメンだと思っているもの,あれって久留米ラーメンのことだよね?」ってことも言ってました. いつから「ラーメン」が一級の料理になってしまったのか. 傍から見ていますと,まるで「マクドナルドのハンバーガーのどれが美味しいのか?」っていう議論を頑張っているようにしかみえません. 誤解しないで下さい.ラーメンは下劣な料理だと言っているわけではありません.マクドのハンバーガーと同じような階級と位置付けをもった料理だということです. どれだけ多様で予算と時間をかけようと,やっぱりラーメンはラーメンです.酒を飲んだ帰りに,よせばいいのに食べてしまう料理がラーメンなのです. マクドのハンバーガーに行列を作ったり,「照り焼きチキンこそ至高の味わい」などと言う奴はいないでしょ,ということです. もちろん,マクドのハンバーガーが悪いと言っているわけでもありません.マクドのハンバーガーは,それはそれで味わい深いものがあるでしょう.これに思い出がある人もいるし,状況によってはとても便利で美味しいわけです. それに,マクドのハンバーガーでなくても,自分でこだわって「ハンバーガー

東京ラーメンと生物兵器教員:追記

しつこいと言われようと,本件についてもう少し述べておきたいことがあります. 以前の私の上司である生物兵器教員について書いた記事に, ■ 私をほめなさい。300字程度で。 というのがありましたね. 信じられないかもしれませんが,そのタイトル通り,件のキチ◯イじみた俗物教員は,「私をほめなさい。300字程度で」と私に指示しました. 彼が登用されたのは,昨今の大学改革が進む中にあって必然でした.現在の大学は,総じて彼のような「無能で無責任な破壊者」を欲しています. でもこれは最近のウヨク,そして東京人の特徴でもあり,彼らはこの大学教員と驚くほど行動パターンが同じです.とても興味深い. ■ ショートケーキ ■ やっぱり東京を諦める その生物兵器教員の行動をみていると,現在の日本が見えてくる.これは今年ヒットした映画『シン・ゴジラ』の分析と同じです. ■ シン・ゴジラ再考 ※ちなみに,『東京人』というのは「東京都在住の人全て」を指していません.詳しくは前回記事, ■ 東京ラーメンと生物兵器教員:補足 をどうぞ. さて,「私をほめなさい。300字程度で」のどこあたりが,東京人化してきた最近のウヨクと共通しているのか? そのままズバリです. 昨今のウヨクは「私をほめなさい」という態度をとっています. しかも,「300字程度で(なるべく簡単に)」ということを求めている. 自分たちがどれだけ優れているか,外国人からほめられているか,他国に威張れるものがあり,また実際に威張ることができているか,ということであり,しかも例の生物兵器教員と共通するのは,“ それでいて自分は謙虚で控えめな態度をとっている,という評価を欲しがっている ” という点です. 一歩間違えば「病院」行きのように思えますが,残念ながらこれを西洋医学的な疾病とは見做せません. 当該記事で紹介したように,その教員が私に「私をほめなさい」と指示したのは,自身の手で己をきちんと “ほめられなかった” からでした. だから他人にそれを求めたのです.他人に自分をほめた文章を書かせ,それをパクろうとした. ここには,自分がどのような人間であり,その組織にとってどのような貢献ができているのか分からない,考えようともしない者の痛々しさが見えます. 彼について「ほめるべき部分がな

東京ラーメンと生物兵器教員:補足

ここ1週間くらいの記事は「東京ラーメン」と「大学教員」についてでした. 言葉足らずなところがあったので補足しておこうと思います. まず,私は東京のラーメン店はどれもこれも不味いと言っているわけではありません. 美味しいお店もあります.でも,『東京人』という人種が好む味に合わせて作られているお店が圧倒的なので,どうしても残念な味の店が多い. これは仕方ない側面があります.そうでなければ営業を続けられないんだから. 東京に進出している,某「博多ラーメン」のお店に,これまた行列ができていました. 東京人にも博多ラーメンの味が好まれるものなんだなぁと思って,行列ができていない時に入ってみたんです. やっぱりです.豚骨フレーバー全開の強烈な味付け.東京人というのは,こういうのが「本物の博多ラーメン」だと認識して楽しんでいるのでしょう. 以前,博多で仕事をした時に,せっかくだからと空き時間に中洲付近の屋台ラーメンを食べに行きました. 時間がなかったこともあり,タクシーで向かったんです. で,タクシーの運転手さんに「ここらへんでオススメできる屋台ラーメンはどこですか?」って聞いたら, 「屋台でやってるラーメンは,まだお店が持てない人がやってるんです.普通のお店のラーメンの方が間違いありませんよ.それにあれ,観光客向けにやってるところが多いですし」 って言うんです. まぁ,そりゃそうだ.一同,納得. まるで香川県の讃岐うどんみたいですね.讃岐うどんも,香川では「地元民用」と「観光客用」とにお店が分かれています. ちなみに,高知県のカツオのたたきもそうです. タクシーの運転手さんにいくつか候補を挙げてもらい,その中から地元の人が通うオススメ店を選択しました. 地元民用ですから,たしかに繁盛しているけど行列はできていないお店. 味はというと,たしかに濃厚で強いスープなんですけど,臭みのない滑らかなもので,想像していたような豚骨らしさがないね,と同僚たちと話したことを覚えています.もちろん美味しかった. たぶんですけど,東京人が魅力的だと感じた博多ラーメンというのは,ご当地博多の人達からすれば「豚骨くささが抜けきれていないラーメン」ではないでしょうか. 豚骨くさければ博多ラーメン,豚骨くさければOK,みたいな. だから高知のカツオのた

東京ラーメンと生物兵器教員

ここ3回の記事がこれです↓ ■ 東京ラーメン再考 ■ 私をほめなさい。300字程度で。 ■ ショートケーキ さて,お察しのいい人はお気づきかと思いますが,前回・前々回の記事でご紹介した「生物兵器教員」とは,まさに現在の日本国民,わけても『東京人』のそれと同じです. 東京人を濃縮還元したのが,例の生物兵器教員です. え? 例の生物兵器教員は関西弁だったじゃないかって? 良い指摘ですね. 『東京人』は,なにも東京に住んでいるとは限りません.全国各地に東京人はいます. 東京に住んでいることで養われやすい気質,それが東京人です. これは『江戸っ子』と同義ではありません. むしろ対極かもしれない. 例えば「水俣病」は,水俣市だけで発生するわけではありません.原因は化学物質による公害であり,たまたま水俣市で頻発したからそう呼ばれるだけ.これと一緒です. ウヨクがよく好む侮蔑語に『 朝鮮人 』という言葉があります. 朝鮮半島に住んでいる人皆が嫌われる人たちだとは限りませんが,それをウヨクは一括りにしてそう呼ぶ. 『東京人』とは,それと同じものだと思ってください. ですが,これだけは言える.東京人の方が朝鮮人よりも人類,少なくとも日本人にとっては脅威です. 東京人とは,都市型俗物とも言い換えられるでしょう. 『東京人』それは,真言宗の開祖・空海が最も恐れた人種です. ■ 鳥無き島の蝙蝠たち(4)空海 あと,福田恆存も釘を差した. ■ 俗物が俗物から遠ざかるには 4ヶ月前ですが,東京都知事選の前にこんな記事を書いていました. 東京人は舛添要一氏を辞めさせた後,彼と同類,もしくはもっと酷い人物を都知事に選ぶはずだと. その通りになっているようですね. 鯛の活け造りが食べたかった東京人は,塩焼きを見せられ「活け造りにしてほしい」と頼みました. でも,現在の東京という場所で活け造りを食べることは無理です.絶対無理なんです. だったら塩焼きであってもそれを美味しく食べればいいものを,活け造りがダメなら何が出来るんだ? と聞いてくるので,「まぁ,炊き込みご飯くらいですかねぇ」っていうことになったから,「塩焼きは嫌だから,炊き込みご飯に変更だ」というわけで,塩焼きから作り変えたボソボソの残飯みたいな炊き込みご飯が出されたとしても,

ショートケーキ

昨日の記事である, ■ 私をほめなさい。300字程度で。 でご紹介した「生物兵器教員」ですが,最後の方で「 過呼吸患者にショートケーキを食べさせた 」という話をしました. 何のことか分からなかったかと思います. せっかくなので,このエピソードも詳細にお話しておきましょう. 『ショートケーキ事件』 ある夏の日の夕方,たぶん午後5時ごろだったと思います. 私が大学の研究室で仕事していたら,携帯電話が鳴りました. 例の生物兵器からでした. 電話に出てみると,生物兵器はこう言います. 「おぉ,◯◯先生か? お疲れさん.今な,俺はクラブの合宿でホテルにおんねん.でな,今ここで体が痙攣してる奴がおんねん.どうしたらえぇと思う?」 「あんたスポーツ指導者でしょ.自分でなんとかしろよ」 って思いましたが,学生選手が筋痙攣を起こしているようなので,助言だけでもと気持ちを切り替えます. 「どこが “つって” るんですか? ハムですか? ふくらはぎですか? つっている筋肉をストレッチしてあげるといいですよ」って言うと, 「ちゃうねん,全身やねん.ここで体を丸めてビクビク震えてるんやわ.仰向けになってぶっ倒れてるわ」って. こりゃただ事ではないと思いましたので,「それ,救急車呼んだほうがいいんじゃないですか?」って聞くと, 「ん? そうか? ちょっと聞いてみるわ,(おい,お前,大丈夫か? 救急車はいるか? ん? そうか)もしもし,あのなぁ,いらん言うてるわ.救急車はいらんねんて.どう思う?」 絶望的な状況がそこにはあったのですが,気を取り直して助言をします. 「先生,本当に救急車はいらないんですか? そこどこですか? グラウンドですか?」 「ちゃうねん,ホテルのロビーやねん,1階やわ.ソファーがあるわ」 「そうですか.あのぉ,周りに誰かいませんか? ホテルの人とか」 「ん? そうか? ・・いや,おらんわ.受付にも人はおらんなぁ.こういう時はどうしたらえぇと思う?」 「あの,その学生,大丈夫なんですか? 大丈夫に見えますか?」 「ん? そうか?,ちょっと聞いてみるわ,(おい,お前,大丈夫か? ん? そうか),あ,もしもし,大丈夫言うてるわ.大丈夫やわ」 「あのぉ,・・・・じゃあ,安静にして大至急,誰か呼んでくだ

私をほめなさい。300字程度で。

以前私が勤めていた大学の上司であり教授の一人に,想像を絶するほど仕事が出来なさ過ぎた人がいます. オブラートに包まず評価すれば「無能」の極地なのですが,いかんせんこういう奴ほど自分を有能に見せたがるし,もっと言えば,たちの悪いことに “そう思い込んでいる”,つまり自己暗示をかけて催眠状態に入っているという状況がそこにあります. 大学教員には変わり者が多いと言われますが,それが過ぎると 生物兵器 です. そう言えば昔,この人についてはこんな記事を書いたこともありましたね. ■ 反・大学改革論3(学生はお客様じゃない) そこで述べた,私に向けて「 お前,金が欲しくないのか!? 」って,どこぞの悪代官みたいに脅してきた人がそれです. 「下衆」「醜悪」「俗物」,いろいろな表現を考えてみるものの,最適なものが思いつきません.強いて言えば「キチ◯イ」が最も適切でした. 結局,その大学ではあの手この手を駆使されクビになったのですけど,クビになるまでの経緯が「昼ドラ」もびっくりの展開だったようです. まあ,こういう生物兵器級の大学教員の存在というのは,大学の職場ではよくあることの一つでして. たいてい,それによって精神疾患を発症する人が出たり,少なくない自殺者が発生します.笑い事のようですけど,結構な件数を耳にします. 刺すか刺されるか..,否,“刺され潰される” 殺伐とした職場に,性格がひん曲がる若手教員もいますし,頭がおかしくなってしまう職員さんもいます. 私の知り合いの女性研究者も,某有名大学の研究所に勤めてしまったことがきっかけで,常時クスリをやってんじゃないかと思うような性格になってしまいました(実際,ちゃんとした『薬の服用』はやっている). 大学教員に変わり者が多いのは,そういうエキセントリックな環境に長時間曝露されたからなのかもしれませんね. 私もそんな上司がいる職場に一時期いたことがありますが,こんなブログを書いているくらい “変わった性格” の持ち主ではありますので,致命的ダメージを受けずに今に至っています. 無能のくせに「有能」を装う上司は,摩訶不思議な命令を発することがあります. 例えば,私にメールでこんな指示を送ってきた奴がいました. 「 私をほめなさい。300字程度で 」 事情を知らない人にとっては解読不能

東京ラーメン再考

既に何度か同じテーマで話してきていることですが,最近また同じ気分にさせられたので “一地方民” として述べておこうと思います. 「しつこい」「面白くない」と言われようとも,これは誰かがちゃんと言わなきゃいけないことだからです. 類似過去記事はこちら. ■ 続・東京人と中国人はよく似ている ■ 都知事選と抹茶ビールの間にあるもの ここ東京はラーメン激戦地なんだそうです.たしかに流行りのラーメン店が群雄割拠な状態にあります. でも,このことを東京人には教えてあげなければいけません. 「東京人が『旨い』と言っているラーメンは,概ね不味い」 なぜ教えてあげなければならないのか? それは,東京のラーメンが全国津々浦々の中でも,とりわけ「レベルが高い」と勘違いさせることになるからです. 東京のラーメンは格別美味しくありません.むしろ味付けのレベルは低い方だと思います. たかがラーメン,たかが一つの勘違いだと見做してはいけない.この勘違いを放っておくと碌なことになりません. それが発展していくと,抹茶ビールを飲んだり,碌でもない都知事を選ぶようになる.最近は魚市場の移転でしょうもないことをやっています. さて,去年から自宅の近くに新しくラーメン屋ができていました. 開店当初に食べてみたのですが,ことのほか不味いので行くのをやめたのです. ところがこの店,最近になって行列ができるようになった.店の前のベンチにずらりと人が並ぶんです. 何があったんだと思い,空いている時に食べに行ってみたのです. どうやらメニューが変わって,「濃厚な魚介スープがオススメ」ということになっていました. どれどれ,あのラーメンがどれほど美味しくなったのかと期待して注文したのですが,やっぱり不味かった.これならラ王を食べていた方が「コスパ」からすれば納得できる. 一方,これも自宅の近くにあるラーメン屋ですが,いつもそれほど客が入っていないけど美味しいんです.この店は閉店が早いので,私の生活時間に合わないため頻繁には行けないのですが,お気に入りのラーメンを出してくれます. 客が入っていないから,そのうち店を閉めるんじゃないかと心配でなりません. そう言えば,大将も気弱で今にも倒れそうです.この仕事に向いていないのかもしれませんね. 結論から言いまし

体育学的映画論「ロッキー・ザ・ファイナル」

前回の記事に続き,さっそく体育学的映画論の記事を一つ. スポーツ映画の最高峰だと思われる一本を紹介しておきます. 『ロッキー・ザ・ファイナル』 (2006年) です. 今,Huluで配信されています. 以前にも見たことがあるのですが(もう10年前の作品なんですね),このネット配信を機会に何度も見返しています. 細かな評論をする必要のないほどの「完全なるスポーツ映画」. スポーツが持っている魅力を余すことなく純粋培養したのがロッキー・ザ・ファイナルです. 「ああいう映画って好きじゃないんです.他にもっといい映画ないですか?」 などと言い出す女子学生もいますが,そんな甘っちょろいこと言ってる女に授業の単位は出しません. この映画は “基本” です. 実際のところロッキー・ザ・ファイナルだけではダメで,「ロッキー1」からシリーズ全てを見ることで「ザ・ファイナル」の価値が分かるというものです. まさにロッキー・シリーズの最後を飾るに相応しい完璧な作品.文句のつけようがありません. 私にとって心に残るシーンとセリフはこれ. 映画の序盤でロッキーは過去を思い出しながら町を歩き回ります. そこで彼はこんなことを言う. 「同じ場所に長く住んでいると,その場所が自分自身になる」 中途半端にあちこち住所を変えている私にって,なんだか妙にズキンと胸にくる言葉でした. 人は同じ場所に長く住むことが本来の在り方なんだ.定住することで,その場所すら自分の体の一部となる.つまり周囲の環境が「身体化」するのだということを,彼は語っているのです. これは体育学的を考える上でも重要な観点です. でもまぁ,そんな難しい話は抜きにしても,この作品を真正面から見ればスポーツの価値を容易に読み解くことができます. 老いたロッキーが現世界チャンピオンと試合をするなんて非現実的だ,ですって? そんな細かいことに口を出すのは野暮ってものです.これは映画です. 何もかもが都合よく展開している? エキジビション・マッチへの流れ然り,息子の行動然り.たしかに都合がいい. でもこれは映画です.話は都合よく展開するに決まっています. そこに何を見るかが問われているのです. 今作のロッキーの相手役ですが,彼は過去(ロッキー3)のロッキーです. 勝てる挑戦者

授業と映画

■ シン・ゴジラ再考 っていう記事を先日書きました. チャンネル桜というテレビ局の番組で, ■ 【討論】シン・ゴジラから見えてくる日本の現在 (youtube) という評論をやっていたことがきっかけです. そこに出演していた論者の一人である京都大学の藤井聡先生が仰っていたのですが,大学の講義で映画を取り上げることが多いのだそうです.人に何かを伝える際に,映画という媒体が強力に作用するからだということです. かくいう私も,大学の授業では映画を取り上げて説明することが多い一人です. 体育学やスポーツ科学で伝えたい事が,実はいろいろな映画のテーマと親和することに興味を持ってもらいたいですし,それによって我々の分野の理解が進めば,これに勝る喜びはありません. 特に他学部・他学科の学生にとっては「映画」を用いた解説はとても好評で,リアクションペーパー(小レポートみたいなもの)に「体育学やスポーツ科学を考える上で参考になる映画や小説をもっと教えてほしい」と書いてくる学生もたくさんいます. 究極的な話をすれば,どんな芸術作品であっても,あらゆる学術領域に通ずるところがあります.各学術領域同士も然り. 問題となるのは,それらから互いにとってのエッセンスやメタファーを引っ張り上げたり結びつけたりするスキルなんだと思うのです. 昨今の大学は,「初年次教育」と称される1年生対象の「大学生活入門」みたいな授業をやっています.たいてい,我々が1つのクラスを割り当てられて,担任の先生のようにして大学生活のチューターの役割を担う展開が多いのですが. そうした授業において,私が彼ら新入生に毎年オススメしている「大学生活の例」が,芸術漬けの生活です. その一つして,私自身の学生の頃を紹介しながら「映画漬けの日々」を推奨しています.バイトにかける時間を最小限にしてでも,映画をひたすら見なさい.そうでなくても,何でもいいからどっぷり浸れるものを見つけなさいと. それが「大学生ならではの生活」ではないかと本気で思います. 私の場合,映画マニアほど見ていたわけではありませんが,TSUTAYAの「100円クーポン」なんかを利用して短期で大量にレンタルする方式を採用し,一ヶ月50本を目安にがんばっていました. あんなふうに呑気に

鳥無き島の蝙蝠たち(15)月読尊(ツクヨミ)

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関連記事を読んでもらわないと理解できないかもしれません. こちらも一緒にどうぞ. ■ 鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人 ■ 鳥無き島の蝙蝠たち(11)邇邇芸命(ニニギノミコト) ■ 鳥無き島の蝙蝠たち(14)古代四国人2 古代日本における「西日本統一事業」において,どれも四国の地を足がかりとしなければ成し得ないはずなのに「神話には四国それ自体への言及が殆ど無い」ということについて,日本神話の行間と考古学的資料から読み解こうという企画です. その謎を解く鍵の一つとして,私は「月読尊(ツクヨミ)」という三貴神の一人をあげます. ■ ツクヨミ (wikipedia) 結論から言いましょう. ツクヨミという神様は,四国勢力のことを指していると考えられます. 三貴神が示しているのは,古代日本において重要な役割を演じた3勢力のことを指しているのではないか? というのは私がかねてより考えていたことなのですが,ここ最近の「四国妄想ファンタジー」を機に,「ツクヨミが “四国” だとしたら,いろいろ合点がいくじゃないか」と思うようになりました. 三貴神というのは,古事記においては黄泉の国から逃げ帰ってきた伊邪那美命(イザナギ)が,川で禊(体を洗う)をした時に生まれた,日本を代表する神様3人「アマテラス」「ツクヨミ」「スサノオ」のことです. この三貴神が象徴しているものとエピソードからしますと,古代日本における重要人物,もしくはその重要人物が率いる国の行動を暗喩したものが神話化したものではないかと考えられるのです. 分かりやすいのはアマテラスとスサノオです.おそらくは, アマテラス:九州・邪馬台国.卑弥呼や台与を擁する女王国. スサノオ:近畿・ヤマト朝廷の礎となった国.おそらくは近畿土着勢力と出雲勢力. を指しているのではないかと思うのです. ツクヨミの話をする前に,まずはこの2神について解説しておくと理解してくれやすいかと思います. 私説によれば,ヤマト朝廷を打ち立てたのは四国・九州(&中国)連合です. しかし,その後は近畿(奈良地域)を中央政府とする時代が続き,その間,邪馬台国や四国,中国地域は様々な内紛がありつつ吸収合併されたものと考えられます. 従って,古事記や日本書紀を編纂する目的としては,近畿地

サプライズ・パーティーとデジタルカメラ

先日のことです. 大学のゼミで実験研究を企画しているので,具体的に何をすればいいか(けっこう本気で神妙に)打ち合わせている中,突然電気が消されてロウソクに火が灯された大きなバースデーケーキが現れ,クラッカーが鳴り響きました. サプライズでやってくれたのですけど,完全に想定外だったのでメチャクチャびっくりしました. なんで「完全に想定外」だったのかって,サプライズ・パーティーを企画するような連中だとは思っていなかったし,もっと言えば実際の私の誕生日からはかなり離れた日だったからです. 「え!嘘! 今日じゃないんですか!」って,どうやら勘違いしていたとのこと. あぁ,こういう勘違いをする連中ではあるなと,これは想定内です. 以前にも学生からこんなサプライズ・バースデーケーキがあったのを懐かしく思い出しています. ■ 誕生日会 それに,こういうことを企画・実施するのはやっぱり女子学生ですよね. 男子ばっかりのゼミだと,こうはならない. 物凄い勢いでケーキを食べる女子.たんにケーキを食べる口実が欲しいだけではないかと邪推するのはよしておきます. 「何歳になったんですか?」って聞かれるので年齢を言うと,まだ20代後半くらいに見られるタイプではあります. 授業やセミナーなどで,私の大学院生時代の写真を「自己紹介用」としてパワポ・スライドに出すことがあるのですが,それを半年に1回自分でも見ることになるのですけど,着実に老けていることを実感します. 2000年くらいから画質の良い「デジタルカメラ」が普及しましたでしょ.携帯電話による写メが一般化したのも,私たちが大学生の頃からです. デジタルカメラによる写真は劣化しません. だから,そこに写っている被写体・風景は,撮った時のままです.これが結構不思議な感じがします. 私の子供の頃の写真を見ると,カメラやフィルムの性能もあって「時代」を感じさせるのです.でも,今のデジカメや写メにそれはありません. 同じことが「デジタルビデオカメラ」にもあるでしょう. 別に良い悪いの話をしているんじゃなくて,私達が「この目」で見た情景が,そのまま残り続けるデジカメの性能と機能に,なんとも不思議な興味深さを感じるのです.

鳥無き島の蝙蝠たち(14)古代四国人2

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9月の更新頻度が落ちていたのは忙しかったからというのもありますが,実は以前から始めた「古代四国伝説」について,妄想を膨らませるためのネタを仕入れていたというところもあります. その過去記事はこちら↓ ■ 鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人 ■ 鳥無き島の蝙蝠たち(11)邇邇芸命(ニニギノミコト) ■ 波多国:七星剣が置かれた国 古代四国にまつわる疑問に,なんとなく口を出してみたら,意外と面白いじゃないかと思い始めて半年近く. 古代史に全く興味なかったはずの私がなぜか,古代史小説や神話解釈に関する書籍を買い漁り,挙句, などという本格的な図書まで買って調べてしまうほど「古代四国」にハマってしまいました. あぁ,これが古代史とその謎を解くことが好きな人たちの気持ちなんだなと. 上記記事で繰り広げた古代四国ファンタジー,案外いい線いっているのではないかと自信も出てきた今日此頃です. なので,この私の古代四国ファンタジーを,もうちょっと補足する記事を書いていくことにします. おさらいしておきますと,私が考えている古代日本伝説とは... 古代日本(西日本)を統一に導いた “きっかけ” や “立役者” は四国人であり,それを匂わせる記述が『古事記』『日本書紀』に散らばっており,それを裏付けるような遺跡や歴史がたくさんある. というもの. 過去記事である■ 鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人 では,四国人なら誰もが気になる 「 神武東征伝説 :なんで神武軍は四国をスルーしたの?」について, 「それはね,実は四国が神武東征の拠点だったからだよ」というファンタジーをご紹介しました. で,私はそれが結構「真相」だったんじゃないかと,ちょっと本気に考えておるのです. 松本直樹 著『神話で読みとく古代日本』 という興味深い本があります. これがかなり面白い.一読をオススメします. 松本氏いわく,その「神話」が全くの創作であれば神話としての説得力を持つことはできず,広く民衆に語り継がれている古の事実の欠片を集めたものが「神話」になるはず,というのです. つまり,古事記や日本書紀で述べられている神話には,そのモデルとなった出来事が実際にあった可能性が非常に強いということです. もちろん,『古事記』や『日本書紀』は政治的な意図をも

シン・ゴジラ再考

やや更新に間が空いちゃいました. 9月から鬼のような忙しさでして,まだ忙しいのですけどそれっぽく見せないように取り繕うのに苦労しています. さて,やっと一息ついた今日は,ニコニコ動画を久しぶりに閲覧. その中でチャンネル桜という(ウヨク?)団体が作っている番組において,今年の話題作だった『シン・ゴジラ』の評論会が企画されていたので,これを見てみました. ■ 【討論】シン・ゴジラから見えてくる日本の現在 (youtube) 評論家の佐藤健志氏が氏のブログで番組の予告していましたので,それで興味があったというのもあります. ■ http://kenjisato1966.com/シン・ゴジラ観てきました%E3%80%82/ (佐藤健志氏ブログ) 私自身,久しぶりに映画館で見た映画でもありました. 私は映画館で映画をみるタチではありません.そんな私が,なぜ『シン・ゴジラ』については映画館まで足を運んだのか? という点も,自分自身で気になるところでもあるのですが. ちなみに,私はあの映画は非常によく作り込まれた良作だと思っています. 閲覧直後のブログ記事はこれ↓ ■ シン・ゴジラを見てきてしまった 番組のテーマが「シン・ゴジラから見えてくる日本の現在」ということで,それについて番組司会者が熱く(やや批判的に)語っていたのが印象的でしたが,これに私はちょっと引いてしまったというのが実際のところです. 番組のテーマは非常に的確です.「シン・ゴジラから見えてくる日本の現在」という非常に的確なものだっただけに,「そんな討論テーマを選んでおきながら,何を今更」という感が拭えないのです. 私が『シン・ゴジラ』を良作であるとしている理由は, 物事の描き方のバランスがいい からです. この作品に現れてくる物事,そして判断も,どれも正解がない.つまり,考え方や価値観でいかようにも捉えられることなのです.「こういう判断,こういう行動のほうが本当はいいのに・・」というものが一つもないんです. これは庵野監督が狙って作っている はずです. 一例として,ゴジラ幼体が東京湾に現れた際,「専門家からの意見」として古代生物学者や海洋生物学者を招集して助言を求めるシーンがあります.そこで学者は役に立たないコメントをして総理大臣をガッカリさせるどころか怒らせるので