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鳥無き島の蝙蝠たち(7)坂本龍馬

このシリーズは当初(と言っても7年前だけど),土佐・高知にまつわる人だけで作ろうとしていました.
なので,高知の人が多くなってしまい,その他3県が手薄になることをお許しください.
でも,もともと土佐・高知はかなり特徴的な人が多いんですよ.

今回は坂本龍馬です.
坂本龍馬(wikipedia)
見方とスタンスによって評価が大きく変わる人.
ヒーローとして見ればこれほど面白い人はなく,斜に構えて見ればただのビジネスマン,もっと言えば死の商人.

いずれにしても,激動の時代を駆け抜けた興味深い青年であることは評価に値すると思いますし,生き方が「劇的」であったこともたしかでしょう.
実際,旧暦にすると生年と没年が同じ日の人としても有名です.
(天保6年11月15日生まれ,慶応3年11月15日没)

坂本龍馬に対するエピソードは各方面に山のようにあるので,この記事でどのように取り上げるか悩みましたが,高知生まれの私ならではの話ができればと思います.

実は,県内でも彼への評価はかなり分かれていて,ちなみに我家の評価もさほど高くありません.
というのも,私にとって高祖父にあたる人が坂本龍馬と知り合いだったそうで,この高祖父が坂本龍馬のことを良く言わなかったとのこと(悪く言ったわけではない).

この人が有名になったのは,「土陽新聞(のちに高知新聞となる)」で明治維新における郷土の偉人として紹介されたからなのですが(坂崎紫瀾の小説「汗血千里の駒」として世に出る),その時高祖父は,
「騒がれるほどの何かをした人ではない.計算高い目立ちたがり屋だった」
という趣旨のことを言ったそうです.

高知には「目立つ有名人」が少ないんです.
だから高知県人としては坂本龍馬一人の威光に頼ろうとするところがあります.
高知に出張観光その他で来たことがある人は気づいたと思いますが,あちらこちらに「龍馬」の字が確認できます.
龍馬が好き過ぎる県人は,しまいには高知空港を「高知龍馬空港」などと愛称をつけました.
こういう状況に呆れ返って声も出ない高知県人も少なくないんです.

龍馬よりも武市瑞山や後藤象二郎の方がよっぽど偉人だろ.
龍馬一人に頼るメンタリティが,今じゃ広末涼子一人に頼るメンタリティへと続いている.
なんて声があるのも忘れないでください.

高祖父の言う「騒がれるほどの何かをした人ではない」というのはちょっと考察が足らない話かもしれませんが,落ち着いて坂本龍馬に関する歴史を多方面から眺めてみると,あながちそうとも言えません.
彼は歴史的な場面,歴史的な人物に絡んだ人ではありますが,そこで何かを成し得たとは言えないかもしれないのです.とにかく彼は全国各地を歩きまわった人です.これは皮肉ではありません,龍馬としては,きっとそういう活動が楽しかったのだと思うんですよ.

ゆえに彼は「目立った」.きっとあざとく立ち回ったところもあるのでしょう.
いろんなところに顔を出して絡んでいるから,後世の者はそこに坂本龍馬が主体的に関わっていると読むことも出来る.それを統合すると,壮大なストーリーが出来上がるという寸法です.

私も坂本龍馬のことを悪く言うつもりはありません.
「居るべき時に 居るべき所に居て 成すべきこと成す」
それが出来たのが坂本龍馬だとも言えます.
これは才能であり,天命です.

無理やり世の中を変えてやろうとする「龍馬きどり」の連中よりも,龍馬の方が健全だと思います.
彼は目立ったし,いろんなところに関わった.しかし,そこでは彼なりに抑制を利かせていました.目の前にした事態における最適解は何かを探し当てる才があったのだと思います.

海軍操練所,薩長同盟,大政奉還などなど,小説やドラマでは坂本龍馬が主体的に前へ前へと出てきますが,実際のところは成り行き,同席,助言といった形での関与に留まるとされています.
とは言え,それらの状況下で最も自分が活きる道は何か?,最も活躍する人物は誰か?,といったことを導き出す力があったわけです.

そういう意味で,坂本龍馬と関わった多くの歴史的人物が,彼を悪く言わないのは頷けます.彼らにしてみれば,坂本龍馬は自分の「仕事」を有意義に進めてくれる人だったからです.とにかく龍馬は面白い人だった.

時々思うんです.彼は一体何をしたかった人なんだろうか? と.
実は,その優先順位はなかったんじゃないか,大義なんかなかったんじゃないか,そんなふうに思えてなりません.

とにかく世の中がどんどん変わっていく様を面白そうに眺めていた人,そこに合いの手を入れて楽しんでいた人,それが坂本龍馬ではないか.
そして,私はそういう態度が最も良心的な革新派の姿じゃないかとも思うのです.