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敵ながらあっぱれだった

前回記事である私の祖父の話,なぜかアクセス数が伸びます.
ウヨク批判の記事は伸び悩むので,こっちの方を続けたいと思います.

今回は,前回の話(戦争終了時)から少しさかのぼり,大戦中期のことです.
太平洋のどこか,詳しくは覚えていません.とにかく日本から遠く離れたところ,アメリカ軍の飛行場が近くにある,細かい島々があるところだったと思います.

祖父が乗っていた戦闘艦(駆逐艦か巡洋艦)は,何かの理由があって単艦で行動していたそうです.何してたのかは不明.伏兵として隠れていたような話だった気もします.
近くにアメリカ軍飛行場があるからということで,かなり慎重に動いていたのはたしかだったようで,なんにせよ島の沿岸部を隠れながら航行していた時のこと.
そんな時,偵察(どんな手段かしらないけど)から,こちらにアメリカ軍戦闘機の大部隊が迫っているとの連絡が入ります.

幸運にも,航行していた沿岸部が非常に守りやすい地形だったそうで,すぐさま防御態勢を整えるよう指示が出ます.
戦闘機の攻撃から艦を「守りやすい地形」なんてあるんでしょうかね.
興味深いのでいろいろネットで調べてみたいのですが,よく分かりません.こうなると専門書にあたらないといけないのでしょうか.
ちなみに,現代の戦闘機は対艦ミサイルを遠くから打ち込むので,地形なんてほとんど意味がないようですが,第二次大戦では地形がものを言う時代だったのでしょう.

そうは言っても事の次第を類推するため少し調べてみると,当時,戦闘機が戦闘艦を攻撃する手段は主に3つあるようで,
1)爆弾による爆撃
2)魚雷による雷撃
3)機銃掃射
のようです.

この話を聞いていた私は当時小学生だったので意味不明でしたが,今になって考えると以下の様なことかなと思います.
爆撃するにしても,「戦闘艦」という標的は小さいし動きますから,適当に爆弾を落とすわけにはいきません.
なので,この時代は■急降下爆撃(wikipedia)という手段が用いられていました.急降下しながら爆弾を落とすことによって,命中精度を上げようとするものです.
また,魚雷による攻撃をするにしても,魚雷を泳がせる進入路を確保してから撃たなければなりません.

つまり,第二次大戦時の戦闘機は,対艦攻撃に際しては独特の飛行方法をとらねばならなかったようで,ここから考えられるのは,地形が戦闘艦側に有利なものであれば「攻撃のための飛行経路が読みやすい」ということなのかもしれません.
相手がどのように飛ぶのか分かれば,そこに向けて対空砲を集中できますからね.

これが理由かどうかは分かりませんが,とにかく祖父が乗る戦闘艦はアメリカ軍の戦闘機を次々に撃ち落とせたそうです.
そこれそ,「面白いように弾が当たっていた」と言っていました.

この当時の対空射撃は精度が非常に悪く,そう簡単には当たらないとされています.
けれどその時は,さながら確変状態だったようです.
祖父の言葉である「たくさん落とせた」を鑑み,この時代の対空砲の命中精度で考えたら,たぶん5〜6機は撃墜したのではないかと想像されます.
単艦でここまでやったとすると,神がかり的な高戦績でしょうね.地の利を得るというのは恐ろしいことです.

祖父は魚雷を撃つ担当だったので,この戦闘中にどのような事をしていたのか分かりませんが,とにかく艦内はこちらの一方的な展開に沸いたそうですよ.

ただ,アメリカ軍も強者揃いだったようで,送り出す戦闘機がどんどん落とされても,果敢に攻撃をしてきたそうです.
眼下で火達磨になって舞い落ちる仲間をたくさん見ても,それでも次々と向かってきたといいます.
まさか戦闘機がこんなに撃ち落とされるとは思っていなかったでしょうし.「次こそは当たらないだろう」と考えながら向かっていったのかもしれません.

アニメにもなっている,かわぐちかいじ 著『ジパング』という作品に,そういうシーンがありますよね.このシーンを見た時,祖父の話していたこととよく似ているなと思いました.
ジパング 第21話 1対40 (youtube)

そして,
「神風特攻隊は凄かったかもしれないが,アメリカも凄かった.あれは敵ながらあっぱれだった」
という祖父の言葉を今も覚えています.