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満員電車と宣教:苦行の日々なのか?

昨日の記事で「エホバの証人」について触れました.巡回員の方々とのやり取りについてです. 今日は珍しく昼まで自宅にいたのですが,そしたらエホバの証人がチャイムを鳴らしてきたのです.昨日の今日ですから少々驚きました. 久しぶりだったので話だけでも聞いてあげようかと思いましたけど,面倒なので切りました. かなり以前,教育教材の訪問販売をやったことがあるのですが,あの販売員にとって最も嫌な客の対応は,話を聞くだけ聞いて最後の最後に「でも買いません」と断られることなんです. 自分たちだって自信のある商売をしているという自覚はありませんから,脈ありかもしれなければ藁をも掴む思いで万策を弄します.その上で断られるのはけっこう堪えます. お客さんとしては断るタイミングを逃してしまい,たまたま時間もあるし話だけでも最後まで聞いてやろうか,という温情をかけているのでしょうけど,それは販売員にとって最も心身へのダメージが大きい対応です. 断るつもりなら最初から「とっとと帰れ!殺すぞ!」と言われたほうがマシなんです. 「あぁ,間違いなく脈なしだ」とスッキリ判断できますので. だからその後(学生時代以降)は,エホバの証人みたいな人たちが訪問してきても手厳しく追い返すことにしています.その方が巡回員のためでもあると思うんです. 別に彼らが嫌いなわけじゃありません.彼らには彼らの信じる道があるのでしょうけど,私はその道を歩むつもりはありませんから,これは仕方がない. でも,よくあんな宣教の巡回をやってられるな,と思います.むしろ尊敬するくらい. 今回の巡回員は若く美人な女性と,朗らかな雰囲気の老女とのペアでした. 若い方が説明を始めたのですが,これがまたたどたどしい話し方です.「えーっと,あーっと,そのぉー」と困った表情をしながら必死で宣教してきます.目も泳いでるし. まだ慣れていないんですね.就活を前にした大学3年生の面接練習をしているようでした. あちらからすれば,私は至ってぶっきらぼうな男に見えたでしょうけど,心の中では「がんばれ,もっと明るい雰囲気を出して.セリフも抑揚をつけてスムーズに」と応援しているのです. 態度と心中は必ずしも合一しません. それにしてもツラい活動ではないでしょうか.苦行です. これから暑さが厳しくなってきますので,どうか

左翼に友人知人が多いんです

不思議なことに,私の友人・知人・知り合いには共産主義者や社会主義支持者が多いんです. 私は反共産・反社会主義的な考えを持っている人間なのに,なぜか周りにはその逆の人が多い. 学生時代からの先輩・後輩,同級生は熱心な共産党支持者ですし,いつもお世話になっている先輩教員も社民党支持.ある時期二人三脚のように仕事をしたことがある人は本格左腕の共産党員で,そのお父様は共産党議員でした. かなり左翼濃度の高い人間関係でしょ? じゃあ私はいつも周りから虐められていたのかと言うとそうではなく,むしろ熱心に共産主義や社会主義が何故ダメなのかを彼ら/彼女らに説いていました. 日本共産党や社民党の人たちが嫌いなわけではないのです. 支持者の人達にしたって,普段付き合ってる分には何のわだかまりも害もありません. あと,心の底から「この国が社会主義体制になればいい」と考えている人ばかりでもなく,とりあえず理想を掲げているだけのところもあります. それに,共産主義や社会主義の考え方を好きになる気持ちも分からなくはないし,時と場合によっては日本共産党や社民党の方が良い提言をしていることもあります. だから彼ら/彼女らを頭ごなしに否定することはしません.あちらの言いたいことはしっかり聞くスタイルです. その代わり,やんわりと「共産主義や社会主義の発想が人間を滅ぼすのですよ」という趣旨の批判をします. 「こんなに共産主義に理解があるのに,なんで支持してくれないんですか?」と言われることもしばしば.理解することと支持することは別なのですけど,こういうのって難しいものです. もしかすると,自覚していないだけで私は社会主義者じゃないのか? そんな疑問を自分に投げかけてみたこともあります. まあ,これについては誰かからの評価を受けてみないことには分かりません.外部評価という奴です. ただ,私としては「人は自由じゃないし平等でもない.世の中は合理的に動くわけではない」と考えているので,「そうなるはずだ.それを目指している」という社会主義や共産主義は受け入れられません.このブログ名もそうした想いからつけたものです. これについての詳細は■ 『Deus ex machinaな日々』とは何か を読んで下さい. 逆に興味深いのは,上述した私の友人知人にも “左翼のくせ”

井戸端スポーツ会議 part 28「東京五輪のエンブレム」

一足遅い気もしますが,先日決定した東京五輪の「エンブレム」について触れておきます. ニュースはこちら↓ ■ <東京五輪エンブレム>作品A「組市松紋」に…作者は野老氏 (Yahooニュース) そのデザインについては, 江戸時代に「市松模様」として広まったチェッカーデザインを日本の伝統色である藍色で描いた。形の異なる3種類の四角形を45個組み合わせて違いを示し、国や文化・思想を超えてつながり合う多様性も表現した。 とのことです. そして,Yahoo!ではエンブレムについてのアンケート調査もやっていて,そこでは, 6対4の割合で「納得できない」が多いようです. ■ 意識調査:東京五輪の新エンブレム、納得? 一波乱あったエンブレム問題ですから,どのようなものが出てきてもイチャモンがつくものと思われます. 厳しすぎるレポート課題で学生からの不満が湧き上がったった後,それじゃ訂正しようと言うことで普通のレポート課題のレベルにしても,やっぱり不満をたらたら言う奴はいるものです.それと一緒かと思います. 特段の問題がなければ,エンブレムなんてなんでもいいのです. エンブレム問題について取り上げた以前の記事で私はこんなことを書いています. これまでに “華やかで映えるデザインの五輪エンブレム” なるものがあるんだろうか? というところですが. そういう「まとめサイト」があったのでご覧になってみてください. ■ 歴代オリンピックのロゴデザインまとめ まぁ・・,どれも特別なにかを感じるものはありませんね.ロゴなんてそんなものでしょうし,そんなもので良かったりするんだとも思います. ■ 井戸端スポーツ会議 part 23『東京五輪エンブレム問題に見えるスポーツの危機』 実際,過去のエンブレムを見てみても,そんなに凄いものはありません. 前回の東京大会のエンブレムが「日の丸」だったわけですから, 「右傾化」が喧しい昨今の日本・東京には「菊の御紋」が相応しいのではないか, むしろ逆に,東京都のマーク(イチョウ)をシンプルにのせるとシュールじゃないか, というネタを用意していたのですが,どうやら今回のエンブレムで落ち着くのではないかと思います. エンブレムは,何かと使いやすいデ

やわらかめの「被災地訪問とか募金とか」

前回の記事にびっくりしてしまった方もいるかもしれません. 面と向かって話してしまうと,デリケートな人だったら泣き出してしまうような内容でした. そこで今回は,その内容を補足するという意味も兼ねて,もうちょっとやわらかめの記事を書くことにします. 前回の記事で言いたかったことのエッセンスとしては, 基礎基本をないがしろにして取り組む活動は,いずれとんでもない方向に走り始める ということであり,それが「被災地訪問」とか「募金活動」といったシビアなものだと,そのうち取り返しのつかない状況に追い込まれる危険性があるので,今のうちに「空気読めない奴」が冷や水をかけておいたほうがいいだろうという趣旨だったのです. 日本には「バレンタインデー」という風習があります. もう既に本来の「バレンタインデー」ではありません.それについては言わずもがな.詳細は割愛しますが,ひとまず確認の意味で述べておくと,本来は「恋人たちが愛を誓い合う日」ということで,その日に互いにプレゼント交換をするのが主流のイベントなのです. 詳細は バレンタインデー (Wikipedia)を読んでもらうとして,日本のそれを以下にまとめますと, 「女性が愛する男性にチョコレートをプレゼントする日」として,なぜか始まった日本のバレンタインデーは,そのうち「チョコレートをプレゼントする際に愛の告白をする日」ということになってきます. ですが,“愛の告白をする” っていうのがなんだか重すぎるし恥ずかしいと考えた女性の方々は,「義理チョコ」なるものでジャミングをかけ「本命チョコ」の隠密性を高めました. これは敵ながらあっぱれです. 義理チョコですが,それを受け取る男性としても「お返し」をしなければいけないという空気が流れだし,お菓子メーカーの後押しを受けつつ「ホワイトデー」が誕生します. そのうち「日本のバレンタインデーは本来のバレンタインデーじゃない」という指摘がうねりを作ると,昨今は「2月14日はチョコレートを購入する日」という部分だけが残り, 女友達同士でチョコレートやお菓子を購入して楽しむ「友チョコ」, 男性が女性の好むチョコレートを買ってあげるスタイルである「逆チョコ」, たんに自分がチョコレートを買うだけの「自分チョコ」 などが企画されており,日本のバレンタインデーは

被災地訪問とか募金とか

熊本地震をきっかけに言いたいことが次々出てくるので,そのまま書き綴ることにします. 今回は被災地訪問とか募金活動のことです. いつの頃からか,大規模災害があった地域への芸能人の訪問がブームになっています. 募金活動も相変わらず盛んだし,しまいには「私は◯◯円募金しました」などと公表する人もいたりします. 世も末です. まず芸能人の被災地訪問ですが,どう考えたって迷惑極まりない話です. ニュースを見てみると,いついつどこそこに誰が被災地訪問するのか,誰が行かないのか,といったことが記事になっている. 挙げ句の果ては,今回の熊本地震だと, 水前寺清子「なぜ行かないのと言わないで」被災地入りしない理由明かす とかいう話で盛り上がっています. 水前寺清子さんは熊本出身なのだそうです.でも,だからといって熊本に被災地訪問しなければいけない理由があるのでしょうか.あるわけない. 記事によれば,水前寺さんは被災地の友人から「今は来ないで」と言われているから行かないのだそうです.この友人の方は賢明だと思います.余震が続くなか70歳にもなる女性に来てもらっても危ないだけ. 被災地訪問するとしても,ジャーナリストや政治家,天皇陛下なら許されるとは思います.この人達には被災地訪問の価値があるからです. ですが,どうでもいい芸能人が被災地を訪問したところでどんな価値があるのか.甚だ疑問です. というか,あれは明らかに売名ですよね.誰もがそれをわかっているはずです. こう言ってはなんですが,売出し中か落ち目の芸能人が率先して飛びつく活動のようにみえてなりません. こんなにダイナミックな売名行為がまかり通るようになった社会の方が恐ろしい.こういう風潮は初期段階でさっさと止めなければいけないと思います.そのうち更なる過激な言動に発展するでしょうから. 老若男女問わず不思議な影響力を持つ芸能人もたしかにいるし,まじめに被災地訪問している芸能人の方もいらっしゃるのでしょう.それはそれで尊敬しますが,まじめな人であれば尚の事,ご自分がなさっている事がどのように飛び火していくのか考えてもらいたいものです. 弱者である被災地としては「来ていただいてありがとうございます」としか言いようがありません.こういうのって意外と拒否できないものです. 追い返すような

続・みんながんばれ(このおぞましき震災対応)

さて,前回の記事を踏まえて結論に入ります. ■ みんながんばれ 熊本で震災が起きてから10日が経ちました. 当時子供だった私にとって「震災」として鮮烈だったのは阪神淡路や奥尻島で,最近だと新潟中越と東日本というのがありますが,その度に日本国政府の対応がいろいろと問題視されるニュースも同時に見てきたわけです. 何から何まで完璧に対応できるわけなどなく,必ず反省点を残すのが普通で,むしろその反省点を踏まえて次に来る震災に対応しようとすることが大事になってきます. そんなわけで,では今回の熊本地震での政府対応はどうかとネットニュースをチェックしていましたが,どうも中央・東京から遠いからなのか,反応が弱いという印象でした. 「反応が弱い」それ自体が反省点ではないかと思うくらいです. しかし,よくよくニュース記事を並べてみると,「反応が弱い」んじゃなくて,なにかしらの意図が隠されているんじゃないかと考えさせられます. 震度7の地震が起きて,しかもその後も震度5クラスが10回以上も発生している今回の震災は,只事ではないと捉えるのが通常の感覚ではないかと思うのです. ところが結構な勢いでのんびり構えている. これはどうしたことかと思っていろいろ調べてみたら,案の定,こんなネット記事がありました. ■ 熊本大地震「激甚災害指定」に消極的な安倍官邸が3年前、山口県の豪雨ではすぐに指定を明言していた! なぜ? 「自民党・安倍首相の対応は迅速.やっぱり社会党や民主党とは違う!」と褒め称えるのを目にすることがありますが,そりゃ阪神淡路や東日本大震災の反省から,災害発生時の法律や条例が整備され,以前と比べて, 「初期対応が鍵になるため,その判断がシステマティックになっている」 ことや, 「自衛隊の主体的判断が緩和されている」 ので当然のことです. 仮に今,私とか村山富市,マック赤坂が首相をやっていても初期対応に変わりはありません.つまり,民主党やスマイル党だったらダメで,自民党だったから良いということではないのです. むしろ問題となるのは,初期対応以降のことです.そこに政府対応の独自性が出ます. 今回の地震はというと,震度7の地震が都市部で発生し,その後も大規模な余震が続き,現地やメディアから被害状況が報告されるものを見れ

みんながんばれ

前回の記事とは打って変わって,とりとめのない話をします. ドラゴンクエストというRPGを御存知でしょうか? プレーしたことはなくても,名前くらいは知っている人は多いかと思います.第一作目が登場したのが1986年で,その後はⅡ,Ⅲ,Ⅳとナンバリングされながら進化を続けます.ナンバリングされているシリーズとしては,現時点で「ドラゴンクエストⅪ」まで出ている日本を代表するテレビゲームです. 私が始めてドラゴンクエストをやったのは中学生くらいの時で,「ドラゴンクエストⅤ」でした. 『ドラゴンクエストⅤ-天空の花嫁-』 シリーズ屈指の名作として知られ,その中でも特徴的なイベントとしては, ゲーム進行途中で主人公が2人の女性キャラクタのうちのどちらか一方と結婚することを選択する, なんていう設定があるのです. この花嫁の選択はその後のゲーム展開に多大な影響を与えるということもあり,どちらの女性キャラを結婚相手に選ぶのが良いか,能力的にも道徳的にもいまだ議論される人気のゲームです. ■ 『ドラクエ5』主人公の花嫁は「ビアンカか?フローラか?」 そんなの物語の構成上もビアンカ一択だろうと思っていた私ですが,どうやら私の弟はフローラ派のようでして,戦闘能力を第一に選択すればフローラとのこと.こういうところでも兄弟の特徴が出て面白いものです. 実際のところ,結婚相手はどっちでもいいと思っていて,むしろ 「キラーパンサーこそ俺の嫁」 だったわけですが,私が当時中学生ながらにこのゲームをやっていて気になったのは,ブロンド女か青髪女のどちらを選択するのかではなく,モンスターとの戦闘時に選択することになる「作戦名」です. このゲーム,戦闘場面で以下のような作戦選択画面が表示されまして,名称に応じた戦い方が展開される仕組みになっています. ・みんながんばれ ・ガンガンいこうぜ ・じゅもんせつやく ・じゅもんつかうな ・いのちだいじに ※事実上の “作戦” ではない「めいれいさせろ」という選択肢もありますが. さすがに中学生ともなると,世の中のことを多角的に見るようになるもので. こういうところでの「選択」も理屈をこねたくなる年頃なんですよね. 細かい戦術やゲーム設計上の話は別にしても, 「みんながんばれ」が第一候補 だろうと思うのです.その次が

震災のたびに思うこと

今回の熊本地震のニュースやネット記事でもたまに見かけますし,東日本大震災の時にも目にすることが多かった意見に, 「被災地が過疎地域なら,いっそ復興させずに都市部に人を集めたら良いのではないか?」 というものがあります. 被災した地域は復興させずに,そのまま緩やかな衰退を目指そうというものです.その方がコストをかけずに済むからという理論だと思われます. それに関連して,ちょっと有名なジャーナリスト(評論家?)が以前にこんなことを言っているのを見ました. 「日本は人口が増えすぎなんですよ.人が多いもんだから,都市部から人がどんどんへんぴなところまで侵食していって,今じゃ住まなくてもいいようなところにまで家を建てちゃって,そんなところに膨大なコストがかかっている.だからこれからの日本はもう一度,人を都市部に戻す必要があるんですよ」 (記憶している限りなので,正確な発言内容ではないのですが,そのような趣旨でした) 冗談で言ってるんだと思いたいのですが,どうやら無邪気に目を輝かせているので本気のようです. 人を都市部に戻す? なにをトチ狂ったことを言っているのか. そもそも,今ある都市部のほとんど,中でも東京・首都圏は,地方の村や町から人を集めて作られた場所じゃないですか.東京は田舎者の集まりだとも言われます. だいたい,私の地元にしたって,東京,ましてや江戸に人が住み始める前からあった村落ですよ.歴史として調べられないくらい以前から,日本の至る所に町や村落はあったのです. 今ある都市部から徐々に人が広がっていったかのような認識でいることが恐ろしい. 現在の都市部に人が集まっているのは,人が集まるように誘導したからです.インフラが優遇されていれば,当然,そこに人は集まります. 実際,この地域では慢性的な転入超過です. ■ 東京圏、11.9万人転入超 (日本経済新聞2016.1.29) その他にも,上の新聞記事にもあるように愛知,大阪,福岡の転入超過が顕著です. ようするに「都市部に人を集めなければ・・」なんてことを心配しなくても,実際そうなっています. さて,話を震災復興のコストパフォーマンスに戻しますと, 上記のようなド直球な意見表明はしないにしても,震災復興するにもコスパを重視するという考え

現実を考慮した規制(法)なら効果的

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熊本を中心に大きな地震が発生しました. 犠牲者は現時点で34名と出ています. その上で,まだネット配信記事では「不謹慎」だと思われているだろうし,「被害報告の途中」だということもありましょうから多くのメディアではこの話には触れられていませんが,最大震度7の地震が,そして震度6強が政令指定都市である熊本市を襲ったにしては,やっぱりこの被害は小さいと言えるでしょう. ただ,大きな余震が続いているようですので,予断は許されませんが. 1995年の阪神淡路大震災を知っている者としては,震度7が都市部を襲ったというこのニュースを聞いた時点で,1000人以上の被害が出るかもしれないと思わされました. 倒壊した家屋とその火災がたくさん映しだされていた阪神淡路大震災からすると,今回は家屋の倒壊や火災は少ないようです. その時の死因のほとんどが圧死だったということで,家具の転倒を防ぐ震災グッズが注目されていましたし,阪神淡路大震災以降に叫ばれた,建築物の耐震化の啓蒙と法規制が功を奏したのではないかと考えられます. 具体的な法律は↓ 建築物の耐震改修の促進に関する法律 (平成七年十月二十七日法律第百二十三号) 日本は地球の中でも地震が多い地域です.そんな地域にある国としては,甚大な被害が出る可能性がある部分をしっかりと規制する. 耐震化に関する法律は,その後発生した地震でも少なくない命を救っているはずです. これまでに取り上げてきた「自転車運転取り締まり強化」にしても,そういう話を「逆の観点」から指摘したつもりですが,この点,規制強化によって功を奏した事例は何かあるのかと言われれば,その代表的なものが「飲酒運転の取り締まり強化」でしょう. 当時,非常に話題となった飲酒運転の取り締まり強化.平成15年(2003年)と平成19年(2007年)に厳罰化されたわけですが,それによって下図のように飲酒運転による事故は激減しています. 昨年(2015年)の死亡事故件数は201件でしたので,取り締まり強化前の平成12年:1191件と比べると,なんとその17%にまで減少していることになります. 内閣府『交通安全白書』(2009)より ところが当時は,取り締まり強化の影で少なくない人々から, 「飲み会の帰りが大変」 「タクシー業界の利権じゃないのか?」

現実を考慮した規制(法)でなければ逆効果

たまには短い記事を書こうと思いました. 今後もたまに短い記事を書いていくつもりです. 先日,このブログでも何度かご紹介している和田慎市先生からメールをいただきました. ※和田先生に関する過去記事はこちら↓ ■ 先生が元気になる本 ■ 学校教育対談 ■ 実際の学校教育現場:実録高校生事件ファイル コメントしていただいたのは先日書いた以下の記事でして, ■ 続・そう言えば,自転車取り締まり強化の影響はどうなった その記事で私が伝えたい本質をズバリ指摘していただきました.嬉しい限りです. 指摘していただいた点,私がこのブログで書いてきた多くの記事全体に通底している考え方でもありますので,本ブログにおいて重要な観点の一つでもあります. それはつまり, 「現実を考慮した規制(法)でなければ逆効果」 ということです. そして,そんなことになっている状況を最近良く目にしますよね,ということなのです. これはなにも「理想を目指して法整備をすることがダメだ」と言っているわけではありません.そんなふうに安直に捉える輩がいるので注意が必要です. 法を大事にするのは当然のこととして,その取り締まりをどれだけ厳格に徹底するかは現実を考慮したものでなければ意味をなさない,場合によっては逆効果になることだってあるということを言いたいのです. ようするに,「手段が目的化している事例が,ここ最近の日本でよく見られますよね.我々の教育現場でもそうでして・・」ということを訴えているわけです. それを今回は道路交通法における「自転車の運転」をテーマに取り上げたということ. さらに和田先生からは,この「現実を考慮した規制(法)でなければ逆効果」について,昨今の学校教育現場において取り沙汰されている事件・課題についてもご指摘されていました. (これについてはまた機会をあらためて取り扱いたいと思います) 自転車運転取り締まり強化以外にそれが指摘できるものとしては,このブログの常連記事である大学改革とか,教育界では「いじめ防止対策推進法」とか,昨今の話だと「マイナンバー制度」とか. あとは底抜けに有名なのが憲法9条とか.それに関連して安保法制の中の集団的自衛権の話とか.そんなのです. いずれにも共通す

なぜ大学改革をやってはダメなのか(2)

前回の補足と続きです.前回記事はこちら→■ なぜ大学改革をやってはダメなのか 前回記事で展開した議論に反論がある方もりましょう.例えば以下の件. 文部科学省(中央教育審議会)では,2012年の時点では, 国民、企業そして学生自身の学士課程教育に対する評価は総じて低いと言わざるを得ない。(―中略―)高度成長社会では均質な人材の供給を求めた産業界や地域が今求めているのは、生涯学ぶ習慣や主体的に考える力を持ち、予測困難な時代の中で、どんな状況にも対応できる多様な人材である。 ■ 予測困難な時代において生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ などと言っていたのに,2015年になったら, 産業界と連携しつつ,どのような職業人にも必要な基本的な知識・能力とともに,実務経験に基づく最新の専門的・実践的な知識や技術を教育する ■ 実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議 などと言い出してきているわけで. これってつまりは企業や産業界(あと,国民)の都合で大学教育をするような方向に大学改革が進んでいるんじゃないかということなのです. それについて, 「いや,そこまで深刻になる必要はないだろう.大学を従来の『研究教育型』と,新しく『職能指導型』に分けるだけの話で,それが日本社会や国民のためになるのであればOKではないか」 という反論もあるかもしれません. もちろん,私はそうした『職能指導型』の教育機関の存在を否定しているわけではありません. それはそれで存在すればいい.やりたい教育者がいるならやればいいのです. ですが,これまでに検討され,そして今まさに進行している「大学改革」を見ると,その先の大学教育全体のことを安心して眺めていられないのです. なぜか? 専門職大学を取り上げた過去記事,■ 専門職大学に思うところ(3) で詳しく述べていますが, 「どのような仕事にも必要な職業能力」なんてものを4年間かけて学ぶことに何の意味があるのか? ということです. だいたい,「専門職大学」などと言うくせに「どのような仕事にも必要な能力」を養成しようとすること自体,明らかにフザケています.もしくは思慮が浅い. 私に言わせれば,もうこの時点でアウトです.とてもじゃないですが確固たる思想と信念に基づいた政策とは思えませ

なぜ大学改革をやってはダメなのか

大学によっては既に授業が始まっているかと存じます. 今年も学生の教育を頑張ろうと意気込んでいる方も多いと思いますが,このブログでよく取り上げる, 「危ない大学」 に限らず,現在の少なくない大学においては,それが満足にできないと嘆いている先生方も多いのではないでしょうか. ※危ない大学とは何か? 気になる方はコチラ→■ 「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 昨今の大学は「改革」と称していろいろな教育劣化策を講じてきています.なので我々教員一同(一部を除き)困っています. 大学改革によって,この教育機関の何かが好転しているという話は聞きません. 「何が改革だ.ぜんぜん良い方向に向いていないじゃないか」 そのように嘆いている先生方は少なくないでしょうし,それ故,こんなフザケた私のブログを読んでくれている大学関係者もまた少なくないようです. 実際,こういう記事に興味を持つ読者の母数はそう多くないはずなのですが,例えば上述の記事だと約2万件の閲覧数があります(Googleのカウント記録による). 大学教員になってしばらくして,この「大学改革」があまりにバカバカしいので,これを進めることで誕生するだろう「危ない大学」を,面白おかしく取り上げてきたわけです. その嚆矢となる記事が,■ 反・大学改革論 のシリーズです. もう4年前の記事なんですね.私も若かったなぁ.光陰矢の如し. 当時は,「大学教員たるもの」と肩肘張っていたところもあって周りが見えていなかったですし,「この大学改革を進めていくのはダメだ」ということを伝えることばかりに記事作成の気が向いていて,では, 「なぜ大学改革をやってはダメなのか」 について論ずることが手薄になっていました.今回はそれをテーマにします. このブログを読んでいる「大学関係者」の中にも,もしかすると, 「大学改革で困っているし良くなっているとは思えないんだけど,それに対する反論ができないんだよなぁ」 という人が多いのかもしれません.そして, 「改革しなければ立ち行かなくなる中にあって,いっそ,この流れに乗ってしまっていいんじゃないか」 と,煮えきらずに悩みながら2016年度の授業に向かっている人も少なくないのかもしれません. なので今回は, 「大学改革」がいかに支離滅裂なものか,「改革案」

面倒見の良い先生になる方法:初年次教育

文部科学省のホームページに,こんなのがあります. ■ 日本の大学では、教育内容・方法等の改善がどれくらい進んでいるのでしょうか。 (文部科学省HPより) 「どんどん悪化していますよ,お前らのせいで」 と答えたい問いですが,今回はそういう本質的な話をしたいわけではありません. そういうのは過去記事を読んでもらうとして,どんどん悪化していく大学教育の中にあって,それでもそれに従わなければいけない人々のための参考になればと思い,キーボードを叩いております. これはちょうど,「住んでいるマンションが耐震構造基準を満たしていない」とか「災害危険エリア内だった」という悩みを解決することも大事ですけど,目下,排水口が詰まって逆流してくるとか,隣のベランダからタバコの煙が流れ込んでくるといった悩みについて考えることも大事.それと一緒だと思ってください. 桜舞い散るこの季節,さっそく今週・来週から授業が始まるという大学の先生方も多いのではないでしょうか. 今回のテーマは「 初年次教育 」です. 科目名として「基礎演習」とか「基礎ゼミ」とか「初年次演習」などといった名称がつけられているのが代表的な初年次教育です. やる側にしてみると結構悩み多い授業でして,一部の教員達からは「クソ演習」とも呼ばれています. ところで,上記の文科省HPの先では,こんなことを取り上げているのです. 該当するPDFページはこちら: 平成 25年度の大学における教育内容等の改革状況について その18ページをご覧ください.「初年次教育の実施状況」というのがあります. 最近の大学は,“授業内容・方法等の改善” の一つとして,初年次教育というのに取り組んでいます. 文章やレポートの書き方,ノートの取り方,プレゼンの仕方,図書館の使い方,あとは将来の就職に向けた意識づけなどが,その実施内容です. 文科省のデータにもあるように,平成25年時点でほぼ全ての大学(94%)で取り組まれている授業です. 最近の大学のことをよくご存知ない方にとっては,「え!? そんなこと教えてるの!?」とビックリされるかと思います. たしかに以前は「Fラン大学が学生の底上げのために取り組むもの」といった目で見られていました(それはそれで間違った認識なのですけど). その先駆けとなるものは十数年

【追記】続・そう言えば,自転車取り締まり強化の影響はどうなった?

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前回の記事に対し,こんなご意見をいただきました. 「そうは言っても,自転車取り締まり強化は,長い目で見たら危険運転防止のために重要なのではないか?それによって自転車事故が一時的に増えてしまったとしても,長期的な視点からすると通過しなければならない現象ではないか」 私は別に「自転車の危険運転防止の啓蒙をするな」と言っているわけではありません. 危険な運転は非難されなければいけないだろうし,そうした注意を呼びかけることは重要だと思います. ですが, 現状の道路交通状況において “正しい自転車運転のルールを徹底する” ということは,逆に危険な運転を増加させることになりはしないか? という推測を述べているのです. ルール上の正しい運転をすることと,それによって安全になるか否かは別ですから. ※なので,この推測が本当かどうか,それに焦点を当てた研究調査が求められると思います. 過去記事で散発的に書いていることを,ここでもう一度まとめておきます. 以下の2つのグラフをご覧ください. これは,交通事故死亡者数の割合を,年齢層別・状態別に示したものです. 平成27年 交通死亡事故の発生状況及び道路交通法違反取締り状況について 警察庁(2016) 平成27年 交通死亡事故の発生状況及び道路交通法違反取締り状況について 警察庁(2016) このように,自転車に乗っている状態で事故って死亡した方について年齢層別に人数と割合をみると,圧倒的に子供と高齢者が多いのです. ※これは歩行者にも同じことが言えそうですが. 逆に,15歳以上から50代前半ではその数が一気に少なくなります. これは「正しい自転車運転ができているか否か」という問題よりも,おそらくは運動能力や判断力といったものが影響していると考えるのが妥当ではないでしょうか. ですから,「正しい自転車運転なるものが啓蒙された年(平成25年,平成27年)」には,自転車単独事故(自爆)による死亡者数(絶対数)が増加したのではないか? と推測したのが前回の記事です. ルールに従い危険な車道に出てしまい,恐る恐る運転するものの操作を誤って事故るという可能性です. とは言え.こういう状況下で国民全体に向けて「正しい自転車運

続・そう言えば,自転車取り締まり強化の影響はどうなった?

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昨年の11月に, ■ そう言えば,自転車取り締まり強化の影響はどうなった? という記事を書いていました. 昨年の6月1日から始まった,自転車運転の取り締まり強化の影響を11月時点の統計データから読み解こうとしたものです. この「自転車取り締まり強化」を覚えておいででしょうか? コチラを参照→ 警察庁:自転車運転者講習制度 (PDF) 最近,自転車事故が増加している(実際のところは増加していないが),危険な運転をする輩が多い,などといったマスコミ世論の影響もあったのかもしれませんが,自転車運転のルール徹底の機会となった動きだったと記憶しています. しかし,これについて私のブログでは, 「道路整備をせずにルールだけ強化しても無意味だし,むしろ,自動車・バイク側の意識が変わっていない道路交通状況で本来の自転車のルールを徹底しようものなら,逆に重大な死亡事故が増えてしまうのではないか?」 という懸念を表明してきたわけです. そして,上述した■ そう言えば,自転車取り締まり強化の影響はどうなった? の記事は,6月以降(11月時点)に発表されている統計データを見ると, どうやらその傾向がありそうだ .というものでした. その記事では,「平成27年の最終報告を見ないと分からない部分もある」ということにしていましたので,今回は先月3月3日に発表されていた警察庁の統計データを使って分析してみたいと思います. まず大枠を捉えておきましょう. 下表は,交通事故における死亡者数の内訳です. 平成27年 交通死亡事故の発生状況及び道路交通法違反取締り状況について 警察庁(2016) 過去11年間分:平成17年〜27年度のものです. ご覧のように,近年は交通事故での死亡者数はいずれの状況下においても低下していました. ところが,警察庁の報道用発表にもありましたが, 残念なことに今年は自転車と歩行者の死亡者数が増加してしまった のです. これが分かりやすいように,平成17年の死亡者数を1(100%)として,その割合としてグラフ化したものが下図です. 平成27年 交通死亡事故の発生状況及び道路交通法違反取締り状況について 警察庁(2016)より作成 そうは言いましても,ずっと下がり続けてきたなかでの微増です. 数字だけ見れば,つい先