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突然ですが,メールにお応えします

この半年くらい,やや思想的に際どい話をする記事が多かったものですから,それについてメールをいただくことがありました.
あと,大学の在り方についてもお便りをいただきます.

もともと,このブログについていただくメールのほとんどが「統計学」に関するものでして,それらには出来うる限りのことをお答えしているのですが,上記のことについてはあまり返答をしていないのが実情です.

いっそ,ブログ内にコメント欄を用意して,そこで自由に記入するようにすればいいのではないかと考えたこともあります.が,それはやっていません.

これについて,何年か前の記事で「コメント欄」を用意していないことについて言及したこともありました(■お便りにお答えしたもの).
そこでは,
Q.コメント欄を用意してくれれば,双方向性のあるブログになるのではないでしょうか?
A.あまり双方向する気がないので.
とだけ回答をしているわけですけど,その理由を少しお話したいと思います.
別に仰々しい理由があるわけではありません.
コメント欄を用意しても,汚い書き込みが出るだけで,建設的なやり取りにならないだろうからです.

以前(15年くらい前),私が大学生の頃ですが,所属していたクラブのホームページ担当をやっておりました.
当時は,今ほどではないですがホームページを作るのも簡単になりつつある時期で,ネットやパソコンのことをほとんど知らない私のような学生でも,なんとかいじることができるようになっていました.無料でホームページ・スペースが提供されるサービスが始まった時期ですね.
「これからの時代はITだ」などと言う先輩やコーチの命令を受け,四苦八苦しながらホームページを立ち上げたのも今は懐かしい思い出です.

その時,クラブ活動のホームページに「コメント欄」を作ったのですが,普段はほとんど書き込みなんぞありません.
それでもたまに試合情報などを入れると,OBや同級生などから,
「がんばれ!」「応援してるぞ!」「試合観に行くね!」
といった書き込みが入るのですが,いかんともしがたい空虚な感触を拭えなかったのを覚えています.
だけならまだしも,いたずらや意味不明な書き込みも発生しますので,それにいちいち対処しなければならないことが面倒な事この上ない.

その後時は流れ,ミクシィやツイッターとかフェイスブックといったSNSと呼ばれるものが台頭してきました.
私もフェイスブックには手を出しましたが(■facebookはじめました),これがまた同じような使用感でして.
何かの記事を書いたら「いいね」とか,短いコメントが入ってくるんですけど,なんだかなぁ〜,と.
今では諸々の同窓会の連絡網としての利用のみです(逆に言えば,同窓会メンバーの検索や連絡には便利かも).

つまり,こうした「コメント欄」を用意しても,何か良いものが生まれるわけではない点が,極めて個人的ですが単純に「気に入らなかった」.だからこのブログを始めて間もなく「コメント欄」は外しました.

コメント欄を外したとしても,どうしても問い合わせたいことがある人やコメントしたい人はメールを打ってくれます.それでいいじゃないですか.

知り合いであれば,直接会った時なんかに話題として取り上げて議論になります.それでいいのです.

中には,このブログをきっかけに取材に来た新聞記者や,お酒を酌み交わすまでになった人もいます.■学校教育対談

ネットでは無責任で汚い言論(書き込み)が多く,この原因として匿名性が挙げられていますが,もっと言えば,書き込み作業が簡単だからです.
「刺激」となるものに対する「反応」が容易な構造になっている場所で,そうした無責任で汚い言論は多くなります.

フェイスブックを使ってみて痛感したのですけど,「いいね機能」がこうした一連の「無責任意思表示」の権化のようなものですね.
刺激-反応モデルだけで,何か無難な意思表示をした気にさせるものなのです.
たまに投稿記事を眺めては,それにポチッと「いいね」を押していく作業.ポチッ,ポチッと画面を見ながら押し続けていくのです.ふと我に返ってそんな自分に寒気がしました.これは呪いのシステムだと.

話は長くなりましたが,私がブログで双方向性を強調せず,コメント欄を用意していない理由は上記の通りです.

さて,話は戻りますが,一念発起して私に向けてメールを書いてくれた方々がおります.
仕事のメールじゃないもんですから,「返信不要」の意志が読み取れる場合などは大変失礼ながら放ったらかしてしまった人もおります.
記事を連続で出している途中などは「次の記事がそれへの回答」だという場合もあったりしますし.

とは言え,ちょっと罪悪感もあったりするので,それらへの返答としての記事をここに書かせていただきます.

昨年の後半では,やや政治的な話をさせていただきました.その際,
なぜ右翼・保守的言動をする人にバカが多いのか
に対するメールに以下のようなものがありました.

Q.ここで言う「右の人(右翼)」「左の人(左翼)」が具体的に認識できません
A.これはもっともなご意見で,続く記事でそれらについて私なりに解釈しようと試みているのですが,件のメール送信者にはお答えしないまま放置してしまいました.

私も政治思想を専門にしているわけではないので強くは出れないのですが,「右翼・保守派」と「左翼・革新派」といった左右の議論に,ある種の「混乱」が起きているという認識でいます.
だから「右の人」「左の人」というのが具体的に認識できない,というコメントが来るのは至極当然だと感じました.私もそこが「おかしい」と思っている点だからです.

何がおかしいかって,「保守派を気取っているのにどうして革新的な態度を取る人が多いんだろう」ということです.
つまり,「右」だと自称したり,一般的に見做されたりするのに,なぜか左みたいな言動をする,それはそれは奇妙な光景で,どうしてなんだろうかと考えると,それは彼らが「バカ」だからではないか,というのが私の言いたいことだったわけです.

メールを送っていただいた方は,
つまりは「極端な左右は同レベルに程度の低い信者にしか過ぎない」という点を指摘されていましたが,私としてはそれは当然のこととして,
「バカは左右の信者になるが,中でも右の方がバカさ加減が酷い」
という点を述べさせていただいたわけです.

これについて,片手間に書いているブログでは整理して詳細に説明できませんでしたが,その点をきっちり書いてくれている書籍がその後出版されたんです.
適菜収 著『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』
という本でして,面白いことにその第一章が「なぜ保守派はバカが多いのか」なんです.
この部分を読ませていただき,「そうそう,これが言いたかったんだ」という感じ.

このブログ記事だけでは御納得いただけない方は,ぜひとも適菜収 著『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』を御一読することをオススメします.私も自分の考え方を整理する上で勉強になりました.


もう一件は,大学の在り方についてで,「専門職大学」に関するご意見です.
つい先日いただきました.

Q.学術的な教育をしている大学は底辺私立には少なく,手の施しようがないところまで来ている現在,専門職大学になることは是ではないか
A.曰く,手の施しようがないところまで来ていて,且つ,「本当は専門学校にしたいが,現役教員や学生のメンツの為に「大学」と呼ぶ」ために専門職大学を設置するという手段はありではないか? ということです.
これについて教授会で回答を求められたら,私も「そうですね.そうかもしれません」とお答えするでしょう(笑).
実際,その場で仕事をしているとそういう気になりますので.

ですが,私がもし発言力を持った立場にいれば,なんとかして抵抗したいことなのです.
現時点ではブログを書くくらいしかやれることはありませんが,これはなんとかしたい.

なぜなら,専門職大学を設置したところで,この国の教育の在り方が望ましい方向には向かず,むしろ悪化するという懸念を持っているからです.その理由はいろいろな記事で述べてきた通り.

ではどうすればいいのかと言われれば,「大学」という教育機関に求められていることを粛々と行えるような整備をまずするべきです.
大学教育の質が低下している,などと言われることがあります.
質を低下させたのは大学ではありません.国民です.
当たり前でしょう.大学が自分たちの質を下げようなどと思うわけがない.

職業能力を高めようとすれば,大学教育の質は低下します.
職業能力の向上に大学教育は不要だからです.研究能力や哲学的な思考力がなくても就職はできます.
もっと言えば,職業能力が高まろうとそうでなかろうと,この世の若者は何かしらの職業には就く.それは中卒であろうと高卒であろうと,大学・大学院を出ていようといまいと関係ないのです.

だから大学としては教育の質を下げて対応しようとします.その方が大学としては楽だからです.
大学教育の質を保ったまま職業能力の向上などできるわけがない.できるかもしれないが,それには膨大なエネルギーがいる.だから手を抜く,楽をしたいから.だって大学教育の質を下げてもさほど不満は出ません,職業能力を高めるほうが喜ばれるのですから.

結局何が言いたいのかといえば,この国の指導者が「大学教育」というものをどのように捉えているのか? という点に尽きるわけです.
「大学全入時代」・・・,良いではないですか.何の問題がありましょう.
日本の多くの若者が,高度な研究能力や哲学的思考力を高められる教育を受けられるようになるわけです.大変喜ばしい.
きちんと大学教育を受けられれば,今よりは「保守派なのに革新的な言動をする」などということに疑問を持つ国民は増えるはずです.

ただし,そのためにはそれ相応の出費を覚悟しなければいけません.
職業能力さえ身につけばいい,学生の満足度を高めればいいという教育思想をもった大学経営を許してはいけないし,そうしなければ生き残れない環境に置いてはいけない.
安定した研究教育活動が行えるだけの予算が確保されなければなりません.
※ちなみに,日本の公的教育支出が非常に低いことはよく知られています.
参考資料:教育投資の水準 - 文部科学省(←PDFページ)

それに対し,
「それだとコストパフォーマンスが悪いのではないか」
などと言われたら,もう絶望するしかありませんが.

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