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大学のこれから(5)

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案の定,スーパーグローバル大学が暗礁に乗り上げかけています. そのうち本格的に暗礁に乗り上げるでしょう. 聞くところによりますと,関東ではスーパーグローバル大学(SGU)に選ばれたところは軒並み入学希望者数(一般入試)がふるわず,逆にSGUから外れたところに人気が集まっているようです. そのうち詳細なデータが出ると思うので,気になる人は調べてみてください. つまりは程度の差こそあれ,SGUの評判は一般人レベルにおいては芳しくないことは確かなようです.     だいたい,スーパーグローバルなんてものを気にしていたのは一部の「意識高い系」のバカだけでして,幸いなことに世の中そんなにバカは多くないわけでして,だからこんな状況なのでしょう. ただ,バカは感染します.気をつけなければいけません. そもそもSGUとは,「2018年問題(1818危機)」を前にした大学が,その2018年を食いつなぐための補助金狙いで始めたことです. 2018年問題っていうのは,2018年に18歳人口がガクンッと少なくなることから,きっとそのあたりから深刻な大学経営難が予想されるだろうってことで.その2018年に向けて「どうしよう・・」と大学が悩んでいることを意味します. だから今回のSGUは,補助金支給期間が2013年〜2023年までなので2018年問題を乗り切る上で重要なものと位置付けられることが多かったのです. 実際のところ,SGUに選定されるような大学は2018年問題なんて気にしなくていいところでしょうけどね. ところが,そのSGUに選ばれた大学の評判がよろしくない.という状況なのです. いやいや,SGUは入学希望者である高校生や,世間の評判を気にするような話ではないでしょう.やらねばならぬからやるのだ,という意見もあるかもしれません. 私も「世間の評判を気にして大学ができるか!」という趣旨の記事をずっと書いているわけですし. ですが,もともとSGU自体が「世間の評判」を気にして始めた愚行です. SGUや大学経営に限らず,「それ」について各方面から論じてきたのが私のブログでもあります. 金が入るんだから,入学希望者がふるわなくてもいいじゃないか.と,そんな見方もできるでしょう. いえ,実はこれが最も看板倒れなんです. どういうことかっ

大学のこれから(4)

■ 大学のこれから(1) ■ 大学のこれから(2) ■ 大学のこれから(3) の続きです. 「大学のこれから」と題しているのに,現状の話ばかりで「これから」の話が書かれていないではないか,そんな声が聞こえてきそうな記事ばかりでした. なので今回は,「これからの大学はこうなるだろうな」というものを書いておこうと思います. 大学の広報戦略の話でして,今回のそのツボは, 「明るくフレンドリー」が通用しなくなったら「シックでフォーマル」に変わってゆくでしょう というものです. 今回の話,できれば予備知識・関連知識として以下の ■ こんなホームページの大学は危ない ■ こんなパンフレットの大学は危ない  ■ こんなパンフレットの大学は・・,おっと危ない を読んでおくことをオススメします. 現在の大学では,学生募集が必要なところもそうでないところも,民間企業のマネゴトとしての広報をがんばってやっています. マジで学生募集を本気でやらないと潰れる大学は,それなりの広報をやっております.が,その他多くの大学は周りの大学の手法をマネたり,もしくは広告会社のアドバイスを聞きながらのんびりやっているのが実情です. 今のところ,学生募集が気になり始めた大学の主流は「明るくフレンドリーな雰囲気を広報することで,高校生に親近感を持ってもらう」ということを狙っています. ためしに,有名と言えるほどではない大学のホームページ等を見てみましょう.どこもかしこも「明るくフレンドリー」なアピールで溢れていますよね. たしかに,明るくフレンドリーな雰囲気を提示すれば,世の高校生の大多数の感覚としては好まれることと思います. しかし,好ましく思われることと入学したいと思わせることとは違います. 民間のマネゴトを楽しんでるだけで済まされる大学では,そんな「好感触」を得てもらう広報でも十分かもしれません.さしずめ広報委員会なんかのミーティングでは, 「えぇ〜と,来年のパンフのデザインですが,今日の朝にメールで業者から案が挙がってきましてですね.まず文学部のページについてですけど,そちらにお配りしているA案とB案なんですが,どうでしょう? どちらがいいですかねぇ」 「うーん,そうですねぇ.A案の方が見やすいし綺麗なんだけど,B案の方がうちの学部らしいですよ

大学のこれから(3)

これからの大学がまともな道を歩めるか否か,その違いを見分ける「ツボ」をご紹介するこのシリーズ. ■ 大学のこれから(1) ■ 大学のこれから(2) の続きです. こういう大学教員や組織がのさばるところに未来は無い.というのをじんわりと表すツボを説明しています. 今回のツボはこちら. iPadが好き iPadがあれば仕事が捗る.iPadを使えば授業が変わる.iPadでできることは他に何かないだろうか? と,そんなことをいつも話題にしている教員が一定数存在する大学に将来はありません. それこそこれは「学生目線で見ても」,iPadを信奉している教員に碌な奴はいない.そうでしょう? おいおい,いくらなんでもそりゃ短絡的すぎじゃないか,と思われるかもしれません. しかも私自身がiPadユーザーの一人というところでもあるのですけど,これはなにも “大学教員たるものiPadユーザーになってはいけない” などと言っているわけではないのです. これには順次説明が必要です. まず,iPadごときで大学の仕事が捗ったりなどしません. 大学での仕事というのは,iPadが得意とする “やりたい作業や得たい情報が,事前に一定程度分かっている” ような作業はそう多くないからです. とは言え,iPadを使えば便利にはなる作業もあるでしょう.私も仕事で使っていますし,いろいろと使いドコロはあるものですが,これがないと仕事にならない,大学としての作業能率が落ちてしまう,なんてものではないのです. しかし,それを「捗るぞぉ」などと大袈裟に騒いでいる時点で,まずそいつが大学教員として無能であることの証左となります. ところがそんな自身の無能を恥じること無く,こうしたiPad好きの教員は「これからの大学はiPadが活用されるべきだ」などと吹聴します. だけならまだしも,iPadによって授業方法に幅が出たとか,学生への満足度が高まる可能性があるとか,iPadの誕生は授業に革命を起こすなどと目を輝かせます. 他方で,「アンチiPad使い」なる教員もいて,じゃあ彼らはまともな事を言うのかと思いきや,その他のタブレット端末の優位性とかオリジナリティを説いているだけで,本質的にはiPad好きであることに違いはないのです. こういうのってちょうど,プレイステーシ

大学のこれから(2)

前回の■ 大学のこれから(1) の続きです. これからの大学がまともな道を歩めるか否か,その違いを見分けるツボをご紹介したいというシリーズにしております. 今回のツボはこちら. 学生目線を大事にしたがる です. 注意していただきたいのは, 学生目線を大事に「する」ということではない 点であり,「したがる」というところがツボなのです. 教員個人のレベルではこんなところに表出します. 例えば,表向きは「学生のことを第一にしなければならない」とか「学生の喜ぶ顔がみたいから」などと言っており,より具体的な事例としては「教員も学生と同じ土俵で向き合わなければならない」とか「教員も学生を評価しているのであれば,学生も教員を評価して然るべきだ」などと言って授業評価アンケートを肯定的に捉えているような節のことを発言しています. そうして情熱を持って学生と真剣に向き合っているならまだ許せますが,こうした “学生目線を大事に「したがる」” 手合いの教員は,得てして肝心なところで学生のことを放ったらかし,教育らしい教育をしていません. その代表的なものが卒業論文です. 普段から「学生のことを考えて・・」などと発言しているのですから,てっきり卒業論文もみっちり指導するのかと思いきや,そこは何故か「学生が主体的に取り組むものだから」と言って消極的になります. あぁなるほど,主体性を大事にして書かせ,その上で最後に仕上げてくるんだろうなと思っていたら,そのまま最後まで放任して終了. え? 学生目線を大事にしたいんじゃないのですか? そういうわけで,こうした教員の言う「学生目線」というものが,多くの学者・教員が考えている「学生目線」となんらかのギャップがあると思われるわけですね. ではそのギャップとは何なのかといえば,端的に言うなら後者が学生の能力を高めることを通して「社会や人類に貢献する」ということを目指しているのに対し,前者は学生個人の利益誘導を狙うことで「自分が学生から好かれたい」ということにあります. ここで皮肉なのは,彼らはそうして学生から好かれたいという一心で振る舞っているのですが,残念なことに,まことに残念なことに,そんな彼らが重要視している「授業評価アンケート」の結果が芳しくないというところです. んで,そういう結果を前にして「授

大学のこれから(1)

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私はこれまで3つの大学に赴任したことがあるのですけど,それぞれの大学において,それぞれの特徴を見てきました. そんな経緯だからなのか,学生を含め,大学というところで働いている人達の行動とか組織について,一定のパターンを見つけることが多いものです. 以前勤めていた大学の方からも,私がそこに居た時に話していた「この大学は何年後かに◯◯みたいなことをやり出しますよ」といったものが,現在,実際にそうなっているということも聞きます.     ※そんなドタバタしていた3年前に,大学の在り方に不満をぶつけるつもりで書いてたのが, ■ 反・大学改革論 とか, ■ こんなホームページの大学は危ない とかです. “実際にそうなっている” と言いましても,たいていは悪い方向の話なのですけど,私のように30歳そこそこの人間であっても,ツボさえおさえれば大学組織の将来の姿がかなりの精度をもって予測できるのだと感じている次第です. 「ツボさえおさえれば」というところが大事な部分でして,そのツボをおさえられていない人が案外多いものですから,現在の大学は,その思惑と期待とは裏腹に高等教育崩壊への道を突き進んでいるのです. 「ツボ」ってなんなんだ? と思われたでしょう. なので今回の記事からは,それがどのようなものなのかお話しすることにします. 今回のツボ:整理整頓,スペースの有効活用を叫ぶ大学に未来はない 未来のない大学ほど,不要なものを処分しようとします.スペースを有効活用できないかと議論したがります. とは言え程度の問題でもあります.どんな状況になったら危ないのか,その線引きですが. 例えば図書館の蔵書.古くなったものは捨てようとか言い出すのが典型的です. 古い蔵書を捨てたら即未来がないと言っているわけではありません. そういうことを井戸端会議や教授会で言い出す教授陣がいることをもって,その大学に未来はないと言っているのです. 図書や雑誌は,大学における重要な教育資源です.それを「最近は読まなくなったから」とか「学生も興味を持っていない」とか「古い本がスペースを圧迫している」などと言って購読中止させたり廃棄しようとします. なかには,不要なものを思い切ってバッサリ捨て去るこ