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新年への準備,お宮とか田の神とか

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明日から2017年ですね.ここ実家でも新年の準備にバタバタしています. 私の家はこの地域のお宮の手入れを担当しています.なので今日は父と一緒に,今晩から正月三ヶ日にかけて必要な作業を済ませてきました. 田舎にある薄暗いお宮の内部を見ることなど普通はないでしょうから,興味のある人は御覧ください. まず,これが我々の地区のお宮です. 村の中心部にある鎮守の杜に建てられています. 小学生の頃,学内行事でここにピクニックに来ることもありました. その時,御神木の樹の皮の一部を剥いでしまった同級生がいて,それを学校に持って帰ってきたことが先生に知れ,えらく怒られていたことを思い出します. 小学生ながらに,「罰当たりめ.こいつには「教養(みたいな概念の何か)」がないな」と呆れたものです. たしか,本件は全校集会になったと思います.学校長の英断です.今ではどうでしょう.「御神木ごときで・・」と,そんなことしない学校もあるかもしれませんね. 学校の隣にあるお宮ですので,たまにここで遊んでいました. 床下に潜り込んでいたのも懐かしい思い出です. 今じゃ入る気がしないです. ちなみに,このお宮の担当をしている父たっての希望で,地区の人々に頼み込み,「力石」というものを鳥居の横に設置させてもらいました. 「力石ってなに? どういう謂れのもの? 」っていう話はまた後日. そんなことより,お宮の手入れです. まずは鳥居のしめ縄を調整. シデ(紙垂)を取り替えてきれいにします. 父の脚立に載る姿が年を感じさせるようになってきました.危なっかしい動きがするところは私が代わることに. 次は宮の中. さかき(榊)を新しいものに取り替えます. 奥が新しい榊,手前が以前の榊.写真では分かりませんけど. これも紙垂を付けて,社の横に飾ります. 三方(さんぽう)に,米,酒,塩,水を載せて棚に置きます. 手前・左から,水.その右が塩の小皿. その奥が酒が2つ並びます. 写真では見えにくいですが,その奥に小皿に載った米があります. 米はこぼれるほど山盛りにすることが作法とのこと. 三方を並べて完成. 本当ならそれぞれに「おめでたいもの」を載せるので

2016年も残り少なくなりました

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実家に帰ってきています.高知です. 今年の庭からの星空の眺めはこんな感じです. 昨年も星空の写真をお見せしましたが,あれからもう1年になるのですね.時が経つのが年々早く感じます. あっという間に一生を終えるのではないかという気になりますが,この星空だけはずっと静かに輝き続けるのだと思うと,なんだか安心感があります. 実家に帰るとテレビを見るようになります.食卓にテレビがついているので,仕方なく見ることになるのです. テレビを見なくなって15年・・,という話を最近記事にしていましたが,別に私はテレビを見るのが嫌なわけではありません.あれば見るのです. 目を通していますと,「2016年の総まとめ」的な番組をやっている事が多いですね. こういうのを見ますと,今年に何が流行っていたのか確認することができます. で,ぜんぜん分かりません. 紅白歌合戦とか,もう意味不明な人たちだらけです. 気になった話題がいくつかあります. 一つ目は,シャバに出てきた清原和博氏を取り上げたもの. ネットニュースにもなっていました. 人間の醜い部分が,これでもかと感じ取れる話です. いえ,清原和博本人のことではありません.これをニュースにしている人達がいることと,つまりは,その話を楽しみにしている人たちが記事やテレビの前にいるということが,です. 清原和博氏の現在の姿を見て,何がいいのでしょう.こんなのを見て「覚醒剤は良くない」などと改めて考えるわけではないでしょうに. そっとしておいてあげるのが,まっとうな人間のすることだと思います. 二つ目は,BSのチャンネルをいじれば,どれもこれも通販番組ばっかりだということです. 昨年から気にはなっていたのですけど,いくらなんでも多すぎだろうと思ったので,ネットで検索してみたんです. そしたら,制作費と視聴率との関係で,どうしてもそうならざるを得ない状況があるのだという説明をよく見ます.どうやらそういうことのようです. 最近は,我々研究者が参加したり運営したりする「学会」も似たような状況にあります. 運営者側が時間と場所(プログラムと教室)を用意したら,あとは企業に頼んで発表内容を用意させ,講師も呼ばせてやりくりするというもの. ランチョンセミナーっていう弁当を食べながら聞くスタイルのものが

続・入学試験クツこれ

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そう言えば,書いたあとにビックリしたのですが,なぜか, ■ 入学試験クツこれ の閲覧数が伸びます. なんででしょう? てっきり, ■ 入学試験あれこれ の方が,昨今の大学入試事情を茶化したものなので読まれると思っていたのですが. せっかくなので,私なりに「靴」のことを続編のように書いておきます. その記事ではざっくり触れたことを,もう少し詳細に述べておきたいのです. 「大学教員の仕事には「足音」のしない靴が求められます.受験生の迷惑にならないよう,足音のしない靴を要求されるからです.」 という趣旨の内容でした. なので,高級靴にありがちなコツコツ,カツカツ音の出る靴は避けられやすいのです. これはなにも,「大学や学校の教員は,足音が発生する靴を履いてはいけない」というわけではありません.通常勤務時やオシャレをしたい時にはそれでも構わないでしょう. でも私としては,何足も靴を履き分けることはしたくない,というだけのことです. さらに私の場合,普段,革靴を履くことはできるだけ避けたい人種です.通勤だけでなく,学内では専らスポーツシューズやサンダルを普段使用しているので. (そういう意味では,「何足も履き分けている」のかもしれませんが) そんなスタイルですから,メンテナンスに手間をとられる革靴はできるだけ避けています. ところが,そうは言っても革靴は月に何度か履く必要がありますから(まぁ,無理すれば履かなくてもいいのが大学教員なのですが),一応用意しなければいけないわけでして. それに,冠婚葬祭のこともありますし. こうした状況から導かれる最適解は,「安価なゴム底革靴を高頻度に買い直す」というものになりました. なかでも以前ご紹介した, とか,同じようなコンセプトで作られている, などが,実体験として履き心地が良いということです. (なお,私はアシックスの回し者ではありません.知り合いが内部にいるのは確かだけど) これらは,いつも履いて「慣らして」おかなくても,足が痛くなったりすることがありません. 革靴って,履き慣れておかないと不快じゃないですか.それが無い,ということです.これは私のような革靴敬遠生活を送っている人間にとって都合がいいのです. あと,前回記事に加えてさらに強調しておきたいのは,

大学における体育授業の意義3 危ない大学こそ体育が大事

大学における体育授業の意義について語り始めて3回目. 今回は,「どうして大学の体育は『楽しむこと』を重視した方がいいのか?」という点について,角度を変えて論じてみたいと思います. これまでの記事を読んできた大学体育教員の中には, 「本学には,体育の授業を楽しく取り組む学生はいない.体育館の壁にもたれて座り,じっと動かない奴がいる」 などという現状を嘆いている先生もいることでしょう. たしかにそういう状態の大学もあります. そして, この手の大学はたいてい偏差値が低い . さらには,たいてい 危ない大学 であるケースが多い. 誤解を恐れずに言えば,スポーツや運動への関心の高さと,知能レベルは比例します. バカはスポーツを楽しめない からです. さきほど「偏差値」の話をしましたが,偏差値が高くてもバカはいます.「スポーツなんて・・・」といじけてる学生は,総じて頭が悪いんです.勉強のできるバカっていますよね.あれです. 逆に,部活動や競技スポーツをバリバリやっている人の中にも,「隠れスポーツ嫌い」はいるものです. 自分の専門競技以外には関心がなかったり,自分が納得できる条件下でなければゲームをやらないというタイプの人です. 体育においても,一見積極的に取り組んでいるように見えて,その実,非常に身勝手なことをしてクラスを混乱させている奴がいますね.そいつです. この人はスポーツがしたいのではなくて,単に自分が楽しくなりたいだけです. バカはまともにスポーツへ取り組めません. 私もまだまだ若輩者である自覚はありますが,それでもこの業界での仕事を始めて10年になる中から導かれる法則性.これにはかなり強力な相関関係を見出しています. ちなみに,学力とか学習能力の話をしているのではありません.体力や運動能力のことを評論しているわけでもありません.お間違えないように. 身体パフォーマンスが優れていることは悪いことではありませんが,スポーツを楽しむこととは別です. スポーツのスキルや競技力が高いことはもちろん良い事ですが,低体力者であろうとスポーツはできるし,下手でも楽しめるのがスポーツです.学力の有無に関係なく,バカだとここを理解できません. そういう意味でも,我が国の学校・学習指導要領に繰り返し

体育学的映画論「ポチの告白」

“警察官の実態” この手の話が広く世間に知られるようになった今日. 「ポチの告白」 は,このテーマを基にして警察のような組織の闇について,さらに深くえぐり出した映画です. ■ ポチの告白 (wikipedia) 3時間超えの作品ですが,あっという間に時間が過ぎました. 公共の福祉にまつわる仕事に就いている人が本作を見れば,ここで描かれている事の水面下の流れがよく感じとることができるものと思われます. 警察組織犯罪,職務怠慢,非合法捜査といった警察官の悪事にスポットを当ててはいますが,この映画は「その職業ならではの必然的な悪習」について考えることができる作品です. 本作を見て「警察官は,その気になればこんなに悪いことができるんだ.今の警察は腐ってる.抜本的な改革が必要だ」と思う人は,まだまだ子供です.早く大人になりましょう. 逆に,「警察は悪事を働いているばかりではない.ここには警察の正の側面が描かれていない」と言い出す人は,もっと冷静に映画を見たほうがいい. この作品で描いているのは「警察の闇」そのものではありません. システムと環境に曝された人間は,そのシステムと環境に適応した思考と行動を採るようになる. ということを描いています. 警察という組織が存在することで,必然的に現れる適応現象とは何か.について考察された作品です. 私は警察を擁護しているわけでもなければ,本作をけなしているわけでもない. 「ポチの告白」は,警察という使命と役割を担った組織を運営することの難しさを垣間見る上で,非常に有益な映画です. 私の先輩,同級生,後輩には警察官がたくさんいます.そういう卒業生が多い大学だったので. あと,身内にも警察官はいます.何年か前に退職した叔父は,警視庁で働いていた人です. 彼らの話を聞いていれば,本作で描かれていることは過剰演出なところはあれど,嘘ではないと言えるでしょう. 警察官は聖人君子ではありません. 私の先輩は一見「人間のクズ」のような人ですが,警察官です. ヤクザみたいな風貌で,ヤクザみたいな態度で暴力的に私たちに接していた人でした.学生の頃,胸ぐら掴まれて壁に叩きつけられ,脅されたこともあります.でも今は警察官です. 仕事以外の時は,スピード違反で捕まっているそうです.乗ってる車もファンキー

水素水に効果はあるのか? っていう疑問がそもそも問題

途中まで日露首脳会談のことを書いていたのですが,やめました. 呆れた話だし,おもしろくないので. で,ニュースを見ていたら,こんなものがありました. ■ 水素水「やっぱりただの水」 国民生活センター調査の唖然 まだ売ってたんですね,これ. 私が所属していた大学院の研究室に「水素水の効果を確かめてほしい」というメーカーからの依頼があったことを思い出します.私が院生の頃ですから,今から10年前でしょうか. 後日,メーカーから12本入りのダンボール箱がいくつも送られてきたので,置き場所に困ったのもいい思い出です. 「ひとまず対象製品を送ってきてください」と私の先生が返事しちゃったからなのですが,あまりにバカげた依頼に誰も調査・検証するわけもなく,院生室の壁一面を占拠して一週間. 「邪魔だし,さっさと片付けないと」という指令が出たので,そのまま捨てるのも勿体無いと思い,助手・院生総出で水素水を毎日来る日も来る日も飲み続けました. 最初のうちは,みんな物珍しそうに飲むんです. 「うん,水だ」 「うん,完全に水ですね」 「まるっきり水だね」 そのうち,ただの水なので飽きてきます. 「シュワっとしたら効果があるように思えるんじゃない? メーカーの人に提案したら?」 「でも,それだとただソーダ水ですよね」 「これで水割りつくったらおいしいかも」 「いや,まずかったよ」 「え? もう試したの?」 たまに遊びに来た学生をつかまえて,「これを飲んだらパフォーマンスが上がるぞ」と騙して飲ませてもいました.彼は「マジっすか.ありがとうございます」と嬉しそうにたくさん持っていきましたが,その後は知りません. そうこうするうち気がついたんです. こんなに毎日何本も水素水を飲んでいるんだから,自分たちの生理的指標や心理尺度をきちんと測定したら,それで検証実験になるんじゃないかと. 「いや,そもそも『水素水』っていうもの自体がパチもんなんだから,そんな調査する意味がない.時間の無駄」 という院生もいました.正論です. 私と,もう一人の院生は,趣味で大学のトレーニング室に週3〜4回通っていました. だから,一応筋力トレーニングへの影響という観点から客観視することはでき

大学における体育授業の意義2

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「 体育の実技指導ができない大学教員が増えてきた 」 と言われることがあります. そして, 「体育の指導方法を習ったことがないから,不安だし, 授業計画が負担でしょうがない 」 とか, 「いつも学生になめられているようで悔しい」 とか言ってる先生もいますね. たまに相談を受けることもあります.     でも,私はこう思うんです. 初心者にとってハードルが高く,入り口としての専門性が求められる種目(ダンスとかスキーとか)や,慎重な安全管理が求められるもの(水泳とか野外活動とか)でもない限り, 大学体育の授業を教員が必死こいて指導しなくてもいい ,と. そうですね. 「救急処置法」くらいの知識があれば大丈夫 じゃないでしょうか. 一方,実技指導の能力はあるくせに,救急処置ができない教員もいます. 学生がケガをしても知らんぷり,かと思えば摩訶不思議な応急手当をしたりする. こういう教員こそ危険です. 以前の記事の続編のつもりで書くので,興味のある人はこちらもどうぞ. ■ 大学における体育授業の意義 そもそも,大学の授業として「体育」を受けさせる意義をきちんと考えてみたことがない人が多いのです. そんな状態で悩んでいては,いつまでたっても自分なりの答えは湧き出てきません. ひとまず体育をやってる感がある「スポーツ・スキルを習得させる」ことを第一に考えてしまうし,学生も一見それを望んでいるように見えるから,そこが大事だと思ってしまいます. それも当然かもしれません.中学・高校まではそれが「体育」だったのですから. でも,考えてもみてください. 大学に来てまで「スポーツ・スキルを習得させる」ことに何の意味があるのか. 常識的に考えたら「ありません」よね. けど,それでも大学には体育の授業があるのです. 大学の手前である「高等学校」における体育の学習指導要領に目を通してみましょう. 「保健体育の目標」にはこう書かれています. 心と体を一体としてとらえ,健康・安全や運動についての理解と運動の合理的,計画的な実践を通して,生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続する資質や能力を育てるとともに健康の保持増進のための実践力の育成と体力の向上を図り,明るく豊かで活力ある生活を営む態度を育

テレビのない生活の流行語大賞

疲れました. 1週間が怒涛のように過ぎ,ようやく一息ついているところです. 不思議なもので,こっちでコントロールできない仕事って分散されず固まって入るものですね. さて,年末に取り沙汰される流行語大賞について,「テレビのない生活15年」の私が考えてみようという記事です. 流行語大賞のホームページに,過去の受賞対象が挙げられています. こちらです↓ ■ 新語・流行語大賞 (自国民社) 私が流行語大賞っていうのを初めて意識したのは高校生くらいの頃. 「凡人・変人・軍人」っていうのが懐かしい思い出です. 流行語大賞って,流行していないものを取り上げるものなんだなぁってのが最初の印象でした. これは「 知ったかぶり大賞 」というのが実際のところだろう,と見做して早20年近くになります. 同時代のものをみると,「ハマの大魔神」と「だっちゅーの」が受賞しています.これはたしかによく聞いた覚えはあります. でも,「流行」していたかどうかと問われたら,かなり疑問です. なにがどうなったら流行なんでしょうね. 少なくとも,その年に印象深い,参照・引用・利用されることが多かった言葉と考えると良いのかもしれません. でも,「だっちゅーの」なんて,寒いオヤジギャグにしかならいでしょう.よほどのバカでなければ,能動的に使用する用語ではありません.実際,私の学校では話の節々で「だっちゅーの」と言ってる奴は無慈悲にバカにされていました.それだけに,たしかに印象深い影響のある言葉だったと言えます. 今日,こんなニュースがありました. ■ 俵万智氏「『死ね』が世の中動かした」 流行語選出批判に「思い」明かす (Yahoo!ニュース) 「保育園落ちた日本死ね」って,たしかに今年の流行語でしたね. 選ばれて当然の言葉だと私は思っていますよ. 選出理由はいろいろあるんでしょうけど,つまるところ「流行していた言葉」だったかどうかは重要です. その「選出理由」が気に入らない人が多いようですが,その年を代表する言葉であれば,別になんでもいいと思うのです.選ばれたからって何かあるわけじゃないでしょうに.そんなにいきり立って評論しなくても,気軽に楽しめばいい. 「神ってる」は,テレビのない生活を送っている私にとっては初耳です. テレビのない生活を送る

テレビは無いけどテレビに出たことはある

今回は思い出話. テレビのない生活も15年になりますが,その間にテレビに出ること2回です. なかなか貴重な体験をさせてもらいました. 1つはNHK.もう1つは朝日放送です. NHKは学生時代です. なぜか私の母校でやってる課外(サークル)活動が珍しいということで,NHKの番組プロデューサーの目に止まったらしく,それで取材に来ました. その課外活動をやっている一人に私も含まれていまして,それでテレビ番組のなかの企画の一つとして写ることになったんです. 夕方の生放送番組で,全国をつないで各地域のネタを放送するというスタイルのものだったと思います. その時既に私はテレビを廃棄していたのでよく知りませんが,朝昼夕と似たような形式の番組はよくありますよね. 私達学生が活動している様子を,「カメラで流しながら撮るだけだから」っていう打ち合わせをしてからスタート. あぁいう番組って,結構適当にやってます.一応「ここを撮ります」って準備はするものの,あとは行き当たりばったりな感じです. 実際,私のところまでカメラが回ってきた時,なぜかアナウンサーが私にマイクを向けてインタビューを始めたのです. そりゃビックリですよ.「え? 俺?」って. 話が違うじゃないか. 周りの友人達もギョッとした顔をしている.私もギョッとしている. 蜘蛛の子を散らすように・・,という日本語はよくできているなと感心した次第です. 生放送だし,このカメラの先に何百万人の目と耳があるかと思うとやっぱりビビります. アナウンサーがなんか聞いてくるから,それに応える.何言ったのかよく覚えていません.でも,意外と流暢に言葉が出るものなんだなという感覚は記憶しています. そのあたり,アナウンサーも応えやすい質問の仕方を心得ているのだなと思います. あとで「突然ゴメンね」って謝られました. 時間が思いのほか余ったから,とっさに「学生の声」として拾ったらしい. もう一つの朝日放送は,バラエティ番組でした. これは大学で研究員をやっていた頃です. バラエティ番組の企画で,芸人たちの体力テストをやるってことになったらしく,それで所属研究室の教授に同伴して出演することになったのです. 今度は生放送じゃないから気が楽です. 当初大学からは「テレビ出演に関する相談のた

大学における体育授業の意義

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以下,大学における 一般体育の授業方針 に悩んでいる教員(教務委員の先生も含む)の参考になればと思います. このブログでは,何度か「大学において体育は軽視されがちだけど,本当は重要な科目」ということを述べてきました. 例えば→■ 昨今の大学用語辞典 より 【体育】強い理念のもと指導する教員が多いわけではない,学生にとっての休み時間.本来は大学教育において重要な科目. これについて,以下の記事↓ ■ 井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」 でもお話したことがありますが,今回は別の観点から述べてみます. 「運動能力が高い人は学力も優秀」 「スポーツをすると学習機能が高まる」 などと言い出す人もいますが,これはどうでもいいことです. 週に1回の体育の授業とはなんら関係がない. それに,研究ではたしかに有意水準ではあるけど劇的な影響はみられません. こういうのは,特に大学において重要視されやすい知的活動へのコンプレックスから来ていることですね. 「スポーツを勉強することにも意義がある」とか「健康を保つためにも価値がある」などと宣伝する人もいますが,これも副次的なことです. 一方,「スポーツの技術・技能を高めること」を第一に掲げる人もいます. 結構います. これは論外です. たいてい,昨今の「スポーツ科学研究」の隆盛についていけない教員が,己のアイデンティティである指導能力を誇示するために使っているロジックです. スポーツ技能の習得なんて,わざわざ大学に来てまでやることではないし,上手くなったからどうだっていうんでしょうか. 教え方が上手いことを自慢したいなら,どっかのインストラクターにでもなればいい. お願いですから普通に大学教員として人類に貢献してもらいたいものです.   では何が重要なのか. スポーツは,スポーツすることそのものに意義があります. スポーツという営みを通したなかに人間らしさが現れます. そこに教育価値を見出すことができるのです. 直接的に言及したことはありませんが,関連した過去記事があります. 私の祖父が海軍の学校で経験した体育について述べたものです. 班対抗の持久走レースが企画され,ルールは「その班内で最も遅くゴ

カジノの使い道

カジノの話が喧しい. ■ カジノ法案、あす衆院委採決方針 自民、今国会成立狙う (朝日新聞) カジノを含む統合型リゾート(IR)の整備を政府に促す「カジノ解禁法案」が30日、衆院内閣委員会で審議入りした。自民党は同日、連立を組む公明党に対し、12月2日に委員会で採決したうえで、6日に衆院を通過させる方針を伝えた。議員立法だが、政府・自民は14日まで延ばした今国会での成立をめざしており、国会最終盤の焦点となりそうだ。(朝日新聞) 私は過去記事で「カジノ」について扱ったこともあります. 実は,カジノ自体に反対はしていません.むしろ,使い道によっては良い効果が期待できるとも思っています. ところが,この一連のカジノ法案はなんだかきな臭い.というか,かなり熱くて煙い. 法案は超党派の「国際観光産業振興議員連盟(IR議連)」に所属する自民、旧維新の党、旧次世代の党の議員8人が提出。カジノ実現のため政府の法案提出を義務づけており、議連はかつて安倍晋三首相が最高顧問を務めていた。30日の内閣委では、議連会長の細田博之・自民総務会長が趣旨説明で「観光及び地域経済の振興に寄与するとともに財政の改善に資する」と意義を強調。議連副会長で日本維新の会の小沢鋭仁氏が「ビジネスとして極めて有望だ」と答弁した。 安倍晋三と維新の会. 地域振興とビジネス. この組み合わせは国体崩壊間違いなしです. 過去記事(既に6年の歳月が流れた)でも述べたように,私は「カジノを作る」という法整備過程において, 1)競馬,競艇などの賭博ができる地域・都市を限定,規制する 2)パチンコを取り締まる 3)公共交通機関を整備,促進するための起爆剤 が期待できると考えていたからです. ■ カジノ(他)をつくろう かつては私も政治や世論にちょっと期待していた部分があったので,「カジノを作るふりして賭博・風俗関係をしっかり管理できるような体制にできればいいのに」と妄想しているところがありました.「バカとハサミは使いよう」と考えていたのですね. でも,そうした甘い期待はできないと知った20代. 今となっては,同じような状況を見たら「キチガイに刃物」と思うようにしています.今回は「安倍にカジノ」です. 人間,どうしても一定数のバカがいます.

大学教員を目指す研究者がやめるべき習慣

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先日,こんな本が出ていたので買いました. 適菜収 著『男が30代でやめるべき習慣』 このブログでは何度か取り上げている適菜収氏. この本に限らず,氏の著書には共感できることがたくさん登場します. さっそく読んでみたら,過去の私の記事でお話してきたことと重なるところが結構多いんです. せっかくなので今日は,適菜氏の言葉を私の過去記事と共に並べてみました.     適菜氏) 本当のところ「何をやるべきか」なんて誰にもわからないのです.―― 「やるべきこと」ばかり考えていると,つらいどころか,現在を無駄にします.―― やらなくていいこと,やめるべきことを見極めるのが大切です. 過去記事)■ オープンキャンパスの来場者数を想う より 「やったほうがいい」よりも「やってはいけない」を選別することのほうが重要.これは人生何事においても同様です. 適菜氏) 「英語の勉強」をやめる 英語が話せても,ダメなやつはダメ.―― 急に英会話教室に通いだすやつは,布団を売りつけられる老人と同じです.―― 日本人が英会話できない理由は必要ないからです. 過去記事)■ 英語教育は国をあげて取り組むことか? より 他の国々が英語教育に時間を割いているのは,海外に職を求めなければならないほど国内が不安定であり,さらには自国の言語では教育コンテンツが乏しいからです.―― 日本はこれに対し明治初期において,「翻訳」という作業に勤しむことで日本語の語彙を増やし,高等教育に耐える言語にしました.―― 昨今の英語教育を推進する動きというのは,その先人たちの努力を踏みにじるものと言ってもよいでしょう. 適菜氏) 「テレビ」を捨てる テレビを捨てて自由を得よ.―― テレビは手っ取り早くバカになる道具です. 過去記事)■ テレビのない生活のすゝめ より よくよく考えてみたら,テレビって一方的な情報提供ですよね.実は,自分が面白いと思っているものだけ愉しみたい,というワガママを叶えるものではないのです.妙な話です.本能の赴くまま,己の欲望を満たすための行動を取る上では,テレビは障害にしかなっていないのですよ.―― テレビのない生活がどうのこうのというよりも,むしろ「実は,テレビのある生活は苦行ではないか?」というところで検討したほうが興味深いのかもし

豊洲移転問題みたいな問題を考える

先日,自転車がパンクしたので近所の自転車屋に修理に出したんです. 「チューブだけじゃなくタイヤも替えなきゃいけないので,3,500円くらいですかね」 という見積りをしてもらい,自転車を預けてしばらく時間潰し. 予定していた時間に取りに行くと, 「チェーンが弛んでいたので調整しました.硬めのオイルを付けているので最初は動きがぎこちないかもしれません.あと,ブレーキパッドがズレていて,ワイヤーも緩んでいたので,これも調整しています.キーロックの動きが不安定になっていたので錆取りをしてオイルを入れています」 ということで,本来ならこれ全部注文するだけでも3,500円以上するメンテナンスなのに, 「こちらで勝手にやったことなので,料金はいいですよ」 とのこと. 自転車への愛情が感じられる仕事です. こういう仕事人にはお金を出さねばなりません.4,000円払ってお釣りは受け取らないことにしました(って,なんとケチくさい自慢でしょう). さて,このような自転車屋に, 「なんで勝手にチェーンを調整したんだ.ブレーキパッドは本当に直っているのか」 と文句言って, 「明らかに約束と違う.なんなら金は払わないぞ.責任を取れ」 とクレームをつけるのが東京人です. 豊洲移転問題みたいですね. 朝日新聞社のウェブサイトに,豊洲移転問題の推移をまとめたものがありました. ■ 築地市場の豊洲移転問題 (朝日新聞) これまでの一連の流れを確認することができます. で,結局のところ最大の争点は何かというと, 「盛り土で建設する予定だったのに,いつの間にか地下ピットとして計画され建設されている」 ということ,つまり当初の計画と実際の建設状況が異なるということです. たしかに小池都知事が指摘するように,「都の職員に手続き違反と説明不足があった」ことは事実.それにより結構な人数の職員が責任をとらされて減給処分になっているようです. いやいや,それより「土壌汚染」と「安全性」が最大の問題なんだよ! と言い出す人もいますが,この点について「本気」で争点化されることはありません. なぜかと言うと,そもそも現時点で築地市場よりも豊洲市場予定地の方が清潔であり,安全性が高い可能性があるからです.築地市場は元・毒ガス兵器工場跡地ですし,地下には第5福竜丸で

エアコンはつけっぱなしでも問題ない

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そういえば, ■ 男子教員と女子学生 の記事で,「欧米の大学(に限らずマンションやビル)では建物内全体を暖房(いわゆるセントラルヒーティング)しているので,冬季でも “学生と二人っきりにならないようドアを開けっ放しにする” ということができるが,日本ではそれが困難」という話をしました. これについて,去年こういう噂がネットに挙がったので,今夏,私の生活をかけてテストしてみたのを思い出したんです. 「エアコン(冷暖房)は,つけっぱなしの方が電気代がお得」 え? そうなの? って思ったので,おそらく専門家と称してよいであろう私の弟に聞いてみたんです. 彼は学術博士(工学)なので. 「世間では知られていないけど,それは本当.気密性の高い建築物ではつけっぱなしにすることが本来の使い方.ちなみに,日本らしい建築物と扱い方をする環境下でエアコンを取り付けることは極めて非効率.日本に限らず前時代の建築物はエアコンがなくても自然空調されることを狙って作られている.また,日本は部屋の窓を全開にして空気を入れ替える文化がある.あれには何の意味もないけど,おまじないとしてやりたがる人が多い.キッチン,トイレ,風呂場の換気扇やドアや窓の隙間など,ほっといても生活をしていれば空気は循環する.都市部や工場地帯で部屋の空気を盛大に入れ替える人がいるが,あれはバカだと思う.内部の空気のほうがきれいなのに.一方,エアコンは気密性の高い建築物において最大の恩恵を得られるような哲学から誕生している.むしろ,密閉状態を作れないところに取り付けるべきではない.24時間換気設備とエアコンを稼働させることのほうが,シックハウス症候群やカビ,虫対策としても有益.というか,繰り返すけどそれが本来の使い方」 とのことでした. 換気設備は24時間回しっぱなしが良いというのは以前コイツに聞いたことがあったのでやっていましたが,エアコンもそうなのですね. だから私もこの夏やってみました,「 8月全日エアコンつけっぱなし実験 」を. 本当は7月からやりたかったのですが,エアコンをつけるほどの日がなかったので,本格的な暑さがくる8月からにしました. 結果です. 24時間31日つけっぱなしていても,電気代は高くなりませんでした. 以下の通り, 7月:3,500円 8月:4,000円

エクセルで大量のデータを等分割して統計処理したいとき

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卒業論文,場合によっては修士論文などのデータ処理でも使えるエクセル・スキルをご紹介します. 大量のデータ群を等分割し,それぞれで平均値や合算値を算出して分析したい場合があります. 例えば以下のようなデータです. 想定されるのは,条件Aと条件B(被験者A,被験者Bなど)において,ある課題をやらせた際の時系列によるパフォーマンス・スコアや心拍数データなどを分析するといった場合です. ところが,ここで困ってしまうのはサンプリングされたデータの数です. 条件Aと条件Bで比較したいんだけど,素直に上図のように並べてしまうと,まるで両者が異なる結果のように見えてしまう・・・. つまり,そこで「困ってしまっている」こととは,「本当はこの両者に「違いが無い」ということを言いたいのに,グラフや表にすると「条件間でデータが異なる」と見えてしまうことです. たしかに,例えば「課題をこなすために要した時間が異なる」ため,その時系列データは条件間で違ってきてしまう.でも,ここで気にしたいのは「課題達成時間」はもちろんですが,その課題を達成する中にあって「変動したデータのパターン」である,という人は少なくありません. これをなんとかしようと,以下を試みる人がいるでしょう. このように,例えばデータを5等分して,それぞれの平均値を算出しようというものです. 条件Aは上図のように,そして条件Bはこんな感じで↓ 条件Bはデータ数が12個ですので,5等分することができません. そこで,ちょっとずつズラしながら平均値を算出. (最後は飛ぶことになりますが↓) こうして平均値を算出し,グラフを作成してみると,こうなります↓ 目論見どおり,条件間で当該データの変動パターンは同じであることが分かります. 今回例示しているデータは分かりやすくするため15個と12個のデータにしていますが,実際こうしたものを前にして困っている状況というのは, データが何百何千とある ,そして, 被験者や条件がたくさんあると いう場合です. しかも,とりあえず5等分してみたけど,やっぱり10等分にした方がいいとか,20等分の方が都合が良かった,なんてことで分析方法を変更しなければならないこともよくあります. つまり, これをいちいち手作業していたら,冗