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コピペ右翼とカンニング左翼

さて,いよいよ
【やってはいけない】卒論・ゼミ論を1日で書く方法
が閲覧ランキング上位に登ってくる季節となりました.
もしかしたら,うちの学生も読んでるんじゃないかとワクワクするところでありますが,間違っても上記の記事を「1日で書く方法」を紹介しているものだとは受け取らないでください.あくまであれは「やってはいけない」ということを啓蒙する記事です.

この「コピペ」に関連することとして,前回の,
コピペ・レポートの行き着く先は
を,もう少し続けてみたいと思います.

まずタイトルについてですが,つまりは同じことを指しています.
ようするに,自分で考え抜いた上での意見を表明するのではなく,考えるに先立って自分が好む「立ち位置」を重視して意見を選び取る・・,他にも,自分が支持している人物やメディアの意見をそのまま繰り返すことを「コピペ右翼・左翼」とか「カンニング右翼・左翼」と私は呼んでいます.

例えばレポートをコピペするためには,コピペする文章(意見)を選ぶための事前知識が必要になります.つまりコピペ・レポートとは,その者の事前知識によって「正解だと思った結論」へと向かう文章(考え方)が選び取られているということになります.
その者自身が捻り出した考え方ではなく,考える前に回答が先行して決まっているのです.
それが政治経済の話題になったら,コピペ右翼・左翼として表出するに過ぎません.

こうしたコピペ右翼・左翼の問題点は「その意見の整合性や正統性を自分で確認していないのに胸を張って表明している」ということに収斂されます.
なんとなく「自分の気分を良くしてくれる意見だから」とか,「そういう意見って格好いいから」とか,もっと単純に「クールだから」とか,たぶんそんな感じで採択されているんだと思います.

レポートをコピペしようとした場合,例えば課題が「原発は日本に必要か?」とかだったら,まず「必要/不要」のどちらが正しそうか,カッコ良さそうか考えてみて,それに合った意見を引っ張ってくるでしょう.
もしくは,お気に入りの言論人や政治家が,原発必要/不要のどちらを表明しているかで自分の意見を決めたりするかもしれません.
あとはひたすら「必要/不要」のどちらか一方の意見をコピペして文章を強化するだけです.それが一番楽ですからね.なぜかって,反対の意見や中立的データなんかを持ってくると,それに対する理屈を自分で考えなくちゃいけなくなるので面倒が増えるからです(それを論じるのがレポートなんだけどね).

自分で考えていない意見ですから,誰かに矛盾点やボロを指摘されても,それについて「あっ,ホントだ」とか,「言われてみたらそうだなぁ」などと認識することはできません.
だって,指摘された点について自分自身が理解していないんですから当然です.
矛盾点やボロを指摘されたという認識がないのですから,その意見を疑ってみたり改定しようなんて思いもしません.

仕舞いには,お気に入りの言論人や政治家が,途中で方針転換したり発言内容を変えたりしても「きっと真意は別のところにあるのだ」とか,「足を引っ張る奴がいたり圧力がかかっているのでは?」とか言い出すでしょう.
なぜなら,自分自身の意見は,その言論人や政治家の意見と相関するものだと決めているからです.彼の意見が私の意見,なんてことにしているわけです.

このようことは,学生にコピペ・レポートを指摘した場合も全く同じことが起こります.
「なっ? この部分でこういう論を展開しているのに,なんでこういう結論になるんだよ」
って学生に指摘しても,
「いやぁ~,でも,そういう風に僕は考えたんすけど」
って.
酷い場合には,
「でも,調べたのにはそういう風に書いてたんで」
って言っちゃう学生もいたりして.
だから,ネット記事とか論文をそのまま写し書きしただけだからメチャクチャな論旨になるんでしょ,って言いたいわけですけど.

私が今いる大学の学生はそうでもないですが,以前勤めていたような大学の学生だと,もっと素直に,
「ネット記事や図書館を探せばどこかに,授業で課された課題の “回答” があるはず」
と考えて悪気なく行動する学生は多いものです.
かなり極端なことを言えば,「レポート課題とは,どこかにある “回答文章” を探し出してきてコピーすること」と本気で捉えている学生が多数存在します.
そうは言っても,これについて我々が愚痴っているわけにもいかず.地道に大学教員が学生をトレーニングするしかありません.そのために給料もらっているようなものですから.

前回記事でも述べましたが,教員がレポート課題に期待しているのは,より良い回答文章を返すのではなく,より良い考えを出そうとする手順を踏んでもらうことにあります.レポートの出来はその後の話です.

ですから,実のところ「オリジナルな意見」というのは存在しない,という考え方もできます.どちらかと言えば私はそう考えています.このブログで書いている私の意見にしたって,探せば同じようなものがたくさん出ているでしょう.
だからこそ,私はこのブログの「説明」のところに,
【学生へ】記事内で引用・参考している文章に気をつけてもらえれば,私の記事をコピペ・レポート用として利用してもらっても構いません.
と表明しています(PCの画面ならこの説明文が見れます).
ただ,そのあと続けて,
文章のスタイルの都合で丸写しにはできませんが,それだけに,一度は文章を咀嚼してくれるのだろうと期待しております.
ということも書いております.
このブログの文章はかなり砕けた表現ですし,「ですます調」です.さらに句読点としてカンマとピリオドを使っています.
一度は全文を読み上げないといけないようになっているのです(真面目にコピペしようと思えばね).

私は実際の授業でレポート課題やテストも課してはいますが,重視しているのは「質問能力」のほうです.
以前もそれを記事にしたことがあります.
質問させる
井戸端スポーツ会議 part 18「健康運動に関する授業の質問回答集」
上記記事のような感じでやっているのですけど,今年は履修者が尋常じゃないくらい増えてしまい,全員の質問に答えていたらマジで日が暮れるので選抜することにしました.
「選ばれなかった人は出席になっていないのですか?」ってウルウル目の困った顔で聞きにくる女子もいますが,そういうことにしています.出席を確認するのも無理なくらい人数が多いんで.

どうして「質問させる」ことを重視しているのかというと,
「問題解決能力」を高めることの危険性
でも書いたように,いわゆる問題解決型の学習を重視する風潮に危惧があるからです.

話がとっちらかってしまいました.
元に戻しますと,レポート課題にしても政治経済などのニュースに対しても,コピペ的な対処の仕方は非常に危険だということです.
言われてみれば当たり前だと思われるかもしれませんが,学生がコピペ・レポートをしたがるのと同様,多くの人々は世相を扱ったニュースに対してコピペによる意見表明をしたがります.

これについて今一度,論じようとする事に対してコピペではなく正面から向き合ってみてほしいものです.
そうすれば,自分の力で考えられる範囲がどれだけ狭く,それぞれの分野が幅広く複雑なのかが分かってきます.


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