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これが身につけば大学卒業

今日,こういう記事を見つけました.
著者は京都大学の藤井聡先生です.
大阪都構想は、マジで洒落にならん話(2)~「対案がないぞ!」というデマ編~
できればリンク先の記事を読んでほしいのですが,一言で要約すれば,
「得体の知れない事に手を出す時は,まずは冷静になって手を出すべきか否かをしっかりと考えることが大事」
ということです.

上記の記事では「対案を出せ」という言論とその態度に対する反論がありますが,これについては私も以前,
「ウンコを食べようとしている奴を止めるのに,対案を出す必要はないだろ」
というのを書いたことがありますので,よかったら以下の記事もどうぞ.
「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」の愚





さて,「得体の知れないものを前にしたら,まずはしっかり考える」
めちゃくちゃ普通のことのようですが,実はこうした方略をとる人は意外と少ないものです.私的なことであれ,公的なことであれ,熱狂したまま,浮足立ったままに物事を判断してしまいがちなのが人間というものです.

適切な判断ができる人間になりたいと願う一方で,サイコロを投じるように運に任せて物事を決めることを「粋な判断だ」と礼賛したりするものです.
しかし,「賽は投げられた」と言ってルビコン川を渡ったユリウス・カエサルにしても,最初から出たとこ勝負の運に頼ったわけではなくて,ギリギリまで思考を繰り返した挙句の決断だったはずなのです.

これはいわゆる「人事を尽くして天命を待つ」ということですが,結果を「運」に任せるまでに,やるべきことをやるのが我々人間のすべきことであり,その人事の尽くし方を学ぶのが,大学における学びの一つです.

これについて,前回の記事に引き続き,私の恩師に登場してもらいましょう.
先生が授業で紹介していたもので,今でも記憶に残っているのが「何のために大学で勉強するのか?」ということについての,『男はつらいよ』の1シーンの引用です.

満男 「おじさん,質問しても良いか」
寅次郎「あんまり難しいことは聞くなよ」
満男 「大学に行くのは何のためかな」
寅次郎 「決まっているでしょう.それは勉強するためです」
満男 「じゃ,何のために勉強するのかな」
寅次郎 「ん,そういう難しいことを聞くなと言ったろ.つまり,あれだよ.ほら,人間長い間生きていればいろんなことにぶつかるだろう,な.そんな時に,俺みたいに勉強していないやつは、この振ったサイコロで出た目で決めるとか、その時の気分で決めるより、しょうがない、な.ところが,勉強したやつは,自分の頭で,きちーんと筋道を立てて,はて,こういう時はどうしたら良いかなと考えることができるんだ。だからみんな大学いくんじゃないか.だろう? 久しぶりにきちんとした事を考えたら,頭が痛くなっちゃったよ」

では・・,
寅さんが言うように,サイコロの出た目で決めたり,その時の気分で物事を判断しない人間になるためには,大学でどんな勉強をすればいいのでしょうか. つまり,大学では何を学ぶべきなのでしょうか.

その主要なものの一つとして挙げられるのは,物事を科学的に考えられる力であり,科学的に物事を捉える態度だと思うのです.科学的に物事を判断できる人間になることを目指すのが大学での学びです.

ではこの「科学的に物事を判断できる」ということはどういうことを指すのでしょうか.
「科学的」と聞くと,多くの方々は「次々と新しい事に取り組んでいくこと」と思いがちですが,そうではありません.

科学的に物事を判断する態度,それは,
「物事を論理的に系統立てて考え,その知見の正しさを立証しようとすることであり,その論理が少しでも怪しく,確実性が保障されないのであれば棄却する
という態度のことです.特に後半の太字の部分が重要です.
ようは,科学的に物事を考えるというのは,“得られた結果がどれだけ正しくないか” という視点で挑むことを意味します.科学的な手続きである「統計学」の多くも,この視点から分析しています.
これが科学的に物事を判断する態度であり,これによって科学は存在価値を認められているのです.

つまり大学で勉強することというのは,
「新しいものは批判的に捉え,その批判に耐える知見を拾い出す態度を身につける」
ということなのです.
「あ,これ良いかも」というものを前にしたら,「じゃあ,これのダメなところはどこだろうか」という姿勢で考えられる人間になること,と言い換えても良いでしょう.
そのための適切なモノの考え方が身につけば,大学卒業と言えます.

大阪都構想や現在の日本政府の舵取りに反応する日本社会に目を向けると,あらためて大学での学びの価値が試されている.そんな時代に入っているのだと思う今日このごろです.