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学生の成長をみる

大晦日ですね. 今年最後の記事ですが,ゆるい記事をひとつ書いていこうと思います. ゆるい軽い短い記事を増やすつもりだったのに,結局記事数は増やせませんでした. 来年への課題です. さて.今年の帰省は新幹線でした. 本当なら飛行機での移動が楽なのですけど,今年の帰省は年末の予定が読めなかったので12月まで引っぱっていたこともありチケットをとれず,昨年に味をしめた新幹線「グリーン車」も予約が間に合わず,最初から最後まで自由席ということに. 安いには安いのですけど,案の定,新幹線は立ち乗りということになってしまいまして. ところがそこは長距離移動については百戦錬磨の私です. うまいこと位置取りをして,キャリーケースに座って読書しての東京・岡山.それほど疲労せずの到着です. そこからは四国方面に特急列車で向かうのですが,愛媛で仕事をしている弟の自動車と合流するため松山行の特急「しおかぜ」に乗ります. そこで偶然にも前任校の卒業生と一緒になりました. メールに「先生,今,しおかぜ乗ってません?」って.で,慌てて辺りを見回したらその卒業生がいたのです. 聞けば「私も帰省です」とのこと.彼女は実家が松山なので,同じ特急しおかぜに乗っていたのですね. 感慨深いものです. 彼女は私が大学教員を始めて最初の学生です. 18歳の学生ってこんなものかなぁ,って思いながら暗中模索していた頃を思い出します. 当時のブログ記事を読み返してみました. ■ 但馬國:ローアングルで写真を撮る日々 に出てくる,ローアングルでの写真を依頼してきたのがその卒業生です.当時1年生.懐かしいですね. もう6年になるのかぁ. この人には学内のいろいろなイベントの学生スタッフをお願いすることも多かったので,よく知る間です. いやいやながらも引き受けてくれる頼れる人でした. いやぁ~,いい女になったなぁ,って.ホントそう思います. 決して厭らしい意味ではありませんよ. たしかにエロい雰囲気は当時のまま保っていたものの,大人になったし,話し方もすっかり社会人です.こうやって成長していくんだなぁって微笑ましくなります. いい男になった奴もいます. 今年,私の研究室で卒業論文を書いている学生です. 3年生までは目立たなかったし,成績も悪いし単位もギリギリ

そう言えば,自転車取り締まり強化の影響はどうなった?

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今年の6月1日から自転車運転の取り締まりが強化されていました. その時の動きはコチラを参照→ 警察庁:自転車運転者講習制度 (PDF) なのでその影響について記事にしたこともあります. ■ 自転車の取り締まり強化後,一週間 そこでの話を要約すれば, 「道路整備をせずにルールだけ強化しても無意味だし,むしろ,自動車・バイク側の意識が変わっていないのに自転車を車道に出すよう指示したら,逆に重大な死亡事故が増えるのではないか?」 ということを書いておりました. 先日12月21日に,平成27年11月末時点での交通事故統計が出たこともありますので,ここらへんで一度自転車の取り締まり強化の影響を見てみたいと思います. その統計資料があるページはこちら→ 警察庁:交通事故統計(平成27年11月末) この11月末時点での統計を見てみますと,やっぱり6月の記事で気にしていた結果となっていましたので図表を見てもらいながら説明していきます. まずは全体像から. 以下は今年の11月末時点での各月の交通事故統計です. 自転車取り締まりを強化した6月以降を青字にしています. これは交通事故全体の統計ですので,ここから自転車事故のことを推測することは難しいことを差し引いて見ることになるのですけど. 上図を見て真っ先に目に留まるのは「6月の死者数の大幅低下」であり,続く「8月の死者数の大幅増加」ですね.なんだか6月に始まった取り締まり強化の影響のようにも思えます. ですが,実は死者数が前年同期比で±30くらいするのは通常の揺れ幅のようで,例えば昨年の交通事故統計から作った以下の図を見ても分かるように(青字のところが26年度データと,その前年同期比), これは特別な増減ではないことがうかがえます. 逆に,今年は交通事故における死者数は全体的には前年と同じように推移している年と言えるでしょう. さて,では今年の死亡事故の内訳ですが,以下のようになっています. 「状態別」というのは,死亡した人が「◯◯している状態の時の」という意味です. このデータはここ数年ずっと変化ありません.死者数のほとんどが自動車乗車中か歩行中かなのです. 今回気にしているのは「自転車に乗っている時」なのですから,そこに焦点を当てたデータがこちら. 自転車乗用中

俗物が俗物から遠ざかるには

前回の記事 ■ 俗物が俗物らしくしちゃダメ に対し,反論したい人もいるでしょう. 「お前,何様のつもりだ.そう言うお前だって,福田恆存を引いて俗物を語ってるんだから,立派な俗物じゃないか」 と,そんな声も聞こえてきそうです. そうです.そうなんです. が,その記事でも書いたし福田恆存も「俗物論(国家とは何か)」で言っているのですが,「 人は皆,俗物 」なんですよ. あとは, どれだけ自分が俗物であることに素直か ,そこが問われるのです. これはちょうど,「男は皆浮気するもんだ」という主張に対し,「お前,何様のつもりだ.そう言うお前だって男だろ」と反論したい人が現れるようなものなのですが,そんな反論に意味がないのと一緒です. 男は皆(女もかもしれないけど),何かしら浮気心があるものです.そこで問題となるのは,どんな浮気をしてしまうのか,どこまで浮気してしまうのか,といったことに醜さや劣悪さがあるということでして. 前回の記事で言いたかったことに戻れば,俗物にも「素直な俗物」と「醜い俗物」があって,昨今の様子を眺めてみれば,保守派,ネトウヨとされる人々に散見されるのは「醜い俗物」だということなのです. 奥さんや彼女がいるのに,他の色っぽい女性や艶のある素振りをする女性を前に,クラクラっときたり遊び心が芽生えることがあります.「あぁ,俺って浮気もんだなぁ」と感じながらも,しかし(私のように)実際には何もしない男もいるでしょう.これは素直な浮気者です. 自分に浮気心があることを認めつつ,それをコントロールしているわけです. その一方で,そんな女性を前にしたら我慢できずに途中下車,だけならまだしも人生の終着駅まで向かう浮気者もいます.これが醜い浮気者です. しかもこういう浮気者はえてして「そもそも男は浮気するもんだ.その武勇伝が男の勲章なんだよ」なんて言い出すこともあります.そういう居直った態度の恥知らずな男が,昨今の保守派,ネトウヨだと言ってよいでしょう. 俗物であることを恥じず,俗物であることに居直るというのはこのことを指します. これはちょうど,『大衆の反逆』でオルテガが述べている, 愚か者は,自分を疑ってみない.自分が極めて分別があるように思う.ばかが自分の愚かさのなかであぐらをかくあの羨むべき平静さは,ここから生まれる

俗物が俗物らしくしちゃダメ

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最近出た本に, 適菜収 著『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』 というのあるんですけど,その第一章が「なぜ保守派はバカが多いのか」なんです. 思わず声を出して笑いました. 私も最近そんな記事を書いていたからです. ■ なぜ右翼・保守的な言動をする人にバカが多いのか なんというシンクロ. さすがに適菜氏は丁寧に考察されていて,なぜ右翼・保守的な言動をする人がバカなのか詳細に論じられています. で,なぜ保守にバカが多いのかというところですが,それは逆なんです. 適菜氏も論じているところですが, 保守にバカが多いのではなく,バカだから保守になるのです. 私はこれについて,「 バカだから保守を“選ぶ” 」という表現を使わせてもらいたいと思います. “選ぶ”とはどういうことか,ってのを書いた記事が, ■ コピペ・レポートの行き着く先は なので,そっちも暇だったら読み返してみてください. もちろんちゃんとした「保守」の思想を抱いている人もいるのですが,街角でよく目につく保守,「この人は保守だ」と評価される人,そうして保守派から持ち上げられる人の大多数には「残念な人」が多いというのが現状です. その大ボスが現在の日本国首相です. さて,この「バカだから保守を選ぶ」という点について,非常に興味深い考察をされている本を見つけました. 福田恆存 著『国家とは何か』 の冒頭に「俗物論」というのがあります. 「あ〜,これこれ.これが言いたかったんだよ」って感じでめっぽう面白く,何度も読み返している今日このごろです. これを読んでいて思うのは,現在の日本の保守派っていうのは,つまりは「俗物」なんだな,ということです.それも酷く劣悪な俗物です(福田氏によれば,ほとんどの人は俗物であり,あとはどれだけ俗物であることに「素直」なのかが問われるのだという). なので,「現在の日本の保守派にはバカが多い」というのは下品な言い方になりますので,もっとやさしく,「 現在の日本の保守派には俗物が多い 」と表現したほうがいいのかもしれません. 結論から言えば,福田氏が言う俗物とは 「世間に対する自己の関係に不安を感じ,その不安を解消するために,劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上の見せかけをつくろうとする」 人のことだそうです.

大学教員になる準備

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大学教員になる方法とは これまで,「大学教員になる方法」のシリーズを書いてきました. 一番読まれているのは, ■ 大学教員になる方法(強化版) です. 他にも, ■ 大学教員になる方法 ■ 大学教員になる方法「感想版」 ■ 大学教員になるための履歴書作成方法 ■ 大学教員になるための業績書の作成方法 などがあります. ご興味がありましたら,そちらもどうぞ. 今回,これまでの記事をまとめてみようと思います. 大学教員になるためには,どのような準備をしておけばいいのか? 特に大学院生や民間からの転身を狙っている人は,以下を参考にどうぞ. (1)まずはJREC-INを確認・登録すること 大学教員および研究者の求人情報サイトです. ■ JREC-IN Portal (科学技術振興機構) 基本中の基本なので,大学教員を目指している人で,知らない人はいないと思います. なので,このサイトについての詳細な説明は割愛します. たまに,「大学教員になるためのセミナー」とかで,講師として呼ばれた御高齢の先生が,「最近はこんな便利なサイトがあるから確認するように」などと紹介することがあります. 「もう知ってるよそんなの」という気まずい空気が広がるので,ある意味おもしろいです. 就活中の3・4年生に,いまさらマイナビとかリクルートのサイトを紹介する,場違い感が半端ない就職課のオッサンのようなものですね. こっちはその先を知りたいんだよ!って感じになるやつ. あっ,もし本当に知らなかったら,必ずチェックしておいてください. なお,JRECのサイトを見れば,そこに, ・採用条件 ・任期 ・応募条件 ・必要資格 ・応募方法 ・担当科目 ・給料(記載されていないことが多い) などが記載されています. これを見て,条件が合いそうなところに応募することになります. ■ JREC-INの賢い使い方 という記事も書きましたので,そちらも参考にしてください. なお,JREC-INに掲載される求人の数は年々増え続けており, 櫻田大造 著『大学教員採用・人事のカラクリ』 によれば,以下のような状況

「ソーシャルワーク教育の失敗」とは何か

こんなニュースがありました. やや遅いですが,全然手が付いていないブログ記事更新のために取り上げてみます. ■ 「ソーシャルワーク教育は失敗」 (←Yahoo!ニュース) その記事の抜粋が以下のとおり, 日本社会福祉教育学校連盟(会長=二木立・日本福祉大学長)は10月30日、創設60周年を記念し、同志社大(京都市)で歴代会長による対談を行った。 (中略) 大学の教員ら約40人が参加した会長対談で、大橋謙策・東北福祉大大学院教授(2007~09年の会長)は「社会福祉士ができてから、(大学での教育は)福祉制度の解説にとどまっている。社会福祉士を作ったことが間違いだったかとすら思う」と話した。 (中略) 社会福祉士の藤田氏は「私は社会福祉学部、大学院を修了したが、面白くなかった。制度の解説、面接技術などミクロレベルの技術に傾倒していた。ソーシャルワーク教育は失敗したと言わざるを得ない」と話した。 また、学説などの論争が見られない福祉の業界体質にもメスを入れ「対等で緊張感のある激しい議論や批評がない業界に発展はない」と指摘。著名な学者にも遠慮せず論争を挑むべきだとした。 私も「福祉領域」に身をおいていたことがあるので,この記事に出てくる方々の言わんとするところは分からなくありません. そのようなわけで,少し「福祉教育」に浸った私の意見を述べてみたいと思います. 抜粋した記事中にもある藤田氏の指摘.「対等で緊張感のある激しい議論や批評がない業界に発展はない」という点について,“言いたいこと” はよく伝わってきます. 福祉領域における研究や議論というのは,どうしても重箱の隅をつつく感が否めないのです.彼らの研究というのは「正解」というものが元々あって,その正解をどのようになぞることができるか? が重要視されているように思えるところが多く,そもそもその「正解」は本当に正解なのか? といった部分に切り込む研究者や学生が少ない印象です(ホントにこれはただの私の印象です). 「そもそもその正解は本当に正解なのか?」という姿勢は非常に野心的です.もともと学術研究というのはそういう色が強いものなのですが,福祉領域ではこうした「野心的な姿勢」というものが嫌われているという印象があります. もっと言えば,「社会福祉」という「職場」の範疇

井戸端スポーツ会議 part 26「もう少し敗戦国・日本をスポーツから見る」

フランスで大変なことが起きていますね. だからというわけではないのですが,引き続き戦争・紛争にまつわる話をしてみたいと思います. さて,前回の記事, ■ 井戸端スポーツ会議 part 25「戦争に負けた国(日本)がとるべき態度」 で言いたかったことを一言にしてしまえば, 敗者が敗因をゴチャゴチャ言うな.ましてや「俺達は本当は凄かったんだ」なんて,みっともない.そんな事言っても誰も(世界は)同情なんかしてくれないよ. ということであり,そしてそれは,戦争を一つの「スポーツ」として捉えると理解しやすくなるのではないか,というものでした. なぜならそもそも戦争とは,人が利を求めて起こす集団的・組織的な暴力行動を「スポーツ(遊び)」にしたものだからです. ゆえに戦争で求められる振る舞いは,スポーツでのそれと同じになると考えられます. その上で今回は,少しくらいは愛国右翼的な人達が癒やされそうな話をしてみたいと思います. 第二次大戦における日本とは何だったのか?という点です. 私自身,ちょっとは第二次大戦のことを勉強したつもりではありますが,やっぱり専門的に,かつ,特定のイデオロギーのフィルタをかけて熱心に勉強したわけではない者でして. この手の話はブログでも敬遠してきたところでもあります. だからこそと言うか,比較的右翼でも左翼でもない考え方を持っているのかもしれないというところから「あの戦争における日本」について述べてみようというものです. まず,教育現場にいる立場からの感想としては,こうした第二次世界大戦についての話題というのはとても配慮が必要である一方で(そしてここが重要なポイントになるかと思うのですが),多くの学生にとっては特に関心がある話題ではないということです. 今年の夏に話題になった某学生団体なんてのは極めて例外的な若者たちで,あのような活動を通じて「戦争」のことを積極的に論じようとする者は非常に少ないでしょう. これは最近の学生に限った話ではなく, 戦争のことについて深く考え込む人が多数だとは考えられない,というのが実感です. まして第二次世界大戦のことなんて,はっきり言ってどうでもいい.戦争に負けたとか,その戦争の正義がどちらにあったかとか,あの戦争によって日本がどのような立場に立たされたのか,なんてことに

井戸端スポーツ会議 part 25「戦争に負けた国(日本)がとるべき態度」

「井戸端スポーツ会議」 と題する記事のアクセス数が少ないんです. 当初からアクセス数が伸びる記事にはならないだろうと予想はしていたのですが,やっぱり伸びませんでした. でも,私としてはコレが専門でもありますし,ちょっと寂しいところがあります. なんとか「スポーツ」の観点から物事を捉え,考える記事のアクセス数を伸ばそうと, ■ 井戸端スポーツ会議 part 11「人間は『身体』を通して理解する」 のような内容で哲学じみた話をしてみたり, ■ 井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」 みたいな記事で教育を論じてみたり, ■ 井戸端スポーツ会議 part 23『東京五輪エンブレム問題に見えるスポーツの危機』 といった当時炎上中のニュースを引き合いに出してみたり. いろいろやってきましたが,どうやら「スポーツ」をタイトルにした話題って伸びないんですね. じゃあ,スポーツに関するブログ記事でどんなのが伸びるのかって言うと,たぶん今注目されている選手・チームについての芸能ニュースっぽいやつなんだろうと思います. とは言え,そんな私の記事の中でも例外的によく読まれているのが, ■ 井戸端スポーツ会議 part6「スポーツとニーチェとドラゴンボール」 なんです. この記事が伸びている理由は不明ですけど,なんだろう? ドラゴンボール効果でしょうか? 「スポーツ」の観点から物事を捉え,考えるというコンセプトの本シリーズですが,ここ最近書いているイデオロギー系(右翼系叩き?)の記事とコラボしてみることにしました.そっちから攻めればアクセス数が増えるかもしれないと考えたからです. というわけで,今回のテーマをこちらにしました.すなわち, 『敗戦国・日本がとるべき態度は「スポーツ」で説明がつく』 さらに言えば,昨今の右翼・保守系の言論には「スポーツ」の観点からすると “やってはいけない” 敗戦国民の態度がたくさん散りばめられていて, そのことが日本を「敗戦国」のままにし続け,且つ,諸外国からの信頼を失うことにつながる というものです. まず話の前提となる考え方からお示ししましょう. 「戦争」とは何か? という点です. よく,「スポーツは暴力性を廃した戦争だ」とか,「国際スポーツ大会は,その国同士の戦

コピペ右翼とカンニング左翼

さて,いよいよ ■ 【やってはいけない】卒論・ゼミ論を1日で書く方法 が閲覧ランキング上位に登ってくる季節となりました. もしかしたら,うちの学生も読んでるんじゃないかとワクワクするところでありますが,間違っても上記の記事を「1日で書く方法」を紹介しているものだとは受け取らないでください.あくまであれは「やってはいけない」ということを啓蒙する記事です. この「コピペ」に関連することとして,前回の, ■ コピペ・レポートの行き着く先は を,もう少し続けてみたいと思います. まずタイトルについてですが,つまりは同じことを指しています. ようするに, 自分で考え抜いた上での意見を表明するのではなく,考えるに先立って自分が好む「立ち位置」を重視して意見を選び取る ・・,他にも,自分が支持している人物やメディアの意見をそのまま繰り返すことを「コピペ右翼・左翼」とか「カンニング右翼・左翼」と私は呼んでいます. 例えばレポートをコピペするためには,コピペする文章(意見)を選ぶための事前知識が必要になります. つまりコピペ・レポートとは,その者の事前知識によって「正解だと思った結論」へと向かう文章(考え方)が選び取られているということになります. その者自身が捻り出した考え方ではなく,考える前に回答が先行して決まっているのです. それが政治経済の話題になったら,コピペ右翼・左翼として表出するに過ぎません. こうしたコピペ右翼・左翼の問題点は 「その意見の整合性や正統性を自分で確認していないのに胸を張って表明している」 ということに収斂されます. なんとなく「自分の気分を良くしてくれる意見だから」とか,「そういう意見って格好いいから」とか,もっと単純に「クールだから」とか,たぶんそんな感じで採択されているんだと思います. レポートをコピペしようとした場合,例えば課題が「原発は日本に必要か?」とかだったら,まず「必要/不要」のどちらが正しそうか,カッコ良さそうか考えてみて,それに合った意見を引っ張ってくるでしょう. もしくは,お気に入りの言論人や政治家が,原発必要/不要のどちらを表明しているかで自分の意見を決めたりするかもしれません. あとはひたすら「必要/不要」のどちらか一方の意見をコピペして文章を強化するだけです.それが一番楽ですからね.な

コピペ・レポートの行き着く先は

前回の記事では,ネット上でよく目にする愛国的で民族主義的な視点や観点,いわゆる「ネトウヨ」と称される意見や批評について取り上げました. このように認知されている現象は,ネト “ ウヨ ” と称されることからも分かるように,右翼・保守的なものと見做されています. これについて,「世間一般というのは放っときゃ右翼・保守的な反応や批評をするものであり,別に特殊な現象などではない」というのが前回の議論の出発点であり,むしろネトウヨ的な現象についての問題点とは,その意見やコメントが「右翼的・保守的」かどうかで判断されている,もっと言うなら, 「右翼・保守的だとされる言論人や政治家の発言内容とどれだけ一致しているか」がその判断材料になっている 傾向があるという点です. つまり,何かの物事に対して,どれだけ適切な行動をとっているか? 適切な状況になっているか? ではなく,どれだけ右翼・保守的なのか? で判断していると言っていいでしょう. ようするに,「右翼・保守的であることが適切である.適切な判断とは右翼・保守的なものである」という基準で物事を計っていることを意味します. このような姿勢は右翼,左翼に関係なく「バカ」と評せると思うのですけど,どちらかと言えば右翼の方が「考える量」が少なくなる傾向があるだけ酷いのではないか? というのが前回の記事の趣旨でした. 今回は,その前回の記事で少し触れていた「レポートのコピペがなぜダメか?」を通して論じてみたいと思います. コピペ・レポートについて論じていくと,実は上述した件との関連性が強いことに気づいてもらえるからです. 大学におけるレポート課題は,コピペ( コピ ー・アンド・ ペ ースト,つまり盗作・剽窃)との戦いだとも言われており,どうやってコピペに対処するか苦心されている先生方は多いものです. その一方で,「なぜコピペが悪いんだ? コピペを見抜けない教員も悪いのだし,そういう課題しか出せない教授法に工夫が足りないのだ」という意見も根強くてですね. 教員側の言い分としては,わざわざレポート課題を出したい理由は「さまざまな議論・理論を調べてみて,それらを材料に自分の頭で議論を組み立てる」という手続きを学生に踏ませたいからです. 私を含めて少なくない教員は,学生に「優れたレポート」なんてものを求めてはい

なぜ右翼・保守的言動をする人にバカが多いのか

今月に入って,このタイトルにあるような記事を立て続けに書いています. なので知人から, 「君,右だったはずだよね」 と心配されているのですが,別に私の利き手やスタンスが変わったわけではありません. (ちなみに野球ではスイッチヒッターです) どうも世の風潮がおかしいな,と思っているので声に出して(字にして)みている次第です. 代表的なものとして「ネトウヨ」と呼ばれることの多い「対象」と「現象」があるわけですが,そうした右翼・保守的な言動をしている人の声が煩くなってきて久しいと感じます. このネトウヨと称される「対象」を定義することは難しいとされているのですが,そうした「現象」が捉えられていることは周知のことと思います. ようするに,ネット上では愛国的で民族主義的な視点や観点から物事を論じられることが多く,そうした意見や批評といったものに一定の認知度があるわけです. それが私にとっては「おかしいな」と感じさせる世の風潮の一つです. 何がおかしいのかというと,こうした「ネトウヨの声」とされるものからは,知性や身体性が感じられず,例えて言えば「「3手詰みの詰将棋」や「キーパーのいないPK戦」をやっているように映るのです. (この比喩についての詳細は,また今度) 前々回の記事である, ■ なぜ教育者に右翼・保守が少ないのか では, 教育現場においては左翼よりも右翼の方が有害 であることをお話しました. もちろんキチ◯イ左翼教員も有害ですが,愛国・右翼教員はさらに輪をかけて有害であるというものでした. 他方で,教員現場に右翼・保守的な考え方の人材が “少ない” のは「 右翼・保守的な言動をする人にバカが多いから 」ということも取り上げていました. なので今回は, そもそも,なぜ右翼・保守的な言動をする人に目も当てられないバカが多いのか?  という点に絞ってお話してみよう思います. まず,「右翼・左翼」「保守・革新」といった分け方は一般的ですし,その分け方で問題ないとは思うのですけど,一応 この記事で言う「右」とか「左」というのは,政治経済,教育,社会,道徳といったものを論じる際の立場や思想のこと を指します. で,そのいずれにもバカ,つまり「ちゃんと物事を考えない人」というのがいます. ここで重要なのは, 右翼

なぜ教育現場では「ネットの意見」が受け入れられないのか

現在,我々大学研究者としては大事な季節なので,どうしてもブログ更新に手が向かない今日この頃です(科研費申請です). でも,やや短めの記事を書いておきたいと思います. 学校教育に関する不祥事等がニュースになると,「これだから学校は隠蔽体質なんだ」とか「教師は社会人になれなかった人材が就く仕事だ」などと批判にさらされることが多いものです. 特にネットでは,この手の “教育熱心な意見” が散見されます. こうしたネットの意見について,私もこれまで何度かそれに反論する記事を書いてきたところですが, ■ 大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています とか, ■ 「面白い授業」に対する幻想と誤解 今回は,そうした 教育に対する「ネットの意見」が,実際の教育現場で (思い切って言ってしまえば) 「通用しない」のはなぜか? という点を語ってみたいと思います. 前回の記事である, ■ なぜ教育者に右翼・保守が少ないのか と関連するところも多いですので,未読の方はそちらもどうぞ. もちろん,以下に述べていることが教育者全体の総意ではないですし,普遍的な価値をもつ考え方ではないことも申し添えておきたいと思います.が,これに類似した想いを持って教育にあたっている人が少なくないことはご理解いただければと思います. (1)教育現場で「勧善懲悪」は非現実的 いじめ問題が典型的ですが,ネットの意見に多いのが, 「なぜ被害者が泣きを見て,加害者が守られるのか? こんなことだからいじめが無くならないんだ!」 といったものです. 要するに,「悪い行いをする子供よりも,その被害にあった子供を優遇しろ.そうすれば皆がハッピーになれるだろ」という趣旨の主張です. でも残念ながら,教育現場でそういう「ハッピー」で「おめでたい」考えは通用しません. 何故かと言うと,教師にとっては「いじめ被害者」はもちろんのこと,「いじめ加害者」だって自分の生徒・学生であり,同じように教育する対象だからです. 一般人にすれば「加害者に痛い目にあってほしい」という欲求があるでしょうから,それが満たされないと不満に思うでしょう. ですが,教師はなるべく多くの生徒・学生が善き国民・人間となるよう育てるために粉骨砕身しています. いわゆる「悪い子」にしても,なんとか真っ当な人

なぜ教育者に右翼・保守が少ないのか

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なぜ教育者に左翼が多いのか? という疑問やテーマで論議されることは多いのですが,その逆, なぜ教育者に右翼(保守)が少ないのか? が問われることは意外と少ないものです. 私も高校生ぐらいの頃からずっと考えていたことではあるのですが,いまいち明確な答えが見つからないまま,いつしか自分が教育者になってしまったというところです. では私は左か右かということが気になるのですけど. ある人達は私のことを「保守だ」「右翼だ」と評しますし,たしかにそういう考え方をするところがあることは自覚もしています. しかし,どうしても一般的に「保守派」とか「右翼」と呼ばれている有識者の意見を聞くと,それを飲み込もうとしても何か喉に引っかかって気持ち悪いという感覚が拭えませんでした. これについての適切なアンケート調査や意識調査があるわけではないですが,私なりの皮膚感覚でこの件について書いてみようと思います. なぜ教育者には右翼・保守系の考え方をする人がいないのか,まず最初に考えられることとしては,右翼・保守系の人にまともな教育観がある人が少ないということが挙げられます. もっと突っ込んだ言い方をすれば,一般的に右翼・保守系だという立場を表明する人達の教育方針や主義主張の多くが,子供や青年の教育上害悪が多いということです. 害悪の多い教育方針を掲げる連中ですから,そんな人達を教育現場に立たせることは避けられやすくなります. 教育者に右翼・保守的な人が少ないのは,そんなような影響があるからではないかと考えられるのです. どのような教育方針が嫌われやすいのかというと,例えば以下のようなものです. 1)やたらと愛国心教育を推進する 私だって別に愛国心が高まる教育を否定したいわけではありません.一部のキチ◯イじみた左翼教員を除いて,教育現場にいる圧倒的多くの教育者は愛国心を悪いものだと思っていないでしょうし,高めようという方針に反対するわけでもありません. ところが,右翼・保守的な立場をとる人達は,愛国心を高めることが教育の重要な役割だと見做しています.はっきり言ってバカなのです. 具体的な典型例として,彼らは学校で国旗国歌を徹底しようとします.国旗国歌を徹底すれば,愛国心が高まって日本国への帰属意識が高まると言い出します. どう考えてもそんなわけね

僕らの時は野茂英雄っていう選手がいてだな・・・

ここ最近はしょうもない上に暗い話題の記事が続いており,「大学って大変だなぁ」とネガティブな感慨にふけっているのもなんなんで,別の話題で感慨にふけってみようと思います. 私も学生とは干支が一回りしたこともあり,だいぶ世代感を感じるようになってきました. 我々にとっては当たり前のことであっても,学生は知らない,分からない,興味がないという話は多いものです. てっきり同じ「若い世代」だと思っていても,年は無情に過ぎていきます. 世代を跨いで「世間話」というのをするようになるのも大学生からでしょうし,徐々に話が通じなくなることを実感しやすいのも大学という場所ならではかもしれません. まずはスポーツネタから.これはかなり世代感が現れやすいものです. 彼らはオリックスのイチローを知りません.なんせ,イチローが200本安打を打った時(1994年)に産声をあげたのですから. 彼らが野球を見るようになる頃には,メジャーリーガー:イチロー・スズキです. 彼らにとっての代表的な野球選手とはダルビッシュでありマー君です.そこですかさず「僕らの時には野茂英雄っていう選手がいてだな.日本人メジャーリーガーとして特別な存在なんだよ」という展開になるのが鉄板です. また,若貴兄弟の現役も知らないですし,三浦知良の全盛期も知りません.でも逆に言えば,この期間ずっとプレーしているカズの凄さが分かります. 一方で,私達の世代が上の世代の方々にギャップを感じさせるのは,北の湖や千代の富士を知らないってとこでしょうか.そこらへんで「えぇ!」って顔されます. ロサンゼルス五輪はセピア色の歴史的存在であり,山下泰裕って誰?って感じで,ソウル五輪あたりの記憶は曖昧だからベン・ジョンソンとか鈴木大地や小谷実可子の話にはついていけないというところです. 感覚的には,私達にとっての鈴木大地や小谷実可子あたりが,彼らにとっては高橋尚子とか谷亮子みないなものでしょうね.名前知ってるけど,よく知らないっていう. そうこう話すうちに話題はスポーツから事件やイベントへと移っていくわけで. 私達の世代が「日航ジャンボ機墜落事故」のことを,なんで毎年あんなにニュースで取り上げるのかピンと来ないのと同じくらい,今の学生は「阪神淡路大震災」を知りません

危ない大学における万葉集

世間は連休に突入しましたね.ですが,我々にとっては関係ないという人も多いのではないでしょうか. さて,前回まで危ない大学における格言集を書いてきましたが,今回は「万葉集」ということにして短歌を作ってみました. 短歌の調子に言葉を乗せると,不思議なことにその情景が活き活きと浮かび上がってくるものです. 危ない大学に奉職している方々にとっては,感慨深く聞いていただけることかと思います. もし「危ない大学」なるものを知らない人が読んでも,これらの歌は伝わらないことでしょう.これは本当の万葉集とて同じことです. そのような方は,本文末に危ない大学に関する記事を用意しておきましたので,そちらで事前勉強しておくと良いでしょう. お題: 学生募集 OCと 略してみればビズ用語 されど所詮は オープンキャンパス OCの ためと諦め着ぐるみに 汗ばむ我が身を 笑う学生 あけぼのに 集う職員学び舎に 今日はOC満ちるリビドー 今だけと いつもクーポン発行し 持たぬ者でも結局割引 A4に 一枚まとめて並べても 余計に目立つ 本学の粗 パンフには 載せても見る者いないよと アカデミックな理念と思想 交通費 出せば来るはず来場者 来たら彼らにお土産を 大学の ことを真面目に考える 奴こそ見ないよウェブサイト 誰が見る クラブ情報最新ニュース 頻度上げろと無理矢理更新 これは何 入試のページに目がかすむ 数多の方式我も分からず 三月の 末に掻き込み浪人の 予備軍まとめて本学に囲え 来る所 避けるが身のため大学の 客引きすなわち高校訪問 無能ほど 誇る話術と営業手法 それを学術いかせば良いのに ジャンケンに 負けて向かうは県外入試 喜ぶ相棒横目に車中 お題: バスの運転 バスゆかば 大事が小事に思いけり 我はこの地で果てる定めか 嵐でも バスに乗り込み学生を 送り届けて 虚しく誇る エンジンが 性能アップだスピードが 坂になっても落ちず嬉しき 事故っても 全ての責任我にあり よく見りゃ書いてる契約書 ハンドルを 握るその手に学生の 命あるぞと言われ発狂 大橋に 向かえば高鳴る胸の内 風に吹かれてハンドルが逝く お題: 学習環境の充実 書き方を 教えたところで書かせれば 覚えていない