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いじめ問題は解決できるものではないけれど,それでも.

前回は,「いじめ問題」に関する書籍の紹介と,私なりの「いじめ問題論」をとりあげました. ■ いじめ問題は解決できるものではない 結論としては,いじめ問題というのは,誰かが管理して解決・予防できるようなものではなく,恒常的に発生し続けるなかにあって,その「いじめ」という状況をいかにコントロールするかが問われるのではないか,というものです. いじめ問題を教師の責任にするな,というのが私の主張なんですが... 抽象論ばかりなのもなんなんで,今回は私自身のエピソードをお話しようと思います. ただですね,こういうのって,ちょっと自慢話めいたものになるので記事にすることに気が引けていたのですが,何かの拍子に皆様にとってポジティブな影響があれば幸いですので,ご参考にしてもらえればと思います. 私自身,「いじめを受けた」,または「いじめていた」という認識もありませんので(ただし,「いじめていた」という認識については誤認・誤解があって難しいのですが,この記事では割愛させてもらいます), これは「外野」としてのエピソード です. でも,これまでの記事でも書いているように, いじめ問題というのは,この「外野」こそが重要なアクターとして振る舞う わけですから,こういう視点も大事かと思います. 高校時代のことです. いじめられやすい生徒「A君」というのがおりました. いじめられやすいというのは,彼の性格というか,もっている雰囲気というか,とにかくA君は少し変わっているのです. 私自身,“変わってる人” が多い大学界に身をおくようになった今でも思うのですが,やっぱり彼は変わっておりました. そして,「いじめやすい」雰囲気も持っていました.というか,A君のようなタイプの人は,確実にどんなところでもいじめられるでしょう. フォーマット化された表現をすれば,まじめで,人当たりがよく,明るくて,人に嫌な思いをさせない生徒.そして,先程は「変わってる人」と言いましたが,こういう人はどこにでも一定数はいる「普通の人」と言えなくもないわけでして. でも,率直に言って「(周りが)見下しやすいタイプ」であり,知的水準も低そうで,場の空気を読めないところがあり,からかったり小突いたりしても歯向かってくる雰囲気もないというところで「いじめられやすい」という

いじめ問題は解決できるものではない

世間を賑わせた「大津市中2いじめ自殺事件(wikipediaでの呼称)」. この事件については私も ■ 大津いじめ問題で大衆の愚かさに絶望しています で取り上げ,その世間の傍若無人ぶりを論じ,まるで「左翼のクソどもが!」と言いたげです ※ただ,「傍若無人だったのは右翼のクソどもだった」と言いたいようですが,しかしこれは推測の域を出ません. どうやら世間やメディアは「いじめ自殺事件」にだいぶ “飽きて” きたようでして. 犠牲をはらってこの事件が残した教訓が忘れ去られる状況になることは,ほぼ間違いないようです. それでも,せっかくこのブログを見てくれている方々には,この「いじめ問題」をきちんと論じる材料は持っていてほしいので,今回の大津いじめ事件に端を発する最近(2013年4月)出版された2冊をご紹介します. 「義憤」に託つけ,脊髄反射して感情に任せることの多い大衆世論に成り下がることを避けるためにも,以下の2冊は「いじめ問題」を考える上で重要です. 「大衆世論」に対するホセ・オルテガ・イ・ガセットの言葉を,その主著『 大衆の反逆 』から引用しておきます. まえもって一つの意見を作りあげようという努力をしないで,その問題に関して意見をもつ権利があると考えるのは,私が《反逆する大衆》と呼んだ人間のばかげた生き方で,その人が生きていることを明らかに示している.(中略)愚か者は,自分を疑ってみない.自分が極めて分別があるように思う.ばかが自分の愚かさのなかであぐらをかくあの羨むべき平静さは,ここから生まれるのである. 自分自身にも言い聞かせ,日々精進です. さて, 諏訪哲二 著『いじめ論の大罪』 と, 共同通信大阪社会部『大津中2いじめ自殺』 です. いじめ問題を論じる上で,非常に有益な示唆を含んでいます.   特に教育関係者ではない人は,『 大津中2いじめ自殺 』→『 いじめ論の大罪 』の順番で読むことをオススメします. 『 大津中2いじめ自殺 』は,非常に客観的な文章が並びます. 共同通信か. あれだけ世間を煽ったくせに,結構まともな新書を出しているんですね. そこは評価できます. 本書で「いじめ問題」について頭を冷やし,いよいよ『 いじめ論の大罪 』に入

幼保一体化とか,子ども・子育て新システムとか

「私は専門ではないので」ということで言及しておりませんでしたが,福祉関係に片足をつっこんでいる身としては無関係ではありません. 今日は「保育」についてです. 昨年までは,まさに「私は専門ではないので」と言いつつ,ちゃっかり保育実習の巡回なんぞやっておりました. 学生からすれば「なんで◯◯(私)先生が来るんだ?」というところでしょうけど,実習先の保育所からすれば,誰であろうと実習生の大学の一教員なわけで. てっきり私を保育の専門だと思って対応する実習先の方々もおります. (実習に慣れている所では,たいてい専門外の先生も実習巡回に来ることを知ってはいますけどね) 過去の記事では,“学校教育” とか “大学教育” の改革について,市場原理主義や過激な民間参入,ビジネスライクな運営ではダメだ,という主張を繰り返し繰り返し,しつこいくらいに様々な視点で繰り返してきました. 実は,この問題は “保育” も同様なものがありまして. なので,ここにも言及しておこうと思います. 実習巡回先で,園長先生や実習主任の方々とお話しする中で気づかされたこと. そして,自身,一教育関係者として,きな臭さを感じていた「幼保一体化(幼保一元化)」に代表される保育・幼児教育問題です. なお,ここで取り上げる「子ども・子育て支援新制度」に関する内閣府の説明資料がホームページにアップされています. ■ 子ども・子育て支援新制度について 子ども・子育て新システムの流れの最新版です.気になる方は,こちらも参照ください. さて,小難しい話はそれそこ専門の方のブログにお任せするとして,ここでは本件にまつわる「保育」に関する理念や心意気を取り上げたいと思います. そうは言っても,まずは基本的なところをおさえておきましょう. 子ども・子育て新システム(子ども・子育て支援新制度)というのは,少子化対策と待機児童対策,それに伴う幼保一体化(幼保一元化)の検討と推進を目指しているものです. 都市部では待機児童の増加が問題になっていますが,その一方で幼稚園には定員割れがありまして. そして地方はというと,少子化の影響もあって幼稚園だの保育所だのと言ってられず,軒並み廃園になるなかで “近い所に通わせる”,というのが現状. そんなわけで,特に喫緊の課題である待

英語教育について

教育再生実行会議が,英語教育の重点化を提言してきました. グローバルな人材を育成するためには,まずは英語教育が大事だということです. 小学校から英語を正式教科にし,大学の入試や卒業要件にTOEFLを課す,といった提言がされています. 以前にも記事にしましたが,大学にもグローバル化への要求がきております. ■ 崖っぷちの大学が生きる茨の道 を参照のこと. 「授業を英語でやる」という流れもあり,それに向けて準備している大学もあります. 今回の教育再生実行会議の提言には,英語を母国語とする大学教員を2年以内に1500人増やす,というのもあったりで,かなり本腰を入れていることがうかがえます. 国際競争力を高めるためには,まずは英語教育だということなのだそうです. はっきり言って,完全にイカれています. 亡国への歩みは,まだ止めていないようですね. おや?この「教育再生実行会議」っていうのの中心メンバー.W大の総長です.だからこんなフザけたことを言ってきたのですね.そりゃダメだわ. この教育再生実行会議というのは,他にも小・中・高の年数を6−3−3制から4−4−4制とか5−4−3制にするといった,サッカーのフォーメーション・チェンジのようなことを言っております. 何がしたいのでしょう. 私が会議のメンバーなら,「景気よくイケイケドンドンの GO-GO-GO にしましょう」と提言するのですが. てっきり「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍内閣ですから,「英語教育を減らしてでも,国語教育の重点化」と言い出すのかと思いきや. そっちー!? という感じです. 義務的な英語教育の撤廃も辞さない,というのが持論の私としては,この提言は全く評価しません. 英語教育を強化したところで,国際競争力なんぞつくわけがないでしょ. だいたい,国際競争力ってなんですか? これを読んでくれている人にも聞きましょう. もう一度, 「国際競争力ってなんですか?」 国際競争力というものを示してください.その力を手にしたら,国民は幸せになるのですか? 話はそこからです. 安倍総理がどのような気持ちで打ち出したのかは知りません. でも,この提言の背景には2つのものが

お便りにお答えしたもの

統計学の記事で,たまにお便り(もちろんEメールで)をいただくことがあります.知り合いの方からは直接お聞きすることもあります. それにお答えるする形で書いた記事もありまして,先月の記事などはそういった側面もあって書いたものです. 例えば,■ 点数・得点を段階評価するためのエクセルシートの作成 とか,■ 補足:エクセルの散布図にラベルを表示させる方法 とか. ところで,先月は「例の事件」もあったので以下の記事を検索して見る人が多かったようで. ■ 喫煙ルーム(黄柳野高校のこと) ■ 無事であればいいのですが... 今回は,上記の記事や,これを機会にその他の記事を読んでくれた人から頂いたお便りのやり取りをご紹介します. 以下に紹介するやり取りですが,そのまま転載したものではなく,いくらか加筆して修正しています.あと,口頭でのやり取りのものもあります. 統計の話ばかりではなく,教育や学校のことについて考えるために読んでいただいている人もたくさんいるようですね. Q. 喫煙ルームを用意するのは,学校としてはやっぱりダメではないでしょうか?今回のように火災が起きて死亡するケースも出てくるわけですから. A.「喫煙ルーム」という名称とニュアンスを歪曲して流布したのはマスコミです.◯◯さんが言うニュアンスのものとは異なります.それに,もともとは火災を予防するための措置として用意したものです.あと,今回の火災がタバコの不始末によるものかどうかは不明です. ちなみに,防災対策がどうのスプリンクラーがどうの,といったニュースもありましたが,どうかその勢いで全国の学生寮の現状に向かって問うてほしいものです.そんな対策をしている寮がどれほどあるか.きっと少ないですよ. 「とりあえず学校を批判する材料を並べておこう」という気持ちが滲み出ています.もしくは今回のニュースを書いた記者たちが押し並べて無能だったからなのかもしれませんが,これを機会に学生寮の防災対策を改善するための記事を書くのが,建設的なジャーナリズムではないでしょうか?(その実現不可能性も一緒に) 同校に限らず,学校における生徒指導ですが,違法であることは百も承知でやっている現実もあります.そして,違法かどうかに囚われた指導だけでは,教育はできないと思います. 教育はバランスが必要ですので,同校は批