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食料自給率を問いなおす

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ここ最近,農業問題のことを立て続けに記事にしておりましたが.その記事を作成するにあたって,食料自給率に関するデータを再考してみました. 今回は,そのデータをざざっと広げてみようという寸法です. 日本の食料問題がグラフでわかるようになっています. 大学の授業では食事や栄養のことを取り扱うこともありますので,その時に教養・豆知識として紹介するという使途のために作成しているものです.つまり,もともとはこのブログのために作っているのではありません. ちなみに,この記事に限らず,本ブログで作成されたグラフや表は皆様も利用価値がありましたらご使用ください(ただし,元データの出典の表記はお願いします). 食料自給率を取り巻く議論が賑やかだった頃がありましたが,最近はだいぶ落ち着いてきたようです. でも,その「落ち着いてきた」理由が,多くの一般庶民の方々が農業問題や食料問題に関心がなくなったからというのが実際のところなのかもしれません.今のところ,食糧価格や貿易のことがニュースになることがありませんので. 原発事故や震災復興の遅れがニュースで出ることもありまして,物凄く重大なことだと私は思っていますが,少なくともネットニュースでは(私はテレビをみない)話題になることはないようです. たいてい,芸能人が逮捕されたとか引退するとか,韓国が何か言ってるとか,そんな話ばかりが賑やかなようです.まぁ,世間というのはそんなもんですかね. さて,食料自給率のことですが,過去記事にもあげているように,そして 浅川芳裕 著『日本は世界5位の農業大国』 でも述べられているように,日本は世界トップレベルの農業大国です. 日本の農業はそんなに弱くないはず.というのが私の直感でしたから,「やっぱりね」というところを浅川氏は指摘しております. 農業はその国の基本ですから,農業が活発であることは非常に喜ばしいことなのです. そこはいいのです. 日本の農業は凄いんだ.もっと自信をもって日本の農業を語っていこう.このままパンや洋食を駆逐してやれ.ガンガンいこうぜ!という趣旨だと思っていたのですが. ところが,どうやら浅川氏をはじめとする「日本は世界に冠たる農業国」という主張をする方々が向いてる方向というのは「だから日本は農業で世界を相手にビジネスできる」というもののようでして

PIAACとPISAの結果の考察

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かなり昔の記事ですが, ■ 学力低下 において「大人の学力みたいなものを測ればいいのに,というか,それを測って考察しないと子供の学力を云々することはできない」と言っていたら ■ PIAAC:国際成人力調査 でも紹介したように,OECDがそんなことを計画してやっておりました. んで,先日, 待ちに待ったその結果が発表されました. 結果を前に言っておきたいのは,私が数年前からずっと主張していることをもう一度, 「今の日本の教育は悪くない.学力も低下していない.というか,もっと教育現場にいる人の言うことを聞いてくれないでしょうか皆様」 です. さて今回は,PIAACの結果をうけて私なりに,そして,タイトルにあるような,皆さんが実は気にしているであろうPISAとの相関も含めて,面白可笑しく考察してみます. 文部科学省が出している結果・考察は, ■ http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/1287165.htm ■ http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/__icsFiles/afieldfile/2013/10/08/1287165_1_1.pdf を御覧ください. まずはシンプルな国際ランキングから.日本はどの位置につけているのか,上図を御覧ください. めでたいことに,結構な差をつけて日本がトップという結果です. しかも,本当に他国とは「差」をつけておりまして,統計学的に見ても2位以下に「有意差」をつけているのだそうですよ(詳細は文科省の結果考察を). 通常,このような「ランキング」にすると,実はその「差」は僅かなものであって,意味のある差(有意差)はみられないことが多いのですが. 実際,「数的思考力」では2位のフィンランドは3位,4位のベルギー,オランダと「差はない」という結果です. 例えば,体重65kgの人と64.5kgの人に「差がある」とは言えないでしょ?コーヒーを飲んだり,トイレに行ったらランキングに変動があるような「差」ですからね. そのようなわけで,今回の日本の1位というのは「圧倒的ではないか,我が国は」と表現してよいものなのです. このPIAACは16歳〜65歳の人を対象にしてお

農家が出荷しているのはお金になるからであって,国民の飢えを防ぐためではない

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農業問題という視点から少しずつ離れて,食料問題を取り上げていこうと思います. ある意味,最初の■ 食料自給率と食料安全保障 に戻ったということも言えます. この記事のタイトルがかなり長いですが,要はそういう趣旨です. 今回は,ときおりネットでも目にすることのある「食料自給についての問題は現代日本においては無関係である」という説に釘を指す内容になっています. とは言え,私自身,世界同時飢饉によって食料難になったとしても,日本中が飢餓に苦しむような事態になる危険性は非常に小さいとは思います. 絶対の保証はないものの,飢饉は突如として降りかかるものではなく,少しずつ現れてくるものだからです.よって,少しずつ対応策を打っていくことになるわけですから,ある時期から突然,地獄絵図になるというものではありません. では実際にその危険というのは,巨大隕石が衝突するとか,ヨーロッパや北アメリカなどで大規模自然災害が発生するとか.あと,小規模ではあっても核を使った紛争が勃発するといったことで,国際関係に極度の緊張感と混乱が生じた場合です.そうした時,各国(特に先進国)は食料輸出に慎重になりますから,食料を輸入に頼っている日本のような国は, \(^o^)/ にはならなくとも /(^o^)\になります. 可能性としてはかなり低いですが,最悪のシナリオではないにしても,類似した事態にはなり得ます. 少しずつ困窮する中にあって,日本ほどの軍事力がある国であれば,どこかの国を脅したり制圧すれば済むかもしれません.でも,それって「歴史は繰り返す」ではないでしょうか? 「そうした事態はありえない」のであり,「お金と輸入で解決できる」という態度でふんぞり返るのは問題です. これについて,平和的かつファンタジックに解決する手段を考えたのが,■ ハイテク農業を考える です. ところで,特にこの「日本にはお金があるから大丈夫」というのは,非常に強い説得力を持つ理論なのですが, かつての人間社会は「食料=お金」の時代だった ことを思い出してほしいのです. Wikipedia:「食料自給率」なんかでも紹介されていますけど, 古来,飢饉に陥った際に最も困窮するのはむしろ自給生活をしている農村であり,都市部はお金があるから食料調達が可能であるため,実はそんなに困らない,

今日は本物のパンを食べてもらう

TPPがとんでもない方向に向かいそうな今日此の頃. 一応,前回の記事で農業問題については一区切りつけようと宣言しましたが,そんな矢先にこんな記事が出ました. ■ TPP「聖域」撤廃検討 苦渋の政府・与党判断 農業関係者「信じられない」 たしかに信じられませんが,どうせこんなことになるだろうと覚悟はしていました. こういう話を出してくる時点で,少なくとも国益にかなう交渉にはなっていないことが明らかになったと言えるでしょう. ヤバい方向に向かっているから,早めにホウ・レン・ソウしときましたよ,という規定事実を作っているのでしょうかね. 交渉を抜けたいけど抜けられないカードを切られている.あとは草刈り場になったであろう日本市場を,どれだけの被害で抑えられるか.今後はそこが焦点になるのでしょう. だから言わんこっちゃないのです. さて,前回の記事 ■ やっぱり本気で農業のこと では洋食化した日本の食生活・食文化が農業問題の癌であることを書きましたが,別に私は洋食を嫌っているわけではありません. 旨いものは旨いのです. 今回は,日本の農業問題のところでは目の敵にしてしまった「パン」について,ちょっと寄り道のお話しをしておきます. 今から50年ほど前.遥か昔のことです. 私の母が学生だった時のお話でして,私が学生時代に昔話として母から聞かせてくれたものです. 調理実習の授業が最終回を向かえ,最後の日である今日は何を作るのかなぁと楽しみに教室へ. 先生は,とても大人しくて寡黙な感じの中年オヤジだったとのこと. そんな先生が授業に先立ち発した言葉が, 「君達が食べゆうもんは,あれはパンじゃないがやき.今日は本物のパンを食べてもらうきに」 と言って,すでに用意されているパン生地を各班に配り(最初から用意してたら授業時間内にはできないでしょうから),それをオーブンで焼いたとのことでした. むせ返るようなパン生地の発酵した匂いが印象的で,どんな出来になるのか,女子学生一同,ワクワクしながら焼き上がりを待ちます. 50年前,当時のパンは味気のない,はっきり言ってマズイもの,小麦粉の塊みたいだったと言っていました. 例の余剰農産物の処理のために作られた,パンに似た「何か」です. (余剰農産物処理法については,前回(上記)の記事を参照くだ

やっぱり本気で農業のこと(PL480 通称,残飯処理法)

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後期の授業が始まったり研究準備が慌ただしかったりと,少し更新が遅くなっておりました. それに,ついつい体罰問題を先に取り上げてしまいましたが,今回で農業問題に一区切りつけようと思います. 最後は, 「農業問題の源流をたどると,食習慣と食文化,のみならず日本文化への執着と愛着に行きつく」 ということです. これまでの話を総まとめしながら書いてみたいと思います. ■ もうちょっと本気で農業のこと(問題の本質は農家をバカにしていること) でも触れましたが,農業はその地域・国の文化を担っているものです. その記事内容の繰り返しになりますが,もう一度おさらいしますと, 文化(culture)は耕作(culture)が語源とされています. そしてさらにその源を辿れば,「面倒をみる」という意味になります.   つまり農業というのは,その国の文化を育み,その国の面倒をみる役割を持っているわけです. このブログでは上記の記事以外でも至るところで触れていることですが,そういった国の根幹や文化を育む役割がある業界には既得権益があるのです.農家もそれに入ります. 林業,漁業,土木,教育,医療といったことにも同様のことが言えます. これを分かりやすく解説した書籍に出会いました. 三橋貴明 著『国富新論』 です. この夏は「我が意を得たり」のオンパレードでしたが,これもその一つでございます. 三橋氏は,国家には「階層」があり,なかでも 農業や土木,医療,教育,防衛といったものは,国家の根幹・基礎を形作る「階層」であり,規制緩和や市場競争といったものに簡単に曝してはいけないもの だと説きます. まったく同感です. そんな中でも農業は,直接的にはその国の食文化を担っていると言えます. その国の風土に合わせた作物が育てられ,田園,茶畑,みかん畑といった日本ならではの風景が形作られます. もちろん,時代の流れとともに農作物が変わっていくのでしょう.ですが,それは国土や食文化に調和したものでなければいけません. ある日,思いついたように変化させるわけにはいかないのです. なぜって,農作物は自然を相手にしているわけですから,消費者の都合に合わせて「あらよっと」って感じに方針転換