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既得権益の打破を打破

昨日の話にもう一つ付け加えることがあります.

「右」も「左」も関係なく,マスコミとかB層と呼ばれる人に多いフレーズが,「既得権益の打破」です.
しかも,したり顔・ドヤ顔で言うもんだからイラっとします.

たしかに,その権益にどっぷり浸かってモラルの欠片もない状態になっており,その他の国民に多大な悪影響を及ぼしているというのであれば,「既得権益の打破」を考える余地があるでしょう.

しかし,そもそも「既得権益」という言葉は,たんに「権益」を「既得」していることを指す言葉であり,「既得権益という状態」があるわけではありません.
ちょっと言葉遊びをしてしまいましたが,ようは既得権益を打破したとしても,その後,その権益が誰かに渡る,もしくは別の形の権益が生まれるわけで,つまりはそれが次の既得権益になるだけのことです.

あと,大事なくせに考慮されないこととして,
そもそも,その団体や職業組織に,なぜそのような既得権益が存在しているのか?
が放ったらかしのまま,無思慮に打破しようとしていることが危なっかしいったらありゃしません.

当たり前ですが,ある日突然「既得権益」が発生するわけではありません.
必要に応じて権益が用意され,それが今から見たら既得になっているわけで
だから既得権益なのです.

例えば,我々の業界である「教育」にも様々な既得権益があります.
収入が安定している,解雇されにくい,業務チェックが甘い,教材費とか研究費などの取引を内々でなんかやってそう. 天下り先になっているっぽい,などが代表的なものでしょうか.

それでは,なぜそのよう既得権益(と言えるかどうか怪しいが)が存在するのでしょうか.
山のように理由が考えられますが,これはその他,農業・漁業や土木,医療といった代表的なものと同様,そうした既得権益がないと国民の多くが困るからです.

全ての天下りや予算の取引が良いものだとは言いません.しかし,そうした天下りや予算調整をすることが,結果的には学生や国民のためになっている場合は多いものです.
何から何まで否定するのも,それはそれで違うと思います.

雇用の例であれば,教員が簡単に解雇されたり,業務評価によって収入がコロコロ変わるような制度だと,どっしりと腰を据えて生徒や学生と向き合おうとしなくなります.

現に私たち大学の世界では,雇用形態に規制緩和を大幅に取り入れたところ,「それ」が実際に起きています.
聞けば以前と比べて「とりあえず,来年の自分のために働く」という若手の大学教員が多くなっているそうです.
たしかに,年配の先生方と比べると学生を見る余裕はないように感じます.学生への教育というのは趣味や片手間の範疇という人も多いようです.

なぜかというと,熱心に学生を指導したところで,学生が成長していく過程は複雑なため「その教員の努力によるものだという検証や評価ができないもの」ですから,どれだけ力を入れようと手を抜こうと,「その教員の評価には反映されないもの」なのです.

「だったら学生とは向き合わなくてもいいや」という教員が出るのは致し方ないことです.
今,大学の教員は1年,場合によっては半年ごとに業績を評価されるようになっています.
そして,先ほど説明したように「学生指導」というのは評価されにくいものです.

かくして昨今の大学では「水準の低い論文の乱発」が発生しています.
かくいう私もやっちゃってます.簡単な実験や調査をやって文章にするという「ルーティーンワーク」です.そうしないと,任期が終わって次の大学に移動するときに,採用条件に入らなくなるから必死です.
掘り下げたら面白そうな課題が見つかっても,業績として評価されない結果になっては骨折り損なので手を付けません.
皮肉なことに,研究を活発化させんとして始めたこの制度,活発にはなったけど質が落ちるという悲惨な末路をたどっている次第です.デフレ下にあった日本の製造業と似てますね.

この問題点についての詳細は別の機会か,お急ぎの方は別のブログ等をググってください.

そんな状態で “まっとうな” 学術的指導ができるでしょうか?学生と向き合わない教員はモラルがないと言えるでしょうか?
教員であっても生活があります.その人の生活がかかっています.
学生指導に注力したら生活が傾くような制度では,大学らしい教育を求めることはできません.
競争が悪だというわけではありません.必要な部分もありますが,バランスが大事です.

ついでに言うと,私もこれはけっこう典型的なものだと感じていることがあります.ここ最近大学教員になった人達の学生指導の特徴的なものとして,
「どうやったら社会(企業組織や人間関係)から評価されるか?」とか,「就活のコツ」を熱心に説く人が多いというものです.

もちろん,近年の大学に求められるものが「就職」や「ビジネススキル」になっていることも影響していますが,それだけではないように思います.
我々若手教員の多くが「これが重要だ」と認識して指導するものが,学術的なオリジナリティや教育・研究哲学ではなく,「世渡り」なのです.

つまり,自分たちが大学教員として存在している道程が,「深い思索」によるものではなく,「世渡りスキル」によるものだという認識の表れなのではないか?ということです.
こうした志向(嗜好)が学生にもジワジワと伝染していく危惧があります.

そんなこと言いつつ,私はこのブログで
大学教員になる方法シリーズ
を書いていますが,これは大学界の現状への皮肉だと受け取ってください .
かと言って,いい加減なことを書いているわけではありませんのでご安心(?)を.その他にもその手の記事が但書もなく時々散らばっているのでご注意ください.

えーと,あ,そうだ.既得権益の話だった.
そんなわけで,上記のように大学教育にあっても,既得権益がなければ大変なことになるわけで..,というか今大変なことになっているわけです.

まぁ,こういうのってまだ大学だから誤魔化しがききますが,これが学校教育や保育だと思うとゾッとします.
学校教育にある権益をなくすことで,「学校の評判が上がらないと潰れる」とか「評価されない教員が切られやすい」とかを目指すどこかの市長もいるようですが,そんなことが横行するようになるとどうなるか.

生徒の「進学率」っていうのはパイの奪い合い,椅子取りゲームですから,さほど費用対効果が見込めません.したがって,ハイレベルな進学校以外の多くの学校や教員は,それ以外の道を探ることになるでしょう.

例えば勝利至上主義,広告効果満載の課外活動・クラブ活動に拍車がかかります.
皮肉なことに,企業やOB,保護者との癒着に拍車がかかります.

コネ作りに教員が走り回るようになります.報告書づくりもあるし,生徒指導どころではありません.
実際のところ生徒の事なんてどうでもいい.校長や教育委員,世間の目が大事だと思うようになります.皆さんがよく食いつく「いじめ」も,さらに隠蔽するようになります.

優秀な生徒を囲い込むようになります.生徒から好かれる先生にならなければなりません.問題行動を起こす生徒は切り捨てるようになります.
よって「生徒の将来ためには,今は嫌われたっていい」などと言ってる場合じゃなくなります.生徒から「良い先生だ」と思われるためには靴の裏も舐める,そんな先生が現れるかもしれません.
マジメに生徒指導や授業なんかしても評価されようがないんですから,当然です.

体力の限界,気力も無くなり,おまけに時間もない.こうなりゃ外注だ.どこかに仕事を委託できないものか.
「はい,それならワタ(っと危ない)...,ワタシにおまかせを.文科省から業務委託のお墨付きをもらっていますからね!」

それが「既得権益を打破」した先にある教育業界です.