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もうちょっと本気で農業のこと(問題の本質は農家をバカにしていること)


農業問題の何が問題なのか見えてこない.
それが農業問題の問題であります.
ですから今回は,その問題が多くの日本国民・自身にあることをご説明します.

過去の2つの記事をまとめると,「食料安全保障は言うほど切迫していない.でも危険性はゼロじゃないから,世界大飢饉を想定してハイテク農業の研究を進めましょう」 ということです.

農林水産省より(2010)
ですから,ここから先は「安全保障」などと肩肘張らず,もう少し落ち着いて考えることにします.

ここで,あらためて農業問題と呼ばれていることを整理してみます.
(1)食料安全保障と自給率
(2)高齢化と担い手不足
(3)農地の売却
(4)農協の悪事
そんなところでしょうか.
ボチボチとやっていきますが,とりあえず前回と前々回では,(1)についてでした.
そして今回は(2)についてです.

高齢化と担い手不足.これを端的に言えば, 
なぜ日本人は農業をしなくなったのか?
ということですよね.
データをみましょう.上図にあるように,1960年に約600万戸あった農家は,2010年には約250万戸まで減っています.時々ニュースなどで見るかと思いますが,これは恐ろしい数字です.

なぜでしょうか.
先に結論を言ってしまえば,そして,あえて刺激的なことを言えば,
日本人が農家をバカにしているから
です.漁業や林業も同様です.全ての元凶はそこに辿り尽きます.

「何を過激なことを.たんに奇抜なことを言いたいだけだろ」と仰りたいのでしょうが,私はいたって本気です. 

農家ではない皆さん,自身の胸に手を当てて考えてみてください.
これは合理的な話ではありません.情緒的な話です.イメージです.
どうしてもというなら,そんな調査結果がありましたのでご参考ください.
http://enq-maker.com/result/fWIQfMp
農家に生まれているわけではないから,やりたくってもできない.と心の底から言えますか?

マスコミや識者にしても農業問題について色々と取り上げますがが,ハッキリ言って,まったくと言っていいほど農業や漁業のことを国の根幹に関わる大事な分野だという認識はありません.

数ある産業のうちの一つとして,弱者,過酷な労働環境,貧困,劣ったライフスタイル,そんな目で見ているわけです.
時には蔑む目で,時には憐れむ目で.
簡単に言うと,費用対効果が低い産業,非効率でクールじゃない仕事,それが農家や漁師を語る際のイメージなのです. 

ネガティブな産業として報道するのですから,担い手が不足します.もちろん嫁も不足します.
弱者として報道するのですから,でたらめな補助金が許されます.必要以上の,そして意味不明な利権があります.むしろ迷惑な,機能していない既得権益があります.

それでもネガティブな産業として報道され続けるわけですから,担い手は不足し続けます.もちろん嫁も順調に不足し続けます.
この繰り返し.

国家における農業の価値に沿った議論をしないもんだから,つまり,食料生産と食文化を担っている分野だという議論をしないもんだから,本当に困っている農家のための政策は行われません.
どこまで行っても「数多ある産業のうちの一つ」という認識です.

したがって,「自然淘汰」のもとに消えていく農家があります.
補助金があろうと,権益があろうと,そんなことは関係ありません.補助金も権益も機能しないのですから当然です.

ちなみに所得は日本の中でも平均的なんだそうです.普通のサラリーマンより高い農家もあります.
しかし,「だったら良いじゃないか」という話ではないのです.

自分たちがどれほど努力しようと,どれほど手を抜こうと,平均的な所得を得られる.
しかし,誇りを持って仕事はできない.日本人の多くが「農家なんて・・」と見下しているから.

効率性がないと言われて効率をあげたら減反しろと言われ,減反したら食料価格が上がって無責任だと罵られ,価格を下げたら輸入したほうが安い,だから競争力がないんだと嘲笑われる.

農業は自然と土を相手にしているのです.他の産業と違って,ある日思いついたように改良できるわけではありません.
何か新しいことを実らせるには,2~5年,それ以上をかけて取り組むものです.

こんな条件で誰が農業を進んでやるのでしょう.やるわけがないでしょう.
同じように仕事に就くなら,「農業以外をやろう」「農家は継がせないようしよう」そう思うのは当然です.

よく言われるのが,「市場競争していない農家を甘やかすな」というものでして,TPPにしたって,そんな農家に外圧を与えるためなんだそうです.

なんで国民の生命と食文化を守るために競争しなくちゃいけないのかは謎ですが,そのような人たちの目には,農家は既得権益に守られ,楽して平均的な所得を得られるチョロい商売なんだそうです.
だったらなんで国内生産量は下がり,農業従事者は減るのか?変ですね.

ではここでその理由をもう一度,
「日本人が農家をバカにしているから」です.

農家には既得権益があり,所得が安定しているというのであれば,なぜ担い手不足になるのか?
既得権益があって所得が安定している職業は他にもたくさんあります.医師,教員,公務員などなど.そんな職に就くためには競争率も高いですよね.ではなぜ農家はそうではないのか?

「過酷な労働環境だからでは?」と優しい言葉をかける人がいますが,ではなぜ農業従事者の多くが高齢者でまかなわれているのか?本当に労働が過酷なら高齢者では就労できないのではないですか? 

農家は労働が過酷なわけでも,貧乏なわけでもありません.
日本人がバカにしているから担い手が減っていくのです.
農家だけではありません,漁業や土木の方々に対してもそうです.

こういう人々を指して,口では「日本のために働いている偉い人」と学校なんかでは教育するけれど,実際には見下しているのです.最近は「日本のために働いている」と教育しているかどうかも怪しいものです.

農業問題をクールに語りたい.政治として語りたい.費用対効果で語りたい.ビジネスモデルで語りたい.安全保障で語りたい.
つまりは農業問題をスマートに語りたい.でも私に言わせれば,そんなことだから複雑怪奇なままなのです.

その仕事に対する誇りがあるか.人々の役に立っている,社会に貢献できているという誇りがあるか.
つまり,農業問題の根底にあるのは,「農業に誇りを持てるか」です.
誇りを持って取り組める仕事として位置づけられる哲学に則った政策をたてることが,農業問題を解決する方向性だと私は考えています.

ビジネスモデルだとか,競争力だとか,労働環境というのは,考えるべき課題の一つではありますが,優先的なことではないと思います.

農家に誇りをもってもらうためには?
そうですねぇ,いろいろありますが,抽象的に言えば,
「まずは日本の農家が作ったものから順に食え」
という政策です. 

なんで輸入なんかしてるんですか?
米も食わず,輸入しておいて,なんで今さら「日本の農業問題を考える」のですか?
安い土地,安い労働力,安い余剰食料品を出してくる相手に対して,もっと競争力をつけろと?
日本近代化・富国強兵の胃袋を支えてきた百姓へ向かって,「俺たちはお金が手に入ったから,食べ物は海外から買えちゃうもんね.悔しかったらお前も海外で儲けてみろ」ですか.えらく肝が据わった物言いですね.

えぇ,わかりますよ.これには十分過ぎる言い訳があります.
アメリカから麦やらトウモロコシやら肉やらと,輸入を“押しつけられた”時代がありました.1950年代です.
アメリカが「PL480(いわゆる,余剰農産物処理法)」,つまりは残飯処理を日本に押しつける法律を思いついちゃったので,敗戦国日本は仕方なく受け入れます. 
アメリカの残飯処理のため,日本は食事を洋食化させました.

この「余剰農産物処理法」を巡る経緯というのは,全国で農家の息子に伝えられてきた復讐への叙事詩でして,一説によると「コードネーム: ネメシス・アマテラス」とも呼ばれます.
そのうち港に入ってきた小麦がタンカーごと燃やされるかもしれません.乞うご期待ください.
ここらへんの詳細は日本の農業問題を考える上で重要ですから,また別の記事で.今回は飛ばします.

PL480,これは逆立ちして見ても日本の農家を壊滅させる政策です.当時もみんな分かってたはずです.
そうは言っても,敗戦国日本は仕方なく「食の欧米化」を受け入れ,当たり前ですが日本で生産される食料が必要とされなくなったのです.
よって,減反政策をしなければならなくなりました.ようするに日本の主食であるはずの米が必要とされなくなったからです.
そのまま今日まで至ります.

ですから,先ほどの「なんで輸入なんかしてるんですか?」は,正しくは「なんで“まだ”輸入なんかしてるんですか?」です.

そうかと言って,国民も「やっぱり日本食じゃないと」とはなりませんでした.
安くて売れるものを求め,食料を輸入することが「危険」だという認識は小さいままです.
挙句の果てには,「売れる物を作らなければいけない」「世界に打って出よう」「競争力をつけよう」などと言うようになりました. 
私には警視庁が「ニューヨーク市警よりもパトロール回数を多くしよう」などと競争してるようにしか聞こえません.
世も末です.

そうそう,ついでに言うと,このたび私が農業問題を取り上げ続けているのは,教育と農業に対する論じられ方が,非常に似ているからです.
マスコミや識者の多くが,どちらのことも金儲けやビジネスとして捉えています.競争させれば改善すると勘違いしています.

農業と教育,そのどちらも国の歴史と伝統,文化を伝え残すためのものです.
文化(culture)は耕作(culture)が語源とされています.さらにその源を辿れば,「面倒をみる」になります.
つまり農業の本質とは,その国の文化を育み,その国の面倒をみる役割を持っているわけです. 
「面倒をみる」というのは,まさに面倒ですよ.さしずめ,公務みたいなものですよね.

そうだ.
日本のドラマや映画,アニメで第一次産業の生活に焦点を当てたものを見てください.
そのほぼ100%が,「マイペース」「人間らしさ」「自然との調和」を描きます.
つまりこれは,日本人の多くが第一次産業を生き方・ライフスタイルとして捉えていることの証左ではないでしょうか.特に酷いのがジブリ映画ですよ.えぇ.
第一次産業は,国の礎,人々の生命,文化の根幹を担っているのだというところは描かれません.

ちょっと前にあった「農業ブーム」とか,あと,アウトドア崩れの自然のなんかそのログハウス生活みたなの,わかります?よく覚えてないけど,「生き方」みたいなのがあったじゃないですか.
あれと同次元で第一次産業をみてるんじゃないかと,残念な気分になります.

農家が本当に求めているのは,お金でもライフスタイルでもありません.誇りです.
「誇りだけで飯が食えるか!」とドラマチックなセリフを投げつけても,農家なので飯は自前で用意できます. 

農家のおかげで日本が成り立っている.農業は日本国の象徴.そういう観点から政策を考える必要があるのではないでしょうか. 

「いや,無いよ」
という人のために,どれだけ農業が日本の象徴であるか,近いうちに記事にします.

でもその前に,次回は今回の続きとして「農家が農業をしない理由」を政策や仕組みの観点から見ていきたいと思います.


参考記事
参考になる書籍を,以下に示します.