投稿

8月, 2013の投稿を表示しています

注目の投稿

「ぶらぶら歩き」興国論

昨年の3月に, ■ 「ぶらぶら歩き」亡国論 という記事を書きました. そこで言いたかったのは, 「「ぶらぶら歩き」などという活動でもって,“私の運動・スポーツだ” という認識では,日本のスポーツ振興はままならない」 ということでした. しかし,先日の記事である, ■ スポーツによって災害に強い強靭な町をつくれる のような視点からすると,“ぶらぶら歩き” であっても十分価値あるものであることが推測されます. むしろ「ぶらぶら歩き」こそが,亡国などではなく,興国の可能性を秘めているかもしれません. 細かいことは上に示した記事を読んでもらうとして,とにかくヒトは「身体を通して本気で遊ぶ」ところに,人間らしさの本質があるように思えてなりません. 上の記事では「ぶらぶら歩き」が日本人の運動・スポーツの特徴であると指摘しましたが,逆に言えば,ぶらぶら歩ける国民性があるということです. いえ,むしろヒトはアフリカに始まり,世界中を歩き回って繁栄してきたのです. 同じルートやテリトリーを走り回ったり,飛び回ったりする他の動物とは違うのです. ぶらぶら歩くだけでもいいから,とにかく動け. ぶらぶら歩ける町をつくれということです. 「ぶらぶら歩き」,なんと人間らしい活動であることか. おいおい,以前の記事と主張が(タイトルも)180度ちがうじゃないか.というところですが,まぁ,物は言いようですから,のんびりと聞いてください. とは言え,いずれの記事にせよ私が言いたいのは,国や社会にスポーツを振興させることは,「無形の文化の発展」「人の可能性の発露」「教育的意義」「感動」といった分かりやすくお定まりの主張だけでなく,本当の意味での経世済民(経済)と共同体づくりに貢献するという点です. スポーツの振興を「趣味の範疇」「税金の無駄」と考える人もいるようですが,そうではありません. ここで言う「スポーツsport」は外国(ヨーロッパ)の思想であるから,日本には馴染まないのではないかという意見もあって然りでしょう. しかし,名称こそ違えど,日本にもスポーツのような活動は多く散見されますし,これは日本に限ったことではありません. 大相撲は日本最古の「プロスポーツ」として知られており,各地にみられる「祭り」はスポーツの様相を呈するもの

“日本一”の故郷を撮る

イメージ
ちょうど帰省した日. 私の実家の地域が全国的に有名になりました. 摂氏 41度. ということで,我が故郷は日本一暑い町として,その名を全国に轟かせることになったのです. つまり,今週は「旧日本一」から,「新日本一」へと移動したわけですね. 縁を感じます. このお盆の帰省を写真で振り返ってみましょう. 結構長いけど,暇つぶしに見ていってください. 今回の帰省の移動手段ですが,東日本に移ってからというもの,自動車を手放しましたので公共交通機関での移動に逆戻りです. 岡山駅からは「アンパンマン」の絵が恥ずかしげもなく塗りたくられた電車,もとい「汽車(ディーゼル車)」です.  高知や四国の「やなせたかし」押しが過ぎる気もしますが,まぁ地域活性化として頑張っているのですから,微笑ましいものです. ちなみに, ■ 高知県庁ホームページ (2013年8月17日現在) の「広末涼子」押しも気になるところですが,同世代の高知県人が頑張っているのですから,優しく見守ってあげたいところです. 愛媛の高専に勤めている弟がいます. ですので,愛媛県からは弟の運転する車で実家を目指します. そして高知に帰ってきました. が,この写真は四万十川ではありません. 四国三郎で知られる吉野川水系の「大橋貯水池」です. ちなみに,この大橋貯水池をつくる「大橋ダム」の歴史は古く,1939年に竣工したものでして,「土木学会選奨土木遺産」としても知られています. 日本の公共事業の大切さを語り続ける車内でした. 伊野町(いの町)です. 高知らしい風景ですね. 上の写真の川と,下の写真の右を流れるのは「仁淀川(によどがわ)」です.四万十川ではありません. 実は四万十川よりも “真の清流” として県下では知られています.綺麗な川です. 四万十川なんてただの飾りです.県外の者にはそれが分からんのです. この機会に覚えておいてください.「仁淀川」です. 下は土佐市あたりのお店を撮ったものです. 餅米,麦芽米,玄米,水,ぬか.刺し身,炭,きび... 何を売りたいのか分かりません.さすが高知です. 仁淀川です.県下では “真の清流” として知られています.以下略 高知の道路は狭いんです. だからこんな標識が

大阪市立大学の学長選挙について,下品だけど脊髄反射しておこう

今日のこのニュースについてです. 世間にとってそんなに影響力があるニュースではないように思えますが,私にとっては身近なニュースなので取り上げます. 橋下大阪市長、市立大学長選認めず 「選ぶのは市長」  大阪市長から任命される同市立大学長が従来、大学の教職員による選挙結果に基づき選ばれていることについて、橋下徹大阪市長は9日、「ふざけたこと。そんなのは許さん。学長を選ぶのは市長であり、選考会議だ」と述べ、今秋にも想定される選挙を認めない考えを示した。市役所で記者団に語った。  同大の定款では、学長は大学の選考会議からの申し出に基づき、市長が任命する。ただ、学長候補者は従来、大学の教職員による2回の投票を経て選び、その結果をもとに選考会議が候補者を市長に伝えていた。現在1期目の西沢良記学長は来年3月末で4年間の任期を終える。  橋下氏は「(学長は)選考会議で選ぶが、選考会議に僕の意見を反映させる。それが民主主義だ。何の責任もない教職員にトップを選ぶ権限を与えたらどうなるのか。研究内容に政治がああだこうだと言うのは大学の自治の問題になるが、人事をやるのは当たり前の話だ」とも述べた。 [朝日新聞2013年8月9日13時30分] どこかの副総理のナチス発言と同じように,言葉尻をとった誤報ではないかと思い,ニコニコ動画でも確認してみました. しかし,どうやらこの記事の通りで間違いないようです. ・・・・, “ 大学の自治 ” について考慮した上でも発言しているのですが, ・・・う〜ん...., いささか乱暴な「人事権」とやらの行使ではないでしょうか. 私としては,この橋下市長の言動には賛同できるところもあるのですが,どうも今回の件もあさっての方向に向かって吠えているように見えます. >選考会議に僕の意見を反映させる。それが民主主義だ。 とのことですが,これ間違っていないんだけど,知的レベルが知れる発言なのでやめたほうがいいと思います. >何の責任もない教職員にトップを選ぶ権限を与えたらどうなるのか。 とのことですが,これまで別に問題なかったわけですから,慣例に従っておけばいいのでは? それとも, >研究内容に政治がああだこうだと言うのは大学の自治の問題になるが、人事をやるのは当たり前の話だ とおっしゃるほど,市長が学長選考に口出

スポーツによって災害に強靭な町をつくれる

イメージ
前回の記事  ■ スポーツで土建国家を復活できる の続きです. 「土建国家復活」などと,なんてこと言うんだ,気は確かか?と思われるかもしれませんが,どうか冷静に読んでください. 学生には繰り返しになりますが,私のブログはコピペ・レポート用として利用してもらっても構いません.上段のブログ説明文にもそのようなことを書いておきました. ただし,私は一向に構いませんが,レポートを課した先生は許さないと思いますのでバレないように. さて, 前回の記事では.スポーツが円滑なインフラ整備に一役買っていることを説明しました. そして今回の記事では, スポーツ活動が発展してくることで,実は勝手に町並み整備ができていくのではないか ,という可能性をお話しします. その話をするにあたって,まずはスポーツの起源に触れておきましょう. スポーツは「祭祀」や「祭典」がその起源の一つであるとされています. 一般に知られるスポーツ種目でも,その起源に「祭り」との関係が認められるものは非常に多く,近代スポーツ誕生の代名詞でもあるサッカー(フットボール)も,イギリスの各農村で行われていた祭りが起源であり,ラクロスもネイティブアメリカンの祭りに源流をみることができます [文献1]. そう言えば日本の国技である相撲も,神事としての歴史を持つものです.オリンピックも「平和の祭典」と称されるように,スポーツイベントは一種の祭りと捉えることもできましょう. ゆえに祭りとスポーツは,その機能においても強い関係性が認められることが推察されます [文献2]. その一つして考えられているのが,防災としての機能です . 前回の記事では,スポーツ施設が防災施設としての機能を有する,という点をご紹介しましたが,今回はさらに解釈を拡大し,スポーツに防災機能が有機的に備わっている点を説明します. 祭りと防災については,前回もご紹介した,土建国家復活を願う京都大学の藤井聡先生のご著書でも紹介されていました[文献3]. 典型例をあげましょう. 2011年に発生した東日本大震災は津波被害の強大さを知らしめましたが,古くから東北地方は津波に悩まされていたことも知られています. そんな東北地方のお祭りは,地震と津波対策との関係があるのではないかと考えられています. そうした中で