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学生とのやり取り その3

昨日,前任校の学生よりメールをいただきました. がんばって勉強しているようです.飽きずに続けてください. で,そのメールで「敬語」についてお尋ねがありましたので,私なりの「敬語に対するうんちく話」としてお返事しました. えらく長文になりましたので,せっかくですから今回もブログに焼き直して載せちゃいます. 「敬語」が無い英語などの文化では,発言が積極的ではないだろうか? 日本も敬語の文化が弱くなれば,発言が積極的になるのではないか?自分の意見をしっかりと表明できるようになるのではないか? と汲み取れるようなご質問でした. この手の話を考える上で大事なのは,「敬語」がなぜ存在するのか?という点だと思います. 「敬語がある文化だから〜〜」というように,現状の文化を観察して考察することも大事なことですが,そもそもなぜそのような文化が出来上がっているのか,という視点も大事だと思うのです. 私の理解では,「敬語」という文化は日本語だけではなく,世界中にあるものです.※返信後,ウィキペディアとかで調べときました. 例えば,英語にしても目上の人相手や丁寧にお願いする際は「Please〜」を入れます. 朝鮮語やフランス語,ドイツ語では,目上の人用の単語が敬語としてあります. ただ,日本語が世界的に特殊なのは,その構造や使用方法が極端に複雑なところです. ではなぜ日本語は「敬語」がこんなにも複雑なのか?という点が不思議なんですよね. 一説には,意外に思えるかもしれませんが「日本は“上下関係の垣根が低い” から敬語が発達した」というものがあります. コレ,どこで仕入れた情報なのかと思い出していたんですけど,やっと本棚の奥で見つけました. 浅田秀子 著『敬語で解く日本の平等・不平等』 . 浅田氏いわく, 日本では言いたいことを立場を越えて議論する文化が歴史的にも受け継がれてきている. そのため,目上の人に言いにくいことでも物申す場合がある. 物申すと言えど,目上の人であることに違いはないのだから,失礼にならないように言い回す言葉が必要になった. それが日本で複雑多様な発展をとげた敬語である. ということです. 一方の欧米や中国大陸の文化は,上下関係(支配階級・奴隷階級)が明確な歴史であり,実

崖っぷちの大学が生きる茨の道

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教授会でこんな話が出ました. 文科省が提示する「大学のグローバル化」に対応するため,「◯◯大学グローバル対策委員会」みたいな部署からの今後の計画について. 上の先生方の意見, 「面白くないね」「ずっと何年もこんなこと言ってるよね」「もう何度も聞いてるんだけどさぁ,大学のグローバル化って何を意味してるの?」 仕舞いには, 「「アジアに◯◯大学あり」を目指すんでしょ?こんな安っぽいことしてていいわけ?」 「文科の大臣だって靖国参拝するっつってグローバル化を阻んでるじゃない.言ってることとやってることが違うじゃないか」 「うちらしい大学教育のあり方はどうなるの?ここは私立大だよ.だいたい,なんで恥ずかしげもなく文科省の言う通りにしてるの?」 「こんなのW大とかT大とか,他がやるでしょ.うちはやらなくていい」 と野次りまくりで,議案担当者もあたふた. やっぱり力のある大学は違います. 口出しできない末席(本当に末席,立場も年齢も)で小さくなっていた私は,猛烈に感動していました.     そう..., 大学がグローバル化に備えるべきは,ちゃんとした「学問」をするために,ふんどしを締め直すことです. 間違ってもブリーフやらトランクスに履き替えることではありません. 我らが大先輩,福沢諭吉の言葉を思い出しましょう.先日記事にした, ■ 「学問のす丶め」を素直に読んでみる を参照ください. ところが,生き残りに必死な大学はというと,ブリーフどころか,Tバックを履いちゃおうとします. 内心,自覚している自分たち自身をごまかすために, 「むしろブリーフよりも,ふんどしに似てるよね.魅力的で良いのではないか」 などと言い出します. まぁ,それは仕方がないことなのかもしれません. 大学とて,人によって構成されているものです.生き残りに必死になれば,なんでもするのが人というものです. 今回は,これから生き残りに必死な大学がやるであろう方略をご紹介しましょう.瀕死の大学における延命処置(救命ではない)をご紹介します. むしろ,生き残りに必死な大学は,以下のことをやらねばなりません. というか,既に一部はいくつかの大学で実施されているものもあります.そのうち,全国的に見られる光景になることでしょう. ただし,誤解しないでくださ

「学問のすゝめ」を素直に読んでみる

「福沢諭吉が “ 天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず ” と述べているように,人間は平等に扱われるべきであり・・・」 とレポートに書いてきた学生がいます. 「名言引用ランキング」などがあれば,かなり上位にくい込む(むしろトップ?)有名なフレーズです. が,件の学生には悪いのですけど,残念ながら福沢諭吉はそんなことは言っていません. このフレーズは福沢の主著である『 学問のすゝめ 』の冒頭に登場する有名なものです. しかし,この有名なフレーズの孫引きが横行した結果,福沢が本当に言いたかったことも曲解されているのではないかと思うのです. 『学問のすゝめ』の原文をそのまま載せると,こうなります. “ 天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らずと言えり ” 最後の「〜と言えり」というのは,「〜と言われています」という意味でして,つまり,福沢自身がこのフレーズを引用しているのです. ※「アメリカ独立宣言」からの引用だと言われている.福沢自身がアメリカ独立宣言の和訳をしているため. で,問題なのは「〜と言われています」のあとでして,そこが福沢の言いたいことです. 福沢は冒頭で,人は「生まれながら貴賤上下の差別なく..」と述べているように,人の能力差は誕生した瞬間にはないことは認めつつも, されども今広くこの人間世界を見渡すに,賢き人あり,おろかなる人あり,貧しきもあり,富めるもあり,下人もありて,その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや. そして,これについて その次第 甚だ明らかなり. と述べ, その本を尋ぬれば ただその人に学問の力あるとなきとに由ってその相違も出来たるのみにて,天より定めたる約束にあらず. というわけで “学問のすすめ” なのです. 『学問のすゝめ』全体から伝わってくるメッセージを端的に言えば, 「あなたが,あなた自身の現状に不満を持っているとしても,それはあなたが無能だから仕方がないわけで.そんな不満を打破したいのなら,学問をして有能な人間になることをオススメしますよ」 ということです. あと,件のフレーズから福沢諭吉のことを「人間平等論者」と捉える節があり,「脱亜入欧」を主張したことに代表されるように,西洋派の文明論者として語られる向きがあります. ややもすると,福沢諭吉のこ

人体解剖図ソフトを喜ぶ人々

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今朝,App Storeを何気なく覗いておりましたら, 『Essential Anatomy』 なるものを発見.18日付けで販売になっている新商品です. 即購入,良い買い物をしたと喜んでおります. というのも,昨日,3D人体解剖図として時々使っていた『 TEAMLAB BODY 』のサイトを開いてみたら,なんと有料ソフトに変わっており,んじゃ代わりに何か他のサイトはないかと調べ,『 BioDigital Human 』というChromeウェブストアの無料ソフトを探し出していた次第です. ちなみに,以下が『BioDigital Human』の使用中の写真です. 前鋸筋を示すためのスナップショットのつもりで操作している感じです. これが無料?! と思わせる出来に感心した次第です. 有料版だと,もっと凄いらしい. ちなみに,『Essential Anatomy』でも同様に前鋸筋を示す操作をすると,こんな感じになります. Essential Anatomyは2200円(2013年4月19日現在)の有料ソフトですが,人体解剖図の書籍を買うよりよっぽど安いわけで.Macユーザーにとっては悪くない買い物だと思いますよ. Windowsユーザーや無料でなんとかしたい人にとっては,BioDigital Humanでもよいでしょう. ただ,参考程度に申し述べておくと,やっぱりEssential Anatomyの方が何かと使いやすいことはたしかで. そこに2200円の価値はあります. まず,BioDigital Humanはネットからデータをダウンロードしながら見るタイプなので,どうしても動きがノロい. あと,無料だけに表現が粗い. という点は否めないです. けっこう差が出るのが単純な構造の部位や靭帯などの表現です. 比較するために,膝関節の前十字靭帯を示す操作を見てみてください. まず,以下は『BioDigital Human』. そして次が『Essential Anatomy』. 表現したい目的にもよるんでしょうけど,Essential Anatomyのほうがきれいなのかな. しかしですね,教育現場の人ならわかってくれるんでしょうが,配布用にグレースケール(白黒)コピーするとなったら,実はBioDigi

大学別の学生の特徴

ここで勤める大学は3つ目. そうしたこともあり,現時点で感じる大学別の学生の特徴に言及しておきましょう. 所属する学部は,その分野では日本トップ3に入るとこです(何をもってか?は曖昧ですが). 大学全体としても,けっこうな知名度をもちます. そんな大学の学生と,今までの大学の学生とを,無理矢理ですが比較してみます. ※比較する他の2つというのは,体育・スポーツ専門大学と小規模実学系大学です. いずれも偏差値45〜50くらい. 今勤めてる大学は60前後.参考までに. 面と向かってやfacebookでは語れないことだけに,匿名ブログならオブラートに包まず言えるかなと. なんだかんだで,多くの人が気になることでしょう? まず,「性格」ですが,これは違わないです. 当たり前です.そりゃそうです. 特に違いはありません. むしろ,今勤めてる大学の学生は「変わった子」「ケバい女子」は多いように思います. が,それは学生の絶対数によるものかと. どんな大学にも一定数はいるもんです. というか,ちょっと変な奴くらいが,伸び代が大きいように思いますけどね. 一方,差を認めるのが「語彙力」. ここが大きいかなぁ...,と思います. 特に前任校では,かなり注意して簡単な言葉でしゃべらないと,「難しい言葉を使うウザい先生」みたく思われる節がありましたので. そんな心配をせずしゃべれるのが今の大学かなぁ,と. ただ,実際これはかなり重要なことでして,前々任校のスポーツ系大学は「知らねぇおまえが悪い」ということで一蹴する文化があるので,学生はなんだかんだで伸びるんですけど. それが「配慮」されてしまう実学系大学の前任校は,学生にとって本当に幸せなことなんだろうか? で,もっと重要なのは「積極性」. 今勤めてる大学の学生は,学問や情報収集に積極的な者が多いです. 自分の「興味」をしっかり定めていて,その分野の教員にガッついていきまます. 授業初日から,私の研究室にも早速「◯◯の勉強会を開いてほしい」との要望があったり,「どんな本を読めばいいのか?」という質問をしに訪れます. グループ学習とかボランティアも,「やれ」って言わなくても勝手にやる

2013年度,新天地

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また新しい土地での生活が始まりました. そして,新しい大学での勤務も始まっています. 今日は2日目です. フェイスブックでは, 「あらためて身の引き締まる想いです」 などと書いていますが,それは顔が見えるところでのコメントであり,実際は,さして心境に変化はないのが実情です. 学生を眺めてみても,前任校の学生たちと違う印象もなく. 若干(いや,ホントは「かなり」)こちらの学生の方が基礎学力が高いのですけど,その違いが表に見えるようなところは,今のところ見当たりません. ん〜・・・,いや,「図書館での過ごし方」は結構違うかな. でも,私自身の大学教員としての心構えに,大きな違いはありません. ここでも,自分の信じた道を歩むだけです.   ところで,こちらに移って一週間ほどが経ちますが. ここ10年間で,ここまでのんびり過ごした日はありませんでした. 何にもしない一週間. 何もしないことを頑張った一週間. 何かしたくても,敢えて何もしない一週間です. 自分でも怖いくらいゆっくりしてやりました. と同時に,やっぱり「怖い」んだなと思ったのは,やっぱり「立ち上がり」がニブい私を再確認したこと. そんなわけで,結論. 私は3日以上のんびりしてはいけない.パフォーマンスが低下する. 生来の「サボリ癖」「無精」「ずぼら」「いい加減」「なまけ」が,ここぞとばかりに噴き出してくるのです. 危ない. もしあと1日休みが長かったら,新任教員説明会にすら「めんどくせぇ」と難癖付けて出席しなかったことも考えられます. さて,Nikon V1を購入して以来,写真を無駄に撮っているわけですが,その何枚かをお見せしながら,ここ数日を振り返ります. ※iPhoneで撮ったものもいくつかある. 引っ越したのが一週間前. ちなみに,自宅の引っ越し会社は「アート」でした. ただですね,ここで考えさせられる現象がひとつ. 研究室の引っ越しはというと,ダンボールに入れた書籍・書類がほとんどと,「冷蔵庫」だけだったので「クロネコ」で引き取り依頼にしたのですが, あ,ちなみにこれが最後の研究室の一枚. で,運搬にかかった費用, 「ア