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7月, 2010の投稿を表示しています

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いよいよ夏休み

全ての授業と(義務的な)イベントが終わり、一息つける日々が始まります。 この2カ月ほどで、本来やりたいはずの仕事をやっておかなければなりません。 これまでは、よくわかんない仕事をふられてきたので私としても困っています。 さて、今日は ジョン・ダートン著 『ネアンデルタール』 を紹介しておきます。 最近、ネアンデルタール人みたいな人と久々に出会えたので、ことさら親近感がわきました。 内容はいたって予測可能な展開で、小説としてはそれほど面白くはありません。 物語の流れがジュラシックパークと酷似しており、言い換えればサルシックパークです。 【以降ネタバレ箇所】 現代にもネアンデルタール人が実は生き残っていて、山奥深いところに住みついている。 コミュニケーション手段はテレパシーで、平和主義派と暴力派の2グループに分かれて暮らしている。 調査に向かった古人類学者の訳あり男女は、てんやわんやの末、なんとか生き延びてロマンスで終わる。 【以上ネタバレ終了】 この小説の面白いところは、物語ではなくネアンデルタール人に関する最近の研究を説明してくれるところ。そこに価値があります。 だから、ネアンデルタール人に関する説明をしてくれる前半部分は楽しく読めて期待感が高まっていたのですが、後半は「やっぱり・・・」という展開に落ち着くことに。 しょうがないんですけどね。こういったテーマを扱うのは難しいのでしょう。 ここ十数年前までは、ネアンデルタール人はいかにも原始人らしいサルのような容姿で描かれることが多かったのですが、最近はヒト(ホモ・サピエンス)とほぼ同じような容姿であったと考えられています。 体躯は小柄ですがガッシリしており、脳もヒトより大きかったことがわかっています。 生存性からすると、ヒトよりもネアンデルタール人の方が生き残りそうなものですが。 そんなネアンデルタール人がなぜ絶滅したのか? 理由はまだわかっていませんが、我々人類(ホモ・サピエンス)との種族間戦争で駆逐された、とか、我々人類との混血が進み、取り込まれてしまった、などの説があります。 この進化については、 以前にも記事で取り扱った ことがあります。 現在の進化論は、日本人の遺伝学者である木村

海に行って帰ってきて

今週で長かった半期も終わり. いよいよ夏休みが始まります. 夏休みと言っても,我々大学教員にとっては大事な研究期間. 学生の相手をしなくて済む日々が始まると思うと腕が鳴ります. と,その前に問題児達を捌いておかなければなりません. 授業態度の良くない学生を掲示板で呼び出し,反省文を兼ねた追加レポートを出させます. こういうこと,本当はやりたくないんですけど状況というものがありまして. 他の先生方とも授業方針を合わせてやっていかなければなりません. この週末は海洋実習ということで海に行っておりました. このクソ忙しい時期に計画するとは,何考えてんのかわかりません. あと一週間くらいズラせないもんでしょうか? 学生としても,テスト期間中にこのイベントが入るんですから迷惑この上ない話です. 来年から日程をズラすように提案してみます. とは言え,いろいろと感動のあったイベントではあります. 学生達の良い思い出になったでしょう. が,その舞台裏はというと大変なことになっていましたけど,それはまた別の話.オフレコの場面で話せたら話したいと思います. 私なんか,実習の手伝いをしてくれていた学生スタッフから「先生・・,可哀想・・・」と思われていたようで,帰ってきてから労りの言葉をかけてくれました. 大丈夫.先生は君たちのその言葉で元気になれますよ. 実習では日焼けを徹底ガード. 紫外線が弱点の私は,ラッシュガードをしっかり着て日焼け止めを塗りまくって難を凌いできました. が,若干の体調不良は避けられず,心身ともに疲れ果てて今に至ります. 明日・明後日で授業終了. これまた週末には重要な学内イベントがありまして,これを過ぎればついにゴールです.

決着がついて

オランダ対スペイン. スペインがワールドカップ初優勝ということで幕を閉じました. 「無敵艦隊」の異名があるにも関わらず,意外にもワールドカップでの優勝経験がないスペイン. 「やっと優勝できた」というところでしょうか. 別にワールドカップで優勝したからというわけではありませんが,私もスペイン・サッカーについては以前から興味を持っており, 村松尚登 著『テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人 日本はどうして世界で勝てないのか?』 という本も買ってスペイン・サッカーも買っていました. 著者はスペインのサッカー界での指導経験を基に,日本のサッカーがなぜ世界の壁を越えられないかを論じます.とても説得力がある内容で,サッカー以外の種目の指導においても参考になる示唆を含んでいます. なんだか後出しみたいで卑怯臭いですが,ホントですよ. 著者は「戦術的ピリオダイゼーション理論」なるものを紹介しています. スポーツ・トレーニングのピリオダイゼーションを研究する者としても興味深い内容です. キーワードは “カオス” と “フラクタル”. どちらもサッカーにおける戦術的ピリオダイゼーションだけに言えることだけでなく,スポーツのピリオダイゼーション全般に共通していることです. ピリオダイゼーションについては,複雑なことなので詳しい内容は省きます.また機会を改めて取り上げようと思います. 日本でも決着がついたことがあります. 参議院選挙です. 私の希望通り,このタイミングで民主党が大敗しました. 私も一時は焦りましたが,日本は私の目論み通りに動いています.なんだか日本社会の黒幕になったような気分で楽しいですね. 国民もバカばっかりではありません.民主党のことをしっかりと判断できているようです. 自民に票が戻ったことは安心できる結果です. 自民ではなく社民や共産,公明党に流れるようであれば日本も終わりだと思いましたが,どうやらそのようにはならなかったようです. みんなの党に票が集まった部分もありますけど,そこらへんは許容範囲です. これで緊張感のある政治が始まります. ここからが本当の戦いです. 国民も政治の動きに注目しやすい状況になったのではないでしょうか.

ステレオタイプな日々

「ステレオタイプなスポーツ指導者」って言われたらどんな指導者をイメージするでしょうか? 先日,大学のスポーツ指導者を養成する学科の授業にゲストとして迎えられたのですが,そこで「ダメな指導者の例」としてこのような表現をする教員に出会いました. 「○○先生(私),このような指導者はどんな人ですか?」 とフラれたのですが,ステレオタイプな指導者ってどんな人なのかと考えてもいろいろあるな,と迷ってしまいます. でも,きっとダメ指導者としてステレオタイプな指導者を挙げればいいんだろうと思い, 「熱意がある代わりに,子どもの体や気持ちのことを考えずに我武者らに指導するような人ですよね」 と返したら, 「そうです!ガミガミうるさい指導者ですね」 と,その教員. なので,私はついでに, 「自分の考えだけに固執し,選手の全てを自分で管理しようとするのもよくあるパターンです.ダメなステレオタイプ指導者ですかね」 と言ったら, 「いやいや,それはステレオタイプってほどではないでしょう」 とおっしゃる教員. ? 何がひっかかったんだろう・・・, と不思議に思っておりますと,その教員,学生達に向かって, 「大声張り上げるだけの指導者はダメだ!」 って言った後, 「分かるか?ステレオみたいに声がでかいからステレオタイプ指導者っていうんや!」 ?! チョwwwwwwwww! そりゃステレオタイプな指導者じゃねー! 猛烈な勘違い. ステレオデッキみたいな指導者だと思ってるらしい. きっとこの指導者は右と左から違う音がでるんです.重厚感溢れる低音とクリアーな高音が楽しめます.最近はiPodにも対応してるんですかね? とか皮肉を言ってやろうかと思いましたが.... 学生達はウンウンうなずいてメモまでとってる! この大学では「ステレオタイプな指導者」とは「ステレオみたいな指導者」ということになりました. 誰かこの間違いに気づいてる奴はおらんか? しかし,完全にスルーしてしまっています.クスクス笑う学生もおらず,みんな真顔. ダメだこいつら.早くなんとかしないと. 大見得切って解説してるんで,この間違いを正そうにも状況がそうさせてくれません. 結

就職するということ

現在,1年生のゼミでは「選挙権を18歳まで引き下げることについてどう思うか」ということをやっています. んで,その資料を読んでレポートを書くのです. 漢字ドリルの次はレポートを書く練習というわけです. これはまだ現実的且つ実際的で建設的な課題なので,こちらとしても気合いを入れて指導できるのですが,いかんせん期間が短い上に(3週間)指導方法にいろいろ縛りがあって四苦八苦しております. それに,レポート提出課題が出ている今のような時期になって始めるのもどうかと思います. 早めにやってあげた方がいいんですけどね. ただ,「当事者」になってからでないと,その重要性がわからないというのも確かで. 例えば就職活動を啓発するような授業もあるのですが,ポカーンと聞いている学生(3年生)も多いというのが現状. 実際に私もそうだったので何とも言えませんが,とにかく「これはこの先 重要なことだぞ」と言い続けるしかありません. 「選挙権18歳引き下げ」の問題にしてもそうで,若い世代に政治離れがあるというなら,政治に触れる機会を近くすることが効果的かと思います.それ以外にどのようにしろといのでしょう. 政治に興味が無いなりに若い世代から政治に関わるようにすることで,少しでも政治のことを考える人を増やしていくのが地道な作戦. もしくは大恐慌や戦争とか汚職まみれになって国民がバタバタ死ねば,若者の政治離れも解消するのでしょうけど. 政治離れが顕著な時代というのは平和な時代であるとも言います. しかし,茹でガエルじゃないですけど,少しずつジリジリ崩壊していけば,気がついた時には取り返しのつかないところまできていた,という結末になりかねません. 自分たちに降り掛かる話題でないと意識レベルが高まらないことは当たり前のことで,受験にしても就職にしても,当事者にならなければその勉強もしないのですから. 私だって福祉関連の勉強は今さらやってるわけですしね.学生にはぶっちゃけられないけど. さて,現在の大学はいかに学生を就職させることができるか,が重要な懸案です. そこで就職に関する資料やニュースにも目を通すようになっているのですけど,そもそも就職するとということとは?それも若者の就職にセンセーショナルに訴

半年が過ぎて

今年は長く感じます. まだ7月です. いろいろ盛りだくさんの2010年. やり残している(仕事として)事があるんじゃないかと不安な時もありますが,そこらへんは適当に気分を落ち着けて日々を過ごすしかありません. すでに後期,そして来年度の授業について想いを巡らし始めています. もう前半の授業は今からどうこうできることではないし. 学生の反応を楽しみにできるようになっただけ慣れてきたのでしょう. さて,先日話に出した体育の授業についてですが,自分なりの想いを(理想論が強いですが)述べたいと思います. 教員を目指している学生,特に児童・ジュニア教育に携わる学生には伝わってほしいところなのです. とある学科・クラスの学生にはレポートも出しました. レポート課題にしたのは以下の書籍. 荒神天我 著 『反体育論』 と, 広瀬一郎 著 『スポーツマンシップを考える』 . この2著の「はじめに」の部分を読んでもらってレポートを書いてもらうというもの. 中には「この続きが気になる」という学生もいました. 図書館に入れておいたので読んでもらえれば幸いです. とりあえず両著の主張をまとめておくと,『反体育論』では「体育の授業は運動嫌いを生む温床.体育によって運動不足が解消されるとか,健全な精神が育まれるというのはウソ」というもの. ウーーン.間違いありません.体育では運動不足は解消できないし,健全な精神は育ちませんよね.みんな分かってて誰も口にしないこと. そもそも運動不足を解消するために体育をやっているわけじゃないし,よくある体育で健全な精神が育まれるなら,同じ教科の一つである数学や国語でも育まれるはず. わざわざ体育を授業でやる意味ってなんでしょうね. これについてヒントを与えてくれるのが『スポーツマンシップを考える』.「スポーツマンシップとはつまり “尊重の精神”.ルール,対戦相手,そして審判への尊重を忘れたスポーツは,もはやスポーツではない.きれいごとではなく,“本当に強くなるため” に必要なことはスポーツマンシップを知ること」というもの. 体育では教材としてスポーツを扱うことが多いので,当然スポーツをすることが多いことになります. 体育という