投稿

2月, 2010の投稿を表示しています

注目の投稿

明日は卒業論文発表会

てっきりブログの更新を忘れていました. ここ数日間,いろいろありましたよ. 今日は昨日のチリ大地震の影響を受け,地元高知に津波が押し寄せました. 1.20mを記録しています.結構大きいですね. 当初は3m級の津波が来る可能性があると警報が出ていましたが,どうやら落ち着いたようです. 先日まで,ずっと長野県・菅平でスキーをしておりまして. 来年度から赴任することになっている大学のスキー実習に今年度から参加. どんな雰囲気の大学なのか勉強になりました. 特に,学生の雰囲気をつかむことは重要なので行ってよかったです. ただ,右足の親指をスキー・ブーツで潰してしまい爪が真っ黒に.感覚も薄れています. これだからウインタースポーツは嫌いです. そんな私は冬季五輪はあまり見ません. 話を合わせるために情報を入れるくらいでしょうか. 実習に参加した恩恵その二. スキーがそれなりにうまくなったこと. 学生を前に恥ずかしい滑りはできませんから,緊張感のある立ち居振る舞いをしていたら雪上にも慣れてきました. ここ8年ほどスキーをすることもありませんでした. 8年前に一度滑ったことがあるくらいでしたが,以外と体は覚えているものですね. 明日はいよいよ卒業論文発表会. 例年と同様,学生は前日まで根詰めてがんばっています. 一人のゼミ生はギリギリまでドタバタしましたが,なんとか明日の発表までこぎつけました. あとは発表するだけ. うまくできればいいのですが...

応用科学とHacks

「ハッキング Hacking」 という言葉があります. 日本では “コンピューターのセキュリティを破って不正に侵入する行為” を意味することが多いようです. しかし,ハッキングの本来の意味は,“コンピューターを必要に応じてプログラミングする行為” というものであり,ハードとソフトを熟知した者が行なうことを指します. 「ハッカー Hackers」というのは優れたエンジニアへの敬称です. いつのまにやら日本ではハッキングやハッカーというのが悪意を持った意味へと変化しました. 日本で言うハッキング,つまり “悪意を持ったハッキング行為” を意味する言葉は,「クラッキング Cracking」と言い,クラッキング行為をする者を「クラッカー Crackers」と呼ぶのが正しい使い方です.英語圏では「ブラック・ハット・ハッカー Black hat hackers」とも呼ばれています. 名称はどうであれ,高度な技術と知識を利用してコンピューターを自在に利用するということには変わりありません. こうした高度な技術と知識を利用した行為を紹介する上で,この 「ハック Hacks」 というコンピューター,エンジニア用語を使った比喩も多いようです. さまざまな出版社を通して出ているハックシリーズもその一つで,手元にあるものには 夏目大 訳『Mind Hacks』,同 訳『Mind パフォーマンス Hacks』,鴨澤眞夫 監訳『Statistics Hacks』 などです. Mind Hacksシリーズでは頭の使い方に主眼を置いており,どうすれば学習能力が高まるか?忘れ物を少なくするためにはどうすればいいか?といった日常のニーズに応える形で,これに関連する実験研究を基にした内容を紹介しています. Statistics Hacksは,統計学上の裏技や解釈の仕方を紹介したものです.これまでにもいくつか紹介してきた「数字上ではこう言われているが,現実的にはどうなのか?」といった観点のもの. 特にMind Hacksシリーズは結構おもしろくて,この中に紹介されているものを私自身が実践していたり, 卒業論文のアイデアとしてゼミ生に実験させていたりしています. 載っている内容は全て参考文献がついており,原著にあたることができます.

質的研究

過日の修士論文発表会で,「質的研究」に挑戦した学生がいました. 質的研究というのは一般的に行われている数値データに基づく分析を行う「量的研究」の手法ではなく,文章や記号を分析する研究手法です. これをいい機会にと,1年くらい前に買ったっきり全く目を通していなかった 戈木クレイグヒル滋子 著『質的研究方法ゼミナール』 のページを開きました. まぁ.実際にやってみないとわかりませんね,こりゃ.未知の領域です. 数的データでは扱えないような対象(少数のインタビュー,アンケート調査)などを分析したい場合には役に立つ分析手段だとは思います. 例えば,トップアスリートが取り組んでいる練習方法と,その練習で気をつけている留意点や意識している点に関する分析.また,希少な体験をしている人の分析といったものは数値に置き換えることができないし,置き換えたとしても平均値化,代表値化,グラフへのプロットができないという欠点があります. これらについて,質的研究ではグラウンデッドセオリーアプローチといった分析方法を使って,質的データを分析していきます. 上に挙げた戈木氏の著書ではこのグラウンデッドセオリーアプローチを紹介しています. グラウンデッドセオリーアプローチというのは,質的研究ではポピュラーの分析方法のようで,得られたデータのかたちをできるだけ変えないように解釈を進める方法だそうです. 川喜田二郎 著『発想法』 で世間に紹介された “KJ法” による分析が多用されています. KJ法というのは,新しいアイデアを生むためのミーティングなどで利用される「ブレインストーミング」での意見の整理方法のことです. 出た意見をメモしてまとめ,それぞれをカテゴライズしてラベリングするという手順を踏みます. グラウンデッドセオリーアプローチでは,このKJ法と同様の整理・分析手段が用いられているようです. 上記の用語で意味不明な部分がありましたら,ググってください. 分析方法が完成されている量的データの研究とは違い,質的研究の分析はまだまだ発展途上の印象. 分析する人が違えば結果も変わりやすいという特徴(欠点)もありますし,難しい研究方法であることには違いありません. ただ,看護や介護,福祉といった分野では非常

ひっそりと登場

日本の自衛隊の次期主力戦車(TK-X)が,先日マスコミの前に公表されました. 左の写真がその姿です. だいぶ前から私としても注目していたのですが,いよいよその全貌が明らかになってきました. 2010年4月から配備予定なのだそうです. ということは,10式戦車という名称になる予定でしょうか. すでにWikipediaのEnglish版では「Type-10」として記載されていますね. ところでこの新型戦車,開発目標が非常に明確な戦車として注目を集めていました. 以前,戦艦大和の開発・建造に関する記事を書きましたし,それ以外にも「目的を明確に」という趣旨のブログを書いていましたので,それと関連が強いですね. で,その開発目標ですが,一番はなんと言っても「軽量であること」 現在の主力戦車である90式戦車は,世界トップレベルの火器管制システムと防御力を持っていましたが,いかんせん車体重量が50tと,重いことがネックでした. でも,別に他国の主力戦車と比べて特別重いわけではないのです(米国のM-1戦車は63t,仏のルクレールは57t,イスラエルのメルカバは65t).むしろ軽い方に入ります. ようは,日本の土地柄に合わなかったわけです. もともと90式戦車は今の総理の地元である北海道を中心とする北方防衛を目的に開発していることもあり,山有り谷有りの日本の地形にはフィットしないのです. 日本の道路は戦車を通すために造られているわけではないので,50tの特殊車両が通ろうもんなら,崩れてしまう場所や橋があるのだそうで. 北海道以外の場所を防衛するには取り回しが利かない戦車なのです. そこで防衛省は,次期主力戦車は, 「軽量で機動性が高く,それでいて高火力で防御力が高い.ついでに現代戦(対テロ,市街地戦)に対応できる柔軟性を有し,戦術データリンクを搭載して部隊統率に長ける」 という目標を掲げ,しかも自国開発するというプロジェクトを発足したのでした. かなり野心的,というかめちゃくちゃハードルを上げてることがうかがえます. これができたら間違いなく世界最強の戦車部隊が出来てしまいます. で,出来ちゃったわけです. 開発チームの方々は大変だったでしょう.お疲れさま.

デッサン

この一週間,ずっとデッサンしています. 仕事もそんなに忙しくない時期なので,「ま,いっか」とばかりに暇を見つけてはメモ用紙を相手に人物画を描いております. 実は半年前くらいに, 視覚デザイン研究所 編『デッサン7日間』 と, J・シェパード 著『やさしい美術解剖図』 という本も買っていまして,これを機会にペラペラとめくってみました. 先日,自宅に来て酒飲んでいった人も,「なんでこんな本があんの?」と不思議がっていました. ん〜,なんででしょう. でもまぁ,今現在役にたっているのですからいいじゃないですか. これらデザインや美術系の本,いざって時に以外と役に立ちますよ. 職場にはもっとバラエティ豊かなものがあります. こうした本は何かと手近に置いておきたいですね.アイデアをいろいろと拾える本です. せっかく買ったんですから,デッサン技術を高めるエッセンスを獲得しなければいけません. ただ,この一週間デッサンをやってみて思ったのは,上手くなるためには「ひたすら書くべし」というところでしょうか. 実際にエンピツを握り,紙に線を走らせる経験をしてみなければ,これらの本を読んでもチンプンカンプンです. ここらへんはスポーツと一緒です. 指導書を読んでも絶対にうまくなりません.実際にやってみないと. ではここで,私流のデッサンのコツをいくつか挙げましょう. まずは,線の走らせ方. スーッと一気に書いてはいけません.細かく細かく “半返し縫い” のごとく描くのが基本です. ま,ここらへんは基本中の基本です. 次に,ぼかし塗り. エンピツの先や淵などの使い分けと筆圧を自在に操れるようになったら作業時間が早くなります.うまく操れないうちは,書いては消すの繰り返しが多くなってしまいます. 慣れない間は,“ぼかす” と言うとエンピツを斜めに倒して芯の淵ばかりを使ってしまいますが,ここは一つ,尖った先を使うのもいいものですよ.以外な質感や立体感を生む技です. あと,消しゴム. 「消しゴムは修正のために使うものではない」ということが分かれば一気に道が開けます. “消しゴムを使って描く” という感覚が身に付けば,対象の質感を出す上で強い武器になるでしょう

戦争の目的

何事も“目的意識”を持つことが重要であること. これをここ数回(兵器開発,組織,教育)に渡ってメッセージの主題としてきました. もう一つこれについて取り上げておきましょう. “戦争の目的” について明快な説明をしたのが, クラウゼヴィッツ 著『戦争論』 です. 最近では, 小林よしのり 著『戦争論』 というのが有名だったりしますけど,古典として有名なのがこっちでして,戦争の本質に迫った価値ある一冊です. ややもすると戦争というのは,「権力者の道楽」とか「虐殺好きのカタルシスを満足させる行為」とか「なんかわかんないけどヒドい行為」などと単細胞的に片付けられてしまいます. まじめに論理的に戦争の目的を考えないと,国際政治のやり取りが全く見えてきません. では,クラウゼヴィッツは戦争の目的をどのように捉えているのかというと, “我が意を強要させること” が戦争の目的だとしています. つまり,こちらの交渉条件をどうしても呑んでほしい場合に執られる,一種の交渉手段であると述べています. これが戦争論で述べられたクラウゼヴィッツの有名な一節である, “戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない.政治的意図が常に目的であり,戦争はその手段に過ぎないからである.そして手段が目的なしにはとうてい考えられ得ない” というものです. また,クラウゼヴィッツはこうも言います. “人道主義者達は「できることなら流血を伴わない戦争が良い戦争である」と考えるが,これは謬見である.戦争の粗野な要素を嫌悪することは,戦争の本性を無視しようとする無益で間違った考えである” どういうことかというと,戦争の本性が「ヒドいことをする」ということに価値があるからです. 「戦争になったらヒドいことになる,だから条件を呑んでやろう」と考えさせたり,「ヒドいことになるけど,それだけの懸案なのだと思わせてやろう」と考えさせることこそが戦争の持つパワーなのです. ヒドいことにならない戦争は戦争じゃありません. 虚しく,悲惨で,掛替えの無い命のやり取りがあるからこそ価値のあるものなのです. 右翼的な人たちは戦争を美化する傾向にありますが,私はこれも違うんじゃないかと考えています. 戦争

学力低下

神永正博 著『学力低下は錯覚である』 という,学力低下論についての明快で納得できる本に出会いました. ちょうど1年前,このブログでも, 「大学生の学力が低下するのは当たり前ではないか?」 という趣旨の記事を書いたことがあります. 2月17日付「学力について」 神永氏もこの著書の中で述べているように,少子化,または大学の定員数が増えれば,大学生の学力が下がったように感じるのは当然のことだということです. 意見を同じくする人がいたことに勇気が湧いてきました. この「学力低下錯覚説」の内約はというと,そもそも日本の学力は下がっているわけではないというところから始まります. 実際,OECD(経済協力開発機構)56カ国による学力調査(PISA)においても,日本はおおむね上位に位置しており,まだ特に気にするほどの差があるとも感じません. “日本は前回のPISAの結果よりも順位や得点が低下している” との指摘もありますが,出題方法の変更や調査参加国数の増加など,縦断的な比較ができない代物ですので意味のない議論です. 学力低下が「錯覚」というのは,日本で高校や大学に進学する人の数が昔に比べ圧倒的に増えたことが原因です. 以前は高校,大学に進学する人というのは勉強を頑張った一部の人であり,定員数も今よりずっと少なかったので,大学生の学力が高かったのは当たり前なのです. 「大学生の・・・」というところがミソで,多くの学力低下論争では大学生や高校生の学力が低下していることが争点になります. 一部のエリートや頑張り屋さんだけが進学するわけではなくなった現在,おまけに少子化,ましてや大学の数や定員数も昔よりずっと増えているという “大学全入時代” になったのです. こうした流れは,「大学生=エリート」ではなく,「大学生=日本の平均」になったといっても過言ではないのかもしれません. だから,「大学生の学力が低下している」というのは嘘ではありませんが,そこから「日本の子どもの学力が低下している」という結論は導けません. そもそも,何一つとして学力が低下していることを証明するデータはないのですから,適当な印象操作は避けてまじめに議論するべきだと思います. ならどうすればいいかって? そんなの簡単

組織運営

「組織運営について良い本はないか」,と「男気」のある部屋から訪ねてきた学生がおりました. 関わっているスポーツチームで利用したいのだそうです. 職場の本棚には無かったので,自宅に帰ってきて記憶をたどりながら探してみました. いくつか見つけたので,それぞれのレビューをしたいと思います. まずはスポーツ現場に関連のあるものとして, 清宮克幸 著『最強のコーチング』 . 著者はあの早稲田大学ラグビー部の元監督で,常勝軍団を作り上げた名コーチとして知られています. 何気なく手に取り適当に読もうと思っていたのですが,以外と面白かったことを覚えています. 本当に著者自身が書いたのかという疑念はさておき,学生(男子)選手を率いるためのノウハウがいろいろと詰まっていて有益です. この本から受けた強いメッセージは「目的を明確にするための方法を考える」ということ. 前回の記事ともつながりますが,勝ち方を描かなければ現場は混乱するということでしょう. 次は 石田淳 著『短期間で組織が変わる』 .行動科学を基にしたマネジメント技術を紹介しています. アマゾンのレビューが高かったから買ったことを覚えています.が,それほど印象に残っていないのが正直なところです. というのも,たしかにきれいにまとまっていますが,内容はいたって普通.その他の組織運営論の本に書かれていることを噛み砕いたようなものです. 逆に言えば,初めて組織運営論の本を読むならこれから読んだほうが楽なのかもしれません. 他の本を数冊読むくらいなら,これを1冊読めばよい,というようなものでしょう. スポーツから離れますが, ヤン・カールソン 著『真実の瞬間』 . スカンジナビア航空(SAS)を立て直した名CEOとして,その道では結構有名な方です. 従業員(スタッフ)が心がけなければならないのは何か.トラブルや要望にスムーズに対応するためのノウハウを,どのように従業員に浸透させたのかを記したドキュメンタリーです. ここでもやっぱり「目標設定」が重要なキーワードになっています. 似たようなものに, トム・コネラン 著『ディズニー7つの法則』 . これは知る人ぞ知る名著です. 組織運営論,および顧客主義に関する知見をまとめた非常に有

男気と大和とスポーツ戦略

イメージ
「男気」 という文字をA4コピー紙にデカデカと印字して研究室のドアに掲げているアホな大学院生達がおります. 「ぜひ,このことをテーマにブログを・・」と言っていました. ということで,イヤイヤながら記事にしたいと思います. 「男気」の意味は, “弱い者が苦しんでいるのを見逃せない気性(Yahoo辞書より)” “自分の損得を顧みず弱い者のために力を貸す気性(goo辞書)“ なのだそうです. その他にも意味がありそうですが,いずれにしても, “困っている人を見ると放っておけない人” のことをいうのでしょう. ということで男気についてはこれで終わり. というわけにもいかないので,これに関連して話を膨らませていこうと思います. 辺見じゅん 原作『男たちの大和/YAMATO』 という映画がありました(「男」というつながりだけです). 個人的には面白くない作品でしたけど. 日本の戦争映画は,まだ作り手の遠慮や世論配慮が見え過ぎてスッキリしないですね. 「戦艦大和に関わる男達の生き様を描いた」とありますが,結局印象に残らなかったというのが本音. 原作を読んでいないので,どういう作品なのかは簡単に判断できませんけど. 公開当初は,帝国海軍・戦争美化の映画というレッテルを貼られ上映反対の運動も受けていますが,内容はいたってそういうわけでもなく,上映反対派が映画自体を見もせずパブロフの犬のように反応しただけのようです. むしろ私としては,素直に大和を取り巻く背景と乗組員の生き様を描けばいいものを,無理矢理に反戦の意図を含めるもんだから気色悪い作品になったという印象です. で,この戦艦大和ですが,有名なんだけど実際のところどんな船だったのか知らない人が多いのではないでしょうか. 「戦艦大和」 : 大和型戦艦の1番艦(2番艦に「武蔵」がある).人類史上最大の戦艦であり,弾薬満載時の排水量は71,000tを超えます ※この排水量という表現をよく聞くと思いますが,これは船の大きさを表す数値のことで,船を水に浮かべた際に船体によって押しのけられる水の量のことです.つまり,ギリギリまでお湯を張ったお風呂へ入った時に,ザブーンと流れ出るお湯は入った人の排水量(体格)です.ちな

床屋と笑点と研究生活

昨日,床屋で髪を切りました. その床屋では営業中にTVを流しているのですけど(よくある鏡越しに見れるTV),私の番が来た頃にちょうど笑点が始まりました. 別に普通じゃん,と思うことなかれ. これはとんでもないことなのですよ! 笑点を見ながら理髪される身にもなってください. 笑いたくても笑えない. なるべく耳をTVから離そうと意識しても,“そう意識している時点で” 意識しているわけでして. 前座の若手芸人は難なくスルーできたのですが,大喜利は難敵. カミソリをあてられている時なんか死に物狂いで笑いをこらえています. てか,私が笑いをこらえても,店の人が笑ってしまったら鮮血が飛び散ることになるわけで. 気が気でない数十分. 木久扇(旧・木久蔵)師匠のボケネタは反則的です. 文字通り死にそうになります. さて, 修士論文発表会が終わりました.本学の大学院生も,あとは論文を書き上げれば修了ということになります. 多くが2年間の研究生活も終了することになるのですが,この後も研究生活を続ける人もいるのでしょう. 私もそういったうちの一人だったわけですし.気がつけばこの生活が今後も続きそうです. 私の代の大学院生でも,今も研究生活を続けている人が幾人かおります. で,面白い,というか皮肉な話なのですが,その誰もが入学時点ではさほど優秀でなかった人達なんですよね. 私もその人達も,夏の一次入試では不合格でしたし,学内の研究奨学生制度にも該当しなかったのですよ. 私の先輩である方も,優秀な研究者ですが,同様の経路をたどっております. この大学から「研究者の劣等生」と烙印を押された人のほうが研究者になれるのかもしれません. 研究生活をテーマに,久しぶりに読書を取り上げます. 竹内薫 著『なぜ「科学」はウソをつくのか』 では,日本の「科学」の取り扱われ方に警鐘を鳴らします. 同時に,日本で科学者や研究者が育たない・根付かないことにも触れ,日本での研究生活の困難さを紹介しています. 竹内氏は以前にも 『99.9%は仮説』 といった科学哲学に関する興味深い著作もあり,とても面白い視点をもった方です. ご一読をお勧めします. 研究生活ということについては, 坪田一男 著『理系のための研究生活ガイド』 が面白い.