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日本の仏教:ダイジェスト


昨年は仏教の源流とか概念をいろいろ取り上げましたが,日本の仏教についても取り上げてみようと思います.

まずはおさらいとして...,
現在の仏教の源流はゴータマ・シッダールタ(釈迦)という人が広めた “人生思想” です.
ということで仏教というのは厳密には「宗教」ではありません.

昨日は福祉についてテーマにしましたけど,仏教も「どうすれば幸せに生きることができるのか?」を研究する営みであると言うことで類似しています.
釈迦がその悟りの境地に達した時に得た答えというのが,
「この世に絶対的なものなどなく,世は絶えず変化する.これを受け入れることで幸せに生きていくことができる」
というものでした.この真理にたどり着いた時,釈迦はブッダと呼ばれるようになります.
このブッダをお手本として,あなたも幸せになるための活動を展開しようというのが仏教ということです.

元々,仏教というのは個人的活動の色が強く,仏様を拝んでいればご利益があるという趣のものではありません.個人が個人的幸せを目指して修行するものです.釈迦,つまりブッダというのは信仰の対象ではなく,悟りを開くための “師範” とか “先輩” といった意味で捉えられています.
こういった仏教を「原始仏教」とか「上座部仏教」といいます.タイやミャンマー,スリランカといった地域に根付いている仏教です.

一方,中国や日本に伝わっていく過程で仏教は変化しました.
ブッダが説いた教えを布教することで,一般の方々も幸せにできるのではないか?という考えが誕生します.どこで上座部の教えと切り替わったのかは不明な点が多いです.
これが今日の仏様を信仰対象とする仏教「大乗仏教」です.日本で信仰されている仏教はほぼ100%が大乗です.

で,日本に仏教が伝わったのは今から1500年ほど前,538年だとされています.
初期の仏教を支えたのは有名な聖徳太子で,その拠点である法隆寺は日本最古の寺として知られています.去年,私が初詣行った場所です.

初期(奈良時代)の仏教としては中国直輸入の「華厳宗」が一大勢力.活動拠点は東大寺で,奈良の大仏をつくった宗派として有名です.
失明の犠牲を払ってまで鑑真さんが執念で伝えたのが「律宗」です.

平安時代になると,日本の仏教は人々を幸せに導く宗教として確立.そして,新たな宗派を日本人の僧の手で作り出していくようになります.
この時代の主役はなんと言っても空海と最澄.

空海が開いたのは「真言宗」.本山は以前 私がここの墓地で野宿したことがある高野山金剛峰寺です.
この宗の特徴は “密教” というミステリアスな教え.その内容はと言うと,肉を食べても良い,結婚しても良い,金儲けしても良いというそれまでの仏教とは一線を画する破天荒な教えですから混乱が起きました.しかし,「悟りを開いたものは..」という条件付きで.そういった意味においては,私はこの密教というのは上座部や原始仏教に近い思想なのではないかと思っています.

一方の最澄が開いたのは「天台宗」.本山は比叡山延暦寺です.天台宗の特徴は「生きとし生ける者すべてが成仏できる」と言い切ったところにあります.努力すれば不可能は無いと言ったところに最澄の心意気が感じられます.これもそれまでの仏教と論争になったようで,“信じるものは救われる” という色が強くなってきた時代でもあります.

鎌倉時代は一般大衆にとって仏教の敷居が低くなった時代です.
代表的なのが日蓮が開いた「日蓮宗」.なんと言っても「南妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を唱えれば成仏できると説いたのです.
ここらへんから日本の成仏のインフレが始まりました.

成仏のインフレに拍車をかけたのが法然が開いた「浄土宗」.「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えさえすれば成仏できると説いたのです.世は戦国,農民たちのレジスタンス活動である “一揆” において,これを唱えながら戦ったことは有名です.
この流れにさらにムチを振るったのが親鸞が開いた「浄土真宗」.「なんまいだ〜,なんまいだ〜・・・」と唱えながら一揆を起こす農民に戦国武将は恐怖を隠せなかったといいます.

仏教界に成仏のインフレを起こしたことで批判も多い浄土宗と浄土真宗ですが,実際のところ,法然も親鸞も「念仏を唱えさえすれば成仏できるわけではない.阿弥陀仏を心から信心して唱えることで,成仏できる“可能性”が高くなるのだ」と,まるで生命保険の説明書みたく肩透かしなことを言っております.
ということは,念仏を信じて一揆を起こしたあの農民達はどうなったのでしょう?これについては触れないようにします.

あまりにも成仏が簡単になったことの反動からか,鎌倉時代後期には坐禅による厳しい修行を課す宗派が生まれます.
道元が開いた「曹洞宗」と,栄西が開いた「臨済宗」です.念仏がよほどうるさかったのでしょう,この時代からは黙って座るようになりました.原点回帰ですね.
いわゆる環境エコ活動が始まったようなものです.


こうして見ていくと,仏教も時代のニーズと内省のなかでいろいろと変化してきたことがわかります.
自分で調べてみても,きれいに時代と相関することに驚きました.

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