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スポーツ観とその変化


今年の世界陸上がドイツ・ベルリンで開催されることになっています.

で,TBSに日本陸連から注文がつきました.

TBS世界陸上、選手キャッチコピーダメ!
サンケイスポーツ 2009.7.25

陸上の世界選手権(8月15日開幕、ベルリン)の独占放送権を持つTBSテレビが、日本陸連から選手のキャッチコピー(CC)を撤廃するよう通達を受けていたことが24日、分かった。
同局では1997年のアテネ大会から独占放送を続けており、男子短距離の朝原宣治(37)を「燃える走魂」、男子400メートルハードルの為末大(31)を「侍ハードラー」などと日本人選手、有力外国人選手に独自のCCを付け、大会期間中に連呼してきた。
だが、ネット上での批判や一部のネーミングに不信感を抱いた現場関係者も多く、高野進強化委員長(48)らが“強権”を発動したとみられる。


現代のスポーツは大衆の興味を巻き込むことでその存在意義があるものです.ゆえに,スポーツはマスメディアが持つ本質と親和性が高く,特に日本においてはプロ野球との連携が代表例です.
今回の日本陸連の注文は,そういう意味において(??)な感じもしますが,スポーツ界がマスメディアに対してその “伝え方” に違和感を覚え始めたことを物語っています.

妙なキャッチコピーを目にすると興ざめすることはたしかで,スポーツ界に身を置く者ほど嫌悪感を抱きます.
キャッチコピーはスポーツをたまにしか見ない人達には有効なのかもしれませんが,コアなスポーツ・ファンのスポーツ観にはそぐわないはずです.

ただ,今回の件で感じるのは,「スポーツ」 という “営み” や “行為” に関わる人が,その関係者を選ぶようになってきたことが考えられます.スポーツ・ファンとしてコアな存在に(無意識的に)フォーカスを合わせ始めた観があります.
別にそれが悪い事だとは言いませんが,スポーツを一般的エンターテイメントとして振興する時期から変換したことを意味します.

以前の記事でも取り上げたスポーツ観の変遷の可能性.今回のことはスポーツに対する見方が変わり始める予兆的出来事である気がするのです.

スポーツを純粋な(自然な)肉体の表現型として評価する価値観から,肉体の限界点を模索する営みへと変わる価値観の移行.

今回の日本陸連が提示したことは,エンターテイメントとして,そして一般大衆を巻き込んでの身体運動のショウ・ビジネスからの決別を意味し,純粋無垢に自然な肉体での限界を目指す身体表現としての価値観を重視することを選んだことです.

一方で,ヒトとしての身体表現の限界を探ることこそが,一般大衆が,そしてメディアが興味を持つテーマであるはずで,ドーピングやサイボーグ化(法的にも,倫理としても問題が無いという価値観が生まれた未来において)をしてでも一種のカタルシスを提供するコンテンツとしての「スポーツ」へと分化することは避けられないかもしれません.
(つまり,障害者スポーツが健常者スポーツを超える日がくるのではないかということ.または障害者スポーツという概念が意味をなさなくなるということ)

純真無垢な動機,健常な身体を有した上でのパフォーマンス・アップを目指す 「現在のスポーツ」 は,さしずめ手作りのおもちゃをありがたがるような価値観として生き残ることとなり,大衆が喜ぶ 「新たなスポーツ」 とは別に,オルタナティブな道を歩むことになることが予想されます.

そう遠くない未来,我々がスポーツに対して抱く価値観に変化を迫られる日が来るかもしれません.