2017年9月21日木曜日

井戸端スポーツ会議 part 50「最も強い表現で非難する」

昨日の記事でも書きましたが,現在日本は北朝鮮に対し「最も強い表現で非難する」という声明を出しています.
菅官房長官「最も強い表現で非難」 北朝鮮のミサイル発射で(日経新聞2017.7.29)

「『最も強い表現で非難する』とは,これいかに?」
というネット記事も見かけますが,案の定,国際的な声明の出し方に準拠したものなのだそうです.

ようするに,日本語で最も強い非難の言葉を述べたとしても,相手国の言語にとってはどの程度の非難なのか解釈するのが難しくなるのですから,「私は今,最も強い非難をしているんですよ」ということを表すために,それをそのまま伝えているということです.

例えば,相手国に「怒髪天を衝く心境です!」と伝えたとしても,言われた国によっては「ヘアジェルの量が多すぎて困っている」と捉えるかもしれませんし,「はらわた煮え繰り返る思いです!」と伝えても,「モツ鍋が美味しそう」と間違われるかもしれない.

つまり,「最も強い表現で非難する」というのは,
「私は今,あなたが思いつく中での最大級の非難表現をしていると脳内変換してください」
という日本外交の約束事なのです.

ちなみに,私も過去のブログ記事で似たような手法を用いたことが何度かあります.
例えば,■子供の自殺原因「いじめ」は2%,という記事への反応への反応
実際の使用例は以下のとおり.
これについて私から言えることは,もうこの国の大勢,少なくともネット閲覧者の多くが,想像を絶するほどに◯◯だということです.
※上記の◯◯には,考えられる最も侮蔑的表現を想像で入れてもらって結構です.
本当に諦めました.やっぱりこの国はダメかもしれません.
やばいです.
直接言及しても,それは相手にとっては侮辱にはならないかもしれませんし,最大級の侮辱的表現は人によってマチマチでもある.
だから,その表現については読み手に一任しましょう,ということです.

それに,直接的に言ってしまうと,いわゆる “コード” に引っかかるということもあります.それを回避するためにも有効な手法でしょう.
総理大臣や官房長官が「このハゲー! テメエらはクソだ! 死んじまえ!」って言ったらマズいですよね.

そんなわけで,外交において非難声明を出す際には,あらかじめ表現にグレードを用意しておいて,その用意された外交プロトコルに合わせて声明を出しているわけです.
政府の言う「遺憾」はどこまで強い非難なのか?「上から4番目」(エキサイトニュース2015.5.31)
それによると,「外交プロトコルによる非難の表現」とは,以下のような等級になっています.
最大級:断固として非難する
    非難する
    極めて遺憾
    遺憾
    深く憂慮する
    憂慮する
    強く懸念する
最小級:懸念する

というわけですから,「最も強い表現で非難する」というのは,日本国における退っ引きならない外交表現ということになります.


そう言えば,この記事は井戸端スポーツ会議でしたね.実は,スポーツ科学でもこれと似たようなものがあります.
ボルグ・スケール(Borg scale)と呼ばれる心理尺度で,心理分野だけに限らず体育・スポーツ領域全般でよく知られているものです.

主観的(自覚的な)運動強度(RPE:rating of perceived exertion)を測定する尺度で,その中でも特に有名なのが,心理学者のボルグ博士が考案したボルグ・スケールです.

一般的には,ジョギングやウォーキングといった有酸素運動時における運動強度や疲労感の測定に有効だとされています.
いろいろな尺度が考案されていますが,代表的なのが以下のようなもの.
最低6から最大20までの15段階のものがこちら↓
6
7 Very, very light(非常に楽である)
8
9 Very light(かなり楽である)
10
11 Fairly light(楽である)
12
13 Somewhat hard(ややきつい)
14
15 Hard(きつい)
16
17 Very hard(かなりきつい)
18
19 Very, very hard(非常にきつい)
20 Maximal(最大)
実はこの15段階尺度,「6」から始まるには理由があります.
各等級の数値に0をつけることで,その時の心拍数が推定できるんです.
例えば,「15 きつい」という運動をしている時は,心拍数を計測すれば約150拍/分になっているということ.

今すぐ簡単に試すことができます.
階段昇降とかスクワット運動など,何でもいいので2〜3分間の運動をします.
その直後,心拍数を計測します.最も手軽なのは,橈骨動脈か頸動脈で触れる拍動を10秒間計測して,それを6倍するという方法.もしくは15秒間計測して4倍すると良いでしょう.
そして,上記のボルグ・スケールを見て,その時の運動による疲労感やきつさを回答します.
おおよそ心拍数と一致しているのではないかと思います.
運動したけど「楽である」と感じたのであれば,約110拍/分.「かなりきつい」と感じたのであれば,約170拍/分といったところです.

つまり,英語圏の人が「Hard」と思っている時というのは,日本人にとっては「きつい」と思っている時であり,さらにはその時両者の心拍数は約150拍/分ということ.
結構おもしろいでしょ?

それだけに,ボルグ・スケールにおける最大強度には「最大(Maximal)」とだけ表記されていて,最大級の表現がないのも興味深いですね.
まさに「最も強い表現で『きつい』」ということなのです.

人によっては「死にそう(be dying)」とか「三途の川が見える(see the Grim Reaper)」とかになるのかもしれませんが,こうした表現も人によってマチマチでしょう.
それに,研究論文中に,
「被験者が『死にそう』と訴えた時点で運動負荷を終了した」
とか,
「被験者が『三途の川が見える』と感じた時点での測定値を記録した」
なんて書いたら倫理的に問題ですからね.

2017年9月20日水曜日

このタイミングでの解散選挙って凄くね?

にわかに「衆議院解散」が喧しくなってきました.
どうしてこのタイミングなのか?
我が国の首相はトチ狂ってしまったのでしょうか,さっぱり意味が分かりません.
安倍首相 25日に会見 解散に踏み切る理由を説明へ(NHKニュース)

もっとも,トチ狂っているんじゃないかと思うのは今に始まったことではありませんから,あまり驚きもしないのですけど.
いよいよこの国の社会も末期を迎えたのかもしれませんね.

ネトウヨと称される人たちが,つい先日まで,
「北朝鮮問題や災害対策に予断を許さない中,森友学園だの加計学園だの言ってる場合じゃない!」
などと熱り立っていましたが,彼らの教祖である安倍晋三の頭の中には,今は北朝鮮や災害よりも選挙をした方が良いという予断があるようです.
見事なブーメラン(©ウヨク)と,梯子外し(@ウヨク)ですね.

そんなこと言うと,こんな反論もあるかもしれません.
「この選挙は,北朝鮮問題や災害対策に注力するための基盤づくりのための選挙だ」

でもそれは,つい先日に内閣改造した政府に対しては苦しい擁護です.
安倍首相は先の内閣改造でこう言いました.
安倍晋三首相、信頼回復へ「仕事人内閣」 第3次改造内閣が発足(産経新聞2017.8.3)
政権の信頼を回復するため、新内閣を「結果本位の仕事人内閣」と名付け、経済最優先で政策を推進していく考えを示した。
(中略)
今回の改造について「幅広い人材を糾合し、国民のため、しっかりと仕事に専念できる態勢を整えることができた」と強調した。
ところが仕事せずに,結果も出さずに解散する運びとなるわけですから,これでは「危機対応よりも自己保身を目的とした選挙」と言われても反論の余地はないと考えられます.

ウヨクこそ安倍晋三を批判すべきではないのですか?
森友だ加計だと言ってる場合じゃなかったのですから,尚の事,今は「選挙」どころではないでしょう.
ましてやミサイルがポンポン飛んできている最中.すぐまた次のミサイルが撃ち込まれるかもしれない状況です.
そんな事態にあって,政治の空白期間を作っても良いという自信はどこからくるのか.

つまり,我が国の首相は,この極東での不穏な動きに対しては,慎重に対応しなければならない喫緊の課題ではないと捉えていることになります.
ウヨクはよく「サヨクはお花畑だ」と言いますが,バカ言っちゃいけない.
ウヨクこそが,その総本山・安倍政権こそがお花畑です.

一般的に,国家安全保障に関わる出来事があった直後は,その政権がどんなポカをやらかしたとしても支持率は上昇します.
あの民主党・菅政権ですら,「東日本大震災」の直後は支持率が回復するんです.
菅内閣の支持率推移(時事トピックス)
今は北朝鮮問題が緊迫していますので,案の定,現政権である安倍内閣の支持率は回復しています.
そういう場面を狙って選挙をすれば,議席を取れる確率は高まるわけですね.
それを素直に,まことに素直に実行しているのが安倍晋三のようです.

私はこう考えることにしました.
北朝鮮問題は気にしなくていい問題だ,と.
腐っても日本国首相・安倍晋三です.彼がこの時期これほどまで脳天気に選挙のことを考えてられるんですから,きっとミサイルも撃ち込んでこないんだろうし,人為的な理由で緊急事態になる可能性は極めて低いのでしょう.
以前からそんなサインはありました.安倍首相は,公邸に住まず自宅に住むことを好みます.
安倍首相が公邸に住まないのは「犬」のせい? 危機管理意識を批判する声も(ハンフィントンポスト2013.11.9)

危機意識が低いんではなくて,諦めているんだと思います.
公邸にいようが自宅にいようが,何か起きても何もできないことに変わりはない.
同様に,選挙中にミサイルが飛んできても何かできるわけでないし,何の対策もとれない.どっかに着弾しても「選挙中だったから仕方ないね」って.
それが実際のところではないかと考えられます.
だからこんな状況でも無邪気に「選挙するよ」って言い出せるんだと思うんです.

2017年9月12日火曜日

「本能寺の変」に関する明智光秀の書状が見つかったらしい

今日,こんなニュースがありました.
明智光秀:密書原本 本能寺の変直後,反信長派へ 室町幕府再興目指す(毎日新聞2017.9.12)
本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはししげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。
(中略)
藤田教授は「光秀が、まず信長を倒し、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」と話す。
過去記事の「鳥無き島の蝙蝠たち」シリーズで取り上げていた,「本能寺の変・長宗我部元親暗躍説」と関連するかもしれないということです.

今回発見された雑賀衆・土橋に宛てた文書と,以前から注目されていた斎藤利三に宛てた「石谷家文書」から,本能寺の変が案外簡単な理由で動いていたことが推察されます.
摩訶不思議な謎も,分かってみればシンプルな解というのはよくあることです.

つまり,織田信長と対立した四国の長宗我部元親が,信長による「四国征伐」を止めるため,明智光秀を利用して信長を暗殺したのではないか? ということ.
そして,光秀としては主君である信長を暗殺するほどの大義名分を「室町幕府再興」に求めたのではないか? ということです.

おそらく,元親は光秀に対し,室町幕府を再興する手伝いをする代わりに信長を討ってもらう約束をしていた可能性が高い.もちろん,光秀としては幕府再興のためとは言え,主君を不意打ちするのですから事後に何を言われるか不安だったでしょう.その時に加勢してくれる味方は多い方がいいし,自分の行いを「あっぱれ,光秀,日本一のサムライ」と認めてくれる仲間(サクラ)を用意したいところです.
その一人が元親だったのではないか.

室町幕府再興という大義名分であれば,将軍・足利義昭を保護している毛利輝元は支援してくれるだろうし,元親(四国)と輝元(中国)の伊予・瀬戸内海における対立もそれによって和解にもっていける可能性もあった.
ついでに雑賀衆も味方につければ,一気に近畿と京都を制圧できるはずだったのです.
さらに,明智光秀が出した文書の宛先である雑賀衆の土橋重治は,長宗我部勢力と親密だったとされています.

以下に位置関係を示してみました.

圧倒的に光秀優位な状態だったんです,理論上は.
ところが,光秀の思惑とは裏腹に,元親も輝元も雑賀衆も,世の「風」を読んで動かなかった.
むしろ彼らとしては,自分たちにとって邪魔な信長を光秀に討たせさえすれば十分だった可能性もある.
いずれにせよ,事は水面下で動いていたのだから,真相は誰も知らないまま.
哀れ光秀は,孤立無援になったところを「山崎の戦い」で羽柴秀吉に討たれてしまった.

もう一つ.
秀吉が例の「中国大返し」をして山崎の戦いに挑んだという話ですが,もし秀吉が光秀の企みを事前に想定していたとしたらどうでしょう.
上記の地図をご覧になったら分かるように,秀吉にとっては万事休すの状態なんですよ.
頭のいい秀吉のことです.光秀が「室町幕府再興」を旗印に,毛利と手を組んで挟み撃ちにすることくらい想像したと思います.

中国大返しとは,「光秀を討つため急いで帰ってきた」のではなく,「明智・足利&毛利・長宗我部勢力の包囲網から急いで逃げ帰ってきた」という要素の方が大きいのです.
もちろん,理由はその両方だったと言えます.秀吉としては一刻も早く大阪へ戻り,「光秀を討つ」以外に逃げ道が無かった.
もし秀吉が中国大返しをせず備中高松城に居座っていたらなら,光秀は元親,輝元,雑賀衆と共に秀吉を挟み撃ちにして葬っていたことでしょう.
中国大返しが “異様なほど速かった” のは,「本能寺の変の黒幕が秀吉だった」といった説よりも,「死に物狂いで逃げ帰らなければ,軍団全体が壊滅するほどの危機的状況だった」という説が最も真相に近いのではないかと思われます.

なんにせよ今回の発見は,明智光秀が無計画に織田信長を討ったわけではないことを示唆するものになっているようです.
あと,一連の文書の発見で有力視されるようになった「長宗我部元親暗躍」と「室町幕府再興計画」は,もともと歴史好きなら散らばっている事実を基にして考えそうなストーリーではあるんです.
どうやらその一つが当たっていたようだ,ということ.
普通に考えてみて,なんの後ろ盾も計画もなく,たくさんの人が運用に関わることになる軍団を動かすなんてあり得ないですからね.何かしらの戦略があったであろうことは当然だと思います.

でも光秀さん,本気で「室町幕府再興」を考えていたのであれば,“あの方” のような情熱と執念がなければいけませんよ↓

2017年9月7日木曜日

体育学的映画論「告白」

興行的には大成功した作品ですので,見たことがある人も多いものと思います.
告白(wikipedia)
2010年に公開された,監督:中島哲也,主演:松たか子の映画です.

私はつい最近になって見ました.
学生の頃はTSUTAYAを利用してたくさんの映画を見ていましたが,2008年頃から数年前までは映画から離れた生活をしておりましたので,この映画のことも知りませんでした.
かなり興味深い作品でしたので,先日,気になったので原作も読んだほどです.

見たことがない人もいるかもしれませんので,ウィキペディアから「あらすじ」を引っ張ってきます.
とある中学校の1年B組、終業式後の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子が静かに語り出す。「わたしは、シングルマザーです。わたしの娘は、死にました。警察は、事故死と判断しました。でも事故死ではありません。このクラスの生徒に殺されたんです」一瞬にして静まりかえる教室内。この衝撃的な告白から、物語は幕を開けた。
映画でもこの「衝撃的な告白」から始まるのですが,その時の女性教師役である松たか子さんの演技が非常に上手いので,ここで一気に惹きつけられます.
冒頭のこの30分間だけで十分な作品じゃないかと思わされるほどですが,実際に,原作者によればこの部分だけで一つの作品だったようです.
告白 (湊かなえ)(wikipdida)

映画としてのエンターテイメント性の高さもさることながら,私としては本ブログで度々取り上げているテーマと共通することが興味深かったんです.
具体的に言えば,「世間の目」「大衆の反応」「いじめ問題」「教育の役割」といったところでしょうか.
こうした点は,原作の小説よりも映画のほうがよく現れています.映画監督によるところが大きいのかもしれません.

「少年法により裁くことができない『犯人』への復讐劇」というスタイルで進行する物語ですが,当然のことながら,そこで描かれているのは少年法に関する問題提起などという陳腐なものではありません.

「衝撃的な告白」から年度が明けたこのクラスでは,殺人犯と目される生徒への「いじめ」が始まります.
「お前,ぜんぜん反省してねぇだろ!」と吐き捨て,物が投げつけられる.私物が捨てられる.
そんな調子で盛り上がっていく加害者へのクラスメイトによる私刑は,いじめられている人物がどのような立場にあるかを踏まえても,クラスメイトの側に醜さが感じられます.

相手は殺人犯なのだから,これは「いじめ」ではなく制裁ではないか?
そんなわけで,この『制裁』を拒む生徒に対してもクラスメイトは牙を剥く.「人殺しに味方して,あんたには感情がないの?」

どうして人殺しに味方することができるのか?
それは他者に対して理解する姿勢があるかどうかです.
映画の視聴者の側には,その姿勢が強制的に与えられています.だから殺人犯へのいじめを醜いものとして見ることができる.

クラスメイトたちには,自分たちが「いじめ」をしている自覚なんてありません.相手は殺人犯なのですから,絶対的に正義は我の側にあると考えています.
ですが,こういう正義は疑ってかからなければなりません.

彼らは正義の鉄槌をくだしているフリをして,自分自身が楽しんでいるだけなのです.
誰も本気で殺人犯を制裁しようとなんて考えていない.本当に制裁しようと思ったら,本当に「反省しろ」と思ったのなら,どうすれば「制裁」や「反省」になるのか考えるはずですよね.
でも,クラスメイトたちはそれをしません.
これは中学生,ガキだからではありません.
大人もそうです.
大衆は「本当に向き合わなければならない事」には興味がないからです.

本当に向き合わなければならないのに,それが面倒くさかったり,実のところ興味がないというのであれば,関わらなければいいだけのことです.
でも,それでは楽しくないのが大衆というものです.
原作には,犯人への「制裁」を拒んだ女子中学生によるこんな語りがあります.
ほとんどの人たちは,他人から賞賛されたいという願望を少なからず持っているのではないでしょうか.しかし,良いことや,立派なことをするのは大変です.では,一番簡単な方法は何か.悪いことをした人を責めればいいのです.それでも,一番最初に糾弾する人,糾弾の先頭に立つ人は相当な勇気が必要だと思います.立ち上がるのは,自分だけかもしれないのですから.でも,糾弾した誰かに追随することはとても簡単です.自分の理念など必要なく,自分も自分も,と言っていればいいのですから.
(中略)
愚かな凡人たちは,一番肝心なことを忘れていると思うのです.自分たちには裁く権利などない,ということを・・・.
(中略)
悠子先生,直くんと修哉くんが人殺しなら,ここにいる子たちは何ですか?
いじめ問題や,それによる自殺などが発生すると,ワイワイガヤガヤ炎上することが好きな人達がいます.
そういう構図がすでに「いじめ」であり,事の解決にも,事態の収拾にも,ましてや今後の改善にもつながらないことは明白です.
それに対する理屈を捻り出す人もいます.「いじめの加害者は『制裁』を受けるという空気にしなければ,いじめは無くならない」などというものです.バカですね.

実際,上述した女子中学生は,映画ではこんなことを言います.
たぶん,みんな弱虫だから,悠子先生が突きつけた真実から逃げ出したくて,バカになりすましたんです.
このクラスは2年生です.だからなのか,この女子生徒の語りも中二病なところがありますが,それでも必死に考えようとしています.
人は,バカにされまいともがく一方で,都合よくバカであることを望む.
彼女はクラスメイトをそう評し,それに踊らされる新任教師をバカにしました.

この映画や原作小説では,女性教師による犯人への復讐という視点から始まり,最終的にも結ばれるのですが,事件に関するその他の関係者それぞれのモノの見方も示されていきます.
個々人が抱いている周囲の人物や事態への評価がそれぞれ異なること.これらに各々の言い分があり,そしてそれは「(我々視聴者には与えられている)全体像」を知らないために発生していることが,物語を進めるにあたり明らかになっていきます.

私としては,犯人の一人の母親(映画では木村佳乃が演じている)の心情を考えると居た堪れない気持ちになります.こういう状態になる前に,なんとかならなかったのかと気が滅入るんです.

女性教師が退職した代わりに赴任してきた「熱血バカ教師」なんか,読者や視聴者に対してもかなりのフェイクでしたね.
彼はたしかに熱血バカ教師ではありましたが,それでも本当に熱血だったのだし,何より彼の行動は,実は前年度担任である女性教師の指示によるものだった.
小説では,どうしてあそこまで熱血バカ教師を演じていたのか説明もあります.
なにより,新人教師がこんなクラスの担任を受け持ってしまったことは不運だったとしか思えません.

教師という仕事を簡単に考える人が多いんですけど,とても難しいことなんです.
生徒にバカにされていることが分からない教師なんて,そう居ませんよ.たいてい分かっているんです.でも,だからと言って明日から事態が好転するなんてことはない.
皆が皆,生徒の心をつかむ才能がある人間ではありませんから.
それだけに教育に関する相談相手は重要です.
作中の熱血バカ教師の相談相手は,娘を殺した生徒に復讐しようと目論む教師でした.これも不運ですね.

物事は多面的に見たほうがいい.
当たり前のことですが,それが実際には非常に難しいことと,それを怠った時に何が現れるのかを示している映画が本作です.