2017年7月17日月曜日

今治・加計学園問題について

そのうち無理やり闇に葬られるもんだと思いきや,全く終息する感じがないので,私なりにこの問題を取り上げてみます.

以前の記事でも書きましたが,この手の不祥事やスキャンダルは政治にはよくあることです.
私も教育関係者なので,学校や大学の設置に政治家や官僚の関与や忖度があることは知っています.
一般の方々には胸を張って公開できないことって,たくさんあるものなんです.
森友学園問題をまとめてみた
森友学園とか加計学園問題なんて議論している場合だ
こんな大学は万事休すだ

リンク先の記事のひとつにも書きましたが,この問題の本質とは,
「しょうもないスキャンダルを,いつまでたっても終息させられない政権」
です.
上手く言い逃れればいいものを,ダメダメな言い訳に終始しています.
こんな政権が北朝鮮ミサイルへの対処とか,まともな憲法改正議論ができるわけがありません.
とっとと退陣してもらいたいものです.

総理の身内が運営に関与している!
総理の友人が経営しているところが優遇されている!
総理の意向を忖度した審査だったのではないのか!
なんていう話は,いつもあるものです.
これは「総理」や自民党に限らず,「政治家」であれば誰でも該当します.

もちろん,上述したことはスキャンダルですし,どれも「善い」ことではありません.
ですが,政治をやっている以上,どうしても偏った審査や優遇というものは起きるものです.
っていうか,これは政治に限った話ではありませんね.民間組織の中でもこんなことよくあるんでしょ?

言っておきますが,これは政治家や官僚,大学・学校経営者が望んでやっていることではありません.
過去記事でも繰り返し述べているように,こういう状態に誘導したのは誰あろう,あなた方「国民」です.

教育も民間と同じように「競争」させれば,生き残りをかけて安穏としていた教授陣は奮起し,熾烈な環境に適応できなかった弱者は淘汰されるだろう.そんな妄想を抱いていました.
ところが,弱者にしたってただでは死にません.なるべく生き残るように全力を尽くすものです.

生物の進化論的着想で取り組んだ政策ですから,当然,進化論的帰結を受け入れるべきです.
その結果,環境に適応すべく「弱者」は,政治家や官僚に取り入って,優遇してもらうようになりました.これも生き残りをかけた我々なりの努力です.
違法ではないのだから許されるんですよね.これについて,安倍信者なら許してくれそうです.

元来,教育活動というのは金儲けすることができません.儲けようとすると国民が怒るからです.「教育者が露骨な金儲けをするな!」って.
金儲けをする努力が表立ってできないのですから,どうしても「ブランドがある」とか,「既得権益業種の就職口になっている」ところに学生が集まります.
だから,金儲けに見えないようにお金を調達する必要が出てきます.それが政治家の口利きや,官僚との癒着,有力者の身内の取り込みです.
それによって,瞬間火力としての「ブランド」とか「既得権益(いわゆる補助金)」を得ようとするわけです.

大学や学校を新設する際,元・官僚や政治家の身内を「理事」とか「幹部」として招くのは,経営者側としても,そういうコネクションが欲しいからです.
過去記事でも書きましたが,「危ない大学」や「経営難の大学」ほど,官僚の天下りを歓迎し,元・役所の長を「教育者としては無能」なのにも関わらず招聘します.
これは,補助金獲得のために役立つからなんですよ.

ですから,■こんな大学は万事休すだでも書いたように,「自民党の息がかかっている」ような大学や教育機関は「危ない」のです.そして,そんなところは得てして「ブラック企業に大きな就職口を持っている」わけです.

この加計学園問題ですが,私はぜんぜんフォローしておらず,未だに騒がれているのは目にしていましたが,詳しい経過を知らなかったんです.
事ここに至って確認してみたのですが,そのなかに興味深いものを見つけました.
ネットで話題になっているの国会での参考人質疑の動画です.

なんでも,自民党の青山繁晴氏が,参考人である前川喜平前次官と加戸守行前愛媛県知事を中心に質疑をするというもので,それが「マスコミが報道しない重要な内容!」という評価を得ているんです.

見てみました.
で,私が思うに,この質疑応答をマスコミが報道しないのは,そんな価値が微塵もないからだと思います.
だって,青山繁晴氏の質疑はトンチンカンで的を外しまくっているからです.こんなもの報道する意味がありません.

冒頭,こんなやり取りがあります.
青山「(前川氏は)愛媛県には獣医師は不足していないから,加計学園が今治市に獣医師学部を新たに作ることは行政を歪めることである,という趣旨で発言をされているようだが,このような実態(獣医師が不足している)があることを知っていましたか?」

前川「違います.規制緩和をすべきかどうかという問題と,加計学園に新設を認めるかどうかという問題は次元の違うことです.私が『歪められた』と言ったのは,加計学園だけに獣医学部の新設が認められたプロセスです」

青山「今,前川参考人がおっしゃったことは,ボクの予想した通りです.これについては,もう少し後で詳しくお聞きします」
そう青山氏は言い残し,その後この件について聞くことはありませんでした.

この質疑は40分くらいあるのですが,もうね,見てるこっちが恥ずかしくなるんです.
実際,後ろの方で座っている何人かの議員は,青山氏の質疑に失笑しています.

質疑は続きます.
青山「では,加戸参考人にお聞きします.先程の前川参考人のお答えについて,どのようにお聞きになられましたか?」

加戸「先程の『歪められた』行政という発言ですが,私に言わせますと,獣医学部の問題で厚い岩盤規制が,国家戦略特区というドリルによって穴を開けていただいた.歪められた行政が正されたというのが正しいのではないかと思います」

青山「このように,前川参考人と加戸参考人の発言は,見事に食い違っているわけです」

当たり前です.しゃべっている内容の次元が全然違いますから.
私は別に加戸氏の発言が悪いと言っているわけではありません.むしろ,愛媛県に獣医学部を誘致するために尽力なさったんだなぁと尊敬します.
でも,今回の加計学園問題とは全くと言っていいほど無関係の参考人発言でした.

青山氏は大きな勘違いを持って質疑をしています.もしくは意図的なのか.
青山氏は,この疑惑の本質を「愛媛県に獣医学部を作ることの正当性」だと思っているフシがあります.
しかし,この疑惑の真の本質は,前川氏が言うように「加計学園だけが新設認可が降りたプロセス」です.皆が知りたいのも,その点です.

だからでしょう,青山氏は質疑の冒頭に前川氏から勘違いを指摘された時,「今,前川参考人がおっしゃったことは,ボクの予想した通りです.これについては,もう少し後で詳しくお聞きします」と言い返したくせに,その後,「加計学園ありきで手続きが進んだプロセス」について問うことはありませんでした.

青山氏は,あくまで「愛媛県に獣医学部を新設する必要性があること」と,「手続きそのものに違法性がなかった」ことを強調しています.
けど,そんなことは一部のモノ好きが盛り上がっているだけで,疑惑の中心ではありません.議論した上で愛媛県に獣医学部を作ることになったのであればそれでいいのだし,手続きは表向き問題がないことくらい,玄人であれば知っています.
ですが,今回指摘されている問題点というのは,その手続きの組み立て方に『忖度』があったのではないか?ということです.

どうやらこの自民党の青山繁晴氏にも「信者」がいるようでして,ニコニコ動画などでは,終始,画面に青山氏擁護のコメントが流れています.
でも,この加計学園問題における疑惑の本質を間違えてトンチンカンなことをしゃべっているのは青山氏です.見てて辛くなるくらいトンチンカン.
満員のコンサートホールで,音を外しまくって熱唱し,「サンキュー!!」とか言いながら20曲くらい歌っているオッサンを見ているようで,いたたまれない気持ちになります.

興味ない人は既に本件の何がどう問題だったのか忘れている人もいるかと思いますので,疑惑の元となっている部分を示しましょう.
流れは以下のとおりです.ウィキペディアを参照しました.

2007年〜:今治市は計15回にわたり獣医学部の新設を求めたが,文科省は獣医学部の新設を認めなかった(ここで尽力したのが,上述した加戸前愛媛県知事です)
2013年:国家戦略特区が安倍政権の下で制度化される
2015年6月:内閣府が「全国的見地」で獣医学部新設を募集2016年1月:今治市が国家戦略特区の指定を受け,獣医学部新設が可能となる
2017年1月4日:内閣府が,2018年4月に今治市で獣医学部を開設可能な1校を募集.これに対し,応募してきた事業者は加計学園だけだった
2017年1月20日:内閣府は,獣医学部を開設する事業者を加計学園に決定

ここで疑惑となっているのは2点.
1)2016年に愛媛県今治市のみ国家戦略特区としたのは,加計学園に獣医学部を作らせるためではないのか? 
2)2017年における1月4日募集開始,同月20日決定という異様にタイトなスケジュールは,加計学園ありきで進めていた,and/or,加計学園だけが申請できるように仕立てたからではないのか?

私としては,1月4日募集開始,同月20日決定というスケジュールからして,これは「加計学園ありき」なんだろうな,と察します.
全然不思議じゃありません.こういうの,よくあることですよ.上述しましたが,こういうのって民間組織の中でも似たようなことはあるんじゃないですか? 少なくとも,大学とか学会では頻発する「◯◯ありき」で進められる場合に見られる募集&選考スケジュールです.一応,公募して選考しましたよってことにするためのもの.
しかも学園の理事長が総理の御友人なんでしょ? 間違いないじゃん.
官僚の立場としても,自分の家族や出世を犠牲にしてまで止めるようなバカはしないし,普通に忖度しておくのが得策ってものでしょう.

そうなってくると,もしかしたら「今治市のみ設置を認める」という国家戦略特区の指定も,安倍総理の御友人である「加計学園ありき」だったのかのではないか,と疑われても不思議じゃありません.
つまり,安倍晋三は御友人に「国家戦略特区を今治市だけにするから,今治市で開学できるよう準備しといて」って言えば,その他の地域で開学したい事業者(例えば京都府と京都産業大学など)を排除し,加計学園だけに認可することができます.

「今治市が特区の指定を受けたのは2016年1月で,募集開始は2017年1月だから,1年も準備期間があるじゃないか.加計学園以外にもチャンスはあったのでは?」という意見を目にすることがありますが,それは大学・学部設置準備の大変さを知らない人の妄言です.

通常,大学が新しく学部を設置するには,最短でも2年かかります.
大学教員の募集サイトなんかを見ている人はご存知かと思いますが,新設学部で雇う教職員は,2年後に着任させる募集をかけているんです.
ましてや,今治・加計学園獣医学部に至っては2018年4月開学が決定しており,新しくキャンパスや施設を建設するのですから,2016年に特区を開示し,2018年4月に開学しろという香ばしい要求は,「既に見通しがついていて準備完了の事業者」しか応募できないスケジュールだったことになります.
もし本気で「公平な審査と設置準備」をしようというのであれば,特区決定後,広く周知してから4年くらいの募集期間が必要です.

そして,もし今回の「加計学園問題」という疑惑を本気で晴らしたいというのであれば,
1)加計学園における学部設置計画に関する資料を分析する
2)愛媛県今治市と加計学園の間で取り交わされた資料を分析する
ということが必要となってきます.
もしこれらの資料で,国家戦略特区が決定してないのに,それが “ありき” で動いている計画があればクロになります.

と思って,そんな資料がないかネットを調べてみたら,すぐにこんな記事が出てきました.
今治市、一転非開示 官邸訪問記録や開学スケジュール(東京新聞2017.7.15)
なんだ,やっぱり限りなくクロに近いクロじゃないか.

私は今治市に獣医学部を作ることに反対しているわけでも,安倍晋三が違法なことをしていると言っているわけでもありません.
今回のことは,99.9%,安倍晋三の意向を忖度した加計学園ありきで進められた事でしょう.だからこそ,そう思われないように配慮する必要がありましたね.
逆に,実現するはずのない獣医学部の設置準備をたまたま趣味でやっていたら,奇跡的にもそこが国家戦略特区の指定を受けたんだとしましょう.だとすればあまりにアフターフォローが杜撰です.ちゃんと資料を開示した方がいいです.

誤解してもらっては困るので繰り返しますが,私はこの『加計学園問題』というのはどうでもいいスキャンダルだと思っています.
冒頭に述べたように,私が考えるこの問題の本質とは,
「しょうもないスキャンダルを,いつまでたっても終息させられない政権」
なのです.

2017年7月15日土曜日

体力テストの実施方法を間違えていたそうです

こんなニュースがありました.
「大阪の子供は〝運動音痴〟」の汚名返上へ―全国体力テスト低迷、実は計測ミス? 重いソフトボールや数え方間違い…(産経新聞2017.7.14)

どんなミスかというと,
ある小学校では、ソフトボール投げで使用する1号ボール(周囲26・7センチ前後、141グラム前後)がなかったため、たまたま置いてあった3号ボール(周囲30・48センチ前後、190グラム前後)で代用。反復横とびでは本来、線を1本通過するごとに1回と数えるが、「1往復で1回」と計測している学校もあった。(産経新聞2017.7.14)
といったもののようです.
大阪は体力テストの結果が全国最下位であることから,その様子をみるために指導主事が学校に派遣されていたそうなのですが,そこで発覚したとのこと.
計測ミスについて,画像でも解説がありました.
画像:産経新聞より
これは「体力テスト」でよくあること.この計測ミスは大阪に限った話ではなく,全国的にこんな状態であることは予想に難くありません.
今頃,全国の学校では「おいおい!うちでやってる方法,間違ってるじゃんよ!」ということで,大騒ぎになっているものと思われます.

私達の研究グループでもよく文部科学省が示す「体力テスト(正式名称:新体力テスト)」を行なうのですが,学校の教師や部活の指導者の前で測定していると「え? 測定方法ってこういうふうにするのが正しいんですね」と,自分が勘違いしていたことに驚く人が結構います.
ちなみに,正式な測定方法は文部科学省のHPで見れます.
新体力テスト実施要項(文部科学省HP)

最も勘違いしている人が多いのが「反復横とび」の測定方法です.
画像:文部科学省HPより
3本のラインを越える毎にカウントするのではなく,左右両サイドのラインを越えた回数をカウントしている人がメチャクチャ多いんです.上記記事では「一往復で1回と計測している学校もあったと述べていますが,さすがにそういうのは稀ですね.
私見としては,左右両サイドのラインを越えた回数をカウントする方法の方が良いと思います.そっちの方が数えやすいので.

次に多いのが計測時間の間違い.20秒が正しいのですが,30秒でやっているところもあったりします.
あとは,サイドのラインを「踏むか越えるか」ではなく,「必ず越える」ことを課している場合もあります.「越えていなければやり直し」という指示が出されていて,これだけでもかなり記録は変わります.

最近は少なくなった間違いとしては,反復横とびに用いる3本のラインの間隔を120cmでやっているというもの.これは,1999年以降に行われている現在の「新体力テスト」より以前の体力テストで採用されていた方法です.11歳までは100cm,12歳以上は120cmでやっていました.懐かしいですね.
今は全て100cmで統一されているのですが,その変更を知らないまま120cmのラインを引いている教師や指導者がいます.微笑ましいことです.

実は私はこの間違いに思い入れがありまして,かく言う私もこのミスをしているんです.
今から10年以上前のこと.今となっては超有名な某プロスポーツ選手が当時14歳くらいの頃に,その体力テストを担当したことがあるのですけど,そこでてっきり「12歳以上なんだから・・」ってんで120cmでやっちゃったんですね.もう既にその時は100cmでやる時代だったのに.
「君は敏捷性が平均値より低いよ.もっと頑張らないと!」っていう評価になってしまい,その選手は「ハイ!がんばってフットワークを鍛えます!」と健気に返事をしていました.
その後も順調に強くなってプロになったので,まあ,いっか.

ところでこの反復横とびですが,もっとマニアックな計測ミスというのがあります.
計測ミスと言っても被験者側の問題なのですけど,それは,反復横とびはサイドステップを用いるのであって,「ジャンプをしてはいけない」というもの.これは運動能力に優れる人なら「ほぼ全員」が侵しているミス(反則技,チーティング)です.
スポーツ科学における,専門の中の専門の先生がよく指摘する屁理屈みたいなものなのですが,たしかに正論ではあるんです.
動画とかで示さないと難しいことなのですが,以下のようなものです.
運動能力に優れている人によくあるのですが,両足を同時に浮かせて身体(特に下半身)を横方向にスライドさせてサイドのラインを外足で踏み,その後,そのまま両足を同時踏切により中央のラインをまたぐ形に戻して,その勢いのまま,また両足踏切で反対側のラインを踏みに行く.というテクニックです.つまり,サイドステップじゃなくて,小刻みな超低空両足ジャンプ(スプリットジャンプみたいなもの)を繰り返すことで速く移動しようとするのです.
これは本来のルールではダメなんですけど,よく見逃されます.むしろ,これができる人は運動能力が高いのだからいいじゃないか,という感じで.

他にも体力テストでよくある計測ミスはあります.
「上体起こし(腹筋運動)」もそのひとつです.
画像:文部科学省HPより
上体起こしでは,仰向け状態から起き上がってきて,胸の前で組んでいる自分の肘を膝につくまで身体を起こすというものです.
ここで散見される計測方法の間違いが,「腕を胸の前で組む」のではなく,「手を頭の後ろで組む」というもの.首を痛める危険性が指摘され,現在では頭の後ろでは組みません.
そして,最も多い間違いがこちら.「背中を床面(マット)につける」のが正しい方法ですが,それをしない人が多いことです.これも反復横とびにおける「小刻みジャンプ」と同様,運動能力が優れている人こそ可能な反則技.
腹筋が弱い人は床面に背中をつけなきゃ起き上がってこれませんが,腹筋の強い人は床面ギリギリのところまで下ろしたところから,反動を使って起き上がってこれます.その方が素早い動作ができますので.
大学生(男子)における上体起こしの平均記録は25回くらいですが,速い人だと45回に及びます.でも,この回数を稼ぐためには反則技を使わないと現実的ではありません.

上記の新聞記事にも画像付きで指摘されている「立ち幅とび」の計測方法ですが,むしろこれは「間違っている方法」の方を採用したほうが現実的だと思うくらいです.
跳ぶたびにメジャーを使って計測するよりも,予め床面やマット上にメジャーを張っておいて,その横でジャンプして記録を読み取ったほうが楽に計測できます.それに,この方法にしたからと言って,そこまで大きく測定値がブレるわけでもありません.

私としては,もっと簡便で確実性の高い体力テストを普及させたほうがいいと考えています.
別に今の方法がダメだと言ってるわけではなく,新しい方法を考案しろっていうわけでもなくて,現行の測定方法をもっと簡単にできやしないか検討してはどうか,ということです.
例えば,上述した立ち幅とびもそうですし,持久力を測る20mシャトルランも,ドレミファソラシドの音源がないとできないというのは厄介です.しかもあれ,体育館の床面の性質で成績が結構変わるんですよ.

もっと言えば,体力テストで測られる「体力」などたかが知れています.
一般の人が思う以上に,体力テストの値に大きな意味などありません.
よく,「以前と比べて子供の体力が低下している」という指摘がありますが,それにしたって「じゃあ,どれくらいの体力があればいいのか?」とか,「ボール投げや疾走能力が低いことの何が問題なのか?」ということに容易に答えることはできないのです.

誤解を恐れずに言えば,体力テストを使ってその子供「個人」を評価することなどできません.これはあくまで疫学的調査のための価値しかないのです.
「体力分析」に長い間取り組んできた私としても,いつもそう感じます.体力をいくら分析したところで,何も分かりません.一般的なテスト方法で測定される「体力」は,その個人の身体パフォーマンスとは無関係と言ってもいいくらいです.

測定方法のミスや,やる気の無い被験者などが散在することは織り込み済みで,それでも全体的な傾向として解釈するためのものです.
体力テスト結果を並べて,どこの地域が低い高いといった議論もたしかに「面白い」のですが,それで何かが分かるわけではありません.

つまり,「体力」の高さを云々するよりも,スポーツや運動に取り組むことへの価値を啓蒙すことの方が大事なんです.これを履き違えてはいけない.
体力というのは,あくまで「身体運動」にまつわる生活と文化の反映の一部でしかありません.
必要とされれば高まり,不要であれば低下する.

さらに言えば,体力テストにしたってテクニックが必要とされる「身体動作」です.体力テストの成績を高めようとすれば,その動作を練習することで高められます.
でも,人は体力テストの成績を高めるために運動をしているのではありません.

体力の低下をクローズアップしていると,そのうち「体力を高めるためにも運動・スポーツに取り組むことが大事だ」などと倒錯したことを言い出す恐れがあります.
いや,もうその段階にきているのかもしれません.実際,上記の新聞記事ではそれが読み取れます.
世も末です.


2017年7月9日日曜日

SNSを使って「いじめ対策」をするらしい

昨年,こんな記事を書きました.
いじめ防止対策推進法のこと
まず,その記事の結論部分を以下に示します.
ですから,いじめを「防止」して「なくそう」とする思想哲学を持つこの法律では,絶対にいじめ問題に対処することはできません.
仮に「いじめ」を無くせたとしましょう.でもそこには,「いじめ」という名称ではない「いじめ 2.0」が発生したことを意味します
これはちょうど,「クリスマスで寂しい思いをしないために,クリスマスを禁止しよう」っていうのと同じです.恋人がいないことの寂しさは,クリスマスによって発生するものではありませんし,禁止したところで「クリスマスが寂しい」とは異なる別の「恋人がいない寂しい状況」が発生することと一緒です.
そうこうするうち,切羽詰まった人が「出合い系サイト」なんかに手を出すわけですけど.
ここで私の予言.この「いじめ防止対策推進法」,今その改正が検討されているようですが,
いじめ防止対策推進法も,出会い系サイトと同じ思想哲学のことをやり出すであろう・・(例えば,いじめの解決法が文科省の管理サイトとしてアップされるとか)」
この予言が当たらないことを切に祈っております.
どうやら予想が当たってしまうのかもしれません.
文部科学省では,こんな取り組みが始まったようです.
SNSを活用したいじめ等に関する相談体制の構築に係るワーキンググループ(第1回)の開催について(文部科学省HP,2017.7.6)

ほら見たことか,やっぱりこういうことをやり出すのです.
具体的な予想はできなくとも,この国の考え方と,そこから導き出される方向性はだいたい分かるようになりました.

最初はてっきり「SNSを使って行われている『いじめ』に対する相談体制を考える」ものかと思っていましたが,どうやら『いじめ相談』にSNSを活用しようというものらしい.
まだ話し合いが始まっているわけではないから,現段階であぁーだこぅーだと言えませんけど,十中八九,碌なことになりゃしないと諦観しております.

いじめ防止対策推進法にも同じことが言えるのですけど,「そんなこと現場では既にやってるよ.っていうか,邪魔になるから余計な条件付けや指針を作るのはやめてくれ」ということなんです.

ここで問われなければならないのは,
学校でSNSをどう活用するか?
ではなくて,
生徒との対話をどのように進めるか?
ということでしょう.

そうした「学校における生徒と教師のコミュニケーション」に関するヒントや,その抜本的な枠組みの転換(パラダイムシフト)を文部科学省としては話し合ってもらいたいですし,これに関する研究調査や議論から参考になる知見が現場に降りていくことが望ましい.
ところが,満を持して取り組みだしたのが「SNSの活用方法」なんです.参っちゃうよね.
まさに,「出会い系かよ!」

いえ,SNSを使うことがダメだと言っているわけじゃないんです.
もう既にSNSを使って生徒との対話を試みている先生方は現場にたくさんいるし,SNSをちょっと “違法的” に活用して生徒指導に役立てている人もいる(大学の後輩がそういう教師で,彼からいろいろ聞いています).
けど,それは生徒との関わりの中において有機的に発生しているコミュニケーション手段の模索なのであって,SNSをどうやって使うのか? ということとは理念や思想が異なります.

百歩譲って,これまでにSNSを使って「いじめ相談」をしてきた教師の体験談や成功/失敗事例をまとめ,それを全国に普及させるっていうのであれば分かります.願わくば,このワーキンググループもそういう方向で落ち着いてもらえると幸いです.期待できませんけど.

考えてみれば,今でも電話を使った「いじめ相談窓口」みたいなものはあって,これはちょうど「テレクラ(テレフォンクラブ)」に相当するものと言っていいでしょう.テレクラって今の学生は知りませんね.懐かしい響きです.
これは別に相談窓口を批判しているわけじゃありません.人間というのは,困った時はそういうところに救いを求めるという意味において,いじめも性欲も変わらないということです.
テレクラが出会い系サイトに変わってきたように,すなわち相談窓口も電話からネットに変わるわけですね.

ただ,指摘しておきたいのは,テレクラや出会い系サイトにより得られる「救い」が限られたものであるのと同様,SNSを活用したところで救われる「いじめ」も限られたものになるであろうことです.
そういうところからしても,SNSを相談窓口として活用する方法を検討する前に,現場の教師を活かせる改善策や,子供と向き合うために負担を減らす制度づくりに取り組むことが先ではないかと思うのです.



2017年7月8日土曜日

体育学的映画論「四月物語」

もう7月ですが,「四月物語」を見てみました.Huluでやっていたので.
四月物語(wikipedia)
ちょっとしたロマンス映画ですが,田舎から都会に出てきた大学生の姿をよく捉えていると思います.あと,ホントに4月だけを映した物語です.
主人公は女子学生ですが,境遇が似ていることもあって,私にも共感できるところが結構あります.

あと,松たか子が演じる主人公が「東京の大学」に進学した理由なんですけど,それってのが私の高校時代の社会科の先生と同じなんです.
その進学理由が劇中で明かされた時,妙に親近感(?)をおぼえました.
「あっ,これって◯◯先生と同じだ・・」ってね.

思い出してみると,その時もその先生がナントカっていう映画?小説?と同じだとか言ってたような気がします.時期的にもこの四月物語(1998年)だった可能性が高い.
「いやいや,そんな理由で大学進学なんかしないだろう」と思われる人は多いかもしれませんが,案外そういう女子学生はいるのかもしれませんね.
ちなみに,その先生は “成就” しなかったそうです.

私としては,たぶん数年前までなら嫌いな部類の映画だったんですけど,歳をとったのでしょうね.こういう映画が見れるようになった私自身に驚いています.

いえ,面白い映画ではないんです.強いて言えば興味深い映画です.
なんでもない場面を映し出すだけで,こんなに引き込めるものかと感心します.
と同時に,これってのは見る側が大学生生活を経験している人じゃないと難しいのかなぁとも思ったり.

これが制作された1998年っていうと,私はまだ高校生ですが「大学生といえばこんな感じ」と違和感なく見れます.その後すぐ私も大学生でしたから.
でも,この1998年というのは今年入学した大学1年生の多くが生まれた年なんですよね.
確認するまでもないですが,19年前です.

私達の年代が1980年頃に制作された映画を見て感じる古臭ささと同じものを,今の学生たちは2000年頃に制作された映画から感じ取っているのかもしれませんね.
今の学生にとって「四月物語」みたいな青春ものは,80年代生まれの私達にとっては「時をかける少女(1983年)」とか「Wの悲劇(1985年)」を見せられるようなものでしょう.たしかに時代を感じます.
松たか子がこの20年間で変わったように思えませんが,それは原田知世や薬師丸ひろ子が35年経っても変わらないと思う人と同じかもしれません.

最近,こういう時代感覚を面白く感じるようになりました.
「十年一昔」と言いますが,10年前と言えば第一次安倍政権でしたし,東京マラソンが初めて開催されたのもこの年です.
私もすでに大学院を卒業して研究者になっていて,あれよあれよという間に30歳を越えました.
でも,この10年で何か大きな変化があったようには思えないんです.そういうものです.

今年の1年生に聞いてみたら,この次の年の2008年に開催されたオリンピック北京大会は記憶にあるけど,その前の2004年アテネ大会は認識できていないのだそうです.
北京大会は9歳頃,アテネ大会は5歳頃だったのですから,そりゃそうでしょう.